渡辺喜美

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日本の旗 日本の政治家
渡辺 喜美
わたなべ よしみ
渡辺喜美
生年月日 1952年3月17日(59歳)
出生地 栃木県那須郡西那須野町(現那須塩原市
出身校 早稲田大学政治経済学部
中央大学法学部
前職 渡辺美智雄衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党→)
無所属→)
みんなの党
称号 政治学士(早稲田大学)
法学士(中央大学)
親族 父・渡辺美智雄
公式サイト 渡辺喜美

日本の旗 初代 みんなの党代表
任期 2009年8月8日 - 現職

内閣 安倍改造内閣
福田康夫内閣
任期 2007年8月27日 - 2008年8月2日

日本の旗 内閣府特命担当大臣(規制改革)
内閣 安倍内閣
任期 2006年12月28日 - 2007年8月27日

選挙区 栃木3区
当選回数 5回
任期 1996年10月21日 - 現職
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渡辺 喜美(わたなべ よしみ、男性、1952年(昭和27年)3月17日 - )は、日本政治家みんなの党所属の衆議院議員(5期)、みんなの党代表。

安倍内閣内閣府特命担当大臣(規制改革)、安倍改造内閣福田康夫内閣内閣府特命担当大臣金融)を務めた。

父は衆議院議員外務大臣大蔵大臣通商産業大臣等を歴任した渡辺美智雄

目次

[編集] 来歴

栃木県那須郡西那須野町(現那須塩原市)生まれ。栃木県立大田原高等学校早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。その後中央大学法学部学士入学し、卒業。1983年から父・渡辺美智雄衆議院議員の秘書を務める。のちに美智雄が通商産業大臣外務大臣に就任した際はそれぞれ政務秘書官に就任している。

1995年9月、父・美智雄が死去。父の地盤を継承し、1996年第41回衆議院議員総選挙栃木県第3区から自由民主党公認で出馬し、初当選を果たした。当選後、美智雄がかつて会長を務めた旧渡辺派に入会した。1990年代後半の金融危機では「政策新人類」の1人に名前が挙がり[1][2]金融再生法の成立に尽力。

2000年11月、加藤の乱をきっかけに、江藤・亀井派を退会。以後、自民党を離党するまで無派閥を貫いた。

2006年安倍内閣内閣府副大臣に就任。同年12月、事務所費架空計上問題で辞任した佐田玄一郎の後任の内閣府特命担当大臣(規制改革)に、副大臣から昇格する形で就任し、初入閣を果たした。内閣府特命相に加え「国・地方行政改革」「公務員制度改革」「地域活性化」「道州制」を担当する国務大臣も兼務する。在任中は国家公務員の再就職を一元的に管理する「人材バンク」や「中央省庁幹部の1割の公募制」導入を提唱した。

2007年8月、安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(金融)に横滑りする。「国・地方行政改革」「公務員制度改革」を担当する国務大臣は引き続き兼務した。同年9月発足の福田康夫内閣でも留任したが、翌2008年の内閣改造では再任されず、退任した。

2008年12月24日民主党が国会に提出した、麻生太郎首相に対して衆議院の解散総選挙を要求する決議案に与党議員でただ1人賛成し、自民党から戒告処分を受ける。その後も麻生内閣や党執行部への批判を繰り返し、自民党離党の意向を表明[3]

2009年1月9日、国家公務員のワタリ斡旋に関する公開質問状を、事前のアポイントを取らずに首相官邸を訪れ、麻生首相への提出を試みるが、麻生は渡辺の面会要請を拒否し、首相秘書官から公開質問状の受け取りも拒否された[4]。1月13日、自民党に離党届を提出。2月11日、「国民運動体」を発足させ、5月1日に団体名を「国民運動体 日本の夜明け」に改める。この組織を母体に、総選挙前の8月8日みんなの党を結党。無所属江田憲司に加え、自民党を離党した山内康一広津素子、民主党を離党した浅尾慶一郎が参加し、所属国会議員5名で政党要件をクリアした。

第45回衆議院議員総選挙にはみんなの党公認で栃木3区から出馬し、5選。当初、自民党は栃木3区に森山眞弓法務大臣を擁立する方向で調整していたが、自民党栃木県連の反対により撤回。なお渡辺も、栃木3区に自民党が森山を擁立した場合、栃木県内の全小選挙区にみんなの党公認の候補者を擁立する考えを表明していた。栃木3区では前回候補を立てた民主党共産党社民党も擁立を見送り、立候補したのは幸福実現党の斎藤克巳のみ。選挙結果は、渡辺が142,482票・得票率95.3%で圧勝。渡辺の得票率は、小選挙区制導入後の最高記録である。

