ダイナマイト・キッド

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ダイナマイト・キッド
ダイナマイト・キッドの画像
プロフィール
リングネーム ダイナマイト・キッド
本名 トム・ビリントン
ニックネーム 爆弾小僧
爆弾貴公子
剃刀戦士
ブリティッシュ・ブルドッグ
身長 173cm - 178cm
体重 98kg - 105kg
誕生日 1958年12月5日(55歳)
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドランカシャー
トレーナー テッド・ベトレー
デビュー 1975年
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ザ・ダイナマイト・キッドThe Dynamite Kid1958年12月5日 - )は、イギリス出身の元プロレスラー。本名トム・ビリントンTom Billington)。日本ではリングネームをそのまま直訳し「爆弾小僧」などの異名を持った。

英国マットを経てカナダカルガリーで頭角を現し、1980年代後半はWWFでも活躍。日本マットにおいてはタイガーマスクと抗争を展開し、「肉体の表面張力の限界」とまで言われた鍛え抜かれた筋肉を備え人気を博した。

過剰なまでの受身で対戦相手の攻撃を引き出す一方で、スピーディかつ直線的、自らの危険すら顧みない妥協なき攻撃スタイルから「剃刀戦士カミソリファイター)」とも形容された。このスタイルは後世のレスラーらにも多大な影響を与え、彼を目標に掲げるレスラーは今なお多い[1]

来歴[編集]

元プロレスラーのテッド・ベトレーに師事し、彼の紹介でビリー・ライレー・ジムにも出稽古に行くなどしてシュート・レスリングを学び[2]1975年に17歳でデビュー。ビッグ・ダディらクラブトリー3兄弟の主宰するジョイント・プロモーションズを活動拠点に、1977年ローラーボール・マーク・ロコと抗争[3]1978年1月25日にはジム・ブリークスからブリティッシュ・ウェルター級王座を奪取した[4]。同年4月にカナダカルガリーへ渡り、スチュ・ハートスタンピード・レスリングに定着、7月に英連邦ミッドヘビー級王座の初代王者に認定されている[5]。以降ブレット・ハートと同王座を争い[5]、元NWA世界ジュニアヘビー級王者ネルソン・ロイヤルとも対戦した[6]

1979年7月、「英連邦ジュニアヘビー級王者」として国際プロレスに初来日し、7月19日の北海道木古内町大会にて寺西勇を破り来日初戦を飾る。7月20日には秋田県大館市阿修羅・原が保持するWWU世界ジュニアヘビー級王座に挑戦し、翌7月21日には新潟県村上市で原と国際プロレス初のラウンド制のダブル・タイトルマッチを行い引き分ける[7](この3試合は東京12チャンネル国際プロレスアワー』で録画中継された[8])。1980年1月からは新日本プロレスに移籍、ジュニアヘビー級戦線にて藤波辰巳初代タイガーマスクのライバルとなって活躍した。1984年1月に新日本マットで開催されたWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦では、従兄弟デイビーボーイ・スミスザ・コブラの3者が同点で並び、三つ巴決定戦を制してチャンピオンに輝いている。

この間、北米ではカルガリーを主戦場にしつつアメリカ合衆国本土にも進出。1982年8月30日には新日本のブッキングで ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンに初登場し、初代タイガーマスクと対戦している[9]1983年オレゴン州ポートランドを本拠地とする太平洋岸北西部のPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)で活動、9月7日にカート・ヘニングを破りNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得し[10]、11月12日にはジ・アサシン(デビッド・シェラ)と組んでヘニング&バディ・ローズから同タッグ王座を奪取した[11]。本拠地のスタンピード・レスリングでは、1984年3月9日にキラー・カーンを破りフラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を獲得している[12]

1984年11月、全日本プロレスへデイビーボーイ・スミスと共に移籍。新日本のMSGタッグリーグ戦に出場が予定されていたキッド&スミスが全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦するという衝撃的な移籍劇だった。キッド&スミスは、この移籍は当時新日本が提携していたWWFのカルガリー侵攻に対する反発であり、全日本サイドもアメリカでのNWA対WWFのレスリング・ウォーが原因であるとして、引き抜きではないことを主張していた[13]。この事態を受け、MSGタッグリーグ戦の立会人として来日していたWWFの総帥ビンス・マクマホン・ジュニアは、新日本の坂口征二副社長の橋渡しでジャイアント馬場とトップ会談。選手引き抜き問題に関して話し合ったとされるが、翌1985年もキッド&スミスは日本では全日本プロレス、アメリカではWWFを主戦場に活動しており、実際は単なる表敬訪問に終わっている[13]。なお、キッドはこの時期にスミスと共にウエイトアップを図りヘビー級へ転向した。当時の公称として108kgまでビルドアップしたとされている。

