有馬朗人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
ありま あきと
|
|
|---|---|
| 生年月日 | 1930年9月13日(78歳) |
| 出生地 | 大阪府 |
| 出身校 | 東京大学理学部卒業 |
| 前職 | 東京大学総長 理化学研究所理事長 |
| 現職 | 日本科学技術振興財団会長 科学技術館館長 武蔵学園学園長 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 旭日大綬章 理学博士(東京大学・1958年) 文化功労者 |
| 世襲の有無 | 無 |
|
|
|
| 内閣 | 小渕第1次改造内閣 |
| 任期 | 1999年1月14日 - 1999年10月5日 |
|
|
|
| 内閣 | 小渕内閣 小渕第1次改造内閣 |
| 任期 | 1998年7月30日 - 1999年10月5日 |
|
|
|
| 選挙区 | 比例区 |
| 任期 | 1998年7月26日 - 2004年7月25日 |
| 有馬 朗人 (ありま あきと) |
|
|---|---|
| 誕生 | 1930年9月13日(78歳) |
| 居住国 | |
| 国籍 | |
| 研究分野 | 物理学 |
| 研究機関 | 東京大学 ニューヨーク州立大学ストーニブルック校 法政大学 理化学研究所 日本科学技術振興財団 科学技術館 |
| 母校 | 東京大学 |
| 主な業績 | 原子核の集団運動現象の解明 原子核の力学的模型と電磁相互作用の研究 |
| 主な受賞歴 | 仁科記念賞(1978年) フンボルト賞(1987年) 大功労十字章(1990年) 日本学士院賞(1993年) レジオンドヌール勲章(1998年) 文化功労者(2004年) 旭日大綬章(2004年) |
| 有馬 朗人 (ありま あきと) |
|
|---|---|
| 誕生 | 1930年9月13日(78歳) |
| 職業 | 物理学者、俳人、政治家 |
| 国籍 | |
| ジャンル | 俳句、随筆 |
| 主題 | 物理学 |
| 代表作 | 『母国』(1972年) 『耳順』(1993年) 『立志』(1998年) |
| 主な受賞歴 | 文化功労者(2004年) 旭日大綬章(2004年) |
| 処女作 | 句集:『母国』(1972年) |
|
影響を受けたもの
山口青邨(師)
|
|
有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。勲等は旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授。
東京大学総長、理化学研究所理事長、参議院議員、文部大臣、科学技術庁長官、日本科学技術振興財団会長を歴任した。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 俳人として
中村草田男・加藤楸邨らの亡き後の日本を代表する俳人として活躍。
「失いしものをさがしに冬帽子」などの句がある
『天為』を主宰し、東京大学俳句会の指導を行う。
[編集] 物理学者として
原子核物理学の権威として、原子核構造論などでの研究を進める。
東京大学で研究を行い、のちに東京大学総長に(在職:1989年 - 1992年)。
日本学士院賞、ベンジャミン・フランクリンメダルなどを受賞。2005年の世界物理年では日本物理学会が組織した同日本委員会の委員長を務める。
[編集] 政治家として
1998年、自由民主党から第18回参議院議員通常選挙に出馬。同党の比例代表名簿1位に搭載され、難なく当選。(選挙出馬直前に埼玉大学で有馬氏を学長にしようという運動が本人のおそらく知らないところであり、一時期次期学長有力候補となったことがあった。)
東大総長・俳人・学者といったマルチな経験が買われ、小渕恵三の大英断によって、参院議員当選直後の小渕内閣から小渕内閣第1次改造内閣において文部大臣・科学技術庁長官に就任(1999年10月に退任)。
