大江康弘
| 生年月日 | 1953年12月4日(58歳) |
|---|---|
| 出身地 | 和歌山県西牟婁郡白浜町 |
| 出身校 | 芦屋大学教育学部卒業 |
| 学位・資格 | 教育学士(芦屋大学) |
| 前職 | 和歌山県議会議員 |
| 所属委員会 | 参・国土交通委員 |
| 世襲 | 国会においては世襲ではない 父・大江敏一(和歌山県議会議員) |
| 選出選挙区 | 比例区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 所属党派 | (無所属→) (自由党→) (民主党→) (改革クラブ→) (無所属→) (幸福実現党→) 自由民主党・無所属の会[1] |
| 会館部屋番号 | 参・議員会館511号室 |
| ウェブサイト | 参議院議員 大江康弘 |
大江 康弘(おおえ やすひろ、1953年(昭和28年)12月4日 ‐ )は、日本の政治家。現・参議院議員(2期)。過去に和歌山県議会副議長を務めた。 慶応義塾大学法学部政治学科通信教育課程在学中。
目次 |
[編集] 経歴
和歌山県西牟婁郡白浜町出身。和歌山県立田辺高等学校、芦屋大学教育学部卒業後、玉置和郎の秘書を務める。
- 1979年 - 和歌山県議会議員初当選、県議会議員を5期務める
- 1992年 - 和歌山県議会副議長就任
- 2000年 - 和歌山県知事選挙に出馬し落選
- 2001年 - 第19回参院選で自由党から比例当選
- 2007年 - 第21回参院選で民主党から比例当選
- 2008年 - 改革クラブを結成
- 2009年4月 - 慶応義塾大学法学部政治学科通信教育課程入学
- 2010年
- 2011年9月、第178回国会開会に先立って、政党無所属のまま、自民党と参議院で統一会派を結成した。会派名は「自民党・無所属の会」。これは大江が現任期満了までに参議院自民党会派に参加した場合は比例代表選出議員が既存大政党へ移籍することを認めていない公職選挙法の規定により即時失職となるため[3]、上記の方法をとった。
- 2011年12月7日、自民党への入党届を同党和歌山県連に提出。
[編集] 政策・主張
父と二代に渡り和歌山県議会議員であった。当時の和歌山県は中西啓介・二階俊博を擁する小沢一郎の自由党が圧倒的に強く、岩手県と並ぶ「自由党王国」とされており、大江も同党に参加した。小沢自由党が民主党と合併した後は、小沢一郎グループに一切参加せず、民社協会に所属した。保守派(反中国・親台湾)としての姿勢をはっきりと掲げ、すでに台湾との正式国交が失われていたにもかかわらず、日華議員懇談会副幹事長や日本・台湾安保経済研究会事務局長、日華親善協会の理事を務める(この「日華」とは日本と台湾のこと)。2006年3月19日には訪台し、陳水扁総統(当時)を表敬訪問。陳水扁は親日派として知られた。また当地で、陳水扁の民主進歩党主催の「反国家分裂法と台湾海峡危機10周年セミナー」で講演をし、中共(中華人民共和国)と韓国を反日国であると指摘し、両国を批判した。
いわゆる“南京大虐殺”なる現象は虚構でありでっち上げであると主張する映画「南京の真実」の賛同者でもある。いわゆる“従軍慰安婦問題”に関して、当時の日本政府・軍による強制はなかったと主張。アメリカ合衆国下院121号決議に反対した[4]。2006年9月14日の東京都文京区で行われた講演で、「民主党はバラバラでまとまりがなく、チャンスが到来してもそれを生かすどころか自らピンチへと変える。」と民主党の手法を批判。「民主党には政権を任せられない、この党が政権をとったら一週間で日本は終わりである」、「本当は私も民主党を辞めたい」とも述べる[5]。2008年1月11日、臨時国会の参議院本会議で、政府提出の新テロ対策特別措置法案採決を欠席し、民主党提出の対案の採決の際には議場に戻って賛成した。また、道路特定財源の暫定税率廃止に反対し、2008年1月23日、都道府県議会議員が主催する道路特定財源堅持集会に参加するなどしたため、民主党執行部から辞職勧告を受けたが、この処分を不服として、弁護士を通じ内容証明郵便を党本部に送った上で「比例代表選出の議員には、自分の意思や政治家としての独立性はないのか。(党方針に)反対するなら議席を返上せよなんて、いまだかつて聞いたことがない」と述べた[6]。また、2008年3月に任期を迎えた日本銀行総裁の次期総裁人事においても政府案に賛成、4月の日銀副総裁人事でも民主党党方針(反対)に反して政府案に賛成。6月11日に民主党が提出した首相問責決議には「体調不良」を理由に欠席。
