井上一成
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いのうえ いっせい
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| 生年月日 | 1932年1月15日(80歳) |
| 出生地 | 大阪府、(現)摂津市 |
| 出身校 | 同志社大学 |
| 前職 | 薫英女子短期大学講師 |
| 現職 | 薫英女子短期大学客員教授 摂津会理事長 |
| 所属政党 | (日本社会党→) (社会民主党→) (民主党→) (自由党→) (保守党→) 自由民主党 |
| 称号 | 勲一等瑞宝章 レジオン・ドヌール勲章 中国安徽省蚌埠市名誉市民 米国コロンバス市名誉市民 経済学士(同志社大学・1954年) |
| 親族 | 弟・井上信也 |
| 公式サイト | 井上一成のホームページ |
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| 内閣 | 村山改造内閣 |
| 任期 | 1995年8月8日 - 1996年1月11日 |
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| 選挙区 | (大阪府第3区→) 大阪府第8区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 任期 | 1976年12月10日 - 2000年6月2日 |
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| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1968年10月12日 - 1976年10月11日 |
井上 一成(いのうえ いっせい、1932年1月15日 - )は、日本の政治家。勲等は勲一等。衆議院議員、衆議院運輸委員会委員長、日本社会党副委員長、郵政大臣を歴任した。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
大阪府、現在の摂津市出身。1950年に大阪府立茨木高等学校、1954年に同志社大学経済学部卒業。
[編集] 市長から代議士、閣僚へ
1968年、地元摂津市の市制施行後最初の市長選挙に36歳で当選し、前身である三島町の成立以来町長・市長を12年務めた深田丈夫に代わって市長に就任した(当時の史上最年少市長)。在職中に近畿市長会会長などの要職を歴任、2期8年務めた。
1976年に市長の2期目の任期を満了後、同年の衆議院議員総選挙に日本社会党公認で出馬し、初当選する。以降連続当選8回。社会党副委員長などを歴任後、1995年に村山改造内閣で郵政大臣として入閣する。
[編集] 政界再編期の所属政党の変遷、政界引退まで
1996年に社会民主党を離党し、旧民主党結党に参加した。同年の総選挙で大阪8区から出馬、小選挙区では落選するも比例復活で8度目の当選を果たす。
その後、民主党を離党し、自由党を経て、保守党に入党する。2000年の総選挙では大阪7区から保守党公認で出馬も落選した。この時は疾病による術後ということもあって思うように選挙活動ができなかったといわれている。2003年の総選挙では、自由民主党公認で大阪7区から国政復帰を目指すも落選した。
政界引退後は、カンボジアでの学校建設や海外からの留学生のサポートなど、市長、国会議員時代から続けている慈善活動に力を入れている。
[編集] 親族
実弟の井上信也(1934年 - 2010年)は、一成と同様に日本社会党及び日本共産党の推薦を得て(ただし3選時共産党が与党を離脱)、一成の後任の摂津市長を務めた(3期、1976年 - 1988年)。また、サラリーマン新党でも活動した。
[編集] 栄典
- 1973年 - 紺綬褒章受章。
- 1977年 - アメリカ・ジョージア州コロンバス市名誉市民。
- 1978年 - セネガル共和国勲章 (Ordre du Merite) 受章
- 1995年 - レジオン・ドヌール勲章 (Officier) 受章。
- 1997年 - 中国・蚌埠市名誉市民。
- 2002年 - 勲一等瑞宝章受章。
- 2006年 - ロイヤルサハメトライ勲章受章。
[編集] 外部リンク
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 近江巳記夫 |
1994年 - 1995年 |
次代: 辻一彦 |
| 官職 | ||
| 先代: 大出俊 |
第60代:1995年 - 1996年 |
次代: 日野市朗 |
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