安西愛子

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安西 愛子(あんざい あいこ、本名:志村 愛子(しむら あいこ)、1917年4月13日 - )は、日本童謡歌手声楽家政治家。元自由民主党参議院議員(3期)。安西音楽研究所名誉会長。杉の子こども会名誉会長。東京音楽学校本科研究科(現東京芸術大学大学院)卒業。

来歴・人物[編集]

東京出身。新宿の第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒、東京音楽学校声楽科に入学し、在学中には、浅野千鶴子長坂好子ヴーハープフェンヒに師事。1942年、同校研究科卒業。

その後、コロムビアレコード専属の歌手となり、1944年には、「あゝ紅の血は燃ゆる」を酒井弘と歌いヒット。その後、「お山の杉の子」のヒットにより、全国的に知名度を得る。

1946年ラジオ歌謡では、岡本敦郎と共にホームソング「朝はどこから」を歌っている。戦後は、自身のヒット曲「お山の杉の子」にちなんだ杉の子子供会を結成し、童謡の普及に尽力。

明治大学女子部講師を経て、1949年からNHKで放送された幼児向けラジオ番組「うたのおばさん」では、松田トシと共に童謡を歌う。1964年に同番組を降板するまでの15年間「歌のおばさん」として親しまれた。

1971年、参議院議員選挙に自民党公認で全国区から出馬し初当選。以降連続当選3回。いわゆるタレント議員のはしりである。在任中には、北海道開発庁政務次官、自由民主党政策審議会副会長を歴任。

1989年、自民党の参院比例代表候補の70歳定年制に従わず離党して太陽の会を旗揚げし、政見放送では「てるてる坊主」を熱唱し話題となる。比例区から出馬したが落選。同年勲二等宝冠章受章。

1995年より日本福祉党顧問、1997年より保守系政治団体日本会議副会長として活動している。

逸話[編集]

1930年、国語学者の金田一春彦は浦和高等学校一年生で、安西を見て恋文を出すが、父親が断りの手紙を出して失恋し落第する。のち35年目に仕事で再会し、ともに『日本の唱歌』を編纂した。

編著[編集]

  • 『小学生愛唱歌集』あかね書房 日本童謡絵文庫 1951
  • 『ラジオ童謡集』あかね書房 日本童謡絵文庫 1951
  • 『日本の唱歌』全3冊 金田一春彦共編 講談社文庫、1977-82 

外部リンク[編集]

議会
先代:
小林国司
日本の旗 参議院懲罰委員長
1984年 - 1985年
次代:
森田重郎