みちのくプロレス
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みちのくプロレスは東北地方を中心に活動する日本のプロレス団体。略称は「みちプロ」。
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[編集] 概要
1992年、ザ・グレート・サスケを中心としてユニバーサル・プロレスリングの所属選手によって設立。「地域密着型プロレス団体」を標榜し、東北六県をメインに活動している。
なお、飛び技を主体にしたメキシカンスタイルを持ち味とするため、次の2点で他の団体と異なる。
- リング周囲に衝撃吸収用のマットが敷かれていない。これはメキシコでもマットを敷かないため。そのため、場外で投げ技を食らうとダメージが大きくなる。
- 団体のローカルルールとして、タッグマッチにおいて自分のパートナーが場外に出た場合に控えの選手はタッチしなくても試合権利を得てリングに入り試合に加わることができる。団体スタイルの都合上、試合権利を持つ選手が飛び技を使って場外に出てしまうことが多いために試合が膠着状態になることを防ぐと共に試合展開をスピーディーにするためのルールである。また、そのルールに即した形で控え選手は待機中タッチロープを持っていない。
[編集] 略歴
[編集] 旗揚げ前
- ユニバーサルに在籍中から東北地方でのプロレス振興を構想していたザ・グレート・サスケは、1992年10月1日付で株式会社みちのくプロレスを岩手県盛岡市に設立した(初代社長はサスケの父親である村川清兵衛)。当初はユニバーサルの地方プロモーターの色合いが強かったが、この頃から新間寿恒代表らユニバーサル経営陣と選手との間に紛争が発生し(試合中の負傷に対する補償問題が端緒とされる)、翌1993年に選手はグラン浜田を残してユニバーサルを退団、みちプロに入団した。
[編集] みちのくプロレス旗揚げ
- 1993年3月16日、岩手県矢巾町民総合体育館にて旗揚げ戦が敢行。来日予定のルチャドールらのビザが下りず、急遽足立区に住んでいたウェリントン・ウィルキンスJr.を代わりに参戦させることになる(ビザが下りなかった理由は、外務省がみちプロを暴力団のフロント企業と見ていたため[要出典])。初は『ニュースステーション』をはじめ各種メディアで取り上げられ話題となるが、その多くが東北の片田舎で細々と活動するユニークな弱小団体といった内容で、初の後楽園ホール大会での売上金持ち逃げ事件(1994年2月4日、興行後に大会主催者が売上金を持ち逃げし行方をくらます)、また暴力団との関係騒動により警察の圧力で大会が中止になったりと、「長続きはしないだろう」という見方が大勢を占めていた。しかし、サスケが新日本プロレスの『スーパーJカップトーナメント』にて日本ジュニア界の第一人者獣神サンダー・ライガーを破って準優勝、また同年新日本で行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにおいてもみちプロ所属のスペル・デルフィンが準優勝。みちプロ本隊も新日マットで対抗戦を行うなどの活躍でマイナー団体であるみちプロは一気に全国区の人気となる。メジャー団体を自認する新日所属レスラーの一部からは反感を買ったが上層部からの評価は良く、『ワールドプロレスリング』で解説を務めていたマサ斎藤は「みちのくプロレスのルーチャですか?こんな素晴らしくて楽しいものとは思わなかったですね。みちのくの選手の若いエネルギーを感じた。」と発言。当時の現場責任者長州力は、TAKAみちのくのトップロープに乗ってからのプランチャを「お前は宇宙人か」と評していた。新日マットでの活躍により、みちプロ所属レスラーは他団体からひっぱりだこの状態となり、ヒールユニット「海援隊★DX」と正規軍との抗争などで会場はどこも常に超満員になる。
[編集] 選手離脱、分裂
- 1997年、獅龍が海外へ。後にTAKAは米団体WWF(現WWE)と契約。
- 1998年、東郷、テイオー、船木がWWF(現WWE)へ移籍する。
- 1998年前半は、サスケの膝手術による長期離脱で興行を休止するが、この期間、選手組合により存続を発表。
- 1998年秋、名タッグとよばれたサスケ・デルフィン組に亀裂[1]。サスケは路頭に迷ったあげく[2]青いマスク「SASUKE」としてルードへ転向[3]。「SASUKE組」として正規軍と対決する。
- 1999年1月17日、スペル・デルフィン、愚乱・浪花、薬師寺正人、星川尚弘、松井幸則(レフェリー)、練習生(瀬野優、ゼロ)が記者会見を開き、団体の方向性に亀裂が生じ退団を正式発表。会見中に乱入したSASUKEの声にも無視し退席。その場でSASUKEとテッド・タナベが抱き合い号泣した。浪花は後日、デルフィンと別れ、みちのくにフリーで復帰している。
