坂本剛二
| 生年月日 | 1944年11月2日(67歳) |
|---|---|
| 出身地 | 福島県いわき市勿来町(なこそ・まち) |
| 出身校 | 中央大学 |
| 学位・資格 | 経済学士 |
| 前職 | 福島県議会議員 |
| 世襲 |
父:坂本浅次郎(元福島県議会副議長) 伯父:坂本太平治(元旧勿来市議会議長) 義弟:増子輝彦(現参議院議員・経済産業副大臣) 長男:坂本竜太郎(現いわき市議会議員) |
| 選出選挙区 | 福島県第五選挙区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 所属党派 | 自由民主党(清和政策研究会) |
| 党役職 | 党福島県第五選挙区支部長 |
| 会館部屋番号 | 衆・第二議員会館422号室 |
| ウェブサイト | 衆議院議員・坂本剛二 |
坂本 剛二(さかもと ごうじ、1944年11月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党前衆議院議員。
目次 |
[編集] 来歴
福島県いわき市生まれ。福島県立磐城高等学校、中央大学経済学部卒。27歳でいわき市議会議員、30歳で福島県議会議員(連続3期)を経て、1990年の総選挙で旧福島3区から初当選(45歳・連続6期)。
2期目に政治改革・小選挙区制の導入を訴えて離党し、新党みらいを五人で結成、二大政党制実現へ向けて他の新党とともに自由改革連合~新進党の結党に参画、新進党解党後は無所属となったが、1999年自民党に復党する。
その後、通商産業政務次官、衆議院財務金融委員長、自民党経済産業部会長、経済産業副大臣、自民党福島県連会長、自民党政調総括副会長、自民党国会対策筆頭副委員長、自民党組織本部長等を歴任。主に、経済産業、国会対策の路を歩む。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙には自民党公認、公明党の推薦を受けて出馬したが落選。2010年4月 引き続き自民党福島県第五選挙区支部長に就く。
日本ライフル射撃協会会長等も務める。
[編集] 「核保有・国連脱退」発言
自民党組織本部長在任中の2009年4月7日、役員連絡会にて、北朝鮮が2日前におこなったミサイル発射実験に触れ、「北朝鮮は核を保有している。日本も核を保有すると言ってもいいのではないか」という趣旨の発言をおこなった[1][2]。また、国連安全保障理事会において北朝鮮に対する決議の採択が難航していることについても 「国連脱退くらいの話をしてもよい」との考えを示した[2]。翌4月8日、坂本は発言の意図について、「日本は北朝鮮に強く臨むため、国際社会に対して国連を脱退するぞ、核武装するぞと圧力をかけるくらいアピールしないとだめだという例えで言った」と説明し、自身は核武装論者ではないと述べた[2]。
自民党では細田博之幹事長が、「誰も本気で言ったとは思っていない。核武装できるとも思っていない」と述べ、問題視はしないことを表明した[2]。麻生内閣の河村建夫内閣官房長官も「非核三原則を持つ国としてそのような選択肢はあり得ない」と述べた[2]。
山崎拓は、坂本の発言を「このような意見が、公然と党の会議で言われることは非常に憂慮すべきだ。人類を破滅に導く議論だ」と批判した[1]。
[編集] 選挙区事情
選挙区の福島5区では、坂本と同じく町村派の吉野正芳との間でいわゆるコスタリカ方式を採用。2003年の総選挙では小選挙区で出馬し当選。2000年と2005年の総選挙では吉野が小選挙区から出馬し当選。坂本は比例東北ブロックに回り当選。2009年の総選挙では、党本部がコスタリカ方式の解消を強行。吉野は東北比例区1位を条件に福島3区へ国替え。結果、吉野は三区で惨敗するも比例で復活。
[編集] 著作
- 『国会移転!-首都機能移転で日本はどう変わるのかー』サンドケー出版局、1996年9月
- 『剛ちゃんがゆく-市会、県会、国会政治生活30年のドラマ-』籍文社、2002年4月
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 山口俊一 |
2002年 |
次代: 小坂憲次 |
| 官職 | ||
| 先代: 高市早苗 西川太一郎 |
泉信也と共同 2003年 - 2004年 |
次代: 小此木八郎 保坂三蔵 |