中央教育審議会会長在籍時に独自の「ゆとり教育論」を展開したが、官僚により別解釈に用いられたことを遺憾に思っている。提唱した教育論は、指導要領の増えすぎた科目を融合させること。例えば世界史と日本史を一元的に学ぶことや数学の言葉を英語で学ぶことにより知識の壁を取り払い、また科目の増化傾向を避け、応用力をつけさせることが重要と述べている。また、日本人の若者の学力は低下しているわけではないことを説明するなど、各地で行われる講演会での評判は高い。2002年、ある小さな予備校(早慶外語ゼミ)が将来の若者のためにぜひと講演依頼をした際には多忙な中でスケジュールを調整しボランティアで熱気あふれる講演したことは予備校関係者の間で伝説となっている。
また国会にπ=3を提出した。
2004年の第20回参議院議員通常選挙には出馬せず、参議院議員1期・6年で政界からは引退。これは、自民党の「73歳定年制度」によるものである(当該選挙の時点で既に73歳に達していた)。
[編集] その他
幼少期に静岡県浜松市在住だったことから、浜松市の親善大使『浜松やらまいか大使』20人の一人として2005年10月より就任。
行政や政治などの、物理学と無縁のことをやり、物理学に専念しなかったことを後悔している。後悔の理由はノーベル賞をもらえていないことであるという。(2005年10月24日(月)日経朝刊内コラム「私の苦笑い」)
[編集] 略歴
- 1948年4月:静岡県立浜松北高等学校入学
- 1950年3月:旧制武蔵高等学校卒業
- 1953年3月:東京大学理学部物理学科(旧制)卒業
- 1953年4月:東京大学理学部大学院(旧制)入学
- 1956年4月:東京大学原子核研究所助手
- 1959年10月:東京大学理学部講師
- 1964年:東京大学理学部助教授
- 1967年:ラトガース大学客員教授
- 1971年:ニューヨーク州立大学ストニーブルク校教授(1973年まで)
- 1975年:東京大学理学部教授
- 1981年:東京大学大型計算機センター長(1985年まで)
- 1985年4月:東京大学理学部長(1987年3月まで)
- 1987年:東京大学総長特別補佐
- 1989年:東京大学総長(1993年3月まで)
- 1993年3月:退官
- 1993年4月:法政大学教授
- 1993年10月:理化学研究所理事長(1998年5月まで)
- 1995年:中央教育審議会会長(1998年まで)
- 1998年:参議院議員(2004年7月25日まで)、文部大臣(1999年10月まで)
- 1999年:科学技術庁長官兼務(1999年10月まで)(文部省と科学技術庁の統合による文部科学省設置に基づく)
- 2000年6月:財団法人日本科学技術振興財団会長
- 2004年7月: 科学技術館館長
- 2006年: 武蔵学園(武蔵中学校・高等学校・武蔵大学)学園長
[編集] その他役職
- 財団法人学生サポートセンター理事
- 特定非営利活動法人日中産学官交流機構最高顧問
- 財団法人才能開発教育研究財団理事
- 財団法人日本宇宙少年団顧問
- 国立大学マネジメント研究会顧問
- 財団法人日蘭学会理事長
- 特定非営利活動法人デジタルコミュニティズ推進協議会理事長
- 財団法人岡崎嘉平太国際奨学財団評議員
- 財団法人大河内記念会顧問
- 国際研修システム開発協議会会長
- 財団法人東洋文庫評議員
- 財団法人東レ科学振興会評議員
- 国際俳句交流協会会長
- 特定非営利活動法人日本教育カウンセラー協会顧問
- 特定非営利活動法人日ロ交流協会会長
- 社団法人俳人協会顧問
- 財団法人三菱財団評議員
- 科学技術政策研究所顧問
- 野外文化教育学会顧問
- 日本生命取締役
- 社団法人文教施設協会会長
[編集] 受賞歴
- 1978年:仁科記念賞
- 1987年:フンボルト賞
- 1990年:フランクリン・インスティテュート・ウエザリル・メダル(アメリカ)、ドイツ連邦共和国功労勲章(大功労従事賞)
- 1993年:日本学士院賞、ボナー賞(アメリカ物理学会)
- 1998年:レジオン・ドヌール勲章
- 2002年:名誉大英勲章(KEO)
- 2004年:文化功労者、旭日大綬章
[編集] 著書
- 物理学者としての著書
- 俳人として出した句集・監修した出版物
[編集] テレビ出演
[編集] 関連項目
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|