- 改心したサスケは正規軍として、ルード軍と抗争。離脱危機に駆けつけたTAKAみちのくも合流。主力選手が抜け苦しい経営を迫られることとなり、以降はフリー選手を中心とした興行となる。
- 後に正規軍へ合流したディック東郷だったが、自らルード軍「F.E.C」を結成。サスケもSASUKE組を再集結させ、ルード対ルードと言う反則だらけの抗争が勃発する。
- 2003年、サスケが岩手県議会議員に当選し、新崎人生が社長に就任。サスケは会長に退く。
- 元F.E.Cの日高郁人、藤田穣、マッチョパンプ等で「スカル&ボーンズ」を結成。F.E.Cと抗争を繰り広げ、最終的に初となる金網デスマッチにてF.E.Cが勝利。この日を最後にスカルは解散。F.E.Cはみちのくから離脱する。
- これに合わせ、2004年8月にフリー選手との参戦契約を打ち切り、闘龍門X出身の選手を中心とした興行形態に切り替え「新生みちのくプロレス」として始動する。
- 9月26日ハッスルとのコラボレーションとして、安比高原スキー場にて『ケッパレ1』を開催。メインでサスケは小川直也と組み、復活した白使とジャイアント・シルバ組と対戦しサスケ組が勝利した。
[編集] 仙台移転-現在
- 2005年7月、みちのくプロレスの新たな運営会社[4]として、宮城県仙台市にみちのくエンタテインメント有限会社[5]を設立。同時にみちのくプロレスのシンボルマーク(CI)も変更された。里村ひきいるセンダイガールズプロレスリングの旗揚げも発表。東北以外の巡業は特別扱いだったが、北海道、四国、九州を含めた全国巡業などを組んだりと全国規模の団体となった。Gammaの呼びかけにより、景虎、佐藤兄弟、まぐ狼がSTONEDを結成し、正規軍などに反旗を翻している。
- 2006年、デルフィンと新崎人生のシングルマッチをきっかけに大阪プロレスとの抗争が始まる。南野たけし、佐藤兄弟が大阪マットに参戦。約7年半振りにデルフィンがみちプロマットへ上がった。その際、反則行為やタナベの高速カウントから観客が激怒し、各会場ではリングに物が投げ込まれた。
リーグ戦『鉄人』にタイガースマスク参戦。みちのくに在籍していたGAINAとテッド・タナベが大阪プロへ移籍。9月、抗争に無関心のサスケは、デルフィンの名指した呼びかけに激怒し10月8日に東北ジュニアタイトルマッチが決定する。波乱がありながらもサスケは見事勝利を飾り、確執のなかサスケとデルフィンは握手を交わした。しかし防衛戦にてサスケはGAINAにベルトを奪取される。12月、南野武が故郷・ハッピー星に帰還するため、インディーサミットが地球最後の試合となる。 - 2007年、GAINA、ゼウス、テッド・タナベが参戦しみちプロリングで暴れる。
新ヒーローとしてピンクスーツをまとったHAPPY MANが登場する。
怪我による長期欠場中の景虎はSTONEDから追放されるが、復帰後は、ラッセとのコンビでみちのくふたり旅を制覇。
7月、野橋真実がプロデュースする「OOGAMANIA」開催。野橋と新人レスラーを中心として3試合程度の興行を敢行する。 - 2008年、南野タケシが復帰。議員辞職したサスケは、本格復帰を機に佐藤兄弟との宇宙大戦争が再勃発する。フジタJr.ハヤトがルードに寝返り、軍団名を「九龍(クーロン)」とした。
サスケは義経の持つ東北ジュニアに新旧エース対決として激戦を繰り広げ義経は防衛に成功する。
八代目ダイナマイト東北が登場。 - また設立15周年を記念し、後楽園大会を皮切りに、東北を回る「15周年ノスタルジックツアー」開催。旗揚げ以来、みちプロに縁のあるレスラーが続々参戦し、大盛況を納めた。
[編集] 闘龍門Xレスラーの参戦
- 7月マンゴー福田、パイナップル華井、ムルシエラゴ、村上学。
10月、野橋真実、ランボ三浦、佐藤秀、佐藤恵、MICHINOKUレンジャー金、MICHINOKUレンジャー銀、コモ・レオパルド、エステ・ハグアル。
11月、南野たけし。
12月、石森太二。 - 遮那王、ラッセ、景虎、大間まぐ狼が、みちのく所属選手としてデビュー。
- 119・小暮隊員、119・井上隊員、110・片上隊員が、みちのく所属選手としてデビュー。
5月、119・井上隊員、110・片上隊員、119・小暮隊員が退団。
ダイナマイト東北がみちのく所属選手としてデビュー。
- 2月、プロレスリングElDorado設立により、KAGETORA、卍丸、バラモン・シュウ、バラモン・ケイ、ジャンピングキッド沖本、エル・ブレイザー(後に退団)、ベアー福田、Ken45゜がElDorado正式所属となる。
