ザ・シーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ザ・シーク
プロフィール
リングネーム ザ・シーク
ジ・オリジナル・シーク
ザ・シーク・オブ・アラビア
本名 エドワード・ジョージ・ファーハット
ニックネーム アラビアの怪人
身長 183cm
体重 110kg(全盛時)
誕生日 1926年6月9日
死亡日 2003年1月18日(満76歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 ミシガン州ランシング
デビュー 1950年 [1]
引退 1998年
テンプレートを表示

ザ・シークThe Sheik、本名:Edward George Farhat1926年6月9日 - 2003年1月18日)は、アメリカ合衆国プロレスラーミシガン州ランシング出身のアラブ系アメリカ人(ギミック上はヨルダンアンマン出身)。日本での異名は「アラビアの怪人」。NWAデトロイト地区のプロモーターとしても活躍し、「デトロイトの帝王」と呼ばれた。

シーク(首長)」の名を冠したプロレスラーは数多く存在するため、本国アメリカでは尊敬の意味も込めジ・オリジナル・シークThe Original Sheik)とも呼ばれる[2]

サブゥーもプロレスラー。

来歴[編集]

両親はレバノンからの移民であり、10人兄弟の1人としてミシガン州ランシングにて生まれる[1]。学生時代はアメリカンフットボールの選手だった[3]。17歳のときに年齢を偽って陸軍に入隊し、第二次世界大戦に出征[1]。その後、プロモーターのバート・ルビーにスカウトされ、1950年にプロレスラーとしてデビュー[1]。デビュー前は、モンタナ州ビュートの銅山で採鉱夫をしていたともされる[4]

北米での活躍[編集]

キャリア初期は、ザ・シーク・オブ・アラビアThe Sheik of Araby)のリングネームテキサス中西部を転戦し[5]ドリー・ファンク・シニアウイルバー・スナイダーとも対戦。その後、ザ・シークThe Sheik)とリングネームを簡略化し、「」「侍女」「火炎攻撃」などのギミックを用い独自のスタイルを確立。1962年5月にはセントルイスパット・オコーナーを破り、セントラル・ステーツ版のNWA USヘビー級王座を獲得している[4]1964年にはデトロイト地区のプロレス興行権を買い取り、NWAビッグ・タイム・レスリングNWA Big Time Wrestling)を設立。NWAの会員資格を取得し、プロモーターとしても有力な存在となった。

1965年2月、ジョニー・バレンタインからデトロイト版のNWA USヘビー級王座を奪取[6]。以降1980年5月まで15年強に渡り、バレンタイン、ボボ・ブラジルジノ・ヘルナンデステリー・ファンクマイティ・イゴールらを破り同王座を通算15回獲得した[6]

他地区にも精力的に遠征しており、カナダモントリオール地区では1967年ジノ・ブリット1974年ミシェル・デュボアを下し、フラッグシップ・タイトルのインターナショナル・ヘビー級王座を通算3回獲得[2][7]西海岸ロサンゼルス地区では1969年フレッド・ブラッシーミル・マスカラスとNWAアメリカス・ヘビー級王座を争っている[8]。日本初遠征後の1972年10月には、ハワイにてフレッド・カリーからNWAハワイ・ヘビー級王座を奪取した[9]

ニューヨークWWWFでは1960年代ブルーノ・サンマルチノアントニオ・ロッカと抗争[3]1968年MSG定期戦では、10月21日・11月18日・12月9日の3カ月連続でサンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦[10])、1970年代からは旧友グラン・ウィザードマネージャーにスポット参戦し、1973年12月14日には、同月10日にスタン・スタージャックを下しWWWF世界ヘビー級王者に返り咲いたサンマルチノの初防衛戦の相手を務めている[11]。また、1974年2月17日にはトロントのメープル・リーフ・ガーデンにてアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦[12]1979年8月25日には、デトロイトに遠征してきたボブ・バックランドWWFヘビー級王座に挑戦している[13]

プロモーターとしてもWWWF / WWFやカナダのトロント地区(メープル・リーフ・レスリング)などと提携し繁栄マーケットを築いていたが、日本車輸出量の増大によるデトロイトの景気急落などの諸事情で観客動員が落ち込み[4]、1980年10月にビッグ・タイム・レスリングは活動を停止[14]。以降はフリーランサーの立場で各地を転戦するようになり、フロリダ地区ではダスティ・ローデスデスマッチを展開[15]。デトロイト時代の盟友アンジェロ・ポッフォ(ランディ・サベージの父親)がレキシントンで旗揚げしたインターナショナル・チャンピオンシップ・レスリングなどにも参戦していたが[2]1982年以降はセミリタイア状態となった。

なお、セミリタイア後は後進の指導・育成を手掛け、甥のサブゥーをはじめ、ロブ・ヴァン・ダムスコット・スタイナーらミシガン出身の選手をトレーニングしている[2]。また、晩年はハードコア・レスリングのオリジネーターの1人として再評価されていた[16]

日本での活躍[編集]

日本には1972年9月、末期の日本プロレスに初来日。坂口征二UNヘビー級王座を賭けての2連戦を行い、初戦で王座を奪取している(第2戦で奪回される)。翌1973年3月、全日本プロレスに初参戦。ジャイアント馬場が持つPWF世界ヘビー級王座の初防衛戦の相手を務めた。1974年11月には新日本プロレスにも参戦し、沖縄アントニオ猪木とのランバージャック・デスマッチも行われたが[17]、シリーズ途中に緊急帰国してしまった(キラー・ブルックスらがビッグ・タイム・レスリングから選手を引き抜き、デトロイトで新団体を興したことによる[4])。シークが新日本プロレスに参戦したのはこの1シリーズのみである。

