ジプシー・ジョー
| ジプシー・ジョー | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ジプシー・ジョー アズテック・ジョー ブルー・インフェルノ エル・グラン・ピストレロ ジーン・マドリッド |
| 本名 | ヒルベルト・メレンデス |
| ニックネーム | 放浪の殺し屋 |
| 身長 | 176cm |
| 体重 | 102kg - 110kg |
| 誕生日 | 1933年12月2日(79歳) |
| 出身地 | |
ジプシー・ジョー(Gypsy Joe、1933年12月2日 - )はプエルトリコ出身のプロレスラー。本名はヒルベルト・メレンデス(Gilberto Melendez)、愛称はペペ(Pepe)[1]。
全盛時は流血戦を得意とするラフファイターとして活躍した。小柄だが無類のタフネスを誇り、スチール製の椅子で殴打されても反対に椅子の方が折れ曲がってしまうほどの驚異的な肉体の持ち主で知られる。
目次 |
来歴 [編集]
少年時代にプエルトリコからニューヨークに移住し、1963年にWWWFのローカル・テリトリーでルー・アルバーノを相手にデビュー[2][3]。当時のトレーニング仲間には、同じプエルトリカンのペドロ・モラレスやカルロス・コロンがいたという[2]。
以後、北米大陸各地を転戦し、1974年にメキシコでアズテック・ジョー(Aztec Joe)なるインディアン・ギミックのレスラーに変身[4]。その後ジプシー・ジョーと名乗り、カナダのモントリオール地区に登場、マッドドッグ・バションと抗争を展開した[3]。
1975年9月、バションの推薦で国際プロレスに初来日。以降も同団体にエース外国人の一人として来日し、ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に再三に渡って挑戦。王座奪取は果たせなかったものの、金網デスマッチにおいて金網最上段からダイビング・ニー・ドロップを放つなど破天荒な暴れっぷりを見せた。1977年2月に開幕した『第6回IWAワールド・シリーズ』では、公式リーグ戦でモントリオールでのバションとの因縁試合を再現している。また、キラー・トーア・カマタ、キラー・ブルックス、キラー・カール・クラップらと組み、IWA世界タッグ王座にも何度となく挑んだ。国際プロレスには崩壊間際まで来日を続け、1981年8月の同団体の最終シリーズにも参戦した。
国際崩壊後の1981年からは全日本プロレスの常連外国人となり、1985年まで計10回に渡って来日。1981年9月4日にはジャンボ鶴田のUNヘビー級王座に挑戦している。軽量級であったことからジュニアヘビー級戦線でも活躍し、大仁田厚やマイティ井上が保持していたNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座にも挑戦した(国際プロレス時代も、阿修羅・原のWWU世界ジュニアヘビー級王座に挑戦している)。
アメリカ本土では主に独立系の団体に出場していたためメジャーテリトリーでの実績は多くないが、「無法地帯」と呼ばれていたテネシー地区では1960年代後半から1980年代前半にかけて活躍。1978年11月にはトーナメント決勝でメキシカン・エンジェルを破って優勝を果たし、NWA世界ブラスナックル王座の初代チャンピオンに認定されている[5]。1970年代末より発足したCWAではマネージャーのジミー・ハート率いるヒール軍団の一員として、ジェリー・ローラー、ジャッキー・ファーゴ、ロッキー・ジョンソン、ジミー・バリアント、トミー・リッチ、ビル・ダンディーらトップスターと流血の喧嘩試合を展開した。国際プロレス時代は選手の招聘窓口も担当しており、デビッド・シュルツやポール・エラリングをテネシーから初来日させている。
1984年にはカンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区に登場し、ミスター・ポーゴと組んでマーティ・ジャネッティ&トミー・ロジャースのアップタウン・ボーイズからセントラル・ステーツ・タッグ王座を奪取[6]。その後、1985年の全日本への来日を最後にしばらく近況が聞かれなかったが、1991年にエル・グラン・ピストレロ(El Grande Pistolero)なる覆面レスラーとして、CWAの後継団体であるテネシー州メンフィスのUSWAで復帰、USWA認定ジュニアヘビー級王座を獲得した[7]。
同年8月、W★INGの招聘で久々に日本マットに登場。1993年2月3日には後楽園ホールにて、高杉正彦を相手に5分間のエキシビション・マッチによる引退試合も行われたが、その後も単発的に復帰しており、1995年と2002年に後継プロモーションのIWAジャパンに来日している。国際プロレス時代と同様に、W★INGとIWAジャパンではUSWAとの渉外窓口の役目も担った。
近年も各地のインディー団体にスポット参戦を続けており、2007年にはアメリカ東部のIWA East CoastでNOSAWA論外と対戦。2009年4月1日にはハードコア・レスリングのレジェンド[2]としての功績を称え、同団体主催によるトリビュート・イベント "Gypsy Joe Tribute Show" も行われた[8]。
