東大阪市

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ひがしおおさかし
東大阪市
石切剣箭神社本社01.jpg
Flag of Higashiosaka, Osaka.svg
東大阪市旗
Emblem of Higashiosaka.svg
東大阪市章
1967年2月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
団体コード 27227-2
面積 61.81km²
総人口 504,678
推計人口、2014年5月1日)
人口密度 8,160人/km²
隣接自治体 大阪市大東市八尾市
奈良県生駒市生駒郡平群町
市の木 クスノキ
市の花 ウメ
市民の花 キキョウ
東大阪市役所
所在地 577-8521
大阪府本庁舎:東大阪市荒本北一丁目1番1号
北緯34度40分45.7秒東経135度36分3.2秒座標: 北緯34度40分45.7秒 東経135度36分3.2秒
東大阪市役所
外部リンク 東大阪市

東大阪市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府中河内地域に位置するである。

中核市に指定されており、大阪府内では大阪市および堺市の両政令指定都市に次ぐ第3位の人口を有する。近鉄花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また、技術力の高い中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られ、それらをアピールする形でまちづくりを行っている。

地理[編集]

大阪平野の東部に位置する。市域の大半は平坦な低地で、河川の多くは天井川であり、この地形的要因から1976年(昭和51年)の大東大水害では大きな被害を受けた。

市東部は生駒山系の山々が連なっており、豊富な自然が残されている。

主な河川には、長瀬川恩智川玉串川第二寝屋川などがある。

歴史[編集]

市域は令制国河内国中部にあたる。古代にはこの一帯は河内湾と呼ばれる大阪湾の奥にある小さな湾であったが、次第に海から分離して湖となった。その湖が大和川を経て上流から運ばれてくる土砂が堆積したことによって徐々に陸地化したが、こうした経緯から湿地・深田が多く、また洪水に見舞われやすい土地であった。

古代には物部氏の本拠地があり、物部守屋の最期の地は衣摺(きずり、市西南部)であるなど、早くから開けた地域であった。飛鳥時代には中国大陸への玄関口であった難波津との街道筋にあたり街道筋には多くの集落ができた。奈良時代になると、平城京と難波津を結ぶ街道が整備され、その街道筋にも多くの集落ができた。

平安時代になり、熊野詣高野山上皇貴族参詣に訪れるようになると、その街道として生駒山麓を辿る高野街道が利用された。この沿線にあたる市の東部には多くの集落が点在しており、今なお旧村として市内に静かなたたずまいを残している。平安時代には、枚岡神社の勢力が大きく、それを背景とする水走氏が有力な領主として市東部を中心に活動した。

室町時代初期、河内守護に任ぜられた畠山氏若江城を築き、河内を統治する拠点とした。以後畠山氏の守護代の遊佐氏がこの城を治めるが、応仁の乱やその後も続いた家督争いによって衰え、城主は細川氏遊佐河内守長教三好氏など転々とする。最終的に城は織田信長の家臣となった三好義継の旧臣の若江三人衆が治め、石山本願寺攻めが始まると織田方の拠点とされ、織田信長もこの城で指揮を執るなどしたが、両者が和睦した後に廃城とされた。またこの付近は大坂夏の陣における若江の戦いの舞台としても知られ豊臣方の将木村重成の終焉の地でもあることで知られる。

江戸時代中期以降、中甚兵衛らの嘆願によって大和川の付け替え工事が行われると新田開発が大坂の商人らによって積極的に推進された。また商品作物の栽培も盛んで、木綿の産地として名の知られた存在だった。

東大阪市の中央部は長い間、北にある深野池や西にある新開池、そこに注いでいる付け替え前の大和川の為に長らく湿地帯で、東大阪市の市域で早くに開けたのは、確かにこれら大和川の流域と高野街道沿いの地域ではあるが、開発は遅れがちであった。室町時代以降、河内国の行政の中心であった若江城でさえ、四方を沼地に囲まれた難攻不落の平城として記録されている。

市成立後の沿革[編集]

