斎藤了

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斎藤 了
斎藤 了の画像
2009年11月、オックスフォードにて
プロフィール
リングネーム 斉藤"ジミー"了
本名 斎藤 了
ニックネーム 隠れたコミカルマスター
斎了
身長 170cm
体重 82kg
誕生日 1979年8月15日(34歳)
出身地 山形県山形市
所属 DRAGON GATE
スポーツ歴 空手野球[1]
トレーナー ウルティモ・ドラゴン
デビュー 1999年5月15日
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斎藤 了(さいとう りょう、男性、1979年8月15日 - )は、日本プロレスラー。所属団体はDRAGON GATE山形県山形市出身。リングネームは2012年3月から斎藤"ジミー"了、イメージカラーはオレンジ色

来歴[編集]

東海大学山形高等学校卒業。闘龍門に第4期生として加入後メキシコに渡り、1999年5月15日メキシコのアレナ・ナウカルパンで神田裕之戦でデビュー[1]。同期には玉岡金太がいる。

自転車に乗りながら入場するというメッセンジャーのギミックで日本逆上陸後、自転車を盗まれたことから始まったドン・フジイとの抗争で好青年かつ天然キャラを確立し人気を博す。1年近く抗争は続き、自転車を奪還するとフジイにラブコールをしてタッグ結成を呼びかけた。フジイはしばらく渋っていたものの熱意に折れ、自転車兄弟としてタッグを組み、二人乗り自転車で入場するようになった。その後はアンソニー・W・森にもラブコールを送ってタッグを組んだりと、正規軍にいながらユニットを越えた動きを見せていた。しかし望月成晃との抗争から正規軍を離脱。その後Do FIXER入りするために自身のトレードマークである自転車をパイプ椅子で殴打した後、マグナムTOKYOにDo FIXER入りを認められた。

2005年からはマグナムTOKYOによりメンバーでは最年少ながら最も積極的なプレーを認められ、2代目リーダーに指名されている。この頃から肉体改造に成功し、体が一回り大きくなった。この年の第1回KING OF GATEで優勝を果たし、余勢を駆って翌2006年2月にマグニチュード岸和田を下してオープン・ザ・ドリームゲート王座を戴冠し、第4代王者となる。しかし4月に横須賀享に敗れ、防衛0で王座を明け渡す[2][3]。横須賀とのライバルストーリーはその後も展開される。

2007年に入り堀口元気と仲間割れするも、後に和解。しかし、2月4日の博多大会で裏切られ、堀口はマッスル・アウトローズに加入し、Do FIXERは解散。その後、CIMA、享に救出され、ドラゴン・キッドとともにTyphoonに加入。Typhoon加入後は横須賀享とのタッグ「リョウスカ」でさまざまな合体技やコンビネーションを見せるようになり、7月1日には邪道&外道を破り、IJタッグ王座を獲得し、第13代王者となる。後に、土井成樹&吉野正人の「土井吉」や新井健一郎&岩佐拓の「新岩」らと数々の名勝負を繰り広げるようになり、タッグ戦線が激化していくようになった。7月10日のオープン・ザ・ドリームゲート王座・次期挑戦者決定ワンナイト・トーナメント1回戦でB×Bハルクと激突し、敗北するもののハルクが顎を負傷したため、敗者復活戦が行われる。以降、ハルクとの遺恨が発生する。12月28日後楽園ホールでのサイバー・コングとのシングルマッチにてサイバーのコスチュームを真似たサイバー・リョウとして登場。パイナップルではなくキュウリを割ったり、動作もサイバーの真似をし若干サイバーをあきれさせたがパワーを見せつけメッセンジャーで勝利した。

2008年2月17日、吉野正人の持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦するが敗北。その後、CIMAが挑戦表明するものの、CIMAがブレイブゲートを侮辱するような発言をしたため、仲間割れする。4月27日、CIMAの持つドリームゲートに挑戦するが、敗北したものの試合を通じてCIMAとも和解。5月5日、リョウスカとして、新井健一郎&岩佐拓の持つオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦し王座獲得、第3代王者となる。

