ジノ・ヘルナンデス

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ジノ・ヘルナンデス
プロフィール
リングネーム "ゴージャス" ジノ・ヘルナンデス
本名 チャールズ・ウルフ
ニックネーム ハンサム・ハーフ・ブリード
身長 186cm
体重 103kg(全盛時)
誕生日 1957年8月14日
死亡日 1986年1月30日(満28歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州ハイランドパーク
トレーナー ホセ・ロザリオ
デビュー 1975年
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"ゴージャス" ジノ・ヘルナンデス"Gorgeous" Gino Hernandez、本名:Charles E. Wolfe1957年8月14日 - 1986年1月30日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテキサス州ハイランドパーク出身。1973年に日本で死亡したプロレスラー、ルイス・ヘルナンデス[1]継父にあたる。

地元のテキサスを主戦場に、サンアントニオダラスの2大プロモーションを股にかけて活躍。プロレス界でも屈指のハンサム・ガイでありながら、持ち前の向こうっ気の強さを活かし、不良系のヒールとして名を馳せた[2]イタリア系とヒスパニック系のハーフであり、ハンサム・ハーフ・ブリードThe Handsome Half-Breed)の異名を持つ。そのキャラクターは、弟弟子ショーン・マイケルズのハートブレイク・キッドにも通底している[3]

来歴[編集]

亡父ルイス・ヘルナンデスの従兄弟でもあるメキシコ系アメリカ人のスター、ホセ・ロザリオのトレーニングを受け、テキサスサンアントニオ地区(後のSCW / サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)にて1975年にデビュー。その後、ベビーフェイスの新鋭としてザ・シークが牛耳るデトロイト地区で修業を積み、1977年1月にはブルドッグ・ドン・ケントを破りNWA USヘビー級王座を獲得した[4]

同年の下期よりテキサスに戻り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するダラスのNWAビッグ・タイム・レスリング(後のWCCW / ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング)を主戦場とする。翌1978年3月、全日本プロレス『エキサイト・シリーズ』に初来日。同シリーズ後半戦にはリック・フレアーが特別参加しており、後のキャラクター形成に大きな影響を受けることとなる。以降は"ゴージャス・ジノ" を名乗り、フレアー・タイプの色悪系ヒールに転向。デビッド・フォン・エリックとNWAテキサス・ヘビー級王座を巡る抗争を開始し、師匠のホセ・ロザリオとも遺恨試合を展開した[5]。また、タッグ戦線ではジミー・スヌーカブルーザー・ブロディのパートナーに起用され、NWAテキサス・タッグ王座を計3回獲得している[6]

ダラスには1980年まで定着し、1981年からは古巣サンアントニオのSCWに復帰。2月27日にはヒューストンチャボ・ゲレロからNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座[7]を奪取している[8]。同年8月、全日本プロレスの『スーパー・アイドル・シリーズ』に再来日。同シリーズではジプシー・ジョーの相棒となり、マスカラス兄弟(ミル・マスカラス&ドス・カラス)やリッキー・スティムボートらアイドル勢を相手にイキのいいラフファイトを披露、ヒールとしての持ち味を日本でも遺憾なく発揮し、次回の来日が期待された[9]

この時期、ジム・バーネットが主宰するNWAジョージア地区にも登場。ロディ・パイパーのインタビュー・コーナーに出演し、女優ファラ・フォーセットのバースデイ・パーティーに招待されたことを鼻にかけ、彼女をモノにしたと嘯くなど色悪ぶりをアピール、同地区のトップ・ベビーフェイスとして女性ファンの支持を集めていたトミー・リッチを挑発した[10]

本拠地のSCWではニック・ボックウィンクルAWA世界ヘビー級王座にも挑戦。タッグでは、団体のプロモーターであるジョー・ブランチャードの息子タリー・ブランチャードダイナミック・デュオThe Dynamic Duo)を結成[11]。1981年から1983年にかけて、SCWサウスウエスト・タッグ王座を5回に渡って獲得、ワフー・マクダニエル&テリー・ファンク、ブルーザー・ブロディ&ディック・スレーターなどの強豪チームを相手に激闘を繰り広げた[12]