東大阪市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の24枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
  • 1967年2月1日 : 布施市河内市枚岡市が合併し、大阪府下31番目の市として東大阪市が発足する。市役所は旧 河内市役所を使用したほか、旧 布施市役所に「西支所」を、旧 枚岡市役所「東支所」をそれぞれ設置し、2003年の新庁舎建設に伴う機能併合まで3庁舎ともに使用していた。
  • 1998年4月23日 : 知人女性の健康保険証を、虚偽の住民登録を行い取得させたとして、当時の市長である清水行雄が逮捕される。
  • 2003年5月6日 : 市役所が現在地に移転する。
  • 2005年4月1日 : 大阪府下では、堺市(現在は政令指定都市)、高槻市に次ぐ中核市に移行する。
  • 2010年2月 : 徴収した国民健康保険料について、介護保険料などが長期間に亘り過大徴収されていたことが明らかになる[1]
  • 2011年10月 : 国民健康保険証がカード化される[2]

行政[編集]

  • 市長:野田義和

歴代市長[編集]

  • 初代:辰巳佐太郎(在任:1967年2月19日 - 1970年6月14日、1期)
  • 2代:伏見格之助(在任:1970年6月14日 - 1982年6月13日、3期)
  • 3代:北川謙次(在任:1982年6月14日 - 1989年12月6日、病気療養を理由に辞職 2期)
  • 4代:清水行雄(在任:1989年12月24日 - 1998年5月20日、3期)
  • 5代:長尾淳三(在任:1998年7月12日 - 2002年7月11日、1期)
  • 6代:松見正宣(在任:2002年7月12日 - 2006年7月11日、1期)
  • 7代:長尾淳三(在任:2006年7月12日 - 2007年9月14日、市議会における不信任決議で失職 1期)
  • 8代:野田義和(在任:2007年10月28日 - 2期目)

産業[編集]

日本有数の中小企業の密集地であり、高い技術を持った零細工場が多数集まっている。2002年12月に東大阪宇宙開発協同組合(現・宇宙開発協同組合SOHLA)を設立し人工衛星の開発を進めるなど、技術力は高く、世界シェアを占める企業も多い(近畿大学には研究用の小規模の物ながら原子炉まである)。面積に対する工場の割合では全国1位、また、工場の数も大阪市横浜市などの政令指定都市を除くと1位である。しかし近年は減少傾向であり、工場跡地に住宅が建てられるケースもある。2007年には工業出荷額で隣市の八尾市に抜かれ、その差は広まりつつある。

江戸時代には旧大和川川床などにおける木綿栽培が行われ、大阪の中心、船場に近いという地の利があり、木綿を加工するための小規模な工業が発展していた。明治維新で家内的な木綿工業は一気に壊滅したが、残された技術が、現在の当地を支える原動力になっていった。生産機械のための機械作りやその部品作りである。 1958年、日本で初めての回転寿司店である元禄寿司が開店した町でもある(旧布施市:現在の近鉄布施駅付近)。

当地を創業の地として産まれ、全国区に育っていった企業は数多い。しかしながら、そのまま当地域を拠点とし続けている企業は少ない。

東大阪市に本社を持つ企業[編集]

東大阪市にて創業した主な企業[編集]

スポーツ[編集]

野球[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

日本国内[編集]

日本国外[編集]

地域[編集]

人口[編集]

平成22年(2010年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.83%減の509,533人であり、増減率は府下43市町村中26位、72行政区域中45位である。

Demography27227.svg
東大阪市と全国の年齢別人口分布(2005年) 東大阪市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 東大阪市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
東大阪市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 500,173人
1975年 524,750人
1980年 521,558人
1985年 522,805人
1990年 518,319人
1995年 517,232人
2000年 515,094人
2005年 513,821人
2010年 509,632人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

高等学校(および相当校)以上について記載する。

大学・短期大学[編集]

高等学校[編集]

その他[編集]

日本郵政グループ[編集]

(2012年12月現在)

集配郵便局は、布施(永和)・枚岡(鷹殿町)・河内(菱江)の3局がある。この他、窓口業務のみを行う郵便局が市内に53箇所ある。
大阪支店布施出張所が、布施/永和郵便局内に置かれている。また、市内には各郵便局などに65箇所(布施出張所を含む)に現金自動預け払い機 (ATM) が設置されており、うち19箇所(同)でホリデーサービスを実施している。
布施支店が、布施/永和郵便局内に置かれている。

※東大阪市内の郵便番号は以下の通り。

  • 577-00xx577-08xx : 市の西部に相当し、布施郵便局が集配を担当している。
  • 578-09xx : 市の中部に相当し、河内郵便局が集配を担当している。
  • 579-80xx : 市の東部に相当し、枚岡郵便局が集配を担当している。

隣接している自治体・行政区[編集]

