吉野正人

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吉野 正人
吉野 正人の画像
2009年11月撮影
プロフィール
リングネーム 吉野 正人
YOSSINO
本名 吉野 正人
ニックネーム セクシーターザン
スピードスター
スピードモンスター
身長 172cm
体重 77kg
誕生日 1980年7月17日(34歳)
出身地 大阪府東大阪市
所属 DRAGON GATE
スポーツ歴 野球、水泳[1]
トレーナー ウルティモ・ドラゴン
ホルヘ・リベラ
デビュー 2000年
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吉野 正人(よしの まさと、男性、1980年7月17日 - )は、日本プロレスラーDRAGON GATE所属。大阪府東大阪市出身。通称スピードスター、アメリカROHでも"The fastest wrestler on the planet"(地球上で最も速いレスラー)と称されている。

来歴[編集]

小学-中学時代は野球に没頭したが、アントニオ猪木ビッグバン・ベイダーの試合(1996年1月4日)をテレビ観戦しプロレスへの興味を持った。アマチュアプロレス団体最大手であるJWA関西の門を叩き修行。後輩にはDDTプロレスリングに所属する柿本大地などがいる。大学入学後も勉強熱心であったが、プロレスの夢を捨てられず親や周囲の反対を押し切り中退、メキシコへ渡航。闘龍門7期生として入門した後、2000年9月2日、メキシコでの伊藤透(現:大鷲透)戦でプロレスデビュー。T2Pメンバーの中核「イタリアン・コネクション」の一員としてC-MAXと抗争を繰り広げる。

デビュー当時はターザンをモチーフにしたキャラクターでトップコーナーに上がり、雄たけびをあげるパフォーマンスをしていた。後にミラノコレクションA.T.に誘われてイタリアン・コネクション入り。リングネームをイタリアっぽくするために「YOSSINO(ヨッシーノ)」に変更(命名者はミラノ)。ギミックがイタリアン・ターザンとなった。このころウルティモ・ドラゴンにパートナーに抜擢され第1回ディファカップに(2003年2月8日・9日)で優勝。

2005年DRAGON GATE中軽量級の活性化を図るためK-ness.と共にオープン・ザ・ブレイブゲート王座を創設[2][3]。王座決定戦で土井成樹に敗退するも、後に語られる一戦となった。

イタリアン・コネクション解散に伴いリングネームを本名に戻し、短髪になってBlood Generationに加入。加入前にコスチューム新調、美容院の予約等、CIMAに確信犯と言われる。BloodのメンバーであるCIMAマグニチュード岸和田オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座を奪取[4]2006年自身の創設したオープン・ザ・ブレイブゲートに挑戦表明。2月5日に博多スターレーン大会で王者ドラゴン・キッドに挑むも、両者セコンドの乱入によりノーコンテスト、ベルトはコミッショナー預かりとなった。そして3月19日に行われたブレイブゲート王者決定トーナメントで優勝し、第3代オープン・ザ・ブレイブゲート王者に君臨した。その後、Blood Generationの分裂の際に造反組に回り、そのままマッスル・アウトローズの一員となった。

2007年からはかつてのライバル土井成樹とタッグ、通称「土井吉」を組み活躍。スーパーパワーボムやダブルインパクトなどの好連携を見せる。2007年8月に行われたタッグリーグは土井吉で優勝、獲得した賞金でオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座を創設した[5]。同年10月に当時IJタッグ選手権王者であった新井健一郎岩佐拓とベルトの統一戦を行い勝利、同王座の初代王者となった。さらには同年11月24日、土井と共にプロレスリング・ノアGHCジュニアヘビー級タッグ王座のベルト奪取に成功する。また、シングルプレーヤーとしても2007年9月22日の大田区体育館大会においてブレイブゲート王座を再び獲得。6度の防衛を果たし、当時のブレイブゲート最多防衛記録を更新した。2008年4月にアンソニー・W・森に敗れて王座陥落[2]