1985年よりWWFに本格参戦し、スミスとのタッグチーム "ブリティッシュ・ブルドッグス" で活躍。1986年4月7日にはレッスルマニア2ロサンゼルス大会に出場し、ドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)からWWF世界タッグ王座を奪取した[14]。シングルでは、 1985年11月7日のPPV "ザ・レスリング・クラシック" で行われた16人参加のワンナイト・トーナメントに出場[15]、1回戦でニコライ・ボルコフ、2回戦でアドリアン・アドニスを破り勝ち進んだが、準決勝でランディ・サベージに敗退した[16][17]。また、ブリティッシュ・ブルドッグスのライバルチームだったルージョー・ブラザーズのジャック・ルージョーとは犬猿の仲で、バックステージでの私闘騒ぎを起こしている[18]

1986年12月13日、カナダのハミルトンでのタッグマッチ(ブリティッシュ・ブルドッグスvsカウボーイ・ボブ・オートン&マグニフィセント・ムラコ)において、試合中のアクシデントにより椎間板に重傷を負った[19]。この負傷は、キッドのその後の選手生命に大きな影響を与えることとなった[20]

1988年末にWWFを離脱し、1989年からは再びスタンピード・レスリングおよび全日本プロレスへ復帰。1990年にデイビーボーイ・スミスとのコンビを解散してからはジョニー・スミスとニュー・ブリティッシュ・ブルドッグス(ブリティッシュ・ブルーザーズ)を結成し、1991年4月6日に小橋健太&菊地毅を破りアジアタッグ王座を獲得した[21]。スタンピード・レスリングではブッカー業務も手掛け、スモー・ハラこと北原光騎をカルガリーにブッキングしている[22]

1991年の世界最強タッグ決定リーグ戦最終日に現役引退を表明したが、1993年7月に復帰。1996年10月にはみちのくプロレス両国国技館大会に来日。ドス・カラス&小林邦昭とタッグを組み、初代タイガーマスク、ミル・マスカラスザ・グレート・サスケ組との対戦で久々に日本のファンの前へ姿を現したが、かつて誇った肉体美は面影もなく痩せ細り、体調の悪化が歴然としていた[23]

全盛期の鍛え上げられた肉体、スピードとパワーを兼ね備えたダイナミックなレスリングスタイルは後世の数多のレスラーらに大きな影響を与えた。特にタイガーマスクとの一連の試合を見てレスラーを志した者は多く、WWEや新日本プロレスで活躍したクリス・ベノワもその一人であった。そして今なお、憧れの、あるいは影響を受けた人物として挙げるレスラーは数多い。

私生活、および引退後[編集]

現役時代に結婚した夫人とはキッドの家庭内暴力を理由に離婚。元夫人は自分の喉元へショットガンを突きつけられたと主張しており、キッド本人もこれを認めている。その一方でキッドは「当時自宅には弾丸が無く、弾が入っていない銃で脅してみせただけ」と弁明しており、真相は明らかになっていない。

現在は現役時代のステロイド剤を始めとする多種の薬物群の投与や、1986年に負った椎間板の大怪我(上述)等の影響で車椅子生活を余儀なくされている[1][24]

クリス・ベノワが死去した2007年には、CNNの取材によって、現在の貧困とステロイドを中心とした過去の薬物使用体験を語った[25]

2013年、ドキュメンタリー映画 "Dynamite Kid - A Matter of Pride" が完成。2月24日にマンチェスターヒルトン・ホテルで行われたイベント試写会において、公の場へ久々に姿を見せた[26]

得意技[編集]

ダイビング・ヘッドバット
キッドの代表的なフィニッシュ技。マット上に寝ている相手に向かって、トップロープからジャンプして倒れ込み、自らの頭部を相手にぶつける技。キッドのダイビング・ヘッドバットは飛行距離が非常に長いことで有名だが、コーナーのほぼ真下に寝ている相手への、飛行距離の短い「直下式」も使用していた。
ツームストーン・パイルドライバー
1983年4月の初代タイガーマスク戦で佐山聡に頸椎損傷の重傷を負わせ、欠場に追い込んだ技。
高速ブレーンバスター
実況アナウンサーの若林健治は「名刀村雨」と呼んでいたこともある。一度両足で大きく踏み込んでから、一気に高速で反り投げるもので、そのイメージがナイフで切り裂くようであったから「剃刀ブレーンバスター」とも呼ばれた。クリス・ベノワ菊地毅が影響を受けて、ほぼ同じ形のブレーンバスターを使用。
ショルダー・ブロック
自身がウェイトに恵まれなかった故からパワーファイターとは違い、スピードを重視したタックル。相手が倒れなければ2発、3発、4発と倒れるまで見舞い続ける。自分よりも大きい相手に見舞っていくことが多い、キッド独特のムーブの一つ。
バックドロップ・ホールド
全日本プロレスで主にヘビー級戦線における隠し技・奥の手として使用された。相手の片足を抱え込む形で使用。相手を持ち上げた後、大きく溜めをつくって投げるのが特徴で、高角度で繰り出すこともあった。小川良成に直伝し、以降小川は得意技として受け継いでいる。[27]