大阪府

奈良県

交通[編集]

鉄道[編集]

同位置に所在する乗換駅などをまとめると23の駅がある。比較的発展していた3市が合併して誕生した市であるので、中心的な役割を果たす駅は特定できない。

乗降人員は布施駅が最も多く、近鉄百貨店東大阪店を中心に商業圏が広がっている。また、JTBパブリッシングが発行する「JTB時刻表」も布施駅を代表駅としている。また、八戸ノ里駅石切駅間で乗降客数が最多である瓢箪山駅を市東部の玄関口と見る向きもある。なお、東大阪市役所本庁の最寄り駅は荒本駅である。

以下のうち、大阪市営地下鉄中央線近鉄けいはんな線は一体的な運行系統となっており、当市にある長田駅を介して直通運転を行っている。

路線バス[編集]

高速バス

  • 大阪バス
    • 布施駅(東大阪布施駅停留所)から東京、京都、高知への高速バスを運行。また、長田駅に名古屋、京都への高速バスが停車する。空港リムジンバスが布施駅・長田駅と関西国際空港を結ぶ(近鉄バス、南海バス関西空港交通と共同運行)。

一般路線

  • 近鉄バス
    • 布施線、中央環状線、加美線、阪奈線、春宮線、萱島線、上小阪線、山本線、恩智線、四条畷線、石切線、吉田線、東大阪病院線、経法大線
    市内に本社を持ち、営業所も4箇所(布施・布施観光枚岡稲田)あるが、1990年代以降路線の休止・廃止が相次ぎ、バス路線空白地が多く存在し近年も減便傾向にある。その一方、新路線(新石切駅前 - 石切駅前、花園駅前 - 吉田駅前、吉田駅前 - JR住道)の開設も行われている。また東大阪市などの補助により低公害ノンステップバスの導入も行われている。現状ではコミュニティバスと呼べるものは短距離の東大阪病院線以外には存在しない。
  • 大阪市交通局(大阪市営バス
    • 86号系統 布施駅前 - 上新庄駅前、12号系統 布施駅前 - あべの橋
    市内には、布施駅前停留所があり、上記系統が発着している。なお、12号系統は市バスの操車場があったことから布施三ノ瀬へ乗り入れていたが2013年より布施駅前へ乗り入れることになった。
  • 大東市コミュニティバス(近鉄バスが運行)
    • Aコース 南新田・朋来方面
    当市内を通過するが、停留所は存在しない。

道路[編集]

南北方向には大阪府道2号大阪中央環状線国道170号大阪外環状線)、東西方向には中央大通と呼ばれる国道308号があり市内の大動脈となっている。

しかし、その他の道路は東西南北すべての方向において貧弱であり、主要地方道でも狭隘な道路(八尾茨木線の一部)や渋滞が激しい道路(八尾枚方線など)もあり、路線バスの運行にも影響がある。

名勝・旧跡・観光スポットなど[編集]

近鉄花園ラグビー場
記念館・資料館
  • 司馬遼太郎記念館 - 近鉄八戸ノ里駅近くには司馬遼太郎の自宅が保存されており、隣には司馬遼太郎記念館が作られている。司馬遼太郎の書斎は生前のまま残されており、外から見学することもできる。司馬遼太郎は、東大阪市の名誉市民でもある。
  • 樟徳館
  • 田辺聖子文学館
施設・競技場
寺院・神社
若江城の石碑
遺跡・城跡・古墳
その他
  • 瓢箪山商店街 - 近鉄瓢箪山駅前には、全国で2箇所しかない国道(国道170号)中の商店街アーケードがあり、昼間は歩行者天国だが、深夜には普通に自動車が走行する(もう1箇所は長崎県の国道324号浜町アーケード)。「ひょうたんモニュメント」が駅・商店街を中心に1000個設置された。商店街内には「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングが流れることも。
  • 小阪城 - 近鉄河内小阪駅の駅前商店街

東大阪市出身の有名人[編集]

歴史上の人物[編集]

政界・学界・言論界[編集]

芸能界[編集]

スポーツ選手[編集]

その他[編集]

東大阪市を舞台にした作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東大阪市の国保料過徴収 21年度も算出ミス - MSN産経ニュース(2010年2月16日付、2013年6月2日閲覧) ※インターネット・アーカイブ
  2. ^ 東大阪市市政だより(9月1日号、No.981) 2面

外部リンク[編集]