2008年5月5日、土井成樹とともにマッスル・アウトローズを脱退。新ユニット結成を宣言する。5月14日にはB×Bハルク谷嵜なおきm.c.KZ.がユニットに加入、5月31日の神戸大会にて新ユニット名『WORLD-1』が発表された。

6月29日の大阪大会にて、Gammaが保持していたオープン・ザ・ガンマゲートをDr.マッスルに変装して奪取[2]。試合当初は、まるでストーカー市川がDr.マッスルに扮しているような市川独特のムーヴを披露したが、一瞬のスキを突いてトルベジーノからの横十字固めでフォール。オープン・ザ・ブレイブゲートに名称を戻し、同王座をコミッショナー預かりとした。

2008年10月、4度目のオープン・ザ・ブレイブゲートを獲得したが[2]、2009年3月の両国国技館での選手権試合でCIMAに敗れ、ベルトを失った。その後、土井の保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦を表明する。その後、Gammaとの挑戦者決定戦に勝利して後楽園ホールで土井との3度目となるシングルマッチを行ったが、奪取することはできなかった。

2009年に、WORLD-1初の自主興行の際、ジョンソン・フロリダに「イタリアのターザン」とYOSSINO復活という無理難題を押し付けられ、始めは頑に拒否していたが、興行当日に特注のカツラを着用したYOSSINOとして登場した。ただし、「YOSSINOは一度封印したキャラだから」と一夜限りの復活であると念押しした。

12月27日のマスカラ・コントラ・カベジェラ金網マッチで金網から旗を取ろうとしたものの谷嵜なおきが対REAL HAZARD用にテープでグルグル巻きにした旗を取ろうとし、負け残ってしまう。丸坊主となり号泣した[2]

2010年7月11日ワールド記念ホール大会でYAMATOを30分を超える激闘の末、ソル・ナシエンテ改で下し、デビュー10年で初めてのドリームゲート王者となった。8月14日には長らく大阪プロレスタイガースマスクに流出していたブレイブゲートを取り戻して通算5度目の戴冠、2009年の土井成樹に続いて2人目のシングル2冠王を達成したが、ブレイブゲート王座を即返上した。2011年1月28日-30日に行われたオープン・ザ・ユナイテッドゲート初代王者決定戦にPACとタッグを組んで参加し初代王者となる。ドリームゲート王座は斎藤了、CIMA、土井、ドン・フジイと計4度の防衛を果たしたが、2011年4月に望月成晃に敗れ王座陥落[2][6]

2012年には土井、PAC、リコシェらと新ユニット「WORLD-1 INTERNATIONAL」を結成、オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座を第35代・第38代で奪取するなど活躍する。2013年5月にはドラゴン・キッドを破って6度目のブレイブゲート戴冠を果たし、リッチ・スワンジミー・カゲトラK-ness.、土井と計4度防衛し、8月に返上[3]

しかし直後の2013年9月に土井が吉野を裏切り、WORLD-1 INTERNATIONALは解散。吉野、リコシェ、しゃちほこBOYの3人は鷹木信悟戸澤陽ウーハー・ネイションの3人と共闘することとなり、10月6日に6人での新ユニット「MONSTER EXPRESS」結成を発表。10月10日にYAMATOを破って2度目のドリームゲート王座戴冠を果たした[1][2][6]。11月の初防衛戦では因縁の土井に苦戦したが、ソル・ナシエンテ改でギブアップに追い込んで勝利。その後T-hawkB×Bハルク、望月成晃と計4度防衛した。2014年3月に再来日したリコシェとの同門対決で敗北し王座を失った[6]

リングネーム[編集]

吉野が用いたことがあるリングネーム

  • 吉野正人(本名、現在も使用中)
  • YOSSINO(YOSSHINOと表記されることもある)

得意技[編集]

多彩なジャベ(関節技)の使い手だが、現在は筋肉をアピールしたファイトが中心になっている。また、「スピードスター」の異名通りにスピードは団体随一で、素早いロープワークの攻防が見どころの一つである。

