葛西純

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葛西純
Jun Kasai on September 9, 2007.jpg
プロフィール
リングネーム 葛西純
本名 同じ
ニックネーム 狂猿
クレイジーモンキー
キチ○イ
スクール・オブ・デス校長
身長 173cm
体重 90kg
誕生日 1974年9月9日(40歳)[1]
出身地 北海道帯広市[1]
所属 FREEDOMS
デビュー 1998年8月23日[1]
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葛西 純(かさい じゅん、1974年9月9日 - )は、日本を主な活動の地とするプロレスラーヒラデルヒア[2]出身。プロレスリングFREEDOMS所属。大日本プロレスを主戦場としている。通称『狂猿』・『クレイジーモンキー』。

その姿[編集]

6m以上の高さがある会場のバルコニーから躊躇無くボディプレスを敢行したり、割った蛍光灯などで自身の体を切り裂くなど、その過激なパフォーマンスは他者の追随を許さず、カルト的な人気を誇る日本プロレス界切ってのハードコアレスラーとしてその名が知られている。『プロレス界一傷だらけの背中を持つ男』と表現した者もある。[3]

出身地を『ヒラデルヒア』―すなわちフィラデルフィア[2]としているが、実際は北海道帯広市出身。白のカラーコンタクトに目の周りを黒で縁取った出で立ちで試合をすることが多く、大一番では白を基調とした衣装を着用する。髪型はRIP SLYMEのPESが昔していた髪型を参考、右目のメイクは映画「時計じかけのオレンジ」のアレックス、左目のカラコンとメイクは吸血鬼やゾンビをイメージしている。唇と唇下の線は、ただ何となく入れているとのこと。

過激なデスマッチを頻繁に行い、試合後血だらけの状態のままサイン会に応じるなどの一方で、「俺っち」の一人称を使用する少々舌足らずだがカリスマ性溢れるマイクアピールや、自身を長らく悩ませ続けた痔の手術を受け、肛門改善の記念に「ぢ」グッズを発売するなど、どこかコミカルで個性的な面もある。

息子を大日本のイベントに連れて来ることがあるなど、子煩悩な一面も見せる。ブログではハッピーボーイと呼んでいる。似顔絵やイラストはプロ級の腕前で週刊ゴングでは連載も持っていた。週刊プロレスでもTAJIRIのコラムでイラストを担当しているが、その際の名前は「サル・ザ・マン」である。大日本のグッズの手ぬぐいやグラスでも選手らの似顔絵を手掛けている。「サル・ザ・マン」とは、葛西がプロレスラーになる前の素人時代に格闘技通信にイラストを投稿していた際のペンネームであった。

ランシドヴォーカル、ラーズ・フレデリクセンは葛西の大ファンである。もともとプロレスファンで日米問わず関係者との交友関係が深かったが葛西の試合を観てファンになり、バンド活動以外で個人的に試合観戦のため来日している。2010年6月にはコラボイベントも開催、Tシャツも製作した。

経歴[編集]

プロレス入り以前[編集]

帯広市の高校を卒業後上京し、都内で警備会社に就職。当時からプロレスラー志望ではあったものの、173cmという身長(プロレスラーとしては小柄)から「自分がプロレスラーになれるわけがない」と思い、警備会社で働き続けていた。

1995年にとあるきっかけで体調を崩した際にたまたまHIVAIDS)のチェックリストを目にしたところ、自分がほとんどの項目に当てはまることに気づき、元々風俗通いの習慣もあったことから慌ててHIV検査を受けに行くことになる。検査結果は陰性だったが、検査結果が出るまでの間いろいろ考えた結果「もし命があったら自分のやりたいことをやろう」と決意し、本格的にプロレスラーとしてのデビューに向けたトレーニングを始めた[4]

渡米[編集]

1998年に大日本プロレスに入団。同年8月23日の鶴見緑地花博公園広場大会でプロデビュー。[5]

2000年を前後に大日本プロレスとコンバット・ゾーン・レスリング(CZW)との抗争が勃興すると、これに際してCZW軍側に付き、『CZWジャパン』という連合を結成。そして渡米したうえでワイフビーター宅に下宿しつつCZWのマットを舞台に活躍し始めた。

2001年のデラウェア州に催されたCZWのある興行の場では、蛍光灯を乗せた板に打ち付けられることによって左肘を豪快に切り開き、そこから骨が露出するという事態を見せもした。ちなみにその試合は観客持参の凶器を用いたタッグマッチで、対戦相手となったのはジャスティス・ペインジョニー・カジミア、組んだ相手はのちに伝説となるニック・モンドであった。[6]

ジュニアヘビー級王座タッグ王座を獲得したこの団体にあっては、ジョン・ザンディグニック・モンドワイフビーター、Zバール、トレント・アシッドという、5名のレスラーらとともに『ビッグ・ディールズ』(Big Dealz)という連合を組んでもいた。[7]

日本への帰還と大日退団[編集]

