チャールズ・ライト (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ザ・ゴッドファーザー
ザ・ゴッドファーザーの画像
The Godfather in 1999
プロフィール
リングネーム ザ・ゴッドファーザー
ザ・グッドファーザー
ピンプ・ファーザー
パパ・シャンゴ
カマ
カマ・ムスタファ
サー・チャールズ
ザ・ソウルテイカー
本名 チャールズ・ライト
身長 195cm
体重 140kg(全盛時)
誕生日 1961年5月16日(53歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ネバダ州ラスベガス
スポーツ歴 アメリカンフットボール
マーシャルアーツ
トレーナー ラリー・シャープ
デビュー 1989年
引退 2002年
テンプレートを表示

チャールズ・ライトCharles Wright1961年5月16日 - )は、主に1990年代から2000年代初頭にかけて、WWF(現・WWE)を中心に活躍したアメリカ合衆国プロレスラーネバダ州ラスベガス出身のアフリカ系アメリカ人

ポン引きギミックザ・ゴッドファーザーThe Godfather)、怪奇派のパパ・シャンゴPapa Shango)など、様々なキャラクターで知られる。

来歴[編集]

初期[編集]

バンバン・ビガロレイヴェンシェイマスらを輩出したことで知られるプロレスラー養成所 "モンスター・ファクトリー" の出身[1]1989年9月16日、テネシー州メンフィスUSWAにてザ・ソウルテイカーThe Soultaker)のリングネームでデビューし、翌月の10月23日にはジェリー・ローラーからUSWAユニファイド世界ヘビー王座[2]を奪取した[3]

1990年6月、バンバン・ビガロを倒した北尾光司への「モンスター・ファクトリーからの刺客」として新日本プロレスに初来日。全身に施されたタトゥーのインパクトと、マーシャルアーツをベースとした格闘家的なファイトスタイルが注目され、同年は新日本に計4回に渡って参戦。兄弟子のビガロや黒人レスラーの大先輩バッドニュース・ブラウンともタッグを組んだ。10月25日にはプロボクサーとして新日本に登場したトニー・ホーム異種格闘技戦を行っている。

パパ・シャンゴ[編集]

1991年、当時の人気NBAプレイヤーであるチャールズ・バークレーニックネームと同じサー・チャールズSir Charles)を名乗り、ローブをまとった貴族ギミックWWFにトライアウト出場。翌1992年に正式契約を結び、ブードゥー教呪術師をモチーフとした怪奇派ヒールパパ・シャンゴPapa Shango)として本格的なWWFデビューを果たした。黒いシルクハットを被り、顔面にはドクロのペインティングを施し、白煙が濛々と立ち込める頭蓋骨を手に入場。火花を放射する仕込み杖や、呪文を唱えると相手の体から鮮血が吹き出す妖術パフォーマンスなど、キワモノ的なブードゥー・ギミックでセンセーショナルな存在となった。

同年4月5日のレッスルマニアVIIIでは、メインイベントのハルク・ホーガンシッド・ジャスティス戦に乱入。ホーガンを襲撃するが、ホーガン救出に駆けつけたアルティメット・ウォリアーによって蹴散らされる。ウォリアーは前年8月にWWFを解雇されて以来の登場であり、その露払い役を務めた形となった。以降はウォリアー復帰後の抗争相手となり、またジ・アンダーテイカーとの怪奇派対決も注目を集めた。

しかし、PPV大会での決着戦を前提とした長期間の抗争アングルは組まれず、レッスルマニアでの乱入以降は大きな活躍を残せなかった。1993年からはパパ・シャンゴのキャラクターでUSWAに復帰(WWFとUSWAは前年より提携関係を結び、ジェリー・ローラーも同時期にWWFに登場している)。再びUSWAユニファイド王座を獲得するが[3]、WWFから遠征してきたオーエン・ハートに奪取される。その後はUSWAを離れ、オットー・ワンツの主宰するヨーロッパのCWAなどを転戦した。

カマ〜NOD[編集]

1995年、マーシャルアーツの下地を活かし、総合格闘家ギミックのカマKama)に変身してWWFと再契約。ニックネームは"The Supreme Fighting Machine"(最高の戦闘マシーン)。このキャラクターおよびネーミングは、当時UFCにおいて人気を得ていた異色の格闘家キモをイメージしたものだった。テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションに加わりジ・アンダーテイカーとも抗争するが、ここでもブレイクを果たせず、1996年から再びWWFを離脱。

1997年、今度はファルークが結成した "黒人至上主義軍団" ネーション・オブ・ドミネーションNOD)の一員としてWWFに復帰(同時期のメンバーは他にディーロ・ブラウンマーク・ヘンリーザ・ロック)。リングネームもネーション・オブ・イスラムを意識してカマ・ムスタファKama Mustafa)と改められ、クラッシュ率いる白人バイカー軍団DOAやリージョン・オブ・ドゥームとの軍団抗争を展開した。

ザ・ゴッドファーザー[編集]

1998年にファルークがNODから追放され、ザ・ロックがリーダーとなりユニット名を "Nation" と改めたことを機に、リングネームをザ・ゴッドファーザーThe Godfather)に改名。ソフト帽葉巻をくわえたポン引きギミックのヒールとして "ホー(Ho)" [4]を連れて入場、試合前に対戦相手と交渉し、女をあてがう代わりに不戦勝を得るというキャラクターに変身した。