ライトニングスパイラル
ファイヤーマンズキャリーで相手を担ぎ、持ち上げないまま相手の背中方向に回転する。相手は後ろから足をすくわれたような状態になって倒れ、後頭部から叩きつけられる。現在最も得意としているフィニッシュ・ホールド。走ってきた相手にカウンターで放つ場合もある。
アナザースペース
佐々木健介のトルネード・ボムに似ているが、技の入り方が独特。相手の片腕をハンマーロックに極めた状態でサイドから相手を持ち上げ、火の玉ボムのように相手を反転させて叩きつける。また、体重の重い選手を持ち上げた場合は、使用後に腰を痛そうにするのが見られる。
ソル・ナシエンテ
相手を仰向けに寝かせて左肩口の辺りに立つ。相手の右腕を左手で持ち、その上から相手の左腕を自分の右足の下にくぐらせ右手で持ち、体勢を上下入れ替えるように前転し、両足で相手の首をはさみ両腕を極める。ギブアップを狙う代表的な技で、イタコネ解散後から一時期封印していたが、2006年2月18日の対トザワ戦でBG加入後に解禁した。技名はスペイン語で「日の出」という意味である。
ソル・ナシエンテ改
ソル・ナシエンテの体勢から左足を使って相手の右足も一緒に抱え込む。腕だけでなく足の自由も奪う為脱出困難。ソル・ナシエンテで仕留められない時に出す奥の手で、決まった時の勝率は極めて高い。
トルベジーノ
コルバタの要領で相手の首に足をかけて旋回し、その回転中にアームブリーカーの体勢を作り、空中で脇固めのような状態になってマットに肩から腕のあたりを叩き付ける。ソル・ナシエンテやライトニングスパイラルに繋ぐ布石として使う。
フロムジャングル
コルバタの要領で相手の首に足をかけて旋回し、その回転中に卍固めのように上半身を極める技。しかしK-ness.には「ユダ」で返されてしまった。
白夜
ソル・ナシエンテ(日の出)とK-ness.のソル・ノチェ・セル(日没)を巡る抗争の決着戦で吉野がとっさに思いついた技。この技でK-ness.からギブアップを奪い、「お前の太陽(ソル・ナシエンテ)は沈まなかった」ということからK-ness.が命名した。とっさに出しただけあって、ほとんど使わない。形としては座っている相手の腕を4の字に極める。
腕吉野
命名は横須賀享。K-ness.との抗争に引き続き、横須賀との抗争決着戦でとっさに出した技。享が「リバース・トルペジーノ」と名づけようとしたが、まんまなので撤回し、腕吉野となった。相手の腕を鉄棒に見立てた感じで逆上がりをして、その回転の勢いで腕をマットに叩きつける。回転が速い為相手の後頭部も叩きつけることができる。
コウモリ(旧名コルミージョ、またはムルシエラゴ)
トップロープ越しに仕掛ける首4の字固め。自らは宙吊りになり、相手の両足を掴む。当然ロープ・ブレイクになるため、4カウントまでしか使えない。
タルサンハート
変形のSTF。相手の足を、自身の両足で挟むようにして固めるのではなく、相手の両太ももの間に自分の両膝をねじ込み、さらに片膝立ちすることによって足を固める。
変型ネックブリーカー・ドロップ(スリング・ブレイド)
棚橋弘至が使用するスリング・ブレイドと同型の技であるが(棚橋は首に飛びつくのに対し、吉野は腕に飛びつく)、YOSSINO時代から使用しており吉野の方が早く使用し始めている。中盤の繋ぎ技として使用しており、技名は設定されていない。コーナーの相手にスワンダイブ式で放つ場合もある。
スピードスター
変形の丸め込み技。トルベジーノからしりもちをついている相手の片腕を取って、そのまま相手の体を横に回転させるように自身も回転して、横十字固めの様に固める。コルバタの体勢から、トルベジーノに移行すると見せかけてこの技で丸め込む場合もある。
ライトニング・イン・ザ・ジャングル
ミサイルキック。コーナーポストに立ち、前方へ高くジャンプして相手を両足蹴りする。高さも滞空時間もあり、吉野を特徴づけるムーヴの一つである。タッグマッチでは「寝かせた相手を飛び越えてもう1人を蹴り、反動で寝かせた相手にセントーン」「相手の腕や髪の毛をタッグパートナーが捻りあげ、そこを踏みつけるように放つ」等の派生技がある。命名は吉野の入場曲「SPEED STAR」の歌詞から。
雪崩式ライトニングスパイラル(仮)
2008年11月16日のドラゴン・キッドとのブレイブゲート戦で初披露。通常のライトニングスパイラルとは回転が逆になる。ドノバン・モーガンやKENTAが使うコークスクリュー・ネックブリーカーと同形。本人曰く「先を見据えての新技」で、まだ名前は考えていない。
リベリーナ・エスペシアル
相手の腕をハンマーロックで後ろに固め、自身の頭を相手の固めた腕の逆の脇に差し込んでから前方に転がす変型スモールパッケージホールド
バックホーム
素早いロープワークからのラリアット。試合終盤に繰り出す。
チョップ
投球モーションのように、振りかぶって腕をしならせて繰り出す。