- 時期不明
- ダイナマイト東北が退団。
- 12月、ElDorado活動停止。
※みちのくプロレス、ElDoradoに両参戦している選手とは別枠的な形をとっている。
[編集] タイトルホルダー
みちのくプロレスが管轄する王座と保持者(2009年1月現在)
- 東北ジュニアヘビー級王座・・・フジタ"Jr"ハヤト(第11代)
- 東北タッグ王座・・・気仙沼二郎&大柳錦也(第13代)
- 2人のトータルウェイト200kg以内。
みちのくプロレスが開催するリーグ戦と覇者
- 鉄人(てつんちゅ)・・・ラッセ(2006年)
- みちのくふたり旅・・・景虎&ラッセ(2007年)
みちのくプロレスが関わる他団体管轄の王座と保持者
[編集] 現在の所属・参戦選手&スタッフ
- みちのくプロレス本隊
- 新崎人生 (旧:三蔵法師、死国衛門三郎、白使、白死、モンゴリアン勇牙)
- ザ・グレート・サスケ[6] (旧:MASAみちのく、ニンジャ・サスケ、SASUKE、サス原人、スペル・ニーニョ、バットマン、村川政徳)
- 義経 (旧:遮那王、MICHINOKUレンジャー金、ミニCIMA)
- 気仙沼二郎 (旧:ヨネ原人、トイレの花子さん、プールのカッパ、米河彰大)
- 野橋真実 (闘龍門MEXICO所属 旧:新井小一郎)
- 大柳錦也
- 男盛
- ラッセ (旧:MICHINOKUレンジャー銀、スモール"ダンディ"フジ)
- 景虎 (旧:コモ・レオパルド、SUWAシート)
- 精霊(レイ)
- しばてん
- めどち
- 清水義泰
- 日向寺塁
- 拳王 (旧:中栄大輔)※武者修行中
- マスク・ド・植樹マン ※植樹祭などのイベント限定
- 第八代ダイナマイト東北
- 剣舞
- ヤッペーマン1号
- ヤッペーマン2号
- カラスコムーチョ
- つばさ ※山形大会
- 獅子王 ※山形大会
- DEWAロックマン ※山形大会
- 東大ラーマン
- 大町マン
- オオガマックス ※OOGAMANIA限定
- 九龍(クーロン)
- フジタ"Jr"ハヤト
- Ken45゜ (旧:華井謙一、パイナップル華井、華井健一)
- 佐藤秀 (旧:鯱魔神参号)
- 佐藤恵 (旧:鯱魔神四号)
- 大間まぐ狼 (旧:村上学)
- 南野タケシ (闘龍門MEXICO所属 旧:HAPPY MAN、南野武、エステ・ハグアル)
- デューク佐渡 (フリー)
- パンチ田原 (RING STAFF所属)
[編集] 過去の所属選手&スタッフ
- グラン浜田(旧:NGハマー)
- 阿蘇山
- つぼ原人(旧:小坪弘良、NANIWA)
- はやて(旧:西田ヒデキ、西田秀樹、ザ・モンキーマジック(2代目)、西田珍念)
- 愚乱・浪花(旧:木村吉公)
- ディック東郷(旧:フランチェスコ・トーゴー、Sato、サトー、ザ・スーター、巖鉄魁、エル・ティグレ・デル・トーキョー)
- スペル・デルフィン(旧:モンキーマジック・ワキタ、モモタロウ、脇田洋人)
- タイガーマスク (4代目)
- 星川尚浩(旧:流星一郎)
- HANZO(旧:中島半蔵、中島一学、レオパルド・ネグロ、ブラック・マジック)
- 菅本嘉人(現:Gamma)
- MEN'Sテイオー(旧:テリー・ボーイ、パトリオット・ミニ、大塚武生)
- 獅龍(現:カズ・ハヤシ)(旧:東京JIN)
- TAKAみちのく
- 船木勝一(現:FUNAKI)(旧:モンゴリアン勇牙(2代目))
- ミスター・トヨタ(デルフィン軍マネージャー、ウォーリー山口)
- 斎藤誠(現:K-ness.)(旧:ダークネスドラゴン)
- マッチョ★パンプ(旧:マスク・ド・ドデカミン、MICHINOKUレンジャー赤、ミステル・カカオ)
- 藤田ミノル(旧:藤田穣)
- 119・井上隊員(現:フラッシュムーン)(旧:ムルシエラゴ)
- GAINA(旧:湯浅和也)
- 三上恭平(現:MIKAMI)(元練習生)
- 望月享(現:横須賀享)(元練習生)
- 斉藤義之(現:スペル・シーサー)(元練習生)
- ゼロ(元練習生)(旧:スペル・デメキン、ゴア、スーパードルフィン)
引退
- ビーフ・ウェリントン(旧:ウェリントン・ウィルキンスJr.、シャーク・マシン)
- 薬師寺正人(旧:ザ・モンキーマジック、阿波ごじゃ平/ごじゃ兵衛、フレッチャII、ウルトラエース、竜鯱、エル・シャラク)
- 井上治
- 山田英樹
- 大王QUALLT(旧:瀬野優、SMレボリューション、リレー少年)
- 北海珍念
- 岡部和久
- 110・片上隊員(旧:GALLARDO、片上学)
- ダイナマイト東北(旧:ランボ三浦、119・小暮隊員)
- 愛澤No.1(旧:相澤孝之)
- サイキック(?)