2009年2月15日の博多スターレーン大会において、Typhoon解散後に共闘を呼びかけた横須賀享とオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦したが、試合中にパートナーの横須賀享を裏切り、REAL HAZARD入りした。3月22日、堀口元気をパートナーにGamma横須賀享組の持つツインゲートに挑戦するが、反則負けになる。試合後、王者組が「2度とあいつらの挑戦は受けない。」発言する。しかし、同じタッグで4月18日、19日に行われたオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座・次期挑戦者チーム決定トーナメントに優勝し、発言を逆手に取る形で挑発し、同門である新井健一郎&神田裕之組も加えた3Wayマッチを要求し、5月5日の愛知県体育館大会では実質的に4対2の3Wayマッチで王者組から勝利を奪い、自身2度目のオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座を獲得。6月7日の名古屋国際会議場大会のオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座の防衛戦で、挑戦者の鷹木信悟の腕をコーナーにガムテープで縛りつけ、その間にドラゴン・キッドからダブルクロスで3カウントを取り初防衛を果たす。しかし12月13日の試合中にアキレス腱を断裂し、長期欠場に入る。

2010年4月25日博多スターレーンにて復帰、堀口元気がWARRIORS-5に加入させようとするも「やり残したことがあるような気がしたんで、ごめんなさい」と拒否。「やり残したこと」とは横須賀享との再タッグ結成だったが、享に断られてしまう。その後「訳がわからないからWARRIORS-5でやっていきましょう」とWARRIORS-5に加入した。長期欠場の影響で復帰当初はTyphoon時代のコスチュームにDoFIXER時代のTシャツを着用したり、ドラゴン・キッドのことが思い出せないなど(ギミック上)記憶喪失状態に陥っていたが、後にキッドの一撃がきっかけで記憶を取り戻した。その後WARRIORSがBlood WARRIORSとなりヒール化、戸澤らに追放された。

2012年3月に堀口、神田とジミーズ加入、同時に斉藤"ジミー"了と改名した。11月8日後楽園大会のメインイベント後のマイクでCIMAから「ゴミ」呼ばわりされたが、12月8日札幌テイセンホール帰ってきたベテラン軍 vs ジミーズ シングル3番勝負にて3試合目に出場し、望月と対戦。11分18秒プレミアム・ブリッジで勝利。同月28日兵庫・神戸サンボーホールのオープン・ザ・トライアングルゲートにて、再び望月からプレミアム・ブリッジでフォールを奪うなど活躍し、存在感を見せた。

2013年には1月20日にCIMA、9月12日にYAMATOと、2度ドリームゲート王座に挑戦。獲得はならなかったが善戦した[3]。12月にはススム・谷嵜とともにオープン・ザ・トライアングルゲート王座を獲得したが、2014年2月に椎間板ヘルニアで欠場し、王座返上となった[4]。一方で2013年3月7日に菊タローを破ってオープン・ザ・お笑いゲート王座を初戴冠。こちらは7度の防衛を果たして2014年を迎えている[5]

欠場期間中ドラゴンゲートの大会にセコンドとして登場することもあるがプライムゾーンではくまモンのTシャツを着てペロペロキャンディをなめながら登場するおバカな子供キャラになり琴香の前に登場する。また内紛状態のジミーズの前に現れ、辛い胸の内を語り仲直りさせたこともある。

得意技[編集]

