KAI (プロレスラー)

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KAI
KAIの画像
プロフィール
リングネーム KAI
本名 境敦史
ニックネーム COOL&HOT
ハマのロケット
身長 177cm
体重 100kg
誕生日 1983年5月20日(30歳)
出身地 神奈川県横浜市
所属 WRESTLE-1
スポーツ歴 野球
柔道
トレーナー アニマル浜口
武藤敬司
カズ・ハヤシ
ヴィールス
デビュー 2007年2月22日
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KAI(かい、男性、1983年5月20日 - )は、日本プロレスラー神奈川県横浜市出身。横浜市立桜丘高等学校卒業。WRESTLE-1所属。

経歴[編集]

中学時代は野球部に所属。練習はかなりキツく毎朝6時から10km走ったり、台風の中でスライディングの練習をしたこともあるというが、この時培われた基礎体力が後に役立ったと語っている。

元々プロレスに対してさほど興味は無かったが、高校1年生の時に新聞の懸賞で新日本プロレス東京ドーム大会のチケットが当たって観戦したことからプロレスにどっぷりハマることとなった。またこの時のメインは後の全日本プロレス社長の武藤敬司が務めていた。それからというもの学校に行けば朝から週刊プロレス週刊ゴング週刊ファイト内外タイムスを読みあさり、バイト代は全て週末のプロレス観戦費用につぎ込むようになる。この時からプロレスラーになることを夢見るようになり高校2年で柔道部に入部(同部の先輩には石塚英彦がいる)。入部初日に「プロレスラーになるために来ました。宜しくお願いします」と挨拶し、高校3年になって他の部員が引退して受験勉強に励む中、一人トレーニング場で筋トレに励んだ。観戦が昂じて埼玉プロレス(節分鬼オニマンが印象に残っているとのこと)を赤塚公会堂で観戦したり、DDTプロレスリングエキサイティング吉田の試合を観戦した印象を語ったりもしている。

当時は日本のプロレスよりもWWEなど海外のプロレスに興味を持っておりWWE入団を夢見ており、マディソンスクエアガーデンのレッスルマニアも観戦している。しかし、知り合いの誘いで海外インディー団体を観戦するため渡米するがその団体のレベルの低さに愕然とし、やはり日本のプロレスの方がレベルが高いということ、また菅原拓也からの勧めにより日本の団体でプロレスラーになることを志す。

高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受けるが若過ぎたことと身長が低かったことで失格。ちなみにその時彼を落としたのは永田裕志。そして同じく試験を受けていたのは中邑真輔後藤洋央紀だったという。

知り合いの勧めで入門したアニマル浜口ジムに約3年半通い体を鍛え、2006年に行われた『武藤塾』の新人オーディションに合格し入門する。同期にはT28がいる。

練習生時代は武藤敬司に師事し付き人を務めていた。

メキシコでの活躍〜凱旋帰国[編集]

2007年2月に、同期入門の三原弘嗣(YAMATO、現在の大和ヒロシ)と共にメキシコ修行に出る。2月22日、IWRGにてKAIのリングネームでアレナ・ナウカルパンにてロス・トラウマス1号2号相手に3本勝負形式でプロレスデビューし見事勝利を飾る。

6月3日、YAMATO、元SUPER CREWSASAKIと組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも敗れる。

2008年2月17日の後楽園大会で日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーは大和ヒロシ)。

その後、大和とのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に出場。若手ながらも奮闘し、土方隆司中嶋勝彦組、NOSAWA論外MAZADA組から大金星をあげる。

4月20日、同期であり同門でもあるT28とのシングルマッチが実現。試合ではKAIがスプラッシュブランチャで勝利した。意外にも、シングルマッチはこの試合がレスラー人生初で、デビューから1年以上経っている選手にしては珍しいことである。

5月5日、韓国・ソウルでの新韓国プロレスNKPWA世界チャンピオン決定戦に、真田聖也とのタッグでの出場が決定した。

全日ジュニアのホープ[編集]

6月10日、武藤祭にて土方隆司、カズ・ハヤシを相手に3WAYマッチが決定。そして試合当日、なんと世界ジュニア王者の土方から必殺のスプラッシュ・プランチャでフォール勝ちを奪うという大金星を納め会場から大歓声を受ける。対戦相手の1人であるカズに「スゲー化け物が出てきたなって感じですね。」と言わしめた。