- ラヨデネグロ
- ロンスー
レフェリー
リングアナウンサー
[編集] パチンコ・パチスロ
- パチスロ・大山鳴動 漢みちスロ!(2006年・ウィンネットテクノロジー)
[編集] 脚注
- ^ 1998年9月23日の山形県酒田市営体育館でのマスク剥ぎマッチで、敗れた選手のマスク剥ぎをサスケが止めたことにより、デルフィンらと乱闘となる。
- ^ 1998年9月27日愛知県名古屋市の野外イベント会場において、試合中の場外乱闘で警察沙汰となり、コミッショナーから「ザ・グレート・サスケ」のリングネーム使用停止等の処分をうける。デルフィンらの大量離脱後の1999年2月に解除。
- ^ リングネーム使用禁止の解除後もたびたび復活している。
- ^ 岩手県盛岡市にある株式会社みちのくプロレスは、北東北(岩手県・青森県・秋田県)を営業エリアとする。なお、みちのくプロレスの道場、合宿所は盛岡市近郊にある。
- ^ みちのくプロレス、センダイガールズプロレスリングの運営会社で、本社機能を持ち、東北地方では南東北(宮城県・福島県・山形県)を営業エリアとする。
- ^ 「みちのくエンタテインメント有限会社」の所属ではなく、大会毎の選手契約となる。デイリースポーツオンライン 2009年2月21日
[編集] 映像・音楽作品
CD
- みちのくプロレス(1993年)
- みちのくプロレス大全集(1997年10月8日)
- みちのくwalker(2003年5月1日)
VIDEO ※全て廃盤
- デルフィンvsSATOの軌跡 (VHS - 1994)
- みちのくプロレスはいかがでしょう (VHS - 1994)
- ルチャ・マニア御用達 (VHS - 1995)
- 永遠の炎 (VHS - )
- 新崎人生の旅立ち編 (VHS - 1995)
- 初☆夢 -藤原組vsみちのくプロレス- (VHS - 1995)
- みちのくプロレスはいかがでしょう2 (VHS - )
- 覆面ワールドリーグ戦 (VHS - 1995)
- 新崎人生 掟破り (VHS - 週刊プロレス増刊)
- ルチャ天国危機一髪! (VHS - 週刊プロレス増刊)
- 竹脇 (VHS - 1996)
- 世界選手権シリーズ96 -栄光の輝き- (VHS - 1997)
- サスケのオレがナニしたのヨ?'96 (VHS - 1997)
- ルチャの国から'96 -傷心- (VHS - 1997)
- サスケからダイオキシン -みちのくプロレス 1997.10.10 両国国技館- (VHS - 1997)
- 海援隊DXスペシャル (VHS - 1998)
- みちのくプロレスはいかがでしょう(3) サスケ 新たなる旅立ち (VHS - 1999)
- サスケの新たな旅立ち インパクト篇 (VHS - 1999)
- みちのくプロレス10周年記念ビデオ ザ・グレート・サスケ編 (VHS - 2003)
DVD
- ふく面ワールドリーグ戦 ベストセレクションDVD (2007)
- 第4回ふく面ワールドリーグ戦 (2007)
- 15周年DVD みちのくプロレス・ノスタルジック3枚組 (2008)
- みちのくプロレス15周年ノスタルジックツアー (2008)
- ザ・グレート・サスケ20周年記念 (2009)
[編集] 関連項目
- ふく面ワールドリーグ戦
- FIGHTING TV サムライ
- GAORA
- 荒吐ロックフェスティバル
- 仙台のスポーツ
- やっぺし!みちプロ(IBC岩手放送)
- 毎週水曜深夜0:59 - 1:29に放送。
[編集] 外部リンク
- みちのくプロレスオフィシャルサイト
- グレートコミュニケーションJAPAN(仙台のラジオ3をキー局に、東北5県cFM10局ネット。ポッドキャスティングもしている)
- 曹洞宗金剛宝山 輪王寺
- IBC岩手放送
- ホーム→CONTENTS(>>テレビ)→番組一覧または番組表の下から(IBC番組)→やっぺし!みちプロ(番組紹介ページ)

