中山千夏
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中山 千夏(なかやま ちなつ、1948年7月13日 - )は、作家。元女優、テレビタレント、歌手、声優、元参議院議員。50年におよぶ芸歴と多彩な活動歴を持つ。
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[編集] 略歴
1948年、熊本生まれ。小学5年生の時、東京、芸術座での『がめつい奴』(三益愛子主演)に出演、一躍「名子役」として脚光を浴びる。以来、女優として舞台、テレビ、ラジオで活躍。成人すると共に活動分野が広がり、テレビタレント、歌手として、また数多くのエッセイや小説の作家として、多くのファンを得た。
さらに70年代、時の女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画した後、反差別・反戦などの市民運動に取り組み、1980年には参議院選挙に出馬して当選、1期を務めた。 その後は著作活動に専念するかたわら、人権や反戦の市民運動を続けている。
[編集] 俳優
小学1年生の時、当時居住していた大阪で、初めてできた児童劇団「劇団ともだち劇場」に入り、3年間学ぶ。その傍らラジオ、映画、またその間に開始した民放テレビに出演。小学5年生の時、大阪コマ劇場『母』(川口松太郎作・演出)に出演しているのを目に留めた菊田一夫が、東京・芸術座での『がめつい奴』に抜擢、その演技を高く評価され、「名子役」として一躍脚光を浴びた。
以後、東宝演劇部の専属俳優として舞台に出続けるかたわら、テレビやラジオでも活動した。主演テレビドラマでは、子役時代の『虹の国から』(TBS制作)、成人後の『お荷物小荷物』(ABC制作、佐々木守脚本)などがある。
[編集] テレビタレント
1967年、東宝との契約を解消してフリーに。同時に主たる活動の場をテレビに移した。1968年から1976年までの8年間、日本テレビ『お昼のワイドショー』の司会を務め、アシスタントながら自己の主張や個性を惜しげもなく表に現す司会ぶりは好評を得た。同時にテレビドラマに主演し、歌手としてもヒットを飛ばし、雑誌にエッセイを連載し、単行本を次々と出版。芸能界でも「この道一筋」が一般的だった時代に、その多彩な活動は目立ち、マルチタレント、才女などと呼ばれ、庶民から知識層までの注目を集めた。
しかし、テレビメディアに疑問を持ち、『お荷物小荷物・カムイ編』(ABC制作、1971年12月~72年4月)の打ち上げで、以後ドラマには出演しないことを宣言してドラマから撤退、『お昼のワイドショー』を降板した1978年以降はじゃりン子チエ等の声優活動以外、タレントとしてのテレビ出演からもほぼ完全に撤退した。
最近では、「おんな組いのち」の活動の一環として2005年1月に開始したトーク番組「痛快!おんな組」(朝日ニュースター)のレギュラーコメンテーターとして月一回、テレビに姿を見せている。
[編集] 歌手
デビュー前の小学1年生の時、大阪で開かれた毎日音楽コンクールに出場し、「ないしょばなし」を歌って優勝。子役時代にはドラマの主題歌や副主題歌を歌い、中にはSPレコードで発売されたものもある。
高校時代、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」では多くの挿入歌を歌い、その作曲家・宇野誠一郎の指導を得て、ボイストレーニングを受けた。当時は主としてNHKで子ども番組の主題歌や「みんなのうた」などで活躍し、舞台でもいくつかの東宝ミュージカルに出演した。
だが歌手としての本格的なデビューは、1969年9月に発表されたポップス「あなたの心に」(自作詞・作曲:都倉俊一)。当年度レコード大賞新人賞にノミネートされるほどのヒットとなった。この曲はのちに、以下のように多くのカバーを生んだ。
- 1994年:相馬裕子がシングル『恋なんてしたくない』のカップリングとしてカバー
- 2001年:辛島美登里がアルバム『Eternal-One』でカバー
- 2002年:林原めぐみがTVアニメ『アベノ橋魔法☆商店街』のエンディングテーマとしてカバー
- 同年:メロン記念日と石井リカがアルバム『FOLK SONGS 2』でカバー
- 2003年:岩崎宏美がシングル曲としてカバー
- 2005年:石川ひとみがアルバム『With みんなの一五一会~フォークソング編』でカバー
なお、テレビ番組の主題歌としては、NHKの学校生活指導・道徳番組「明るいなかま」(1962~1986)、フジテレビの永井豪原作アニメ「ドロロンえん魔くん」(1973~1974、オープニング・エンディングとも。作詞も本人)が有名である。
以後も多くの作品を残しているが、大きなヒットはない。ライブ活動に不熱心だったが、かえって年をとってから、集会や知人のコンサートなどで歌うことが多くなっている。
[編集] 声優
1960年代に放送されたNHK総合テレビ『ひょっこりひょうたん島』の博士役が声優としての初仕事。番組自体の人気とあいまって、好評を得た。1981年に公開された映画及び1981~1983年に放送(その後1991年に関西ローカルで続編放送)された毎日放送『じゃりン子チエ』ではヒロインの竹本チエ役の声を担当。漫才師の西川のりお(竹本テツ役)との名コンビで人気を博した。また、1972~1982年の10年間にわたって放送されたドキュメンタリー番組『驚異の世界・ノンフィクションアワー』(日本テレビ)でもナレーターを担当した。
[編集] 社会活動