6月28日、シリーズ最終戦では開幕戦でタッグマッチながら敗れていたT28からスプラッシュプランチャでリベンジ。そして土方隆司、エル・サムライの世界ジュニア王座戦終了後にジュニアの面々がリングに集合。カズのマイクを横取りして挑発し次期シリーズのジュニア・ヘビー級リーグ戦に向けてアピールした。

ジュニアリーグ最終戦でMAZADAを撃破。決勝に上がってきた元世界ジュニア王者のシルバー・キングも変型みちのくドライバーII(後にLATと命名)で下し、1日2戦の激闘を潜り抜け優勝を果たした。デビューから1年5か月での快挙であり、若手ジュニアの中でも頭一つ飛び抜けた。

そして更に8月31日、両国国技館で世界ジュニア王者の土方隆司への挑戦が決定。デビューして1年6か月での世界ジュニア王座挑戦は世界ジュニア史上最速での挑戦である。

8月22日、後楽園での小島聡TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、大和と共に救出。小島、大和と新ユニット「F4」を結成し活動して行くことを宣言した。

8月31日の国技館大会で、土方隆司との世界ジュニア王座戦に挑んだ。期待は高かったが初挑戦・初戴冠はならなかった。

10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・Hと激突したが、惜しくも敗れる。11月3日、両国でF4のメンバーと組んで新日本プロレスの天山、そしてIWGP・ジュニアタッグ王者の内藤哲也裕次郎と対戦。

2008年末のプロレス大賞新人賞部門にノミネートされ、最終選考まで残るが惜しくも受賞を逃した。

2009年新春シャイニングシリーズで小島と組んで復活したアジアタッグトーナメントに出場。1回戦は通過したものの準決勝で敗れ、自身初となるベルト獲得はならなかった。

2月6日、鈴木みのるMAZADA組との対戦後、また小島と組んでアジアタッグに挑戦することが決定。試合はみのるの逆落としからのスリーパーという必殺フルコースで敗北。鈴木から「良いオモチャを見つけた」と賞賛(?)を浴びた。

5月15日に行われた腐男塾とのコラボ大会「腐ァイティングライブ 2009 勝つんだ!」では第1試合で「阿修羅像」をモチーフにしたコスチュームでブードゥーマスクと対戦し勝利。試合後は四方に向かって4人で阿修羅像のポーズを決めた。

2009年度のジュニア・ヘビー級リーグ戦では開幕戦で世界ジュニア王者のカズに勝利し前大会優勝者としての意地を見せる。そのまま勢いに乗ってAブロック1位に躍り出るも、優勝決定トーナメント1回戦でBブロック2位の近藤修司に敗れ優勝を逃した。

8月30日、両国大会ではF4の一員としてプロレスリング・ノア小橋建太菊地毅伊藤旭彦と6人タッグで激突。

12月13日、ファン感謝デーにて大和と組んで小島と女子プロレスラーの下田美馬と対戦するが、大和が下田のラ・マヒストラルでフォール負け。試合後「恐れ入りました。」と頭を下げた。

2010年、ブードゥーマーダーズとの抗争が激化し、2月7日の後楽園大会で敗者チーム解散キャプテンフォール・イリミネーションマッチを決行するがこれに敗北。F4の解散が決定してしまう。

その後は世界ジュニアに標準を絞り、3月の両国大会でジュニア絶対王者のカズに挑戦。王座奪取はならなかったがカズから「ありがとう」との言葉を受け取った。

その後も全日若手のホープとしてジュニア戦線を盛り上げている。

世界ジュニア王者へ[編集]

2011年からは、当時のジュニア王者が打ち出した「全日本ジュニア三強時代」に対抗するため、鈴木みのるとのシングルマッチを経験。

4月には、師匠カズ・ハヤシとのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に優勝。パートナーカズとの挑戦者決定戦も制した後、稔の世界ジュニア王座への挑戦も決定。

しかし、スーパーヘイト暴行事件の影響により、稔は王座剥奪。6月12日後楽園ホール大会でのラダーマッチを制した近藤修司との王者決定戦を6月19日両国国技館で行うこととなり、見事、三度目の正直で世界ジュニア王座を獲得した。

