田中良生

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日本の旗前衆議院議員 田中 良生
生年月日 1963年11月11日(48歳)
出身地 日本の旗埼玉県蕨市
出身校 立教大学経済学部 卒業
学位・資格 経済学士
前職 蕨ケーブルビジョン(株) 会長[1]
所属委員会 総務委員会 委員、青年局 次長
世襲 2世
父・田中啓一(前・埼玉県 蕨市長)
選出選挙区 埼玉県第15区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 青年局次長
会館部屋番号 衆・第2議員会館225号室
ウェブサイト 田中良生公式ホームページ
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田中 良生(たなか りょうせい、1963年11月11日 - )は、日本の政治家自由民主党所属の前衆議院議員

目次

[編集] 経歴

立教高等学校(現・立教新座高等学校を経て、1986年立教大学経済学部を卒業。1991年ベンチャー企業のケイ・アール・ベンチャーを起業する。

小学校時代、青年会議所の後輩である庄野拓也と共に立ち上げた蕨ケーブルビジョン専務取締役・代表取締役社長を歴任し、現在は取締役会長。日本青年会議所においても1997年青年会議所(現・とだわらび青年会議所)理事長、2001年埼玉ブロック会長を歴任した。

2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙埼玉15区から自民党公認で立候補し、民主党現職の高山智司を破り初当選した。当選後、派閥には所属しなかったが、武部勤が主宰する新人議員のグループ・新しい風山本一太世耕弘成らが結成した勉強会「プロジェクト日本復活」には参加した。

2007年自由民主党総裁選挙においては、片山さつき猪口邦子佐藤ゆかり小池百合子と共に小泉純一郎を総裁候補にする署名に関わった。

2009年第45回衆議院議員総選挙に再選を目指して埼玉15区から出馬するも民主党の現職・高山に敗れ、重複立候補した比例北関東ブロックでも落選し失職した。

[編集] 人物

創業に関わった蕨ケーブルビジョンは父親である田中啓一が長年市長を務めた蕨市出資の会社であり、実子である田中良生が社長を務めていることは度々市政私物化の象徴とされた。

実家は蕨市を中心とする大地主であり、資産に関しては小泉チルドレンの中では2番目であった。

[編集] 所属議員連盟

[編集] 関連項目

[編集] 補足

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