ランディ・サベージ
| ランディ・サベージ | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ランディ・サベージ ランディ・ポッフォ |
| 本名 | ランドル・ポッフォ |
| ニックネーム | マッチョマン マッチョ・キング |
| 身長 | 186cm |
| 体重 | 111kg |
| 誕生日 | 1952年11月15日 |
| 死亡日 | 2011年5月20日(満58歳没) |
| 出身地 | オハイオ州コロンバス |
| スポーツ歴 | 野球 ボディビル |
| トレーナー | アンジェロ・ポッフォ |
| デビュー | 1973年 |
| 引退 | 2011年 |
"マッチョマン" ランディ・サベージ("Macho Man" Randy Savage、1952年11月15日 - 2011年5月20日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はランドル・マリオ・ポッフォ(Randall Mario Poffo)。
オハイオ州コロンバス出身のイタリア系アメリカ人。WWFやWCWで活躍した。父のアンジェロ・ポッフォ、弟の"ザ・ジニアス" ラニー・ポッフォもプロレスラーである。
目次 |
来歴 [編集]
プロレスラーになる以前は野球選手で、1970年代前半までセントルイス・カージナルス、シンシナティ・レッズ、シカゴ・ホワイトソックスのマイナーリーグでキャッチャーとしてプレイしていた。1973年11月、野球のオフシーズンにプロレスラーとしてデビューを果たす。その後、肩の故障で野球を引退してプロレスに専念。全米各地を転戦し、デトロイト地区ではザ・シークとUSヘビー級王座を争う。
1978年からは父アンジェロが設立したケンタッキー州レキシントンのインディー団体ICW(International Championship Wrestling)に弟のラニー・ポッフォと共に参画。ボブ・ループ、ボブ・オートン・ジュニア、ロニー・ガービン、クラッシャー・ブルームフィールドらとタイトルを争った。
しかし経営の悪化によりICWは解散、1983年からは同じくケンタッキーをサーキット・エリアとしていた、ジェリー・ジャレット(後のTNA創設者)が主宰するテネシー州メンフィスのCWA(後のUSWA)に転出した。CWAではジェリー・ローラーとAWA南部ヘビー級王座を巡って対戦を繰り返し、オースチン・アイドルともインターナショナル・ヘビー級王座を賭けた抗争を展開[1]。タッグ戦線でもラニーと組んでリッキー・モートンとロバート・ギブソンのロックンロール・エクスプレスとの抗争で活躍した。
1984年12月30日には、後にマネージャーとなるミス・エリザベスことエリザベス・ヒューレットと結婚した。
WWF時代 [編集]
1985年6月8日、ジェリー・ローラーとの敗者追放マッチに敗れてCWAを去り、妻のエリザベスをマネージャーにWWFに登場。" Oooh Yeah!!" を決め台詞にトップ・ヒールとして頭角を現し、翌1986年2月8日にはティト・サンタナからインターコンチネンタル王座(以下IC王座)を奪取した。
1987年3月29日にミシガン州で開催されたレッスルマニアIIIでは、リッキー・スティムボートと歴史に残るIC王座戦を展開。この試合でIC王座から転落するとベビーフェイスに転向し、エリザベスとの二人三脚で人気をさらに高める。
1988年3月27日にニュージャージー州アトランティックシティで開催されたレッスルマニアIVのWWF世界王者決定トーナメントでは、俳優活動も始めたハルク・ホーガンを抑えメインイベントに抜擢された。ホーガンとエリザベスのサポートもあり、決勝でテッド・デビアスを破りWWF世界王座を獲得、名実共にWWFのトップスターまで登りつめた。
1988年にハルク・ホーガンとのタッグチーム「メガ・パワーズ(The Mega-Powers)」を結成。8月29日のサマースラム第1回大会のメインイベントではアンドレ・ザ・ジャイアント&デビアスの「メガ・バックス」と対戦した。しかしながら、エリザベスを巡る三角関係のアングルでコンビは解散し、ホーガンとの抗争に発展していく。
1989年4月2日のレッスルマニアVでホーガンに敗れ、WWE世界王座とエリザベスを同時に失う。その後はエリザベスに代わる新しい女性マネージャーとしてセンセーショナル・シェリーを帯同し、再びヒールに戻ってホーガンとの抗争を継続させる。キングを名乗っていたジム・ドゥガンを破ったことでリングネームもマッチョマンから「マッチョ・キング」に変更し、1990年代からはダスティ・ローデスやアルティメット・ウォリアーとの抗争に入った。
