後藤洋央紀
| 後藤 洋央紀 | |
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| プロフィール | |
| リングネーム | 後藤 洋央紀 |
| 本名 | 後藤 洋央紀 |
| ニックネーム | 荒武者 春男 野武士 復刻ストロングスタイル |
| 身長 | 182cm[1] |
| 体重 | 103kg |
| 誕生日 | 1979年6月25日(33歳) |
| 出身地 | 三重県桑名市 |
| 所属 | 新日本プロレス |
| スポーツ歴 | レスリング |
| トレーナー | 天山広吉 |
| デビュー | 2003年7月6日 |
後藤 洋央紀(ごとう ひろおき、男性、1979年6月25日 - )は、日本のプロレスラー。新日本プロレス所属。三重県桑名市出身。
目次 |
来歴 [編集]
三重県立桑名工業高等学校時代は柴田勝頼と同級生であり、共にレスリング部を立ち上げた。
国士舘大学へ進学後、レスリングで上位入賞を果たした。大学時代の後輩にプロレスリング・ノアの伊藤旭彦、先輩にプロレス同期入門の山本尚史(現WWE ヨシ・タツ)がいる。大学卒業後新日本プロレスに入団するが、肩の怪我のため一旦新日本を退団した。柴田の家に居候してリハビリに通い、新日本が経営する闘魂ショップ名古屋店併設の道場でトレーニングを重ねた後に2002年11月に新日本プロレスに再入団を果たした。2003年7月6日の岐阜産業会館における田口隆祐戦でデビュー。
同年にはデビュー戦で対戦した田口と組み、邪道、外道とIWGPジュニアタッグ王座決定戦を争うなどタッグで活躍。2004年のヤングライオン杯ではその田口に敗れ涙を飲んだ。
2005年ヤングライオン杯で、前年の雪辱を果たし優勝。
同年4月にC.T.Uに加入すると天然ボケキャラを見出され、先輩の獣神サンダー・ライガー、邪道、外道らを差し置いてリーダーとして(形の上だけ)活動。5月に稔と組んで金本浩二&井上亘組からIWGPジュニアタッグ王座を獲得。エル・サムライ&田口組に敗れるまで3度の防衛を果たした。12月の「夢☆勝ちます」では棚橋弘至の持つIWGP U-30無差別級に挑戦するも敗北。
2006年の4月と5月にそれぞれTNAへ遠征。8月にはメキシコへ無期限海外遠征に出発。
2007年(ヘビー級転向後)- 2010年 [編集]
2007年に髪を伸ばし今の容姿に。同年3月4日にはウルティモ・ドラゴン、TAJIRIらが参戦した闘龍門MEXICO自主興行で行われた8人参加トーナメント「〜YAMAHAカップ NWAインターナショナルJrチャンピオンシップトーナメント〜」でショッカーを破り優勝。22年ぶりに復活したNWAインターナショナルジュニア王座を載冠した[2]。それまで91kgだった体重を同年の6月に103kgまで増量。8月26日「LAST OF C.T.U」興行で凱旋帰国予定だったが、棚橋弘至の欠場を受け日程が前倒しとなり、8月25日の大会で凱旋試合。ヘビー級転向を宣言した。
2007年の10月に両国国技館で付き人を勤めた天山広吉と対戦。大流血の末、必殺の昇天で勝利。この試合で後藤が繰り出した変形バックブリーカー(牛殺し)で天山は頸椎負傷し長期欠場に。11月にはついに棚橋弘至が持つIWGPヘビー級ベルトに初挑戦するが敗北。
2008年1月、4日の東京ドーム大会で7年8か月ぶりに新日本へ降臨したグレート・ムタと初遭遇を果たすが、ムーンサルトプレスであえなく敗北を喫した。3月に行われたNEW JAPAN CUP(NJC)では1回戦から棚橋弘至と対戦するが敗北。
同年8月にG1 CLIMAXに初出場。開幕前に「初出場・初優勝を狙う」と発言し注目を集める。初戦の川田利明戦は敗北するも、その後は白星を重ね見事決勝進出を果たし、17日の決勝戦では真壁刀義と対戦。G・B・Hメンバーの介入やイス攻撃などにより流血を負いながらも最後は昇天・改で勝利。2003年7月にデビューしてからわずか5年のキャリア、そして初出場ながら“夏男”の称号を獲得した。8月31日、IWGPベルトの奪還を目標に後藤が敵地のリングにおもむき全日本プロレスでは史上2度目[3]となるIWGPヘビー級王座戦が行われ、王者武藤敬司に挑戦。しかしムーンサルトプレスで敗退しIWGPベルト新日本への奪還に失敗した。
