ボビー・ラシュリー

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ボビー・ラシュリー
BobbyLashleyAFL.jpg
基本情報
本名 フランクリン・ロバート・ラシュリー
通称 リアルディール
ゴッド・オブ・サンダー
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1976年7月16日(38歳)
出身地 カンザス州ジャンクション・シティ
所属 アメリカン・トップチーム
身長 188cm
体重 111kg
階級 ヘビー級
スタイル レスリング
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ボビー・ラシュリーFranklin Robert Lashley1976年7月16日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラー総合格闘家カンザス州ジャンクション・シティ出身のアフリカ系アメリカ人アメリカン・トップチーム所属。

来歴[編集]

ミズーリ・ヴァレー大学ではレスリングの選手として活躍し、1997年1998年にNAIA(National Association of Intercollegiate Athletics)のチャンピオンとなる。

プロレス[編集]

WWE[編集]

大学卒業後、アメリカ陸軍への入隊を経て2005年9月23日、WWEの番組であるSmackDown!に登場し、後にWWEと契約を交わし入団、そしてプロレスラーデビューを果たした。レスリングの経験を活かし、ベリー・トゥ・ベリースープレックスで相手を豪快に投げる格闘スタイルで売り出された。

デビュー早々にSurvivor Series 2005イリミネーション・タッグマッチに出場。No Way Out 2006では、JBLと対決。その際、フィンレーが乱入したため、抗争を開始。Judgment Day 2006では、ブッカー・Tと対決。その試合もフィンレーの乱入のため敗北。しかし、Judgment Day 2006明けのスマックダウンで、JBLからUS王座を獲得。その後キング・ブッカー(ブッカー・T)、フィンレーとの抗争を繰り広げ世界王座戦線にも関わるようになった。

2006年11月14日、ECWに移籍。同年12月3日に行われたDecember to Dismember 2006ECW世界王座を獲得した。

ロイヤルランブル2007のECW王座戦でテストを撃破。2月にはNo Way Out 2007ミスター・ケネディの挑戦を受ける(反則負けで王座防衛)。さらにECWに舞台を移し、ハードコア・ホーリーとミスター・ケネディを相手に三つ巴戦を行い、防衛に成功した。翌週にはハードコア・ホーリーとスティール・ケージ・マッチで防衛戦を行う。5分以内に決着がつかなければ王座移動という厳しい条件を課せられたが、残り30秒のところでホーリーを沈め3週連続の王座防衛を果たした。試合後、レッスルマニアを控えたウマガに対して、金網を破壊しつつトペ・コンヒーロを仕掛けるという技を見せた。

レッスルマニア23ではビンス・マクマホンと大富豪ドナルド・トランプの代理戦争に出場し、ウマガとのシングルマッチに勝利したことでビンスは事前の約束どおりスキンヘッドになる。その後マクマホンファミリーに強奪されたECW王座を巡って抗争を繰り広げる。One Night Stand 2007で王座を奪還するも、ドラフトでRAWに移籍。これに伴いECW王座の返上を余儀なくされた。2008年2月4日付けで、怪我からの復帰が無いままWWEを解雇された。

TNA[編集]

WWE解雇後、同年6月13日にAAAの年間最大のイベントであるTriplemanía 16に出場。鈴木健想エレクトロ・ショックとタッグを組んで、チェスマン & シルバー・キング & ラ・パルカ・ジュニア組から勝利を飾った。

2009年4月19日、TNAのPPVであるLockdown 2009に登場しTNAに参戦する旨を伝えるプロモーションを行った。以降、不定期ながらTNAへ出場し、ミック・フォーリーと結託してカート・アングル率いるメイン・イベント・マフィアとの抗争、No Surrender 2009でのライノとのシングルマッチでの対戦で勝利したことをきっかけにライノとの抗争、Final Resolution 2009スコット・スタイナーとラストマン・スタンディングマッチを行うなど主にPPVで活躍。2010年1月にはハルク・ホーガンエリック・ビショフの入団により彼らとのスキットを行うが2月以降登場せず、TNAからのロスター枠からも外された。

IGF[編集]

メジャー団体のみならずインディー団体や世界各地のプロレス団体にも出場。日本の団体であるIGFに参戦し、2008年8月15日のGENOME6にて初出場。ザ・プレデターと対戦し、スピアーからの片エビ固めで勝利。