2001年にBADBOY非道等とヒールユニット「赤まむし」を結成し、大日本プロレスのマットを恐怖に陥れたが、2002年に大日本プロレスを退団し、フリーランスを経て、2003年にZERO-ONEに移籍。猿キャラで一般のプロレスファンからの知名度を得るが、バナナをプレゼントされ過ぎてバナナ恐怖症になったり、バナナをくわえたままドン荒川に首輪で繋がれて入場するなどコミックレスラーとしての面ばかりが強調され、試合内容もそのようなものが多かった。

全日本プロレスにも参戦したが、前座のタッグマッチ要員に甘んじ目立った活躍は無く、さらに橋本真也付き人を務めたが諸々の事由によりその過去を現在では封印するなど、葛西にとっては不遇の時代であった。この時期には橋本が出演した映画『あゝ!一軒家プロレス』に他レスラーと共に出演している。

2004年にハッスルが発足すると、さっそくその旗揚げ大会に参戦し、MIKAMIキング・アダモロウ・キーとともにリングに登場。[8] のちには高田延彦率いる高田モンスター軍の一員としての活動を見せた。[9]

アパッチ所属として大日へ帰還[編集]

2005年、伊東竜二からの呼び掛けに応える形で、伊東からBJW認定デスマッチヘビー級王座を取るため、アパッチプロレス軍を通じて大日本プロレスに復帰。当初はフリーであったが、後にアパッチ所属となった。同年6月8日の大日本プロレスの大会でそれまで危険すぎるという理由で実現に至らなかったカミソリ十字架ボードデスマッチを、"黒天使"沼澤邪鬼戦で敢行。沼澤のパワーボムでボード上に叩きつけられ設置されたカミソリの形状そのままに背中から大出血を起こす事態を見せた[10]。試合後、沼澤に呼び掛ける形でキチ○イタッグ「045邪猿気違's(ゼロヨンゴ ジャンキーズ)」を結成。伊東竜二デスマッチヘビー級王座挑戦を表明していたが、10月下旬、内臓疾患のため、休養を余儀なくされ、伊東への挑戦は泡と消えた。

手術を受け長期の活動停止状態にあったが、2006年3月19日のアパッチ主催興行の有刺鉄線ボード6人タッグ戦で復帰。4月14日に行った佐々木貴とのデスマッチ対決に続き、045邪猿気違'sの一員として参加した4月22日の大会から大日本プロレスにも復帰。

9月、アパッチにて、大日本プロレスOBの本間朋晃とのタッグで、佐々木貴BADBOY非道の持つWEWタッグ王座に挑戦して見事勝利した。しかし、目標としていた伊東竜二のデスマッチヘビー級王座挑戦は、伊東の負傷によるタイトル返上で2度も幻となった。

その傍ら大日本プロレスにてデスマッチスクール「スクール・オブ・デス(狂気学校)」を開校し、その校長に就任。沼澤を教頭に、MEN'Sテイオー理事長に指名し、第4世代デスマッチファイターの育成にも力を注ぐ。

12月25日のアパッチ新木場1stRINGでは、自らがプロデュースする1dayデスマッチトーナメントを開催。主催者の葛西は決勝戦でジ・ウインガーに敗れたものの、金村キンタロー黒田哲広などのトップどころのいない中で超満員の観客を動員し、見事成功を収め、「今度は屋外でやりたい」と、第2回の実施を予告した。

この年には米国のIWAイーストコーストへの参戦を果たしたうえで、トビー・クラインマッドマン・ポンドコーク・ヘインコーポラル・ロビンソンドレイク・ヤンガーJCベイリー2・タフ・トニーという、自身を含めて総数8名のレスラーらが参加したマスターズ・オブ・ペインというデスマッチ選手権の初大会に参加。有刺鉄線ザリガニ蛍光灯を用いたデスマッチでトビー・クラインとマッドマン・ポンドを破って勝ち進み、ついには決勝戦でJCベイリーを下してその初代覇者の座へと君臨した。[11]

2007年6月24日のアパッチの大会では、空位となっていたWEWタッグ王座を賭けて、045邪猿気違'sとしてトーナメントに出場し、邪猿気違'sとして初のタイトルを獲得した。

2007年11月26日の大会で左膝半月板を損傷、これの手術を行った。これによって長期の欠場を余儀なくされたものの、2008年5月―佐々木貴の自主興行にてメイン終了後に乱入。6月のアパッチ興行活動再開に合わせて復帰すると発表。5月25日の大日本プロレス大会メイン終了後にも沼澤に呼ばれて登場し、045邪猿気違's活動再開と、デスマッチヘビー級王座のタイトル戦線へ本格的に参入することを明らかにした。

いつしか自身に馴染みの一品となった『カミソリ十字架ボード』

FREEDOMS立ち上げ[編集]

アパッチプロレス軍が2009年に解散すると、佐々木貴と組んで新たな団体『FREEDOMS』を設立。そして、かねてよりの念願であった伊東竜二とのシングル戦―『カミソリ十字架ボード+αデスマッチ』を11月20日の大日本プロレス後楽園ホール大会にて敢行。超満員の観客を動員し、29分45秒という時間切れギリギリで勝利。試合後、年内の引退を考えていたが取り止める旨のマイクアピールを行い、現役続行の意思を表明した。この試合が2009年プロレス大賞ベストバウトを受賞。デスマッチとしては19年振りの受賞であった。