その後、真壁刀義、矢野通が所持するIWGPタッグ王座に的を絞り、9月5日に中邑真輔とタッグを組み挑戦。ところが、試合終盤同じRISEメンバーだったはずのジャイアント・バーナードとリック・フーラーが乱入しG・B・Hと結託。最後は真壁のキングコングニー・ドロップを受け惨敗。試合後、G・B・H勢とバーナード、フーラーに袋叩きされるもここで救出に駆けつけた棚橋弘至と握手を交わし本隊と共に打倒G・B・Hをアピールする。10月13日にバーナードと一騎打ちを行うがセコンドの介入があり最後はバーナードライバーに沈んだ。
2009年の1月にプロレスリング・ノア対抗戦に出陣。中邑と共に“ノアの象徴”三沢光晴、杉浦貴組と対戦。最後は中邑が杉浦を飛びつき式腕ひしぎ逆十字固めで捕獲しタップを奪った。「文句があるならいつでもやってやる」という中邑の発言に対し、三沢もホームアウェイ問わず団体対抗戦継続の意思を表した。
3月に行われたNJCは。1回戦でカール・アンダーソンを、2回戦は中邑、準決勝で永田裕志に勝利し、決勝戦でジャイアント・バーナードを変型腕固め(昇龍結界)でギブアップ勝ちを収め、昨年のG1優勝に続き春夏連覇を果たした。
5月になると8年振りに“レスリングどんたく”と冠が付けられ、3年ぶりに開催した福岡国際センターでNJC覇者として棚橋弘至とIWGPヘビー級王座を賭けて再び対戦。3度目の正直を誓うもハイフライフローであえなく敗戦。5月5日では岡田かずちかと組み、杉浦貴、青木篤志組とNOHA勢との対抗戦を行う。最後は岡田が杉浦のオリンピック予選スラムで轟沈。その後6月20日に杉浦とのシングルマッチが組まれたが、敗北。さらに8月のG1 CLIMAX 2009公式戦で再び対決するも、最後は雪崩式オリンピック予選スラムで惨敗。この敗戦で予選リーグ敗退となり夏2連覇の夢が潰えた。
それから程なくして真壁刀義と組み矢野通、ZERO1の田中将斗とハードコアルールマッチで対戦。今年のG1覇者と昨年の覇者の強力タッグだったが、矢野と田中が凶器をうまく使いこなし、終始ペースを握った。最後は田中のスライディングDの前に撃沈した。リベンジを誓うべく11月8日、田中とのシングルマッチに挑むも、最後は側頭部へのスライディングDを喰らい敗戦。「もう一回やらしてくれ」と後藤はさらに再戦を要求し、12月ついに田中から昇天3連発でピンフォール勝ちを収めた。
2010年の1月から杉浦貴とGHCヘビー級王座を賭けて対戦するも足首固めで敗退し3連敗を喫した。2月にはハードコアルールで再び田中将斗と対戦。エルボーパッドに鉄パイプを仕込んだスライディングDを喰らい敗北。3月のNJCでは前年度優勝者だったことからシード権を獲得し出場。初戦は高橋裕二郎に勝利、準決勝で田中将斗を撃破し、決勝戦で真壁刀義と対戦。これに勝利し史上初となるNJC2連覇を達成した。
4月4日、IWGPヘビー級王者中邑真輔に挑戦するも敗北。試合終了後のバックステージに田中が現れ再戦を要求される。5月3日、田中と4度目の対戦を敢行するもラリアットの相打ちで両者K.O.という結末で終わる。6月19日に再度、田中とのシングルマッチが行われ、ピンフォール勝ちを収めて抗争に終止符を打つ。
10月11日に両国で中邑に勝利しIWGPへ名乗りを上げるが、当時王者であった小島聡は中邑を逆指名。菅林直樹社長は後藤を次期挑戦者に推するも小島は拒否し続け、結局会社側が小島指名を呑み込み中邑が次期挑戦者に決定。一方で後藤は同じく小島の所持するIWGP王座に挑戦を表明した棚橋弘至との次期挑戦者決定戦に望んだがハイフライフローで敗退。
2011年 - 現在 [編集]
