レイ・トレイラー
| レイ・トレイラー | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ビッグ・ボスマン ビッグ・ババ・ロジャース ビッグ・ババ ビッグ・ブーバー ザ・ボス ガーディアン・エンジェル ウォー・マシーン レイ・トレイラー |
| 本名 | レイモンド・W・トレイラーJr |
| ニックネーム | 暴力看守 壊し屋 |
| 身長 | 195cm |
| 体重 | 132kg - 162kg |
| 誕生日 | 1963年5月2日 |
| 死亡日 | 2004年9月22日(満41歳没) |
| 出身地 | ジョージア州マリエッタ |
| デビュー | 1985年 |
レイ・トレイラー(Raymond W. Traylor, Jr. 、1963年5月2日 - 2004年9月22日)は、アメリカ合衆国ジョージア州出身のプロレスラー。
現役選手時代は、主に米国ではビッグ・ボスマン(Big Boss Man)、日本ではビッグ・ブーバー(Big Bubba)などのリングネームで活躍した。
目次 |
来歴 [編集]
刑務所の看守を経て、1985年にプロレスラーとしてデビュー。1986年夏、ジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区に、ビッグ・ババ・ロジャース(Big Bubba Rogers)のリングネームで登場。黒スーツにソフト帽、サングラスという出で立ちで、悪徳マネージャーのジム・コルネットのボディーガードを務める。服を着たまま試合を行うスタイルが注目を集め、1987年にはミッドサウス・エリアでワンマン・ギャングやスティーブ・ウィリアムスと抗争。1988年3月には全日本プロレスにビッグ・ブーバーの表記で初来日し、ブルーザー・ブロディのパートナーにも起用された。
帰国後、WWF(現・WWE)と契約。服を着て戦うギミックはそのままに、元刑務官というキャリアのもと、制服姿の「暴力看守 ビッグ・ボスマン」に変身する。スリックをマネージャーに、警棒と手錠を凶器に用いる巨漢ヒールとしてハルク・ホーガンやダスティ・ローデスと抗争を展開した。また、ワンマン・ギャング改めアキームとツイン・タワーズ(Twin Towers)なる超巨漢コンビを結成してタッグ戦線でも活躍。メガ・パワーズ(ホーガン&ランディ・サベージ)、デモリッション(アックス&スマッシュ)、ザ・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)などのチームと激闘を繰り広げた。
その後、大幅なウエイトダウンに成功したことを機に、1990年よりベビーフェイスに転向。権力を笠に着た悪徳看守から法と秩序を守る正義の刑務官へのキャラクター・チェンジを果たし、かつての仇敵ホーガンの相棒となってテッド・デビアスやアースクエイクらと抗争。ザ・マウンティーとの警官対決や、ネイルズとの「看守vs囚人」の遺恨試合などでも観客の声援を集めた。
1993年にWWFとの契約が終了。同年7月、全日本プロレスにビッグ・ブーバー名義で5年ぶりの再来日。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にもスティーブ・ウィリアムスとのコンビで参加した(WWF在籍中には1990年4月13日、東京ドームで行われた日米レスリングサミットにも来日している。当時すでに本国ではベビーフェイスに転向していたが、日本ではヒールとしてジェイク・ロバーツと対戦した)。
1994年、WCWと契約。当初はザ・ボス(The Boss)をリングネームにWWF時代と同じギミックを使っていた。しかしWWF側のクレームを受け、法の番人というキャラクター・コンセプトはそのままに、ガーディアン・エンジェル(Guardian Angel)に改名。ベイダーなどと抗争するがブレイクには至らず、ヒールターンしてNWA時代の用心棒ギミック、ビッグ・ババ・ロジャースに戻る。1995年3月19日のPPV "Uncensored" ではスティングからフォール勝ちを収め[1]、同年9月には新日本プロレスに来日した。翌1996年にはnWoに加入。その後nWoを脱退して再びベビーフェイスに戻り、本名のレイ・トレイラー(Ray Traylor)を名乗ったが、WWF時代のような活躍を果たすことはできなかった。
1998年10月12日、突如WWFに復帰し、"悪のオーナー" ミスター・マクマホンのボディーガードとしてRaw is Warに登場。リングネームはかつてと同じくビッグ・ボスマンだが、ブルーの看守服ではなく黒ずくめのSWATスタイルに変身し、マクマホン率いるコーポレーションの一員となりストーン・コールド・スティーブ・オースチンやD-ジェネレーションXと抗争する。同年12月14日にはケン・シャムロックとのコンビでニュー・エイジ・アウトローズからWWF世界タッグ王座を奪取[2]。その後もマンカインドやアル・スノーを破りハードコア王座を4回に渡って獲得し[3]、1999年にはビッグ・ショーとスーパーヘビー級の抗争を展開、2000年はブル・ブキャナンとの暴力看守コンビで活動した。その後しばらく怪我で欠場を続け、2001年末にブッカー・Tの用心棒役で現場復帰。以降はWWFの下部団体OVWで若手選手のコーチなどを務めていたが、2003年にWWFを解雇された。
2004年8月31日にはIWAジャパンの10周年記念興行に来日し、IWA世界王座争奪トーナメントに出場。WWE〜WCWを通しての宿敵であり盟友でもあるジム・ドゥガンと決勝を争った。
帰国後の9月22日、ジョージア州ポールディング郡ダラスの自宅にて心臓発作のため死去[4]。41歳没。
得意技 [編集]
獲得タイトル [編集]
- UWF世界ヘビー級王座:1回(1980年代後半にビル・ワットが主宰していたミッドサウス地区の団体の王座)[5]
- WWF世界タッグ王座:1回(w / ケン・シャムロック)[2]
- WWFハードコア王座:4回 [3]
脚注 [編集]
- ^ “Uncensored 1995 Results”. ProWrestling History.com. 2010年12月23日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月30日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE Hardcore Championship”. WWE.com. 2010年4月30日閲覧。
- ^ “Ray "Big Bossman" Traylor passes away”. SLAM! Wrestling: September 23, 2004. 2009年5月15日閲覧。
- ^ “UWF World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月30日閲覧。