2011年のジュニア・ヘビー級リーグ戦では、決勝戦で金本浩二を破り、史上初の王者として優勝を果たした。

ジュニアリーグ制覇後のケニー・オメガとの防衛戦では惜しくも敗れ、全王座流出の一端を担ってしまう。

その後、中々雪辱の機会に恵まれずにいたが、中澤マイケルとの試合、Gilletteと組んでのジュニア・タッグリーグでのケニーへのアピールを経て挑戦が決定。王座を取り戻す。

2012年、JUNIOR HYPER LEAGUEと改称してのリーグ戦では、史上初の王者として連覇を目論むが近藤修司に阻まれる。次のシリーズでは、強さを求めヘビー級の選手たちとのタッグ・シングルマッチを展開。精神面では負けていなかったものの、肉体面でついていかず、これがヘビー級転向のきっかけとなる。

ヘビー級転向[編集]

2012年8月25日諏訪魔とのシングルマッチで敗戦した翌日、本人の口からヘビー級への転向の意思が語られる。そのため、ヘビー級の体作りとして、無期限欠場も発表された。

2013年2月23日後楽園ホール大会で、3月17日両国国技館大会で真田聖也を相手に復帰する事が発表。そして当日、ジャンピングサンダーファイヤーボムで勝利し、ヘビー級に転向しての初勝利を飾った[1]

その後のチャンピオン・カーニバルでは初出場ながら潮崎豪を準決勝で下し準優勝。決勝では秋山準に苦杯を喫する。

武藤の新団体へ[編集]

全日本プロレスを退団した武藤敬司を追う形で、2013年6月30日の両国国技館大会を最後に退団。

武藤の新団体「WRESTLE-1」設立記者会見に出席、所属を発表した。

得意技[編集]

ジャンピング・サンダーファイヤーパワーボム
ヘビー級転向後、復帰試合の真田戦で、この技でトドメをさした。ヘビー級でのメインのフィニッシュホールドである。
パワーボム
ライガーボムなどの変形も見せる。
スプラッシュプランチャ
現在のフィニッシャーでいわゆるフロッグスプラッシュ。日本デビュー戦でこの技を初披露し見事フォール勝ちを納めた。
LAT
変型みちのくドライバーIIジュニア・ヘビー級リーグ戦の決勝戦で披露。相手のシルバー・キングを下し、リーグ戦を制覇することになった。名前の由来は、メキシコにある歴史的建造物からとっている、との説がある。
KAIクラッチ
いわゆるオクラホマロール。カズ越えを果たした技でもある。
延髄斬り
対戦相手へのカウンターに、セカンドロープに跳んで使用する場合もある。
BTバスター
相手の背中に両膝を押し当ててから後ろに倒れこみ背中に衝撃を与える変形のバックブリーカー。WWEのカリートの得意技でもある。
ダブルアーム式パイルドライバー
ジュニア・ヘビー級リーグ戦でのエル・サムライ戦にて披露。
ダイビング・フットスタンプ
テレビ解説をしていた武藤に「危険な技」と評された。現在も要所要所で使っている。
ジャンピング・ダブルニーパッド
コーナーへ振った相手への主な攻撃手段。
スワンダイブ式ミサイルキック
真田とのタッグの時は、ピンチを脱する為に頻発する。

獲得タイトル歴[編集]

入場曲[編集]

  • BANG BANG SHOOT / 松本晃彦

人物[編集]

  • 自称プロレスマニア。単に勝ち負けだけの総合格闘技やK-1には全く興味が無いらしく「生涯一プロレスラー」と宣言している。
  • 他団体のレスラーからの評価も高く、DDT社長の高木三四郎は「KAI選手はすごく良い」と絶賛している。
  • アニマル浜口ジム出身だけあってリングを降りると非常に礼儀正しい好青年であると伝えられている。同門にはT28がいるが先輩には新日本プロレスの内藤哲也やDRAGON GATE鷹木信悟がおり、特に鷹木とは仲が良かったという。
  • 元々は黒い髪に黒いコスチュームが彼のトレードマークであったが、F4に所属してから大幅なイメチェンを施している。2008年10月後楽園では、鮮やかなオレンジ色に髪の毛を染毛。染毛したのは有名なカリスマ美容師で、このことは週刊プロレスでカラーの2ページで取り上げられた。
  • T28がメキシコ修行に行った後の全日本道場の寮長を務めている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

同期入門

外部リンク[編集]