2010年になると、空位となっていたBJW認定タッグ王座の新王者決定選手権に045邪猿気違'sで出場し、4月28日の大会で関本大介佐々木義人を相手とした決勝戦に勝利。これは自身初の大日本プロレスの王座の獲得であった。

5月3日のアイスリボン後楽園大会では、自身を憧れの人物に指名する松本都と組んだうえでインターナショナル・リボンタッグ王座を獲得し、これにて2冠を達成。

翌5月4日の大日本プロレス設立15周年記念大会(横浜文体)にあっては、2000年代の黎明の頃に激戦を繰り広げたニック・ゲージとおおよそ10年ぶりの再会を果たし、かつて結成していた『CZWジャパン』を復活させたうえで、馴染みのカミソリ十字架ボードを用いたデスマッチを披露した。[12]

2012年はFREEDOMSでユニット「UNCHAIN」(アンチェイン)を結成。しかし膝の怪我で再び欠場するが、8月に復帰戦となる自身プロデュースの~PAIN IN LIMIT 2012~で悲願の初優勝を果たす。11月9日のWrestling New Classic「まこかなプロ」では女子レスラー「葛西純子」として松本都とのタッグで参戦している。

大日本プロレスでは同年4月に045邪猿気違'sでのアジアタッグ選手権挑戦を表明したが欠場で流れ、10月に復帰のアピールで沼澤邪鬼に対し決裂を突きつけ抗争が勃発したが、2013年3月の後楽園でシングル戦による直接対決で沼澤を下した際に045邪猿気違'sの復活を宣言。5月には竹田誠志塚本拓海をメンバーに迎え、045邪猿気違'sを発展させたユニット「B FAULTLESS JUNKY'S」(ビーフォールトレス・ジャンキーズ)を結成した。

一方、2013年5月より大仁田厚と大仁田率いる邪道軍との抗争を勃発させたが、6月の新木場大会で邪道軍側についた元FMWのマンモス佐々木に自らがピンフォールを取られる。しかし抗争において邪道軍任せで自ら前に出てこない大仁田の態度に不満を爆発させ、それに同調した佐々木貴と急遽タックを組み、9月に大仁田・マンモス組と対戦するとマンモスを下した直後に葛西が大仁田に蛍光灯を浴びせ「大仁田とはもう終わりだ!」と言い放った。

2014年6月にはCZWのトーナメント・オブ・デスに初出場し、8人トーナメントの決勝でMASADAを下し日本人選手として初優勝している。

戴冠歴[編集]

コンバット・ゾーン・レスリング
WEW
アパッチプロレス軍
大日本プロレス
プロレスリングFREEDOMS
アイスリボン

得意技[編集]

パールハーバー・スプラッシュ(略称:PHS)
いわゆるダイビング・ボディ・プレスだがムーブに特徴のあるフィニッシュ・ホールド。コーナートップで「シャキーン!」もしくは「シュワッチ!」と声を上げゴーグルを装着。敬礼ポーズと共に「シェー!」と声を上げてからダイブする。その際観客も一緒に「シェー!」と声を上げるのが慣例化している。
そのゴーグルは真珠湾攻撃によって亡くなった祖父の形見である(初期設定)。
リバースタイガー・ドライバー
山川竜司の必殺技を受け継いだもの。2006年の大会「蛍光闘恐タワー&蛍光灯200本デスマッチ」から本格的に使い始めた。山川の場合はフィニッシュ・ホールドとして使っていたが、葛西はつなぎの技としての使用が中心。タッグで相手パートナーを寝かせて、その上の急所目掛けて使うこともある。現在では垂直落下式をフィニッシュムーブとしても使う。
腕サソリ固め
相手の足にではなく腕に決めるサソリ固め。
サドンインパクト
ジャーマン・スープレックス・ホールド
ダイビング・ヘッドバット
ハーリー・レイス!!と叫びながら垂直落下式で仕掛けたこともある。
デスバレーボム
スナップ・スープレックス
ダイナマイト・キッド!!と叫びながら仕掛けたり、技名をもじってキチ○イ・スープレックス!!と叫びながら仕掛けることもある。テレビ放送時にはピー音が被せられていた。
マーダーライドボム
急所攻撃
顔面ドロップキック
前かがみになっている相手の顔面に「ウキッ!!」と猿の鳴きマネのような声を上げながら、正面飛び式のドロップキックを放つ。
手鼻
指で片方の鼻の穴を押さえ鼻水を飛ばす屈辱技。主にパールハーバー・スプラッシュを仕掛ける前に行う。
モンキーウォーク
厳密に言うと技では無いが背中に凶器攻撃を受けた際などに背を反らして痛みに耐えながら歩いて行くムーブ。猿は葛西の代名詞的なギミックでもあり、単純に葛西=猿が歩くからでは無く、歩く姿が実際の猿の歩行に似ていることからもこう呼ばれる。リック・フレアーフレアー・ウォーク(ネイチ・ウォーク)に通ずるものがある。

入場曲[編集]

メディア出演[編集]

映画
PV

出典[編集]

外部リンク[編集]