ルチャ主体のDRAGON GATEにおいて、比較的オーソドックスなファイトスタイルを見せる。ブリッジが美しい各種スープレックスを繰り出す。

プレミアム・ブリッジ
相手の両手首を掴んで相手の頭の後ろで組ませ、そのまま投げるリストクラッチ式のドラゴン・スープレックス・ホールド。名前の由来はお台場毎日プロレスのプレミアム・マッチで生まれたことによる。また横須賀享とのタッグでは合体のプレミアム・ブリッジを見せることも。現在もフィニッシュ・ホールドとして使用している。
ダブルクロス
相手の腕をクロスしたままカナディアン・バックブリーカーのように肩に担ぎ上げてからフェイスバスター気味に落とす。クロスアーム式のブリッツェン(Gammaの得意技)の様な技。REAL HAZARDに加入してから使い始めたフィニッシュ・ホールド。
ドラゴン・スープレックス・ホールド
この技を使い出してから一気にトップ戦線に踊り出た。
シュリンプ
フィッシャーマンズ・バスターの体勢で持ち上げてから、相手の頭を抱えている手を放してスパイン・バスターの様に前方に叩き付ける技。フィッシャーマンエクスプレスに織り交ぜることもある。
サイクリング・ヤッホー(ダンシング・ヤッホー)
腕極式逆片エビ固め。極めた形が自転車のような形になる。技に入る前に「みんなで叫べ!サイクリング、ヤッホ〜!」と観客と一緒に宣言するため、成功率が非常に低い。Do Fixer入りして、「ダンシング・ヤッホー」と名前が変わってからは決め台詞すら満足に言えないまま脱出されてしまい、次第に使われなくなっていったが、ジミーズに入ると再び復活した。決まった場合には「決まったぁ~!」と笑顔で喜ぶ。お台場毎日プロレス限定で「あっちこっちなっち(安倍なつみ命名)」になったこともある。
フィッシャーマン・エクスプレス
エディ・ゲレロのスリーアミーゴスのように、クラッチを放さずに連続して決めるフィッシャーマンズバスター。フィッシャーマンズ・スープレックスを2回決めた後にフィッシャーマン・バスターをするのがお決まりのムーブ。
ダイビング・ボディ・プレス
コーナートップから、倒れた相手へ向けてのボディ・プレス。スワンダイブ式でも使われる。斎了のボディプレスは滞空時間が長く、飛んでいるときの姿勢も非常に美しく見える。
メッセンジャー
腕を固めつつ2段階式で丸め込む変形のスモールパッケージホールド。大一番で使う丸め込み。
フロント・スープレックス
主にカウンター式で用いられる。時折フロント・スープレックスの要領で相手を抱え上げて真上に放り投げ、相手の体を横に180度回転させてバックを取り、高角度のジャーマン・スープレックスで叩きつけることもある。

タイトル[編集]

エピソード[編集]

  • Do FIXERに加入する際の条件として、マグナムのダンスをマスターすることを言い渡されたが、マグナムダンスに加え自分用のダンスまで習得してきた。トップ戦線ではコミカルな部分を封印してダンスをしなくなったが、ジミーズ入りしてからは「ジミーズトレイン」、お笑いゲートタイトルマッチなど再びコミカルさを発揮している。
  • アンソニーと菅原拓也のカベジェラ・コントラ・カベジェラにおいて、敗れたアンソニーの身代わりに丸坊主になったことがあるが、2009年3月22日に行われたサイバー・コングとアンソニーのマスカラ・コントラ・カベジュラマッチではサイバーをアシストし、アンソニーを丸坊主にさせた。
  • 堀口元気とは同ユニットに所属すると仲違いを起こすものの、気付けば再び同じユニットに所属する。付かず離れずの関係である。(正規軍で仲間割れ、DoFIXERで仲間割れしたが、再び同じユニットに現在は所属している)
  • 横須賀享とタッグを組んだ後に作成したコスチュームに書かれている「023」という数字は、出身地である山形市の市外局番である。
  • 入門当初、先輩のドラゴン・キッドに無視されたことを未だに根に持っている。
  • 阪神ファン。
  • イメージカラーはオレンジ色だが、REAL HAZARD時代にはユニットのカラーに合わせ封印していた。
  • 鳥が苦手。

脚注[編集]

  1. ^ a b 「2014プロレスラー カラー写真名鑑」p.12、週刊プロレスNo.1714、2013年12月5日増刊、ベースボール・マガジン社
  2. ^ 週刊プロレスEXTRA vol.9「ドラゴンゲート大百科」2013年11月5日、ベースボール・マガジン社
  3. ^ a b DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・ドリーム・ゲート2014.3.7閲覧
  4. ^ DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・トライアングル・ゲート2014.3.7閲覧
  5. ^ DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・お笑いゲート2014.3.7閲覧

外部リンク[編集]