1991年3月24日のレッスルマニアVIIでは、アルティメット・ウォリアーとの敗者引退マッチにて30分以上の死闘を繰り広げるも敗退。試合後、敗北をマネージャーのシェリーに責められ攻撃される。そのとき客席からエリザベスが救出に駆けつけ、2人は復縁することになる。その後は再びベビーフェイスとなり、リングネームをマッチョマンに戻すと、同年8月26日にマディソン・スクエア・ガーデンで行われたサマースラム1991にてエリザベスと結婚式を挙げた(注:実際には2人は1984年に結婚しているが、ストーリー上では恋人同士の関係ということになっていた)。
以降は2人への祝儀にヘビを送りつけたジェイク・ロバーツとの抗争を経て、1992年4月5日にインディアナポリスで開催されたレッスルマニアVIIIではリック・フレアーを破り再びWWF世界王座を奪取、9月1日にフレアーに奪回されるまで約半年間保持した。しかし、私生活において同年9月18日にエリザベスと離婚すると、彼女はテレビから姿を消し、サベージも1993年からはカラー・コメンテーターが主体となり試合数は減少する。1994年にホーガンがWCWに移籍すると、同年10月に後を追うようにWCWに転出した。
WCW時代 [編集]
1994年に契約金600万ドル(約7億5千万円)でWCWに移籍すると、1995年と1996年にそれぞれリック・フレアーを破りWCW世界ヘビー級王座を獲得、フレアーとホーガンに次ぐWWEとWCWの両メジャーにて世界王者になったレスラーの1人となった。
1996年にホーガンがケビン・ナッシュ、スコット・ホールと共にnWoを結成すると、後にサベージもメンバーとなり、nWo内でエリザベスと復縁(注:実生活の復縁ではない)し、ダイヤモンド・ダラス・ペイジと抗争を繰り広げた。
1998年には当時のWCWのトップスター、スティングからWCW世界ヘビー級王座を奪取するが、翌日にホーガンに敗れ1日で王座から転落した。nWoとホーガンに不満を持ったサベージはナッシュと共にnWoウルフパックを結成し、ウルフパックは人気爆発となるがサベージは怪我のためほとんど試合に出場することはなくテレビから姿を消した。
1999年にニュールックで復帰すると、新しいガールフレンドのゴージャス・ジョージをマネージャーに迎えると7月にはケビン・ナッシュを破り、4度目のWCW世界ヘビー級王座に就き、8月にはNBAの問題児デニス・ロッドマンとの一騎打ちを制すなど、健在振りをアピールした。2000年に入るとホーガンや他の大御所レスラー達と共にミリオネアーズ・クラブなるチームを結成するも、nWoほどのブレイクにはならずに、契約が切れると共にWCWを離脱した。
WCW以降 [編集]
しばらくフェードアウトした後の2004年12月5日、TNAのターニングポイントに登場。ジェフ・ハーディー&A・J・スタイルズとトリオを結成し、ザ・キングス・オブ・レスリング(ジェフ・ジャレット、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール)と対戦したが、交渉の決裂によりサベージのTNA出場はこの1試合のみにとどまった。
2009年6月にはDVD『Macho Madness:The Randy Savage Ultimate Collection』がWWEからリリースされている。
死去 [編集]
2011年5月20日朝、フロリダ州のハイウェイで自動車を運転中、心臓発作を起こしてコントロールを失い木に衝突、ラルゴ・メディカル・センターに運ばれたものの負傷が悪化し死亡が確認された[2][3][4]。58歳没。
日本でのファイト [編集]
- WWF入りする以前は日本マットと提携関係のない独立団体を主戦場としていたため、WWF時代のライバル、ホーガンやロディ・パイパーと比べ来日は遅い。1990年のWWF・全日本・新日本の3団体合同で開催された東京ドームにおける『日米レスリングサミット』で初来日。サベージは天龍源一郎と対戦。典型的なアメリカン・プロレスのショーマン派レスラー(と思われていた)のサベージと、無骨なタイプの天龍の試合はミスマッチかと思われたが、互いの持ち味が存分に引き出された好勝負となり、サベージの日本での評価を大きく高めた試合であった。