1970年代、世界を席巻した女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画、「新宿ホーキ星」グループの運営に関与、解散まで数年間活動する。1977年、芸術家や知識人からなる政治団体・革新自由連合の結成に参加し、代表の一人となる。
1980年6月22日の第12回参議院選挙に全国区から出馬して当選し、美濃部亮吉・山田耕三郎とともに院内会派「一の会」を結成、1期を務めた。しかし、1983年6月26日の第13回参議院選挙で全国区が廃止され、政党を基盤とする比例代表制に移行したことから、改選となる1986年7月6日の第14回参議院選挙には無所属で東京選挙区から出馬するが次点で落選。その時の公約通り、以後は選挙に出馬することなく、一市民としての社会活動に徹している。
時に社民党、民主党、共産党などと共闘することはあるが、根っからの政党政治嫌いで、支持政党はなく、政治的支援は無所属候補、無所属議員に限っている。
現在は、2004年に結成した「おんな組いのち」を拠点に、反戦、反DV、死刑廃止の主張を展開。「おんな組いのち」では、伊豆半島某所在住にちなんで「在日伊豆半島人」を名乗っている。
また、2002年~2007年の間、連続講座「学校ごっこ」(定期講師陣は中山のほかに永六輔、矢崎泰久、小室等)を主催した。
[編集] 著作
1970年8月に出した童話『よそのそよ』(講談社)が最初の単行本。2008年現在までに、70点以上を出版している。 そのジャンルは多岐にわたり、ノンフィクションでは、時事的エッセイ、国会議員活動記録、女性論、死刑廃止論、古事記研究、伝記などがあり、創作では、小説、童話、絵本がある。
『週刊文春』の企画グラビア「天下の大物」(1969~1971年)に連載した短文を高く評価されて以来、本格的に著作活動を行うようになった。70年代半ばには小説も書き始め、『子役の時間』(80年6月文藝春秋より同名の小説集を出版)ほかで3度直木賞にノミネートされた。同作は後年、数カ国語に翻訳され、英国ではインデペンデント紙の月間最優秀海外フィクション賞を受賞している。
人権を子ども向けに説いた『妹たちへの手紙』(84年、国土社)や、女性を扱った『からだノート』(77年、ダイヤモンド社。97年増補改定版『新・からだノート』をネスコより出版)は、多くの読者を得てロングセラーとなった。
また2004年には絵本にも手を染め、その一冊『どんなかんじかなあ』(絵・和田誠)はその年度の日本絵本賞を受賞した。
なお、自著エッセイの挿絵はすべて自分で描いてきているが、2005年に初の描きおろし個展を開催、その作品をピクチャーブック『いろどり古事記』(06年9月、自由国民社)として出版した。
また2006年6月に出版したノンフィクション『妖精の詩』は、同年度「ボップ・カルチャー・アワード[1]」出版部門のベスト1作品に選出された。
現在、『母の友』『週刊金曜日』に連載を持っている。 近著に『海中散歩でひろったリボン~ボニンと益田一~』(08年2月、KTC中央出版)。
[編集] 趣味
43歳にして始めたスキューバー・ダイビングと、53歳にして始めたパソコンにハマっている。
ダイビングは2008年現在、700本を越すベテランで、冬場でも最低月1日は伊豆の海に潜ることが続いているという。その経験は『海中散歩でひろったリボン ボニン島と益田一』に詳しい。
パソコンでは、元来のゲーム好きから、近年オンラインゲームに熱中するところとなり、「オンラインゲームにハマっている著名人」として少々知られるようになった。2006年、ゲーム上でおきたある事件をきっかけにブログを立ち上げ、主にブログの内容を中心にしながらも、ネットで体験した恋愛を赤裸々に綴った『妖精の詩』(ブログと同タイトル)を発刊した。ブログによれば、ネット・ラブは、2008年3月現在、続いている。
[編集] 補足事項
[編集] ラジオ出演の近況
現在TBSラジオの「全国こども電話相談室」に回答者として不定期出演している。またFM相模「小林啓子のアメージンググレイス」に毎月1回「千夏ノート」コーナーに出演している。
[編集] 皇室寸劇封印事件
2006年11月19日、日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」に参加。その一部について『週刊新潮』が12月7日号で『悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」!/「陛下のガン」も笑いのネタにした「皇室中傷」芝居/「永六輔、中山千夏、矢崎泰久、佐高信」らが参加した緊急市民集会。美智子皇后や君が代を貶める「不敬で下劣」なイベントに観客は凍りついた。』との見出しで批判的に報道。これによって一部右翼・保守系団体が、集会で問題のコント(「さる高貴なご一家」)を演じた劇団「他言無用」と雑誌『週刊金曜日』に対して抗議行動を起こした。その結果、劇団はホームページ上で謝罪し、『週刊金曜日』も2006年12月22日発売号で謝罪文を掲載した[2]。なお、中山はコントの最後に登場し、「美しい国」についてコントの演者に質問し、引き続くトークシーンで「象徴天皇制」に関する持論の概要を述べた[3]。中山は『創』2007年3月号で「「皇室寸劇封印事件」 被害者からの提言 人権と天皇と風刺について」と題し、この件に触れている。
[編集] 脚注
- ^ ポップ・カルチャー・アワード
- ^ 週刊金曜日の「読者」に対しての見解
- ^ 中山の持論 中山の主張する天皇制廃止論
[編集] 外部リンク
- 中山千夏【チナチスト】(中山千夏本人も一目おいているファンサイト)
- おんな組いのち(中山千夏が世話人を務める市民グループのサイト)

