中田宏

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日本の旗 日本の政治家
中田 宏
なかだ ひろし
生年月日 1964年9月20日(49歳)
出生地 日本の旗 神奈川県横浜市
出身校 青山学院大学経済学部
所属政党 日本新党→)
新進党→)
無所属の会→)
無所属→)
日本創新党→)
日本維新の会
公式サイト NAKADA.net

選挙区 旧神奈川1区→)
神奈川8区→)
比例北陸信越ブロック
当選回数 4回
任期 1993年7月19日 - 2002年4月13日
2012年12月16日 - 現職
議員会館 衆議院第2議員会館1215号室

当選回数 2回
任期 2002年4月8日 - 2009年8月17日
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中田 宏(なかだ ひろし、1964年9月20日 ‐ )は、日本政治家日本維新の会所属の衆議院議員(通算4期)。

横浜市長(2期)、日本創新党代表幹事大阪市特別顧問等を歴任。

経歴[編集]

神奈川県横浜市港北区(現青葉区[1]生まれ。神奈川県立霧が丘高等学校卒業後、2年間の浪人生活を経て青山学院大学経済学部に入学[2]。青山学院大在学中の1986年第38回衆議院議員総選挙において自由民主党鈴木恒夫陣営でボランティアを務めていた。

青山学院大学経済学部を1989年に卒業し、松下政経塾に入塾(第10期生)。松下政経塾の同期生には宇佐美登坂井学小林温らがいた。松下政経塾時代はゴミ問題に取り組み、やがて商工会議所地方自治体から講演を依頼されるようになった。1990年には高秀秀信が横浜市長に初当選した際には、中田は高秀陣営のボランティアの1人であり、学生時代から中田は高秀家に出入りしていた。

1992年日本新党の結党に参加。日本新党を結党した細川護煕や、元ニュースキャスター小池百合子の秘書を務めた後、1993年第40回衆議院議員総選挙旧神奈川1区から日本新党公認で出馬し、同区でトップ当選した。翌1994年、日本新党解党により新進党結党に参加。1996年小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙では神奈川8区から新進党公認で出馬し、再選。新進党解党後は無所属の会に入党。

2000年第42回衆議院議員総選挙では、民主党の支援を受けて神奈川8区から出馬。自民党が擁立した、首相・橋本龍太郎首席秘書官を務めた新人の江田憲司を破り、3選。翌2001年森喜朗の辞任を受けて行われた首班指名選挙では、会派「民主党・無所属クラブ」の所属ながら、民主党代表鳩山由紀夫ではなく同じ神奈川県選出で自由民主党総裁小泉純一郎に投票。この行動が民主党幹事長菅直人の逆鱗に触れ、会派から除名された[3]。以後、2002年に議員辞職するまでは無所属で活動する。

2002年、衆議院議員を辞職。無所属で横浜市長選挙への出馬を表明する。当初、先んじて立候補の意向を示していた竹田恒泰が中田の出馬表明後、自身の立候補を撤回して中田の支援に回った。中田は、4選を目指し、自民公明保守・民主4党相乗りで出馬した、中田自身の師とも言える現職の高秀秀信を下馬評を覆して破り、初当選。

市長就任後、中田はゴミの分別回収の徹底や横浜市立大学の機構改革、市職員の削減や保育所民営化に代表される行政改革を横浜市民からの賛否両論を受けながら実行する。2006年横浜市長選挙は事実上のオール与党支持により難なく再選された。その後もファイナンス手法の活用、緑地保全を名目とした増税(新緑税)や、市バス路線削減などによる財政健全化を進め、2008年度に横浜市は1961年度以来47年ぶりに普通交付税の不交付団体となった。横浜市では従来公用車には地元の企業である日産車を採用してきたが、中田は市長就任後、市長専用車にジャガーを用いた。