1977年12月、全日本の『世界オープンタッグ選手権』にアブドーラ・ザ・ブッチャーと「地上最凶悪コンビ」を組んで参加。ザ・ファンクスを相手に凶器攻撃(主に五寸釘とフォーク)で大流血戦を繰り広げた。以降も全日本プロレスを日本での主戦場にファンクスとの抗争を続けるが、1979年の『世界最強タッグ決定リーグ戦』では、ブッチャーと仲間割れして顔面に火炎攻撃を見舞った。

1980年5月に行われたブッチャーとの遺恨戦では、実況席の倉持隆夫アナウンサーを襲い流血させた。同年暮れの世界最強タッグでは「シークのコピー」といわれたグレート・メフィスト[18]を連れて参戦、ブッチャー&キラー・トーア・カマタ組との最終戦では両者リングアウトに持ち込みブッチャー組の優勝を阻止している。1981年の世界最強タッグにはマーク・ルーインとのコンビで参加。ブッチャーと入れ替わりに新日本から移籍してきたタイガー・ジェット・シンと抗争を繰り広げたが、シンとのシングル戦ではリングアウト負けを喫した。その後、自ら保持するデトロイト地区USヘビー級選手権とシンの保持するUWA世界ヘビー級選手権のダブルタイトル戦をぶち上げるものの、ストーリーは続かず、昭和期ではこれが最後の来日となった。

1991年11月、FMWへの参戦で10年ぶりの来日が実現。以降はFMWを主戦場として、大仁田厚と抗争を繰り広げた(アメリカでも活動を再開し、1994年にはECWにも登場してケビン・サリバンタズマニアックと対戦している[3])。

1992年5月6日、FMW兵庫県三田市大会における大仁田&ターザン後藤VSシーク&サブゥーのファイヤー・デスマッチでは、リングの周りの火炎の勢いが強すぎるというアクシデントが起きた。リングは火炎に囲まれ酸欠状態となり、異変を察知したレフェリー・レスラー達は次々とリングを飛び降りたがシークは最後までリング内に残り、ぎりぎりでリングから降りると、場外でも更に大仁田に火炎攻撃を仕掛けた。ノーコンテストの裁定が下ると自ら救急車に乗り込み病院へ直行した。

1998年12月11日、大仁田が旗揚げした新団体「USO倶楽部」の後楽園ホール興行にて、本人を招いての引退セレモニーが行われた。

死去[編集]

2003年1月18日、故郷のランシング近郊のミシガン州ウィリアムストンにて心不全により76歳で死去[1]。彼の死は、当時来日したアブドーラ・ザ・ブッチャーによって、日本のファンに伝えられた。

2007年、プロレス界における功績を称えWWE殿堂に迎えられた。顕彰式は3月31日、かつての本拠地ミシガン州デトロイトのフォックス・シアターで行われ、サブゥーとロブ・ヴァン・ダムがインダクターを務めた。

獲得タイトル[編集]

得意技[編集]

キャメルクラッチ
うつぶせに倒れた相手の背中に馬乗りになり、首を掴んで後方へ反り返るように引き絞る技。シークのキャメルクラッチは立てた膝で相手の片腕だけをホールドし、顎部分を捻るようにして絞め上げるという独特の形になる。極める部位としては、現在のプロレス界でいうところのクロスフェイスに近い。
火炎攻撃
口に含んだ燃料を隠し持ったライターで着火させつつ相手に吹きかけ、炎を浴びせる。
凶器攻撃
ボールペンや五寸釘、レバノンナイフなど様々なものを凶器として用いた。
アラビアン・バックブリーカー
うつぶせに倒した相手の足を背後から掴んでの変形波乗り固め。若手時代に使用していた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Pro wrestler Ed "The Sheik" Farhat, who fans loved to hate, dies at age 76”. SLAM! Sports: January 20, 2003. 2010年4月13日閲覧。
  2. ^ a b c d Wrestler Profiles: The Sheik”. Online World of Wrestling. 2010年4月13日閲覧。
  3. ^ a b c WWE Hall of Fame Inductees”. WWE.com. 2010年4月13日閲覧。
  4. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST 1000』P25(1996年、日本スポーツ出版社
  5. ^ The Sheik”. Wrestlingdata.com. 2013年9月8日閲覧。
  6. ^ a b NWA United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月13日閲覧。
  7. ^ International Heavyweight Title [Montreal]”. Wrestling-Titles.com. 2013年8月16日閲覧。
  8. ^ NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月13日閲覧。
  9. ^ NWA Hawaii Heavyweight Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月16日閲覧。
  10. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1963-1969”. The History of WWE. 2010年5月7日閲覧。
  11. ^ WWE Yearly Results 1973”. The History of WWE. 2010年4月13日閲覧。
  12. ^ The MLW matches fought by The Sheik in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。
  13. ^ WWE Yearly Results 1979”. The History of WWE. 2010年4月13日閲覧。
  14. ^ NWA Big Time Wrestling”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月13日閲覧。
  15. ^ The CWF matches fought by The Sheik in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。
  16. ^ History of the Hard Core Wrestling Match”. BBC: October 22, 2002. 2010年4月13日閲覧。
  17. ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P9(2002年、日本スポーツ出版社)
  18. ^ Wrestler Profiles: The Great Mephisto”. Online World of Wrestling. 2010年10月6日閲覧。

外部リンク[編集]