- 天龍とは、彼がのちに移籍したSWSとWWFが提携していたため、SWSマットでも対戦している。また、同マット上でタッグも結成した。
- WCWに移籍後は、WCWと提携関係にあった新日本プロレスの大会に数回来日している。
得意技 [編集]
- ダイビング・エルボー・ドロップ
- トップロープからのエルボー・ドロップ。フォームの美しさ・破壊力ともに優れ、スチール・ケージ・マッチでは5メートルものケージの上から放つこともあった。近年はギミックと共にジェイ・リーサルが継承。
- ロープを使ってのクローズライン
- 相手の首や髪を掴みながら走り、自らは場外へジャンプし相手の喉をトップロープに押しつけダメージを与える。
- ダブル・アックスハンドル
- 合わせた両握り拳を相手に叩きつける技。試合では非常に多用され、通常のトップロープから放つもの以外にも、ランニング式や場外の相手にトップロープから投下する場合もある。しかし着地の際の衝撃が原因で後年は膝を悪化させた。
- ラリアット・テイクダウン
- いわゆるジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ。走りこんで相手の首に腕を巻きつけ、自らも背中から倒れ込みながら、相手の後頭部をマットに叩きつける。
- ハイ・ニー・スマッシュ
- 背後から相手の背中・腰に膝を打ち当てる。相手はその勢いで顔面からターンバックルに激突するか、場外に転落するまでが流れである。
- ジャンピング・ニードロップ
- スクープスラム
- 見た目の派手さからショーマンレスラーと思われがちだが本来は試合巧者であり、リングを隅々まで使うそのファイトスタイルは、ショーン・マイケルズやクリス・ジェリコ等にも大きな影響を与えている。
獲得タイトル [編集]
- WWF世界ヘビー級王座 : 2回
- WWFインターコンチネンタル王座: 1回
- キング・オブ・ザ・リング優勝:1987年
- WCW世界ヘビー級王座 : 4回
- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回
- AWA南部ヘビー級王座:2回
- CWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回
- USWAユニファイド世界ヘビー級王座 : 1回
- WWC北米ヘビー級王座 : 1回
- NWAガルフ・コースト・タッグ王座:1回(w / ラニー・ポッフォ)
- ICW
- ICW世界ヘビー級王座:3回
エピソード [編集]
- 妻であったエリザベスはサベージと別れた後、レックス・ルガーと交際していたが、2003年5月1日、ルガーの自宅で死去しているところを発見された。死因は鎮痛剤とアルコールの過剰摂取[5]。
- ホーガンとは何度となく試合をしてきたが、カウントアウトや反則裁定以外では勝利したことがない。
- 2002年公開の映画『スパイダーマン』に "Bone Saw McGraw" として出演し、スパイダーマンことトビー・マグワイアと劇中でプロレスの試合をした。そのスパイダーマンとの試合の前にはシコシスと対戦しダイビング・エルボー・ドロップを放った。なお、サベージはルーキー時代にザ・スパイダーという覆面レスラーとして闘っていた時期がある。
- 晩年はプロレスはセミリタイア状態となり、ラップミュージシャンとしても活動していた。
- ハイスクール卒業後の1971年、セントルイス・カージナルス傘下のルーキー級のチームで、のちに日本のロッテ・オリオンズなどでプレーすることになるレオン・リーとチームメートだった。
脚注 [編集]
- ^ “Memphis Wrestling History 1984”. Memphis Wrestling History. 2010年10月4日閲覧。
- ^ “Wrestler Randy Savage dead at 58”. UPI.com. 2011年5月20日閲覧。
- ^ “Randy "Macho Man" Savage passes away”. WWE.com. 2011年5月20日閲覧。
- ^ マッチョマン、ランディ・サベージさん交通事故で死去 シネマトゥデイ 2011年5月21日閲覧。
- ^ “Manager Profiles: Miss Elizabeth”. Online World of Wrestling. 2011年5月21日閲覧。
外部リンク [編集]
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