2009年7月28日、2期目の任期途中で辞職を表明。辞職の理由について、第45回衆議院議員総選挙と同日に横浜市長選挙を行えば、選挙コストの削減に繋がることなどを挙げた[4]が、明確な説明や謝罪もなく、また中田が推進した開国博Y150が結果的に失敗に終わったり(中田は開国博失敗について自身の責任を明確にしていない)、多数のスキャンダルを報道される中であったため、「投げ出しだ」等の批判が相次いだ[5]。盟友関係にあった神奈川県知事松沢成文も中田を批判し、横浜市会が求めた開国博Y150失敗究明の中田の参考人招致[6]に賛意を示した。中田は地方自治法第145条の規定に基づき、辞職の届け出から20日を経過した2009年8月17日午前零時をもって、横浜市長を退任した[7]。なお、参考人招致は中田が多忙を理由に拒否したため見送られた。横浜市長退任後は母校である青山学院大学大学院国際マネジメント研究科の他、岡山理科大学倉敷芸術科学大学千葉科学大学等で客員教授を務める。

2009年10月、山田宏地方自治体首長及び首長経験者らが結成した政治団体よい国つくろう!日本志民会議」の結成に参加し、同団体の政治委員会幹事長に就任した。2010年になり、同年7月に予定される第22回参議院議員通常選挙に向け、新党結成の動きが報道されるようになり[8]2010年4月18日に山田らとともに日本創新党を結成。中田は代表幹事に就任した。同年7月、第22回参議院議員通常選挙に日本創新党公認で比例区から出馬。日本創新党から立候補した比例区の全候補者中トップの122,978票を獲得したが落選。

2012年1月5日橋下徹の要請を受け、大阪市特別顧問に就任。同年9月、日本創新党の解党により、日本維新の会に合流。同年12月の第46回衆議院議員総選挙には、日本維新の会から比例北陸信越ブロック単独(名簿順位は1位)で出馬[9]し、当選した[10]

2013年10月23日、日本維新の会の神奈川18区支部長に就任した[11]

裁判[編集]

週刊現代による名誉棄損事件[編集]

中田は市長在任中に週刊現代から多くのスキャンダル報道を掲載されたことから、2007年11月、特に悪質だった3つの記事[12]について名誉毀損で東京地検に告訴した。2010年10月29日、東京地裁講談社側に550万円の支払いと謝罪広告掲載を命じる判決を下した。さらに、週刊現代の一連の記事について「裏付け取材はほとんど行われておらず、ずさん」かつ「中田の政敵ともいえる相手の情報を鵜呑みにして記事にしたことが問題であった」と言及している[13]。続く2011年12月21日の控訴審判決でも東京高裁は一審・東京地裁判決を支持し中田が勝訴した[14]。また、2008年12月24日、中田と不倫関係があったなどと主張する元クラブ従業員の女性が、結婚が実行されずに精神的、肉体的苦痛を受けたなどとして横浜地方裁判所に提訴したが、裁判所も、2010年11月12日、「原告の主張は、具体性に乏しいうえ、十分な客観的裏付けがない」として女性の請求を棄却する判決を下した[15]

これらの判決によって、中田へのスキャンダル報道のほとんどが十分な裏付けのないものであったことが認められた。しかし市長在任中はスキャンダル報道が市議会でも取り上げられ、そのような事態をテレビや新聞各紙が取り上げたため、市民の中田へのイメージは打撃を受けた。

中田はスキャンダルが報道された背景を自身の著作物において、「市長として実行した改革が、既得権益や利権を奪われた人々の恨みを買い、その報復としてバッシング記事が仕掛けられたということだ。私のイメージダウンを図り、政治生命を絶とうとした」「政治家を殺すのに刃物はいらない。スキャンダルをでっちあげればいいというやり方である」と述べている[16]。また、不倫関係があったと主張する女性からの提訴については、スラップ(恫喝訴訟)であると述べている。

人物[編集]

著書[編集]

  • 単著
    • 「行革のレシピ : 日本の料理法NZ風」読売新聞社、1997年11月、ISBN 4643970510
    • 「なせば成る : 偏差値38からの挑戦」講談社、2003年11月、ISBN 4062121034
    • 「中田主義—僕の見方、考え方」講談社、2006年4月、ISBN 4062133962
    • 「政治家の殺し方」幻冬舎、2011年10月、ISBN 9784344020856
  • 共著
    • 「国会の掟 : 国会の常識は世間の非常識」田近伸和構成、プレジデント社、1995年9月、ISBN 4833415801
    • 「ニュージーランド行革物語 : 国家を民営した国」山田宏、長浜博行著、PHP研究所、1996年10月、ISBN 4569553273
    • 「民の力が存分に発揮される都市へ」北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター編、北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター、2003年3月、ISBN 490206605X
    • 「勉強がキライな子どもたちへ勉強がキライだった大人たちへ : キタハラナカダ・スクール」北原照久著、ネコ・パブリッシング、2005年6月、ISBN 477705084X
    • 「ナカダのナゼダ!?」海原純子著、小学館、2005年10月、ISBN 4093876061