2011年2月20日の仙台大会で、「(後藤がIWGPヘビー級ベルトを逮冠していない事実に対して)あんたは新日の四天王にふさわしくない」と発言し真っ向から後藤を全否定した内藤哲也と対戦。昇天・改でピンフォールを奪い実力を示した。その後3連覇達成を目指しNJCに出場するも、中邑真輔に敗れ初戦で敗退、3連覇実現は失敗に終わる。3月20日に棚橋とのタッグで組まれた試合(対戦相手は小島聡、MVP組)でラリアットが棚橋に誤爆。口論になった末、棚橋に対してヘッドバッドを見舞い試合を放棄。23日よりCMLLに遠征。現地でウルティモ・ゲレーロの所持するCMLL世界ヘビー級王座に挑戦しベストバウト級の試合を見せる。
5月3日のレスリングどんたくに合わせて帰国。黒袴姿に身を纏い、新入場曲に乗りタマ・トンガをパートナーに抜擢し出場。プロレスリング・ノアの杉浦貴、橋誠組と対戦。昇天・改で橋から3カウントを奪う。さらに全試合終了後、IWGPヘビー級王座を所持する棚橋に対してヘッドバッドを見舞い挑戦を表明。
6月18日、棚橋とのIWGPヘビー級選手権試合に挑むが敗北。この試合終了後にジャイアント・バーナードが、棚橋にIWGPヘビー級王座への挑戦を表明。一方で棚橋が「交換条件」としてバーナード、カール・アンダーソンが所持するIWGPタッグ王座に挑戦表明。すると、バーナードと共にリングに現れていたアンダーソンが「フー・イズ・パートナー?(お前のパートナーは誰だ?)」と言及。すると棚橋は会場の「後藤」コールに乗っかる形でパートナーを後藤に指名。互いの遺恨を清算し、棚橋とタッグチームを結成した。 7月3日、公約通りに棚橋と共にBAD INTENTIONSのIWGPタッグに挑戦するも後藤がアンダーソンのガン・スタンで沈み敗北。
11月12日に田中将斗が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦するもスライディングDで敗れた。試合終了後にNOAHの杉浦に対して「アイツに借りを返す」というコメントを残し1年越しのリベンジを誓う。
2012年1月4日、レッスルキングダムVIにおいて杉浦貴と一騎打ちを敢行。昇天・改でピンフォール勝ちを収め、ついに杉浦から初勝利をもぎ取った。2月12日に田中の所持するインターコンチネンタル王座に再度挑戦。勝利を収め、ヘビー級に転向してから初の王座奪取となり第3代IWGPインターコンチネンタル王者に戴冠した。
4月、NJCの1回戦で高橋裕二郎を、2回戦でラ・ソンブラを撃破。8日の準決勝戦で真壁刀義を破り、迎えた棚橋弘至との優勝決定戦。昇天・改で初のピンフォール勝ちを収め、3度目の優勝を遂げた。5月3日福岡大会、NJC優勝で得たIWGP王座挑戦権を行使し、IWGP王者のオカダ・カズチカと対戦するも、敗戦。
7月22日山形大会で中邑真輔に敗れ、インターコンチネンタル王座から陥落。しかし、8月のG1で中邑と再戦し、この試合に勝利。10月8日両国大会で同王座を賭けたリターンマッチを敢行するも、ボマイェで敗北を喫した。
11月20日より開催されたWORLD TAG LEAGUEではカール・アンダーソンとのタッグ「SWORD&GUNS」で出場。4勝2敗で決勝トーナメントを通過し、12月2日愛知大会の準決勝で天コジ(天山広吉、小島聡組)を下し、決勝でK.E.S.(ランス・アーチャー、デイビーボーイ・スミスJr.組)と対決。アンダーソンがスミスからピンフォール勝ちを収めて、優勝。翌2013年1月4日、レッスルキングダムでK.E.S.の保持するIWGPタッグ王座に挑戦するも、キラーボムでピンフォール負けを喫した。
2012年9月、柴田勝頼がフリー参戦で新日本にUターン参戦して来た直後から「柴田のことは当然意識している」と答え柴田との対戦を希望していた。2013年2月以降に幾度かタッグでの対戦機会があり、その度互いに人差し指を1本突き立てシングル戦での対戦を希望。5月3日、福岡大会てに待望の一騎打ちとなったが、両者KOで決着がつかなかった。
人物 [編集]