以降、IGFに断続的に参戦し、2011年にはIGFチャンピオンシップトーナメントに出場し、一回戦であるGENOME15にてキース・ハンソンとの元WWE対決ながら短時間で勝利。準決勝であるGENOME16でジョシュ・バーネットと対戦するが敗れた。

TNA復帰[編集]

2014年3月9日、TNAのPPVであるLockdown 2014にて観戦に訪れ、マイクパフォーマンスにて復帰する意向を発表。イーサン・カーター3世により因縁をつけられ同月20日のiMPACT Wrestlingにてイーサン・カーター3世を相手に復帰戦を行うも反則勝利という形に終わった。

5月よりMVPケニー・キングに唆されてヒールへと転向し、トリオユニットを結成。TNA世界ヘビー級王座の取り合いが争いが激しい中殴りこんでMVPとケニー・キングのアシストを受けて勝ち進み、6月19日にTNA世界ヘビー級王者であるエリック・ヤングに挑戦して勝利し、ベルトを奪取した。

総合格闘技[編集]

2008年12月13日、Mixed Fighting Allianceで総合格闘技デビューを果たし、ジョシュア・フランクリンにTKO勝ちを収めた。

2009年3月21日、ロイ・ジョーンズ・ジュニアが主催する総合格闘技とボクシングの大会「March Badness」に出場し、ジェイソン・グイダに判定勝ち(当初はケン・シャムロックと対戦予定であったが、ドラッグテストで陽性となり変更となった[1])。

同年6月27日、ミシシッピ州ビロクシで行われた「Ultimate CHAOS」でボブ・サップと対戦し、パウンドにより1ラウンドでギブアップ勝ちを収めた。

2010年8月21日、Strikeforce: Houstonチャド・グリッグスと対戦。2R終了時に立ち上がってコーナーに戻ることができず、レフェリーストップによるTKO負けで総合格闘技初黒星を喫した[2]

2012年5月6日、Super Fight League 3PRIDE戦極など日本になじみのあるジェームス・トンプソンと対戦。早期決着が期待されたが両者共にスタミナ切れを起こし判定となり敗れた。

2013年6月7日、Titan FC 25のメインイベントにてケビン・アスプルンドと対戦し、キーロックを決めて勝利。

2014年9月5日、Bellator 123にてジョシュ・バーンズと対戦し、リアネイキドチョークを決めて勝利。

得意技[編集]

フィニッシャー
相手を肩に担ぎ上げ、体重を浴びせて叩き付ける。
カナディアン・バックブリーカーの体勢から、相手を前方に反転させフェイスバスターで叩き付ける。
持ち上げた後、片手を離しパワーを誇示してから落とす。

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
11 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
9 2 5 2 0 0 0
2 1 0 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
ジョシュ・バーンズ 2R 3:54 リアネイキドチョーク Bellator 123: Curran vs. Pitbull 2 2014年9月5日
ケビン・アスプルンド 2R 1:23 キーロック Titan FC 25: Lashley vs. Asplund 2013年6月7日
× ジェームス・トンプソン 5分3R終了 判定3-0 Super Fight League 3 2012年5月6日
カール・ノーザ 1R 3:44 キーロック Shark Fight 21: Knothe vs. Lashley 2011年11月25日
ジョン・オット 5分3R終了 判定3-0 Titan FC 17: Lashley vs. Ott 2011年3月25日
× チャド・グリッグス 2R終了時 TKO(続行不能) Strikeforce: Houston 2010年8月21日
ウェス・シムズ 1R 2:06 KO(パウンド) Strikeforce: Miami 2010年1月30日
ボブ・サップ 1R 3:17 ギブアップ(パウンド) Ultimate CHAOS 2009年6月27日
マイク・クック 1R 0:24 ギロチンチョーク Mixed Fighting Championships 21: Hard Knocks 2009年5月15日
ジェイソン・グイダ 5分3R終了 判定3-0 March Badness 2009年3月21日
ジョシュア・フランクリン 1R 0:41 TKO Mixed Fighting Alliance: There Will Be Blood 2008年12月13日

獲得タイトル[編集]

プロレス[編集]

WWE

総合格闘技[編集]

Shark Fight
  • Shark Fightヘビー級王座 : 1回

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]