同年夏、当時の中堅選手によるシュート大会として伝説化されている "WWF Brawl for All" に出場後(準決勝でバート・ガンに敗退)、療養のために短期間欠場。その間、ネーションはマーク・ヘンリーとディーロ・ブラウンがロックに造反して解散。これに伴いライトも彼らと袂を分かち、ポン引きギミックはそのままに、ベビーフェイスのシングルプレイヤーとして売り出されることになる。

このフェイスターンは支持を集め、入場後の決め台詞 "Pimpin' Ain't Easy" を観客と一体となって叫ぶなど、絶大な会場人気を獲得。これまで様々なキャラクターを演じながらもブレイクには至らなかったライトにとって、"ザ・ゴッドファーザー" はデビュー10年目にして初めて成功を掴むことのできたギミックとなった[5]。彼自身もゴッドファーザーのギミックを気に入っており、実際の自分にもっとも近いキャラクターだったと述懐している[6]1999年4月12日にはゴールダストを破りWWFインターコンチネンタル王座を獲得[7]。入場時に引き連れるホーの人数もエスカレートし[8]AV男優ギミックのバル・ビーナスとの風紀違反コンビも人気を呼んだ。

ザ・グッドファーザー[編集]

観客からは大声援を受ける一方、テレビ番組の放送内容を監視する市民団体 "Parents Television Council(PTC)" は、ゴッドファーザーのギミックは子供の視聴者にとって有害であると糾弾。2000年に入りWWFへのバッシングが高まる中、ライトはギミック・チェンジを余儀なくされた。そこでWWFはPTCに対する当て付けとして、WWF内の検閲活動を行う保守的なヒール・ユニット、ライト・トゥ・センサーRTC)をプロデュースする。

ゴッドファーザーもRTCの「検閲対象」となり、リーダーのスティーブン・リチャーズの洗脳によってザ・グッドファーザーThe Goodfather)と改名。白いワイシャツにネクタイ姿でRTCの一員となり[9]、同じく検閲を受けて「更生」したバル・ビーナスらと共に、風紀向上のためには手段を選ばないヒールに変身した。同年11月6日にはメンバーの一人ブル・ブキャナンと組んでハーディー・ボーイズからWWFタッグ王座を奪取している[10]

2001年4月1日のレッスルマニアX-Sevenを最後にRTCは解散、しばらくリングを離れた後、2002年1月10日のロイヤルランブルにてポン引きゴッドファーザーとしての久々の登場を果たした。大歓声で迎えられ、その後も自身の商売は「合法」であると主張してリングに復帰。しかし番組への出演機会は減少し、再度のヒールターンの末、バル・ビーナスとの泡沫的な抗争を経て、サイドビジネス(地元ラスベガスでのトップレス・クラブ経営)に専念するためセミリタイアした。

その後、ベビーフェイスの立場でスポット的に登場し、9月に行われたゲイ・ギミックのタッグチーム、ビリー&チャックの「結婚式」では、彼らは実際にはゲイではなく、自分のところから娼婦を買っていたことを暴露。翌月の10月7日、地元ラスベガスで行われたRAWルーレットのジェリー・ローラー対スティーブン・リチャーズ戦でのゲスト出演を最後にWWFを退団し、そのまま引退した。

引退後[編集]

引退後、WWEの興行や番組には時折登場。2005年6月26日のヴェンジェンスではヴィセラリリアン・ガルシアのスキットを、2007年9月21日放送のスマックダウンではセオドア・ロングクリスタルの結婚披露宴を、それぞれホー達を引き連れて登場しメチャクチャにしている。2007年は12月10日のRAW15周年大会にも出演した。

2009年11月、ハルク・ホーガンがオーストラリアにて主宰したハルカマニアツアーに、ピンプ・ファーザーPimp Father)のリングネームで参加している[11]

2013年1月27日、ロイヤルランブルのロイヤルランブルマッチに17番目にサプライズ登場するが、リングに入ろうとした瞬間にドルフ・ジグラーからドロップキックを喰らい転落した。

得意技[編集]

入場曲[編集]

  • The Ho Train - WWE在籍時に使用

獲得タイトル[編集]

USWA
  • USWAユニファイド世界ヘビー王座:2回 [3]
WWE

脚注[編集]

  1. ^ Monster Factory Graduates”. The Official Site of Larry Sharpe's Monster Factory. 2010年10月28日閲覧。
  2. ^ 1988年ミネアポリスAWA世界ヘビー級王座とダラスのWCCW世界ヘビー級王座の二冠王となったジェリー・ローラーが、両王座を統一して新設したタイトル。
  3. ^ a b c USWA Unified World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月10日閲覧。
  4. ^ 売春婦を意味する "Whore" の黒人スラング
  5. ^ Papa Shango haunts The Godfather”. SLAM! Wrestling: July 28, 1999. 2010年10月28日閲覧。
  6. ^ Catching up with The Godfather: Part 1”. WWE.com. 2010年10月28日閲覧。
  7. ^ a b History of the WWE Intercontinental Championship”. WWE.com. 2010年4月10日閲覧。
  8. ^ 当時のホーの中には、後にWWE女子王座を獲得するビクトリアことリサ・マリー・バロンや、ボブキャットのリングネームでTNAなどで活躍するシンシア・リンチもいた。シンシアはホー時代、どさくさに紛れてクラッシュ・ホーリーからフォールを奪いハードコア王座を獲得したが、瞬時に奪回された。
  9. ^ Faction Profiles: The Right To Censor”. Online World of Wrestling. 2010年10月28日閲覧。
  10. ^ a b History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月10日閲覧。
  11. ^ Hulkamania "Let the Battle Begin" 2009”. Online World of Wrestling. 2010年1月24日閲覧。

外部リンク[編集]