- 前述の柴田勝頼に加え中邑真輔とも同い年で、大学のレスリング部時代から面識があった。新日本プロレスの入団テストを受けた後藤に、中邑が「新日本ってどうやったら入れるの?」と尋ねたこともある(お互い新日本プロレスには同期で入門しているが、入団テストを受けたのは後藤のほうが少し早かった)。
- 2009年春に養神館合気道本部道場に入門し、以来暇を見つけては稽古に励んでいる[4]。
- 「週刊プロレス」で邪道が執筆する「CTU珍遊日記」では笑いを提供するキャラとして毎回登場し、「アホの後藤」呼ばわりされている。
- 趣味は『pop'n music』をすることと「週刊プロレス」で発言している(海外遠征前)。
- 2009年10月15日に結婚・入籍していたことが、翌2010年1月の契約更改の際に明らかになった。2010年中に結婚式を挙げたいとの意向を示している[5]。
- 2011年11月22日放送の「ライオンのごきげんよう」を、テレビ局にハガキを出して一般客として観覧。ゲスト出演していたプロレスファンの博多大吉が、「観覧席に後藤選手がいる」と指摘したことで、後藤もテレビに写った。
得意技 [編集]
- 昇天・改
- フィニッシュ・ホールド。ブレーンバスターの要領で垂直に担ぎ上げ、振り子のように前に落としつつ、自らは尻餅をついて倒れこみながら胸板にエルボー・ドロップを突き刺す。2006年のメキシコ遠征中に開発した昇天の改良版で、こちらは日本に凱旋帰国した際に初披露となった。正調である昇天は、マット・モーガンが使用するマウント・モーガン・ドロップと同型で、振り子のように前に落下させた相手をロック・ボトムの様にマットに叩き付ける。
- 凱旋帰国当時のフィニッシャーとして用いられたが、いつしか使用頻度が減少し、改良版が主流と化した。
- 裏昇天
- 右腕で相手の右足内側を左腕で相手の首付近に巻き付けるようにそれぞれ掴みお姫様だっこのように持ち上げ、相手を半時計周りで旋回させるように勢いを付けつつ振り子の要領でホイップし自身の左腕側でフェース・クラッシャーの形でマットに叩きつける。以前から常々「既に開発済」と本人が述べていたり、試合でも何度かトライしていたものの(現行型と違いリバースブレーンバスターの要領で持ち上げようとしていた)防御され未遂に終わっていたが、2011年6月7日のタッグマッチで初披露となった。この技を食らった棚橋弘至は「初物」技の受けを上手く行えず、失神している。
- 昇龍結界
- うつ伏せの相手の片腕を自分の足を利用してハンマーロックに極め、もう片方の相手の腕に腕固めを決める。因みに元全日本プロレスの土方隆司が、シルバー・キングから世界ジュニアヘビーのベルトを取った時の変形型腕固め、元同団体の小島聡が使用するコジMAXホールドとは若干異なるが、方、きき部位は略同じである。後藤の数少ない関節技でフィニッシュ・ホールドまで昇華されつつあったが、現在は繋ぎ技として時折使用している。
- 牛殺し
- ファイヤーマンズキャリーで持ち上げた(もしくはフィッシャーマンの体制で相手を持ち上げた後、移行した)相手の頸椎のあたりが自分の片膝に当たるようにファイヤーマンズキャリーの要領で前方、もしくは側方に投げ落とす変型のネックブリーカー。凱旋帰国後から使用し、この技で天山を欠場に追いやったことから天山のニックネームの牛が付いた。原型は欧州に古くからある技でこちらは単にネックブリーカーとも呼ばれる。この技に行くと見せかけてストマックブロックに移行する戦法も時折使用する。大一番の際には雪崩式も敢行する。
- 地獄車
- リストクラッチ式アングル・スラム。ヘビー級に転向を機に封印していたが、近年ではフィニッシュ前の布石として時折使用。過去にゴー・トゥー・ヘブンという名称としても使用されていた。
- ラリアット
- 主にカウンター式で使うが後藤の場合、ロープへ走った相手の背後を追走してから放つ。また、スライディング式も使う。
- 特攻(ブッコミ)ラリアット
- ショートレンジ式ラリアット。フィニッシュムーブとして使うこともある。一時期は昇龍拳という名前で使用していたこともあった。
- 村正
