有馬朗人

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日本の旗 日本の政治家
有馬 朗人
ありま あきと
前職 理化学研究所理事長
現職 武蔵学園学園長
所属政党 自由民主党
称号 旭日大綬章
理学博士(東京大学・1958年
文化勲章

内閣 小渕第1次改造内閣
任期 1999年1月14日 - 1999年10月5日

日本の旗 第125代 文部大臣
内閣 小渕内閣
小渕第1次改造内閣
任期 1998年7月30日 - 1999年10月5日

選挙区 比例区
任期 1998年7月26日 - 2004年7月25日
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有馬 朗人
(ありま あきと)
人物情報
生誕 1930年9月13日(83歳)
日本の旗 日本大阪府
居住 日本の旗 日本
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 日本の旗 日本
学問
研究分野 物理学
研究機関 東京大学
ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校
法政大学
理化学研究所
日本科学技術振興財団
科学技術館
主な業績 原子核の集団運動現象の解明
原子核の力学模型電磁相互作用の研究
プロジェクト:人物伝
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有馬 朗人
(ありま あきと)
職業 物理学者俳人政治家
ジャンル 俳句随筆
代表作 『母国』(1972年
『耳順』(1993年
『立志』(1998年
処女作 句集:『母国』(1972年)
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有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本物理学者原子核物理学)、俳人政治家勲等旭日大綬章学位理学博士東京大学1958年)。東京大学名誉教授財団法人日本科学技術振興財団会長科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。

国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員文部大臣第125代)、科学技術庁長官第58代)などを歴任した。

概要[編集]

物理学者として[編集]

原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績をあげた。代表的なものに有馬・堀江理論(配位混合の理論)、相互作用するボゾン模型の提唱、クラスター模型への貢献など。

日本学士院賞、ベンジャミン・フランクリンメダルなどを受賞。

2005年世界物理年では日本物理学会が組織した同日本委員会の委員長を務めた。

日本エネルギー会議の発起人のひとり、圧力団体エネルギー・原子力政策懇談会の会長。

政治家として[編集]

1998年自由民主党から第18回参議院議員通常選挙に出馬。同党の比例代表名簿1位に登載され、難なく当選(選挙出馬直前に埼玉大学で有馬を学長にしようという運動が本人のおそらく知らないところであり、一時期次期学長有力候補となったことがあった)。

東大総長・俳人・学者といったマルチな経験が買われ、小渕恵三の大英断によって、参院議員当選直後の小渕内閣から小渕内閣第1次改造内閣において文部大臣・科学技術庁長官に就任(1999年10月に退任)。

中央教育審議会会長在籍時に独自の「ゆとり教育論」を展開したが、官僚により別解釈に用いられたことを遺憾に思っている。提唱した教育論は、指導要領の増えすぎた科目を融合させること。例えば世界史日本史を一元的に学ぶことや数学の言葉を英語で学ぶことにより知識の壁を取り払い、また科目の増化傾向を避け、応用力をつけさせることが重要と述べている。また、日本人の若者の学力は低下しているわけではないことを各地で行われる講演会で説明している。

2004年第20回参議院議員通常選挙には出馬せず、参議院議員1期・6年で政界からは引退。これは、自民党の「73歳定年制度」によるものである(当該選挙の時点で既に73歳に達していた)。

俳人として[編集]

俳人協会に所属する伝統俳句の俳人。中村草田男加藤楸邨らの亡き後の日本を代表する[要出典]俳人として活躍。山口青邨に師事。「光堂より一筋の雪解水」「イエスより軽く鮟鱇を吊りさげる」「朱欒割りサド侯爵の忌を修す」「失ひしものをさがしに冬帽子」などの句がある。海外詠も多い。『天為』を創刊・主宰し、東大俳句会の指導も行う。蛇笏賞選者。

2005年12月22日には東大本郷校舎構内の三四郎池畔に山口青邨句碑と並んで建立された。[1]

その他[編集]

幼少期に静岡県浜松市在住だったことから、浜松市の親善大使『浜松やらまいか大使』20人の一人として2005年10月より就任。

東大総長選では、もう一人の候補(本間長世教養学部教授)と同票数となり、くじ引きで当選した。

行政や政治などの、物理学と無縁のことをやり、物理学に専念しなかったことを後悔している。後悔の理由はノーベル賞をもらえていないことであるという(2005年10月24日(月)日経朝刊内コラム「私の苦笑い」)。