2008年8月28日、渡辺秀央と共に民主党を離党し、新党・改革クラブ結成に参加。9月22日、大江ら改革クラブ議員は民主党から除籍処分を受ける。10月、大江は、地元の後援会における講演で「民主党は国家国益を考えず、選挙、政局一点張りで政権政党を担う党ではないと判断した」と離党理由を述べた。また、次の衆院選では当然二階俊博支持を表明[7]。二階は遥か以前に自民党に完全復帰し経済産業大臣という要職についていた。改革クラブ所属議員たちは当時の与党・自民党への復帰(自民党にいたことがない大江にとっては新加入)、政権入りを念頭に置いており、明確な提携のないものの、自民党への協力姿勢が強かった。2009年3月6日、大江は、参議院予算委員会の質問に立つも、政府・自民党への忠誠を強調、冒頭「忠実な紀州犬」を例にとって自民党麻生内閣に尽くすことを表明した。2009年8月の第45回衆議院議員総選挙で所属議員が落選し、政党要件を失い、かつ、所属議員が参院議員だけになるも、同党は参議院で、自民党と統一会派を結成した。会派名は「自由民主党・改革クラブ」。選挙の結果自民党は野党に転落したにもかかわらず、である。
2010年4月23日、改革クラブが舛添要一を代表にし新党改革に党名を変更した。大江はこれを「政党交付金目当ての偽装新党」と批判し、同党から離党する。大江のことを無二の子分だと思ってきた渡辺秀央からは相当詰られたと伝えられる。同党からは他にも離脱者が出て、自民党との統一会派は解消し、同党は自民党と完全に袂を分かった。
独りになった大江は、翌月の2010年5月11日に宗教法人幸福の科学を母体とする幸福実現党への入党を表明し[8]、14日付で入党し選挙対策本部長に就任する[9]。幸福の科学には入信しないと述べ[10]、実際にもしなかった。5か月後の2010年12月27日、幸福実現党を離党する。同年11月の沖縄県知事選で、幸福実現党が独自候補を擁立したことに反発し、11月上旬に離党届を提出していたという。入党の翌日に選挙対策本部長の肩書きをはずす等、入党前とは違う指示を受けたことをはじめ「政治の現場で経験を生かす」という事がほとんど受け入れられなかったことも離党の原因としている。また7月の参議院選挙の幸福実現党の結果に、大江は党と異なり「惨敗」という評価を下していた。
以降は再度、自民党に接近した。なお、そのときまでに旧改革クラブの議員は(荒井広幸を除いて)みな引退(前述の渡辺秀央)、もしくは落選したかあるいは他党に移籍した。大江は2011年8月30日の参議院本会議における内閣総理大臣指名選挙では自由民主党の谷垣禎一総裁に票を投じた[11]。その後、上記のように、現任期満了までは自民党入党は絶対に不可能であるものの、完全無所属議員として自民党と統一会派を結成した。2011年12月7日には自民党への入党届を同党和歌山県連に提出。今後は「自民党・無所属の会」のまま活動を続け、2013年7月に予定されている第23回参議院議員通常選挙では自民党の公認を受け、比例代表から出馬する意向である。
[編集] 議員連盟
- 日華議員懇談会
- 日本会議国会議員懇談会
- 憲法調査推進議員連盟
- 島嶼議員連盟
- 自然体験活動推進議員連盟
- 発達障害の支援を考える議員連盟
- 慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会
- 人権擁護法案から人権を守る会
[編集] 脚注
- ^ 仮に現任期満了までに参議院自民党会派に合流した場合、即時失職となる。党籍を持っていても院内会派に参加していなければ失職を回避できる。
- ^ “大江参院議員が「幸福実現党」離党” (日本語). 読売新聞. (2010年12月27日) 2010年12月27日閲覧。
- ^ 公職選挙法99条の2第6項。
- ^ www.ch-sakura.jp - 抗議書への賛同者一覧。
- ^ taidoku.fc2web.com
- ^ 「『離党勧告なら甘受する』 大江氏、政府案に賛成」東京新聞 2008年1月26日付
- ^ 次期総選挙は二階氏支持 大江議員が地元後援会で報告
- ^ “「幸福実現党」初の国会議員、大江康弘氏入党へ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月11日) 同日..閲覧。
- ^ “大江氏は選対本部長に=幸福実現党入りを発表”. 時事ドットコム (時事通信社). (2010年5月14日) 同日..閲覧。
- ^ “幸福実現党:大江氏、選対本部長に あす入党、参院選へ意欲 /和歌山”. 毎日.jp (毎日新聞社). (2010年5月13日) 同月14日..閲覧。
- ^ “内閣総理大臣の指名 決選投票 (PDF)” (日本語). 参議院. 2011年9月4日閲覧。
[編集] 外部リンク
- 参議院議員 大江康弘 - 公式サイト
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 羽田雄一郎 |
2006 - 2007 |
次代: 吉田博美 |
| 党職 | ||
| 先代: (設置) |
幸福実現党国会対策委員長 初代:2010 |
次代: (空席) |
| 先代: (結成) |
改革クラブ総務会長 初代:2008 - 2010 |
次代: 山内俊夫 (新党改革事務総長) |
| 先代: (結成) |
改革クラブ国会対策委員長 初代:2008 - 2010 |
次代: 山内俊夫 (新党改革) |