チャボ・ゲレロ・シニア
| チャボ・ゲレロ・シニア | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | チャボ・ゲレロ チャボ・クラシック |
| 本名 | サルバドール・ゲレロ・ジャネス |
| ニックネーム | 小さな巨人[1] |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 103kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1949年1月7日(64歳) |
| 出身地 | テキサス州エル・パソ |
| トレーナー | ゴリー・ゲレロ |
| デビュー | 1972年 |
| 引退 | 2007年 |
チャボ・ゲレロ・シニア(Chavo Guerrero, Sr. 、1949年1月7日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州エル・パソ出身のメキシコ系アメリカ人。本名サルバドール・ゲレロ・ジャネス(Salvador Guerrero Yañez)。
メキシコのプロレス一家であるゲレロ・ファミリーの一員。父親のゴリー・ゲレロ、弟のマンド・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、エディ・ゲレロ、息子のチャボ・ゲレロ・ジュニアもプロレスラーである。
目次 |
来歴 [編集]
高校の体育教師を経て[1]、1972年にチャボ・ゲレロ(Chavo Guerrero)のリングネームでプロレスラーとしてデビュー。
日本へは1975年7月に全日本プロレスに初来日。1978年6月からは新日本プロレスに登場し、藤波辰巳、木村健悟らのジュニアヘビー級レスラーと抗争を繰り広げた(1980年4月の来日では『第3回MSGシリーズ』の決勝リーグに進出し、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ダスティ・ローデスなどスーパーヘビー級の選手とも対戦している)。1981年8月より再度全日本プロレスに参戦。当時ジュニアヘビー級であった大仁田厚らと抗争した。
アメリカではメキシカン人口の多いカリフォルニア州のNWAロサンゼルス地区(NWAハリウッド・レスリング)や、テキサス州サンアントニオのSCW(サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング / 後のテキサス・オールスター・レスリング)を主戦場にベビーフェイスのポジションで活動。エースとして活躍していたロサンゼルスでは1975年から1980年にかけて、アーニー・ラッド、ロディ・パイパー、ザ・ハングマン、ドリー・ファンク・ジュニア、テキサス・レッド、パット・パターソンらを破り、メインタイトルであるNWAアメリカス・ヘビー級王座を通算16回獲得している[2]。1980年1月25日には、ロサンゼルス地区のトップ・コンテンダーとしてハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[3]。
1980年10月3日、新日本プロレスのリングで木村健悟からNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取[4]。その後アメリカで防衛戦を行い、1981年2月27日にテキサス州ヒューストンでジノ・ヘルナンデスに王座を奪われるも5月22日に奪回している[4]。同年8月より王者として全日本プロレスに参戦したが、1982年3月7日、ノースカロライナ州シャーロットにて大仁田厚に敗れて陥落[4]。1983年、大仁田の負傷によるタイトル返上後、5月26日のトーナメント決勝でウルトラセブンを下して王座に返り咲き、翌1984年2月26日にマイティ井上に敗れるまで戴冠した[4]。
以降はアメリカ南部を転戦し、1984年7月14日にフロリダにて弟のヘクター・ゲレロと組み、バリー・ウインダム&マイク・ロトンドからUSタッグ王座を奪取した[5]。1985年9月29日にはサンアントニオのテキサス・オールスター・レスリングにて、テッド・デビアスを破りUSAヘビー級王座の第2代王者となっている[6]。
1980年代後半からは活動の拠点をアメリカからメキシコに移し、1992年秋にはルードのポジションでAAAに参戦。1990年代は、日本の団体ではSWSや無我などのリングへ上がった。
1990年代後半より現役を引退していたが、2004年になって「チャボ・クラシック(Chavo Classic)」を名乗りWWEのスマックダウンに登場。これはそれまでタッグを結成していたエディ・ゲレロとチャボ・ゲレロ・ジュニアの「ロス・ゲレロス」解散後の抗争ストーリーに絡んでの登場で、息子側についてエディと抗争した。試合にも時折出場し、2004年5月にはチャボ・ジュニア&スパイク・ダッドリーとの3Wayマッチを制してクルーザー級王座を奪取している[7]。WWEには同年6月まで出場した。
得意技 [編集]
- ジャーマン・スープレックス
- 元々得意技だったが、全日本プロレスに再参戦して大仁田厚、渕正信、マイティ井上らとNWAインタージュニア王座を争っていた頃はフィニッシュとしてかなり多用した。大仁田、渕とのシングル戦では、お互いジャーマンを狙ってのバックの取り合いは名物的光景だった。
- ヒップ・アタック
- 近年では越中詩郎の代名詞ともいえる技だが、越中自身、自著で「チャボ・ゲレロが使っていたのを盗んだ」とカミングアウトしている。
- カウンター式サイド・スープレックス
- 相手をロープに飛ばし、戻ってくるところをパワー・スラム気味のサイド・スープレックスで素早く叩きつける、チャボ・シニア独特の技。この技からヒップ・アタック、ジャーマン・スープレックスにいくのが彼の殺人フルコースだった。
- ダイビング・ボディ・アタック
- ロープリバウンド式、ミル・マスカラスのようにコーナー最上段から放つタイプなど、試合中盤で流れを変えるのに多用していた。
- プランチャ・スイシーダ
- 場外に落ちた相手にトペ・スイシーダにいくと見せかけ、相手がかわそうとしゃがんだのを見計らってロープを掴んでフェイント→プランチャ・スイシーダ、のパターンはチャボ・シニアの得意な連携だった。このフェイントからの連携には藤波辰巳、大仁田も当初引っかかっていた。
- ロメロ・スペシャル
- ゴリー・スペシャル
- チャボ・シニアの父ゴリー・ゲレロが開発した複合背骨折り。
獲得タイトル [編集]
- NWA世界ジュニアヘビー級王座 : 2回
- NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座 : 3回
- NWAアメリカス・ヘビー級王座 : 16回[2]
- NWAアメリカス・タッグ王座 : 11回(w / ラウル・マタ×2、ジョン・トロス、ゴリー・ゲレロ、ポール・バション、ビクター・リベラ、ロディ・パイパー、ヘクター・ゲレロ、エル・ハルコン、ブラック・ゴードマン、アル・マドリル)
- NWA USタッグ王座(フロリダ版) : 1回(w / ヘクター・ゲレロ)
- SCW
- SCW世界タッグ王座 : 1回(w / マニー・フェルナンデス)
- SCW南西部ジュニアヘビー級王座 : 1回
- テキサスオールスター・ヘビー級王座 : 1回
- テキサスオールスター・タッグ王座 : 1回(w / アル・マドリル)
- WWAトリオ王座 : 1回(w / マンド・ゲレロ、エディ・ゲレロ)
- WWEクルーザー級王座 : 1回[7]
- その他
- ACCW王座 : 2回
- HHW王座 : 1回
脚注 [編集]
- ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P66(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b “NWA Americas Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月1日閲覧。
- ^ “Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1980”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月5日閲覧。
- ^ a b c d “NWA International Junior Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月5日閲覧。
- ^ “NWA United States Tag Team Title History: Florida version”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月5日閲覧。
- ^ “Texas All-Star Wrestling U.S.A. Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月5日閲覧。
- ^ a b “History of the Cruiserweight Championship”. WWE.com. 2011年3月1日閲覧。
外部リンク [編集]
- Chavo Guerrero Sr : A Legend (Official Website)