NWA世界ジュニアヘビー級王座

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NWA世界ジュニアヘビー級級王座
詳細
現王者 獣神サンダー・ライガー
獲得日 2014年11月8日
管理団体 NWA
創立 1943年

NWA世界ジュニアヘビー級王座は、NWA(National Wrestling Alliance)本部の直轄するプロレスのタイトルである。

概要[編集]

王座創設は新NWA(アライアンス)が発足される前の1943年で、後にアライアンスの初代会長に就任するピンキー・ジョージによりケン・フェネロンが初代王座に認定されている。1944年にはMWA王者エディ・キャンベルを下し王座統一。

1949年、新NWA王者ビリー・ゲルズと旧NWA(アソシエーション)王者レロイ・マクガークの間で王座統一戦が行われ、勝利したマクガークにより新旧王座が統一された。1951年に王座を獲得したダニー・マクシェーンは3州の王座を吸収する。

その後、元王者でオクラホマ地区のプロモーターであったレロイ・マクガークによって同王座の管理・運営をNWAから任されることになり、主にマクガークのプロモートするNWAトライステート地区(オクラホマ、ルイジアナミシシッピアーカンソー)で選手権試合が行われるようになった。だが、このことが王座の占有を招く結果となり、NWAの反主流派と呼ばれていたプロモーター達(WWFビンス・マクマホンフロリダエディ・グラハムロサンゼルスのマイク・ラベール、新日本プロレス新間寿ら)と反目する原因となった。

1979年に当時の王者であったネルソン・ロイヤルの引退に伴い、反主流派はロサンゼルスにて同年12月10日に王座決定戦を行い、スティーブ・カーンを新王者に認定するも、これに異を唱えたマクガークも1980年2月11日にオクラホマで王座決定トーナメントを決行し、ロン・スターを新王者に認定したため、一時期、2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するなどの事態を招いたが、最終的にはマクガーク版のタイトルの正当性が認められた。なお、反主流派が新設したタイトルは「NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座」として日本に定着している。

以後、王座は1982年初代タイガーマスクレス・ソントンより奪取するとともに新日本プロレスに定着[1]WWFの同級王座と共に新日本プロレスにて管理されていたが[2]、WWFと新日の提携が解消されたことにより、新日本にIWGPジュニアヘビー級王座が認定され、それに伴い、1985年8月に王者であったザ・コブラよりNWA王座も返上することとなった。

以降、NWAの権威が低下したことにより、マイナータイトルの一つという扱いとなり、一時は(1996年から1998年まで)ジュニア8冠王座のひとつになっていた。8冠王座解体後は新日から離れたものの、その後NWAと再提携したことにより、一時タイガーマスク (4代目)が王者となるなど再び新日と関係を持つようになったが、再び提携が解消されたことにより、新日から完全に離れ、現在はインディー団体のレスラーを対象にした王座として存続している。

2010年にクレイグ・クラシックが奪取した後にZERO1とNWAの提携に伴い、ZERO1に来日して防衛戦を行うようになったが、提携が解消されたためにクレイグが保持していたタイトルを返上し、それと引き換えに同じNWAを略称とするZERO1独自の王座管理組織たる「ニュー・レスリング・アライアンス」より同名のタイトルが授与された。すなわち、現在ZERO1に定着している「NWA世界ジュニアヘビー級王座」はアメリカNWA本部が認定するものとはまったく別のタイトルである(ただし代数及び防衛回数などは継承)。この王座は2012年に菊地毅が奪取した後、菅原拓也が持つインターナショナルジュニアヘビー級王座(元々はこの王座もNWAが認可していた)とのダブルタイトルマッチで菅原により統一され、現在は2冠王座として防衛戦及び王座決定戦が行われている。

歴代王者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史(6)プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P162(1986年、ベースボール・マガジン社
  2. ^ その一方で、タイガーマスクに王座を奪われたソントンは、1983年11月にフィリピンマニラで行われたとされる架空のトーナメントに優勝したと称し、ジョージア地区で再びNWA世界ジュニアヘビー級王者を名乗り、防衛戦を行なっている。そのため、再び2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するという事態が発生したが、正統王座を管理していた新日は、この件に関してNWAにソントンの王座の無効を強固には主張せず、海外での防衛戦も行わなかったため(ソントンの王座の無効を強固に主張しなかったのは、この時点で同王座を管理していたマクガークがプロモーターを引退し、NWAを脱退していたため、実質的な王座の管理者が存在していなかったので、その点を他のプロモーターから追求される恐れがあったからと推察される)、有耶無耶な状態で2つの王座が存続されたまま、ソントンが1984年7月のブラック・サタデーに起因するWWF移籍に伴いタイトルを返上し、以後、ヘクター・ゲレロマイク・デービスデニー・ブラウンと王座が移動した後、新日が返上した王座と統合されている。

外部リンク[編集]