また、現在でこそコーナーポスト上での技の攻防は試合中の見せ場の一つになっているが、キッドはその先駆者的存在の一人であり、トップロープからの雪崩式ブレーンバスタースーパープレックス)やバックドロップも得意としていた。

獲得タイトル[編集]

ジョイント・プロモーションズ
  • ブリティッシュ・ライト級王座 : 1回
  • ブリティッシュ・ウェルター級王座 : 1回
  • ヨーロピアン・ウェルター級王座 : 1回
スタンピード・レスリング
  • 英連邦ミッドヘビー級王座 : 5回
  • スタンピード世界ミッドヘビー級王座 : 4回
  • スタンピード北米ヘビー級王座 : 1回
  • スタンピード・インターナショナル・タッグ王座 : 6回(w / セキガワ、ロック・ネス・モンスター、Kasavudo、デューク・マイヤース、デイビーボーイ・スミス×2)
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座 : 1回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座 : 1回(w / ジ・アサシン)
新日本プロレス
ワールド・レスリング・フェデレーション
全日本プロレス
アトランティック・グランプリ・レスリング
  • AGPWインターナショナル・ヘビー級王座 : 1回[28]

著作[編集]

  • 『PURE DYNAMITE - ダイナマイト・キッド自伝』 BLOODY FIGHTING BOOKS(2001年、エンターブレイン、ISBN 4757706391

入場曲[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.28』、P11。
  2. ^ 『Gスピリッツ Vol.28』、P51。
  3. ^ 『Gスピリッツ Vol.16』P26(2010年、辰巳出版ISBN 4777808017
  4. ^ British Welterweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年8月25日閲覧。
  5. ^ a b British Commonwealth Mid-Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年8月25日閲覧。
  6. ^ DVD-BOX『国際プロレスクロニクル 上巻』DISC.4(2010年、クエスト)
  7. ^ 『忘れじの国際プロレス』P103
  8. ^ 『忘れじの国際プロレス』P99
  9. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1980-1989”. The History of WWE. 2010年7月17日閲覧。
  10. ^ NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月17日閲覧。
  11. ^ NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月17日閲覧。
  12. ^ North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年8月25日閲覧。
  13. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.28』、P28-30。
  14. ^ WWF World Tag Team Championships”. WWE.com. 2010年7月17日閲覧。
  15. ^ The Wrestling Classic Results at OWW”. Online World of Wrestling. 2010年7月17日閲覧。
  16. ^ The Wrestling Classic Results at PWH”. Pro Wrestling History. 2010年7月17日閲覧。
  17. ^ The Wrestling Classic Results at pWw”. pWw Everything Wrestling. 2010年7月17日閲覧。
  18. ^ Backstage Heat: Jacques Rougeau & The Dynamite Kid”. Online World of Wrestling. 2010年8月25日閲覧。
  19. ^ Dynamite Kid severely injures his back”. Wrestling Gone Wrong.com. 2010年1月28日閲覧。
  20. ^ Canadian Hall of Fame: The Dynamite Kid”. SLAM! Sports. 2010年8月25日閲覧。
  21. ^ All Asia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月7日閲覧。
  22. ^ 『Gスピリッツ Vol.28』、P38。
  23. ^ 『Gスピリッツ Vol.28』、P47。
  24. ^ Wrestler Profiles: Dynamite Kid”. Online World of Wrestling. 2010年8月25日閲覧。
  25. ^ Death Grip Inside Pro Wrestling: November 10, 2007”. CNN.com. 2011年5月4日閲覧。
  26. ^ 『Gスピリッツ Vol.28』、P6。
  27. ^ 流智美・著『これでわかった! プロレス技』(1995年、ベースボール・マガジン社
  28. ^ AGPW International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月27日閲覧。

外部リンク[編集]