2010年12月、77歳にして8年ぶりの来日を果たし、11日に新宿FACEで行われた『SMASH.11』にて、「ワールド・レジェンド・リバイバル」と銘打たれたメインイベントに出場。TAJIRIと対戦し敗れるも、積極的に場外乱闘に挑み、椅子で殴打されても逆に椅子2脚を壊すなど、往年のタフネスの健在ぶりを見せた。この試合は特別レフェリーとして元国際プロレスの遠藤光男が裁いた。
2011年1月7日、テネシー州タラホマのSWF(Southern Wrestling Federation)にて現役引退試合を行った。WWEによれば、試合当日時点で現役世界最年長の記録を持つ[1]。
エピソード [編集]
- その素性・経歴について、国際プロレスのパンフレットでは「スペイン北部のバスク地方を放浪するジプシーの若きリーダーであったが、仲間に迫害を加えた白人をジプシーの "血の報復" の掟によって殺害し、国外に逃亡してマット界に身を投じた」などとされている[9]。
- 徹底したクレイジーファイターであったジョーだが、プライベートでは温厚な好人物として知られ、会場で売られているフランクフルト・ソーセージなどを子供ファンと一緒にパクついている姿も見られた[4]。なお、好物は「カチドン(カツ丼)」とのこと[2][10]。
- 試合中は椅子などの備品や会場設備を散々に壊していたため、国際プロレスは会場側への弁償に追われていた。当時の営業部長であった鈴木利夫は「あいつが来ると経費がかさんで困る」とボヤいていたという[11]。
- 国際プロレスへの初来日を果たした1975年以前、「ジプシー・ジョー」と名乗る選手は1972年にも同団体に来日している[12]。正体は1970年に同じく国際プロレスに参戦したパンチョ・ロザリオというメキシコ系レスラー。ジョーがこのリングネームを使い始めたのは1975年からなので、一般に知られている「ジプシー・ジョー」は2代目ということになる。初代も同様のヒールだったが、2代目ほどの成功は収められなかった。
得意技 [編集]
獲得タイトル [編集]
- NWAインターナショナル・タッグ王座:1回(w / ジム・ライト)
- インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
- ICW USタッグ王座:1回(w / トージョー・ヤマモト) ※アンジェロ・ポッフォ(ランディ・サベージの父親)が興した団体のタイトル
- NWA世界ブラスナックル王座:1回
- NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / フランク・マルティネス)
- NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / フランク・マルティネス)
- NWAミッドアメリカ・タッグ王座:7回(w / リロイ・ロチェスター、ダッチ・マンテル、バズ・タイラー、トージョー・ヤマモト×3、トム・レネスト・ジュニア)
- AWA南部タッグ王座:1回(w / スカル・マーフィー) ※日本プロレスに来日した同名選手とは別人
- USWAジュニアヘビー級王座:1回
etc.
脚注 [編集]
- ^ a b “Wrestler Profiles: Gypsy Joe”. Online World of Wrestling. 2011年1月29日閲覧。
- ^ a b c d 『Gスピリッツ Vol.13』P79-81「評伝 - ジプシー・ジョー 殺し屋は人生のホームレス」(2009年、辰巳出版)ISBN 4777807150
- ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P64(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b 『THE WRESTLER BEST 100』P224-225(1981年、日本スポーツ出版社)
- ^ “NWA World Brass Knuckles Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年8月26日閲覧。
- ^ “NWA Central States Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。
- ^ “USWA Junior Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。
- ^ “Gypsy Joe Tribute Show”. IWA East Coast.net. 2011年10月21日閲覧。
- ^ 『国際プロレス クロニクル 下巻(DVD-BOX)』特典付録CD-ROM 国際プロレス全パンフレット(2011年、クエスト)
- ^ 『これぞプロレス ワンダーランド!!(プロレスアルバム51)』P41(1984年、ベースボール・マガジン社)
- ^ 『不滅の国際プロレス 1974-1981(DVD-BOX)』DISC-5(2007年、ポニーキャニオン)
- ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史(6)プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P168(1986年、ベースボール・マガジン社)