小林邦昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小林 邦昭
プロフィール
リングネーム 小林 邦昭
キッド・コビー
本名 小林邦昭
ニックネーム 虎ハンター
飛燕戦士
身長 183cm
体重 105kg
誕生日 1956年1月11日(53歳)
出身地 長野県小諸市
スポーツ歴 砲丸投
トレーナー 山本小鉄
マサ斎藤
デビュー 1973年2月1日
引退 2000年4月21日
  

小林 邦昭(こばやし くにあき、1956年1月11日 - )は、日本の元プロレスラー長野県小諸市出身。身長183cm、体重105kg。関係者の間では「サンペイちゃん」の愛称で親しまれる。

目次

[編集] 来歴

長野県丸子実業高等学校を中退して1972年新日本プロレスに入門。1973年栗栖正伸戦でプロデビュー。

1980年メキシコに遠征。1982年アメリカに渡り、「キッド・コビー」のリングネームで活躍した。

1982年10月に帰国。パンタロンマーシャルアーツスタイル(試合内容にマーシャルアーツスタイルを求められない時には、左半分が白、右半分が黒というユニークなショートタイツだった)で戦う姿は当時の日本のプロレス界では珍しかった。

また、初代タイガーマスクと抗争劇を展開し「虎ハンター」と呼ばれた。タイガーマスクのマスクを剥ぎにかかるファイトスタイルは、タイガーマスクの日本人ライバルとしてアンチ・ヒーローを求めるプロレスファンに支持された。

実際にはタイガー=佐山とは仲がとても良く、タイガーマスク誕生の当日も何も知らない二人は仲良く連れ添って帰ってきたが、事務所職員が慌しく走ってきて「今日から佐山はタイガーマスクとなるから」等々アングルを説明され、慌てて二人は分かれて道場へ戻ったという。佐山がのちにインタビューで答えたところによると、「タイガーがスターになり、小林さんがそれに嫉妬してプロレスファンを驚愕させるようなことをした」とのこと。ただ、小林は「タイガーマスクがなければ今の自分はなかった」と感謝の念を再三表明している。

その後は新日本プロレスの中でも反体制の維新軍団として(長州力マサ斎藤キラー・カーンアニマル浜口谷津嘉章寺西勇)らと行動を共にし、中でも寺西とはジュニアヘビー同士という事で多くタッグを組む。

1984年9月に維新軍団のメンバーらと新日本を離脱し「ジャパンプロレス」に参加し、全日本プロレスに参戦した。全日参戦中も二代目タイガーマスクを相手に虎ハンターとして活躍した。1985年NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得。1986年には世界ジュニアヘビー級王座を獲得。

その後新日マットに出戻り、1987年8月にIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。1989年4月24日の新日本プロレス東京ドーム大会では獣神ライガーのデビュー戦の対戦相手を務めた。ヘビー級へ転向すると、新日選手会と対立し越中詩郎らと「反選手会同盟(後の平成維震軍)」を結成。昭和時代の維新軍団と平成維震軍の2つの維新軍団に所属したのは小林のみである。

負けたら坊主という「カベジェラ・コントラ・カベジェラ」を新日の正規軍の野上彰(現:AKIRA)と行ない敗戦、坊主頭になる。しかし勝者の野上はその対戦にいたく感銘を受けたという事で後日自分も坊主になり平成維新軍入りする。

1999年に平成維震軍は解散、小林は2000年4月21日に行われた獣神サンダー・ライガー戦を最後に現役を引退した。現役末期、胃がんに見舞われて3度の手術を経験し、後年、この癌が引退の原因であった事を自ら明かしている[1]。前田日明が佐山聡との対談内で語ったところによれば、今も抗ガン剤治療を続けているとのことである。腹部は70センチにも及ぶ大きな手術痕があり、ライガーとの引退試合においても、手術痕を隠すため、上半身はタンクトップを着用しての試合であった。試合後の引退セレモニーには佐山が花束を持って駆けつけ、三沢も祝電を寄せた。

引退以降は主に裏方を担い、現在は新日本プロレスでスカウト部長、新日本道場の管理人として勤務している。2006年7月27日後楽園ホールで行われたWAR最終興行では、平成維震軍の旗持ち(セコンド)として久々に表舞台に顔を出した。維震軍の胴着を着用し、旗で相手選手を攻撃したりと、元気な姿を見せている。

また、2007年9月21日には、リアルジャパンプロレスの後楽園大会で、佐山聡を相手に1試合限定の復帰戦を行った。

[編集] エピソード

若手時代、新大阪東京を移動中の新幹線で、山本小鉄の「俺が奢るから、何でも好きなだけ食え」との言葉に、「本当に何でも食っていいんですね?」と答えて、ビュッフエにあるメニュー全種類を食べたという大食いエピソードを持つ。新日本に入ったのも、あまりの大食いにあきれた母親から「そんなに食べたいならプロレスラーにでもなれ!」と言われたことがきっかけであると言う。

虎ハンターとしてのアンチ・ヒーローゆえに、タイガーマスクファンから多くのカミソリ入りの手紙や脅迫状が届いて困惑していたが、現役時代はずっと佐山に黙っていた(現役引退後、佐山に告白した)。

革命軍・維新軍以前から長州力との仲の良さは有名であり、「力ちゃんが結婚するまで俺も結婚しない」と約束したエピソードが何度もプロレス雑誌で紹介されている。

優しい人柄ではあるが試合前の控え室では厳格であり、新日に留学生としてきていたチャールズ・スキャッグス(スコーピオ)が音楽に興じて踊っているのをたしなめたり、青柳政司の世話に来ていた誠心会館の門下生の非礼な態度に制裁を加えた事がある(この行為が齋藤彰俊及び誠心会館との抗争→反選手会同盟への結成へと繋がっていく)。

後輩に対しての面倒見も良く、飲み屋に行っても自ら運転手を買って出て自分は酒を飲まず、後輩に好きなだけ飲ませ後の介抱もしてやったと言う。

引退しても数年後に復帰するプロレスラーが多いことに憤りを感じており、自らの引退の際にプロレス記者から「復帰はいつ頃ですか?」と言われ、温厚な小林が本当に怒ったエピソードが週刊プロレスに掲載された。

前出の“一試合だけの復帰”の理由は、小林と闘う事で「佐山選手の中の『野生の虎』を復活させる為」であり現役完全復帰と言う事ではない。

[編集] タイトル履歴

[編集] 得意技

フィッシャーマンズ・スープレックス
「網打ち式原爆固め」とも言い小林の代名詞とも言える技。現在アパッチプロレス軍葛西純ZERO-ONE時代に「小林邦昭」と叫びながらこの技をかけていた。この技は、メキシコ修業時代にメキシコレスラーが使っていた技を取り入れたと語っている。二代目・三沢タイガーとの対戦用にフィッシャーマンズ・スープレックス'84と言う技を開発しているがあまり使われなかった。
スライディング・キック
ハル薗田が元祖の技で、全日参戦時の抗争でよく食らった事もあり、新日復帰後もタッグマッチでよく使用していた。

[編集] 入場テーマ曲

  • THE ROOM(BRAINWASH) PART ONE / リック・ウェイクマンのアルバム「1984」の4曲目。小林が使い始めて数ヵ月後、凱旋帰国した前田明の入場テーマとしても使用された。
他の言語