夫人の有馬ひろ子も俳人であり、1929年に東京に生まれ、深川正一郎に学び、山口青邨に師事。夫と共に「天為」を主宰。

略歴[編集]

その他役職[編集]

  • 財団法人学生サポートセンター理事
  • 特定非営利活動法人日中産学官交流機構最高顧問
  • 財団法人才能開発教育研究財団理事
  • 財団法人日本宇宙少年団顧問
  • 国立大学マネジメント研究会顧問
  • 財団法人日蘭学会理事長
  • 特定非営利活動法人デジタルコミュニティズ推進協議会理事長
  • 財団法人岡崎嘉平太国際奨学財団評議員
  • 財団法人大河内記念会顧問
  • 国際研修システム開発協議会会長
  • 財団法人東洋文庫評議員
  • 財団法人東レ科学振興会評議員
  • 国際俳句交流協会会長
  • 特定非営利活動法人日本教育カウンセラー協会顧問
  • 特定非営利活動法人日ロ交流協会会長
  • 社団法人俳人協会顧問
  • 財団法人三菱財団評議員
  • 科学技術政策研究所顧問
  • 野外文化教育学会顧問
  • 日本生命保険取締役
  • 社団法人文教施設協会会長
  • 社団法人日本アイソトープ協会会長
  • NPO法人ネットジャーナリスト協会会長
    • 「地球を考える会」(ネットジャーナリスト協会分科会)座長

受賞歴[編集]

著書[編集]

学者としての著書
  • 『原子と原子核 量子力学の世界』(基礎の物理)朝倉書店、1982年
  • 『量子力学』(朝倉現代物理学講座)朝倉書店、1994年
  • 『物理学は何をめざしているのか』筑摩書房・ちくまプリマーブックス、1995年
  • 『大学貧乏物語』東京大学出版会,1996
俳人として出した出版物
  • 『母国』春日書房、1972年
  • 『知命』牧羊杜、1982年
  • 『有馬朗人集』俳人協会 1984.自註現代俳句シリーズ
  • 『天為』富士見書房、1987年(第27回俳人協会賞
  • 『有馬朗人 自選三百句』春陽堂書店,1993.俳句文庫
  • 『耳順』角川書店、1993年
  • 『立志』角川書店、1998年
  • 『有馬朗人 花神コレクション』花神社,2002
  • 『現代俳句の一飛跡』深夜叢書社,2003
  • 『不稀』角川書店、2004年(第7回加藤郁乎賞)
  • 『分光』角川学芸出版、2007年(第3回詩歌句大賞)
  • 『鵬翼 四海同仁』ふらんす堂、2009年
  • 『流轉』角川書店、2012年(第28回詩歌文学館賞

共編著[編集]

  • 『角運動量保存則』大槻義彦共著.共立出版,1991 物理学one point
  • 『基礎物理学』編 学術図書出版社,1991.
  • 『複素関数論 物理のための数学入門』神部勉共著 共立出版,1991.
  • 『科学はやっぱりおもしろい 夏休み中学生科学実験教室』佐藤次郎共編著.丸善,1995
  • 『21世紀のパワー 教育か破局か…』岸川俊明共編著 現代工学社,1999

翻訳[編集]

  • A.ボーア, B.R.モッテルソン 『原子核構造』1-2 共訳 講談社,1979-80 
  • C.H.マックギラフィ『エッシャー<シンメトリーの世界>』サイエンス社 1980.サイエンス叢書
  • P.A.M.ディラック『現代物理学講義』松瀬丈浩共訳 培風館,1985
  • J.P.キリンベック『パーソナルコンピュータによる量子力学』川合敏雄共訳 サイエンス社,1985

テレビ出演[編集]

他の俳人と交替で随時「主宰」として出演。

関連項目[編集]

公職
先代:
竹山裕
日本の旗 科学技術庁長官
第58代:1999
次代:
中曽根弘文
先代:
竹山裕
日本の旗 総理府原子力委員会
委員長

第58代:1999
次代:
中曽根弘文
先代:
町村信孝
日本の旗 文部大臣
第125代:1998 - 1999
次代:
中曽根弘文
先代:
小田稔
日本の旗 理化学研究所理事長
第7代:1993 - 1998
次代:
小林俊一
学職
先代:
(新設)
静岡文化芸術大学理事長
初代:2010 -
次代:
(現職)
先代:
森亘
東京大学総長
第24代:1989 - 1993
次代:
吉川弘之
その他の役職
先代:
森亘
国立大学協会会長
第14代:1989 - 1993
次代:
吉川弘之