第174回国会2月2日の代表質問において「鳩山内閣の新成長戦略は、旧態依然です。日本経済の成長は、ばらまきではなく、企業人や地域の現場の人々のチャレンジ精神と活力によってもたらされます。国が、これから成長すると見込まれる産業を見つけ出して、予算を重点的にばらまき、国民をそちらに誘導していくんでしょうか。そんな時代はとっくに終わっているんですよ」と発言し、鳩山由紀夫内閣の成長戦略を批判した。

2011年2月、前年7月の第22回参議院議員通常選挙後初めて行われる党首討論において、みんなの党は第22回参院選で10議席を獲得し院内交渉団体の資格を得ていたため党首討論への参加を希望したが、渡辺が国家基本政策委員会の委員ではなかったため、参加を拒否された。

[編集] 政策・主張

[編集] 人物

  • 身長164cm、体重80kg、血液型O型。
  • 愛称はヨッシー、またはミッチー(父・美智雄に風貌が似ているため。ミッチーは美智雄の愛称)。
  • 弟、妹が1人ずつおり、いずれも日本医科大学出身の医師。
  • 「繁栄した国家や文明は数あれど繁栄し続けたものは一つもない」という父の言葉を肝に命じている。

[編集] 政治資金

[編集] 所属団体・議員連盟

[編集] 著書

  • 『反資産デフレの政治経済学-戦略型資本主義を構築するために-』東洋経済新報社 、2001年3月
  • 『日本起死回生トータルプラン』光文社、2001年6月 (石原伸晃塩崎恭久根本匠との共著)
  • 『日本はまだまだ捨てたものじゃない-ニッポン経済最強の法則-』徳間書店、2001年7月
  • 『シナリオ 日本経済と財政の再生』日刊工業新聞社、2001年7月 (伊吹文明との共著)
  • 『金融商品取引法』文春新書、2007年3月
  • 『脱・官僚政権樹立宣言』講談社、2009年4月
  • 『絶対の決断』PHP研究所、2009年5月
  • 『公務員制度改革が日本を変える』飛鳥新社、2009年8月
  • 『民主党政治の正体』角川SSC新書、2010年1月
  • 『みんなの力』宝島社新書、2010年6月
  • 『いつまで官僚の「日本破壊」を許すのか』徳間書店、2010年10月
  • 『霞が関がなくなる日』主婦の友社、2010年11月

[編集] 脚注

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  1. ^ asahi.com:新行革担当相の渡辺氏 行動派の「政策新人類」 2006年12月28日12時37分
  2. ^ (魚拓)asahi.com:新行革担当相の渡辺氏 行動派の「政策新人類」 2006年12月28日12時37分
  3. ^ 渡辺・元行革相、自民離党の意向固める…後援会などで明言読売新聞、2009-01-05閲覧。
  4. ^ 渡辺元行革相、官邸で門前払い…公開質問状も不発読売新聞、渡辺元行革相が首相に公開質問状 首相秘書官が門前払いMSN産経ニュース(産経新聞)など
  5. ^ “なぜ今、参政権法案?与野党に波紋、暗躍する推進派 党議拘束外しで急進展も (2/2ページ)”. 産経新聞. (2009年11月6日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091106/stt0911062212011-n2.htm 2010年3月26日閲覧。 [リンク切れ]
  6. ^ “外国人参政権「日本滅ぼす」=都内で反対集会-国民新の亀井氏”. 時事通信社. (2010年4月17日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010041700274 2010年4月18日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ “外国人選挙権反対集会に与党議員 亀井氏「拒否権発動」”. 47NEWS(共同通信社. (2010年4月17日). http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010041701000662.html 2010年4月18日閲覧。 
  8. ^ “ファイル:内政・外交・安保 外国人選挙権反対集会に与野党議員”. 毎日jp(毎日新聞社. (2010年4月17日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100418ddm002010106000c.html 2010年4月18日閲覧。 [リンク切れ]
  9. ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
  10. ^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
  11. ^ (魚拓)2006年12月29日(金)「しんぶん赤旗」 渡辺行革相政治資金 一晩で5千500万円稼ぐ 先物業界団体から献金

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

官職
先代:
山本有二
日本の旗 内閣府特命担当大臣金融
第10・11代:2007年 - 2008年
次代:
茂木敏充
先代:
佐田玄一郎
日本の旗 内閣府特命担当大臣(規制改革)
第9代:2006年 - 2007年
次代:
岸田文雄
先代:
嘉数知賢
櫻田義孝
山口泰明
日本の旗 内閣府副大臣
平沢勝栄林芳正と共同
2006年
次代:
平沢勝栄
大村秀章
林芳正
党職
先代:
結成
みんなの党代表
初代:2009年 -
次代:
現職
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