- フライングニールキック。走り込んできた相手へのカウンター時や、対角線コーナーや場外のフェンスにもたれかかる相手に走り込んで放ったり、選手(タッグ戦等、パートナーを踏み台にする場合も)やレフェリーを踏み台にしながら放つなどバリエーションも多彩。ちなみにプロレスリング・ノア所属の丸藤正道も同名の技を使用するが、技は全く異なるものである。
- PK
- 盟友・柴田勝頼の得意技。尻餅をついた相手に放つランニング・ローキック。
- ノーモーション・ヘッドバット
- 相手に試合の主導権を握られている時や打撃合戦の際、不意に相手の顎または喉元へと突き刺す。
- ゴトウスペシャルシリーズ
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- I
- 相手の上半身をチキンウィングフェイスロックに捕らえ、体を反転させ胴体を両足で締め上げる。
- II
- うつ伏せになった相手の両足を交差させるように固めながら体を仰向けに反転させる変形足4の字固め。
- III
- 上記の通りに足を交差させ、自らはマットに背中を付き相手の両足を吊り上げた状態からダメージを蓄積させる。
- 後藤式
- 足極めエビ固め。ゴトウスペシャルIIの要領で体を仰向けにし、相手の頭部に周りこみながら足を上から押さえつけるフォール技。
- 回天
- アマチュアレスリングの「がぶり」の体制から相手の背中に乗り、反動をつけてから前転し相手の股間をすり抜けてエビ固めの要領で丸め込むラナ。ルチャリブレのスペル・ラナという技と同型。スペル・シーサーの考案によるもので、シーサー自身はヨシタニックとして使用している。
- 雪崩式回天
- ヘビー級転身後から使い始めた技。主に大一番で使用してる。こちらはスペル・ラナの形よりも純粋な前方回転エビ固めの形を雪崩式で仕掛けている印象が強い。
- 雪崩式ネック・ブリーカードロップ
- リングに背を向けるような体勢にしてコーナー最上段に乗せた後、相手の首を捕らえ自らの右肩に叩きつける。
- 野武士固め
- 尻餅状態の相手にコブラツイストとヘッドロックの複合技の様なストレッチ。
- ビクトル式腕ひしぎ十字固め
- 相手の後方から肩の上に飛び乗って腕を取り、そのまま前方回転して相手を寝かせ、腕ひしぎ十字固めを決める。地獄車開発以前のフィニッシュ・ホールド。
タイトル歴 [編集]
- 新日本プロレス
- IWGPジュニアタッグ王座(第15代, w / 稔)
- ヤングライオン杯 優勝(2005年)
- G1 CLIMAX 優勝(2008年)
- NEW JAPAN CUP 優勝 : 3回(2009年、2010年、2012年)、準優勝 : 1回(2013年)
- J SPORTS CROWN 6人タッグトーナメント 優勝(2010年,2011年, w / 田口隆祐&プリンス・デヴィット)
- IWGPインターコンチネンタル王座(第3代)
- WORLD TAG LEAGUE 優勝(2012年, w / カール・アンダーソン)
- NWA
- NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座
入場テーマ曲 [編集]
- 「覇道」 作曲:石川一宏(KAZSIN)
- 2011年のCMLL遠征中に「全てをリセットする」という意味合いを込めて入場テーマ曲を変更。2011年5月 - 現在まで使用。
- Rock Me Wild
- 凱旋帰国時のテーマ曲。2007年8月 - 2011年3月まで使用。
- 「秀吉」テーマ音楽
- Where Are We Runnin' ? / Lenny Kravitz
- ヤングライオン時代は1972年 - 1979年の新日本プロレスのオフィシャルテーマ曲であった。
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
- 新日本プロレス 公式プロフィール
- 後藤洋央紀 (510njpw) - Twitter
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