関連文献[編集]

  • 「希望のシナリオ : 次世代論客が語る「明日」への突破口」日本テレビNNN24、青山和弘編、PHP研究所、2003年3月、ISBN 4569626564
  • 「オンリーワン都市・横浜」横浜市都市経営局編、有隣堂、2003年6月、ISBN 4896601785
  • 「あすを植える : 地球にいのちの森を」宮脇昭、毎日新聞「あしたの森」取材班著、毎日新聞社、2004年9月、ISBN 4620317020
  • 「くじらと散歩 : 江戸東京湾 : 東京湾から房総・三浦半島を訪ねて : 豊穣の海」小松正之著、ごま書房、2004年7月、ISBN 4341130919
  • 「未来企業へのメッセージ : 社会・顧客と共生し価値を協創する」池上孝一著、日経BP企画、2005年11月、ISBN 486130119X
  • 「横浜市改革エンジンフル稼働 : 中田市政の戦略と発想」南学、上山信一編著、東洋経済新報社、2005年1月、ISBN 4492211489

メディア出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 青葉区は1994年に新設、緑区は1969年に新設されているため、出生当時は港北区、大学卒業時は緑区である。
  2. ^ 高校時代は全く勉強をせず、大学進学を決めたのも3年生の冬だった(本人談)[要出典]
  3. ^ 故に中田は民主党に所属したことはない。
  4. ^ 中田宏・横浜市長が辞職 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)[リンク切れ]
  5. ^ 「驚いた」「無責任だ」/中田市長辞職、県内議員の反応 : ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞[リンク切れ]
  6. ^ “横浜「開国博」不振で中田宏前市長招致へ 市議会が責任追及”. 産経新聞. (2009年9月8日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090908/lcl0909081147002-n1.htm 2010年2月3日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ 横浜市・中田市長会見 2009年7月28日閲覧[リンク切れ]
  8. ^ 杉並区長、中田前横浜市長ら参加 首長経験者が参院選へ新党 東京新聞TOKYO Web・2010年4月8日[リンク切れ]
  9. ^ “日本維新の会:衆院選 東国原氏は比例近畿、中田氏は北陸信越”. 毎日新聞. (2012年11月29日). http://senkyo.mainichi.jp/news/20121129mog00m010011000c.html 2012年12月31日閲覧。 
  10. ^ a b c d “2012衆院選 北陸信越ブロック 日本維新維新の会 中田宏”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_hirei_meikan.html?mid=D06139001001 2013年4月29日閲覧。 
  11. ^ 衆議院選挙区支部長任命のお知らせ 日本維新の会公式Web 2013年12月9日閲覧
  12. ^ 看護学生と称する女性への強制わいせつ疑惑、横浜市の公金横領疑惑、市長公務の放棄疑惑。なお、いずれの疑惑も、裁判で裏付けのない中傷記事と認められている。
  13. ^ JUSTICE裁判の判決と背景 中田宏公式Web 2012年1月5日閲覧
  14. ^ 中田・前横浜市長、二審も勝訴 週刊現代の名誉毀損訴訟 asahi.com(2011年12月21日)2011年1月5日閲覧
  15. ^ 中田・前横浜市長、元ホステスに勝訴「愛人関係」否定 ニコニコニュース(2010年11月12日)2012年1月12日閲覧
  16. ^ 中田宏 『政治家の殺し方』 幻冬舎(2011年10月25日) ISBN 4344020855[要ページ番号]
  17. ^ 第151回国会 法務委員会 請願2824号

外部リンク[編集]

公職
先代:
高秀秀信
Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 横浜市長
第28・29代:2002年 - 2009年
次代:
林文子
党職
先代:
(新設)
日本創新党代表幹事
初代:2010年 - 2012年
次代:
(廃止)