1984年、ブランチャードのNWAミッドアトランティック地区移籍に伴い、チームを解散して再びダラス地区に参戦。同年6月23日、手本としていたリック・フレアーをトーナメントの決勝で撃破しテキサス・ヘビー級王座に返り咲く[13]1985年からは"ジェントルマン" クリス・アダムスを新パートナーにダイナミック・デュオを再編。NWAアメリカン・タッグ王座を巡るフォン・エリック兄弟(ケビン&ケリー・フォン・エリック)との抗争劇は、同地区のドル箱カードとなった[5]

1986年、当時ダラス地区と提携を結んでいた新日本プロレスへの来日が決定。アダムスとのコンビで2月28日開幕のシリーズへの参加が発表されたが、来日を目前に控えた2月4日、ハイランドパークの自宅で死亡しているところを発見される。検死の結果、死亡日は1月30日、死因はコカインの過剰摂取と判明した[14]。28歳没。あまりにも突然の死のため自殺説や他殺説も囁かれたが、いずれも推測の域を出ていない[15]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

SCW(サンアントニオ地区)
  • SCWサウスウエスト・タッグ王座:5回(w / タリー・ブランチャード
  • SCW世界タッグ王座:2回(w / タリー・ブランチャード)
WCCW(ダラス地区)
その他

脚注[編集]

  1. ^ 日本プロレスに参戦中の1973年2月1日、巡業先のホテルにて心臓発作を起こし死去。ジノはルイスの後妻の連れ子で直接の血縁関係はない。
  2. ^ 『THE HEEL(プロレスアルバム16)』P56(1981年、ベースボール・マガジン社
  3. ^ ホセ・ロザリオは、もっとも優秀な教え子としてジノの名を挙げており、存命であればショーン・マイケルズ以上のレスラーになっていたとコメントしている。(『Gスピリッツ Vol.18』P27 / 2010年、辰巳出版ISBN 4777808661
  4. ^ NWA United States Heavyweight Title [Detroit]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  5. ^ a b Gino Hernandez”. World Class Memories. 2011年1月5日閲覧。
  6. ^ NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
  7. ^ 1980年2月に新日本プロレス藤波辰巳スティーブ・カーンから奪取した「NWA世界ジュニアヘビー級王座」がルーツ。前王者のネルソン・ロイヤルが引退のために返上した同タイトルを、カーンがロサンゼルス地区で行われた王座決定戦に勝利して獲得したものであり、フロリダエディ・グラハムWWFビンス・マクマホン・シニアらNWAの反主流派プロモーターによって認可されていた。しかし、もともとNWAのジュニア王座を管理(なかば私物化)していた主流派プロモーターのレロイ・マクガークがこれに異を唱え、藤波の載冠と同時期にオクラホマ地区で新王者決定戦を独自に決行。2つの同じ王座が混在してしまったため、このタイトルはNWA "インターナショナル" ジュニアヘビー級王座と改称された。以降、同王座は新日本に定着したが、1980年11月に木村健悟を破り王者となったチャボ・ゲレロが本拠地のテキサスで防衛戦を行うようになり、その際にジノに王座を奪われた(2週間後にゲレロが奪還)。その後、ゲレロは王者のまま新日本から全日本プロレスに移籍。以降、このタイトルは全日本の管理下に置かれ、大仁田厚ダイナマイト・キッド、2代目タイガーマスク(三沢光晴)らが歴代王者となった。
  8. ^ NWA International Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  9. ^ 『スーパー・タッグ Now!(プロレスアルバム55)』P24(1985年、ベースボール・マガジン社)
  10. ^ Remembering Gino Hernandez & Farrah Fawcett”. Kentucky Fried Wrestling.com. 2010年8月5日閲覧。
  11. ^ 入場テーマ曲にはクイーンの『We Are the Champions』を使用していた。
  12. ^ SCW Southwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
  13. ^ NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
  14. ^ Kristian Pope & Ray Whebbe (2nd Edition 2003). The Encyclopedia of Professional Wrestling: 100 Years of History, Headlines & Hitmakers. Krause Publications. ISBN 978-0873496254. 
  15. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P273(1996年、日本スポーツ出版社

外部リンク[編集]