タイトル歴[編集]

闘龍門JAPAN
DRAGON GATE
現在まで6度の戴冠で通算16度防衛しており、絶対王者と呼ばれる。
当時保持していたツインゲート王座をも賭けた王座統一戦により戴冠し、同時に封印した。
パートナーは土井成樹
プロレスリング・ノア

エピソード[編集]

  • 両親と気まずい関係が続いていたが、活躍するにつれ和解したという。
  • しゃちほこBOYは同い年で同期であり、互いに「アミーゴ」と呼ぶ仲である[2]
  • アンソニー・W・森とはイタリアン・コネクション解散後から、常に抗争している。2006年10月には当時ブレイブゲートの王者だった吉野とアンソニーが2連続の王座戦が行われた(いずれも吉野が勝っている)。
  • 初期のターザンギミックのモチーフはメキシコのルチャドール、タルサン・ボーイである。
  • 吉野が使用するコスチュームは陸上100メートル走に出場する選手用のユニフォームを意識して製作しているとのこと。現在のコスチュームは本来はショルダータイツであるが、吉野は常に上半身を捲った状態で着用している。
  • 2度目のブレイブゲート王者だった頃、「タイフーンのメンバー全員を相手に防衛する。」と宣言し、横須賀享ドラゴン・キッド斎藤了CIMAを見事に撃破したが、最後の砦のアンソニーに破れ(マッスル・アウトローズのセコンド介入が敗因の1つ)目標達成はならなかった。
  • K-ness.とブレイブゲート、土井とツインゲートを創設した。二つの新ベルト創設に関わっている[2]
  • 土井成樹との共闘機会が多く、二人のタッグは"土井吉"と呼ばれる。オープン・ザ・ツインゲート王座においてはIJタッグ王座との統一王座戦を制するなど実績を残しているが、王座戴冠は二度だけと少ない。また、ベビーターン後においては土井に裏切られる形でタッグ解消→ユニット消滅の憂き目に二度も遭遇している(いずれも土井のヒールターン)。

出典[編集]

  1. ^ a b 「2014プロレスラー カラー写真名鑑」p.12、週刊プロレスNo.1714、2013年12月5日増刊、ベースボール・マガジン社
  2. ^ a b c d e f g h i 週刊プロレスEXTRA vol.9「ドラゴンゲート大百科」2013年11月5日、ベースボール・マガジン社
  3. ^ a b DRAGONGATE公式サイト>データベース>オープン・ザ・ブレイブゲート 2014.5.13閲覧
  4. ^ DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・トライアングルゲート2014.5.13閲覧
  5. ^ DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・ツインゲート2014.5.13閲覧
  6. ^ a b c DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・ドリームゲート2014.5.13閲覧

外部リンク[編集]