ボリス・マレンコ

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ボリス・マレンコ
プロフィール
リングネーム プロフェッサー・ボリス・マレンコ
グレート・マレンコ
ラリー・マレンコ
マスクド・モスコバイト
オットー・フォン・クラップ
クラッシャー・ドゥガン
ザ・ブルーザー
本名 ローレンス・J・サイモン
(ラリー・サイモン)
ニックネーム チェーンマッチの鬼
身長 178cm[1] (185cm[2]
体重 100kg[1] (108kg[2]
誕生日 1933年6月28日
死亡日 1994年8月27日(満61歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州
デビュー 1957年
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ボリス・マレンコBoris "The Great" Malenko)のリングネームで知られるラリー・サイモンLarry Simon、本名:Lawrence J. Simon1933年6月28日 - 1994年8月27日)は、アメリカ合衆国プロレスラー

現役選手時代はチェーン・デスマッチの名手として活躍し、引退後はヒールマネージャーとなって悪名を轟かせた。また、名トレーナーとしても知られ、日本人レスラーを含め多くの選手を育成した。息子のジョー・マレンコディーン・マレンコも元プロレスラーである。

来歴[編集]

デビュー当時はクラッシャー・ドゥガンCrusher Dugan)などのリングネームを用い、テキサス地区で活動[3]。本名のラリー・サイモン名義でニューヨーク中西部を転戦した後、ナチスギミックオットー・フォン・クラップOtto Von Krupp)に変身、1961年11月23日にボブ・ガイゲルと組んでAWA世界タッグ王座を獲得した[4]

その後、ロシア人ギミックのヒールプロフェッサー・ボリス・マレンコ"Professor" Boris Malenko)として活動。1962年7月19日にはフロリダ州ジャクソンビルにてバディ・ロジャースNWA世界ヘビー級王者に挑戦[5]1963年からはWWWFにも進出し、ボボ・ブラジルペドロ・モラレスと対戦、11月5日にはコネチカット州ブリッジポートにてブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した[6]

1965年1月、グレート・マレンコGreat Malenko)のリングネームで日本プロレスに初来日[7]。以降、1960年代後半からはフロリダを主戦場に活動[3]1967年5月16日にワフー・マクダニエルからフロリダ・ヘビー級王座を[8]1968年7月4日にはエディ・グラハムからブラスナックル王座を奪取[9]。タッグではジョニー・バレンタインとのコンビでホセ・ロザリオ&ジョー・スカルパから南部タッグ王座を奪取している[10]

1970年はテキサス州ダラス地区にて、キラー・カール・コックスマイケル・シクルナと共に、ジョニー・バレンタイン率いるヒール軍団の一員となって活躍。ミル・マスカラスやワフー・マクダニエルと抗争し、5月18日には同地区のエースだったフリッツ・フォン・エリックを破りNWAアメリカン・ヘビー級王座を獲得した[11]。主戦場のフロリダでは1971年から1972年にかけて、ビューティフル・ブルータスサイクロン・ネグロターザン・タイラーディック・マードックボビー・ダンカンベアキャット・ライトポール・ジョーンズらを相手に、虎の子のブラスナックル王座を巡る流血試合を展開。同王座を通算8回獲得し、ラフファイターとしての名声を高めた[9]

1973年5月にはアブドーラ・ザ・ブッチャールーファス・ジョーンズと共に全日本プロレス[12]1974年10月にはザ・シークアーニー・ラッドと共に新日本プロレスに参戦[13]。新日本では、シリーズ後半戦に特別参加したアンドレ・ザ・ジャイアントともタッグを組んだ[14]

以降はセミリタイアし、1976年よりNWAミッドアトランティック地区マネージャーに転向。タキシードステッキ葉巻をトレードマークに悪の紳士をイメージしたキャラクターとなり、マスクド・スーパースターキム・ドクらヒール勢をコントロールした[15]

1978年3月にはスーパースターに帯同して新日本プロレスに再来日。火のついた葉巻アントニオ猪木の目に押し付け、激怒した猪木が制裁目的のシングルマッチを行うなどのアングルも組まれた(このアングルは前年の1977年、ミッドアトランティック地区でのスーパースターとマイティ・イゴールの抗争においても行われていた)[16][17]。新日本には1979年1月にも、フロリダ地区でのタッグ・パートナーでもあったボブ・ループのマネージャーとして登場している。

1980年代後半からはホームタウンのフロリダ州タンパプロレスリング・ジムを運営。彼のジム "Malenko School of Wrestling" は日本では「マレンコ道場」と呼ばれ、同じくタンパに居住していたカール・ゴッチの仲介により、第二次UWFに数々の門下生が来日した。

1994年8月27日、血液癌のため死去[2]。61歳没。

獲得タイトル[編集]

アメリカン・レスリング・アソシエーション
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座(北部版):1回
  • NWAサウスイースタンTV王座:1回
NWAビッグタイム・レスリング

育成選手[編集]

 etc.

脚注[編集]

  1. ^ a b Wrestlers Database: Boris Malenko”. Cagematch.net. 2012年3月11日閲覧。
  2. ^ a b c 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P34(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b Boris Malenko”. Wrestlingdata.com. 2013年8月17日閲覧。
  4. ^ a b AWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  5. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1962”. Wrestling-Titles.com. 2013年8月17日閲覧。
  6. ^ The WWE matches fought by Boris Malenko in 1963”. Wrestlingdata.com. 2014年11月5日閲覧。
  7. ^ The JWA matches fought by Boris Malenko in 1965”. Wrestlingdata.com. 2014年11月5日閲覧。
  8. ^ a b NWA Florida Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  9. ^ a b c NWA Florida Brass Knuckles Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年11月23日閲覧。
  10. ^ a b NWA Southern Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  11. ^ a b NWA American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2013年8月17日閲覧。
  12. ^ The AJPW matches fought by Boris Malenko in 1973”. Wrestlingdata.com. 2014年11月5日閲覧。
  13. ^ The NJPW matches fought by Boris Malenko in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年11月5日閲覧。
  14. ^ The NJPW matches fought by Boris Malenko in 1974 (2)”. Wrestlingdata.com. 2014年11月5日閲覧。
  15. ^ Bill Eadie Interview Part Two”. Mid-Atlantic Gateway. 2009年11月23日閲覧。
  16. ^ Bill Eadie Interview Part Four”. Mid-Atlantic Gateway. 2011年7月6日閲覧。
  17. ^ The Mighty Igor Dead At 70”. The Wrestling Gospel: January 13, 2002. 2011年7月6日閲覧。

外部リンク[編集]