井上義行

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日本の旗 日本の政治家
井上 義行
いのうえ よしゆき
生年月日 1963年3月12日(52歳)
出生地 神奈川県小田原市
出身校 日本大学経済学部通信教育課程
所属政党 無所属→)
みんなの党→)
日本を元気にする会
公式サイト 井上よしゆき 〜 参議院議員

選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 2013年7月29日 - 現職
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井上 義行(いのうえ よしゆき、1963年3月12日 - )は、日本政治家、元内閣府官僚日本を元気にする会所属の参議院議員(1期)、日本を元気にする会国会対策委員長

内閣官房内閣参事官補佐・内閣官房長官秘書官内閣総理大臣秘書官などを歴任。

選挙ポスターなどは井上よしゆきと表記される。

来歴[編集]

神奈川県小田原市出身。小田原市千代小学校・小田原市立千代中学校を経て、相洋高等学校卒業[1]。小田原の市営住宅で生まれ育ち、高校では体操部に所属。卒業後、日本国有鉄道に就職[1]。国鉄で働きながら、日本大学経済学部通信教育課程を卒業した[1]1988年国鉄民営化に伴う人員整理の煽りを受け、総理府(後の内閣府)に移籍。

国鉄民営化に伴い総理府に移籍。就任早々上司から「国鉄の人間に行政ができるか」と罵倒されるが、官邸整備などの仕事に地道に取り組んでいった。

1996年、内閣第一係長時代に北朝鮮不審船対応で、日本で始めての海上警備行動の指揮をとった。

1998年小渕内閣額賀福志郎内閣官房副長官秘書官[注釈 1]となる。

2005年10月、安倍晋三内閣官房長官の秘書官(政務担当)に就任。

2006年9月、安倍の内閣総理大臣就任に伴い、政務担当・内閣総理大臣秘書官に就任。2007年9月、内閣総辞職に伴って総理大臣秘書官を退任、同時に退官した。また、千葉科学大学客員教授なども務めた[1]

2009年8月、第45回衆議院議員総選挙神奈川17区から無所属で出馬し落選。2010年8月、みんなの党神奈川県第17区支部長に就任。2012年第46回衆議院議員総選挙に再び神奈川17区からみんなの党公認で出馬したが落選。

2013年7月、第23回参議院議員通常選挙にみんなの党から比例区候補として出馬。47,757票を獲得して党内最下位の4位で初当選した。 2014年11月、みんなの党が解党する。2015年1月、日本を元気にする会結党に参加し、国会対策委員長に就任する[2]

安倍晋三の秘書官時代[編集]

2000年7月、第2次森内閣の内閣官房副長官に就任した安倍の秘書官に任命され、北朝鮮による日本人拉致問題の情報収集を担当する[3]。この直後、拉致問題を所管する外務省から「越権行為」として内閣府に抗議が届き、その対応に追われた[4]

2004年、内閣参事官補佐として、第2次小泉訪朝を前に北朝鮮に単身で乗り込み拉致被害者の子供の帰国について交渉し、子供の帰国を実現させた[5]

2005年10月、安倍が内閣官房長官に就任すると、ノンキャリア官僚でありながら安倍に指名され内閣官房長官秘書官(政務担当)に就任。再チャレンジ政策、イノベーション25政策、経済と環境の両立、また農業の輸出で1兆円達成。教育基本法国家公務員法防衛省昇格・憲法の手続き法、地方分権一括法など約50年ぶりの改正法案を企画する。

これらの実績から、安倍に「私と国のために情熱を注いでくれる」と信頼を寄せられ、「日本のカール・ローヴ」と呼ばれていた[5]

2006年9月、安倍の内閣総理大臣就任に伴い、政務担当・内閣総理大臣秘書官に就任。第1次安倍内閣では金銭問題による閣僚辞任が相次ぎ、1年の短命政権となったが、その原因として閣僚の「身体検査」の甘さや、官僚を安倍に会わせなかったため正確な情報が届いていなかったことが挙げられ、これらを担当する井上に批判が集中した[4][6]。これに関して、小泉純一郎の総理秘書官を務めた飯島勲は「官邸人事の肝は、誰を総理秘書官に据えるかだ」とし、「安倍さんは国鉄からノンキャリア官僚になった井上義行、鳩山さんは通産官僚の佐野忠克を据えて失敗した」と評している[7]。また、安倍内閣の官房副長官だった的場順三は「閣僚に片意地張るな、役人と喧嘩はするな」「何かあったら相談してくれ」と忠告したが、一度も相談されることはなかったと語っている[8]

井上はこれらの批判に対し「安倍さんの病気のことを考えれば、面会は制限せざるを得なかった」と主張している(2007年当時は安倍の潰瘍性大腸炎罹患については知られていなかった)[4]。また、「官僚出身者は選挙より政策を優先させるため、結果として政権が倒れる場合がある」「官僚出身の秘書官は官僚と政治家の両方から嫉妬される」として、「秘書官は二度とやりたいとは思わない」と語っている[4]

略歴[編集]

  • 1988年、総理府移籍。
  • 1992年、官邸整備用地専門職
  • 1996年、内閣第一係長
  • 1998年、内閣官房副長官秘書官
  • 2005年10月、内閣官房長官秘書官。
  • 2006年9月、内閣総理大臣秘書官(政務担当)。
  • 2007年9月、安倍晋三衆議院議員私設秘書[9]
  • 2008年4月、千葉科学大学客員教授
  • 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙落選。
  • 2010年8月、みんなの党神奈川県第17区支部長。
  • 2012年、第46回衆議院議員総選挙落選。
  • 2013年7月、第23回参議院議員通常選挙当選。
  • 2015年1月、日本を元気にする会国会対策委員長。

注釈[編集]

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  1. ^ キャリア官僚(課長補佐級)が就く役職で、正確には官房副長官の補佐が主任務となる内閣官房職員の通称。国務大臣秘書官のような特別職ではなく、一般職

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 井上義行公式ホームページ | プロフィール
  2. ^ [1]
  3. ^ “首相秘書官にノンキャリア官僚(2006年) 憎まれ役、退路絶つ覚悟”. 日本経済新聞. (2015年1月18日). http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82073970X10C15A1NN9000/ 2015年2月28日閲覧。 
  4. ^ a b c d “井上義行元首相秘書官「批判全部かぶる気持ちだった」 ”. 日本経済新聞. (2015年1月18日). http://www.nikkei.com/article/DGXMZO81943420U5A110C1I10000/ 2015年2月28日閲覧。 
  5. ^ a b “安倍政権の風向計の役割…日本首相政務秘書官に任命された井上義行氏”. 中央日報. (2006年9月26日). http://japanese.joins.com/article/240/80240.html?sectcode=&servcode=200 2015年2月26日閲覧。 
  6. ^ 「政治とカネ」の報道は魔女狩りと化している”. nikkei BPnet (2007年9月11日). 2015年2月28日閲覧。
  7. ^ 飯島勲・真山仁「小泉進次郎は総理の器か――短命総理に辟易した国民の前に現れたサラブレッドの真贋」『文藝春秋』88巻12号、文藝春秋2010年10月1日、123頁。
  8. ^ “的場元副長官「首相辞任、もういっぺんやりましょう」 ”. 日本経済新聞. (2015年3月8日). http://www.nikkei.com/article/DGXMZO83984680V00C15A3I10000/ 2015年4月7日閲覧。 
  9. ^ “安倍晋元秘書の井上氏、河野洋平おひざ元から出馬へ”. ZAKZAK. (2009年2月2日). http://www.zakzak.co.jp/top/200902/t2009020207_all.html 2015年2月26日閲覧。 

外部リンク[編集]