マッドドッグ・バション
| マッドドッグ・バション | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | マッドドッグ・バション |
| 本名 | モーリス・バション |
| ニックネーム | 狂犬 |
| 身長 | 178cm |
| 体重 | 110kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1929年9月14日(83歳) |
| 出身地 | ケベック州モントリオール |
| スポーツ歴 | レスリング |
| トレーナー | スチュ・ハート |
| デビュー | 1950年 |
| 引退 | 1986年 |
マッドドッグ・バション(Mad Dog Vachon、1929年9月14日 - )は、カナダの元プロレスラー。ケベック州モントリオール出身。本名はモーリス・バション(Maurice Vachon)。
レスリングオリンピック代表の地力をベースにしながらも、それを感じさせない凶暴な喧嘩ファイトで、180cmに満たない小柄な体格ながら30年以上トップスターとして活躍した。モントリオールではプロモートも行った。弟のブッチャー・バション(ポール・バション)もプロレスラーで、兄弟タッグとしても実績を残した。妹のビビアン・バションもまたプロレスラー(夫はバディ・ウォルフ)。女子プロレスラーのルナ・バションはポールの娘でモーリスの姪にあたる(夫はデビッド・ヒース)。
目次 |
来歴 [編集]
13人兄弟の一人として生まれる。10代よりレスリングで頭角を現し、カナダのナショナルチームに入る。1948年にはロンドンオリンピックに19歳でカナダ代表として出場した。1950年にプロ入り。当初はジュニアヘビー級であったが、やがて「マッドドッグ」と通称される凶暴ファイトを売りにするようになる。アメリカに転じてテキサス州、南部、大西洋岸などで多くのタイトルを獲得した。
1960年代に入るとAWAを主戦場とするようになる。1964年5月にネブラスカ州オマハでバーン・ガニアを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得した[1]。同月中にガニアに奪回されるが、その後もガニアと血の抗争を繰り広げ、4度王座に返り咲いた。1969年には弟のブッチャー・バションとのチームでディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組を破りAWA世界タッグ王座も獲得するなど[2]、AWAのトップヒールとして活躍した。ガニアとの抗争においては、凶暴ファイトを抑えガニアのお株を奪うようなレスリング仕込みのテクニックを披露することがあった。また逆にガニアがバションの機先を制して凶器攻撃を仕掛けたこともあり、玄人をもうならせる濃い試合内容に高い評価が残っている。
1970年代には一時AWAを離れて故郷のモントリオールを主戦場とし、自らグランプリ・レスリングを主宰してエースレスラー兼プロモーターとしても活動した。その後AWAに戻り、50歳を目前とした1979年6月6日、かつての仇敵ガニア(当時53歳)とのチームでレイ・スティーブンス&パット・パターソンを破りAWA世界タッグ王座を獲得[2]、大悪党から人気者に転身する。同王座は翌1980年7月20日にジェシー・ベンチュラ&アドリアン・アドニスに明け渡すまで、1年以上に渡って保持した(その間、カナダのウィニペグにてスタン・ハンセン&ボビー・ダンカンに王座を奪われたともされている)[2]。
キャリア末期の1984年にはWWFと契約し、同年にスタートしたビンス・マクマホンによる全米進出サーキットに参加[3]。AWA圏での興行を中心に、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにも出場した。1986年に引退。
日本には1968年、日本プロレスに初来日。キラー・カール・コックスと組んでジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦したが、小柄なために馬場のインターナショナル・ヘビー級王座への挑戦権は与えられず、北米での実績からすれば低い扱いだった。
1971年にはブッチャー・バションとAWA世界タッグ王者として国際プロレスに登場、壮絶な暴れっぷりで日本勢を蹂躙し、以降は国際プロレスの常連となった。1973年にはイワン・コロフとのチームでIWA世界タッグ王座を[4]、1975年にはマイティ井上からIWA世界ヘビー級王座を獲得[5]。1977年には第6回IWAワールドシリーズに参戦、ラッシャー木村と決勝を戦っている。またモントリーオールでの抗争を再現したジプシー・ジョーとの死闘も話題を呼んだ。
以上のように日本でも充分な実績を残したが、ジャイアント馬場やアントニオ猪木とシングルのタイトル戦を行っていないために、アメリカ・カナダでのキャリアや実力に比べれば日本での評価や知名度がやや低いレスラーではあった。
2007年3月にリリースされたDVD『不滅の国際プロレス1974-1981』には1975年と1977年の来日時の木村、井上、ジョーらとの4試合が収録されており、当時既に50歳近かった年齢を感じさせない凶暴ファイトにファンの注目が改めて高まった。
プロレスラーを引退した後の1987年に交通事故で右足を切断したが、その後も度々WWEの興行や番組にスペシャル・ゲストとして登場。近年もネブラスカ州オマハで健在である。2010年にはWWE殿堂に迎えられ、車椅子でセレモニーに出席した(プレゼンターはAWAでの旧敵パット・パターソン)[6]。
人物 [編集]
リング上の暴れっぷりとは対照的に、素顔は温厚な人格者として知られる[7]。だがその一方で、怒らせたら怖く喧嘩には滅法強かったともいわれている。リック・フレアーも彼の喧嘩の強さを認めており、ハーリー・レイス、ブラックジャック・マリガン、ワフー・マクダニエル、ディック・スレーターなどと並んでプロレス界でもトップクラスだったと自著で記している[8]。また、酒場で見つけた荒くれ者をプロレスラーにスカウトしていたともいわれ、ザリノフ・ルブーフやクレージー・セーラー・ホワイトはその1人とされている[9]。
得意技 [編集]
- ドリル・ア・ホール・パイルドライバー
- シュミット式バックブリーカー
- コブラクラッチ(変型スリーパーホールド)
- コブラツイスト
- ナックル・パンチ
- あらゆる物を利用しての凶器攻撃
- 噛みつき
獲得タイトル [編集]
- AWA世界ヘビー級王座:5回
- AWA世界タッグ王座:3回(w / ブッチャー・バション×2、バーン・ガニア)
- AWAミッドウエスト・タッグ王座:2回(w / ブッチャー・バション、ボブ・オートン)
- NWAテキサス・タッグ王座:3回(w / ピエール・ラセール、ブッチャー・バション、デューク・ケオムカ)
- NWAテキサス・ブラスナックル王座:1回
- NWAカナディアン・タッグ王座(カルガリー版):3回(w / ブッチャー・バション)
- NWAインターナショナル・タッグ王座(カルガリー版):3回(w / ブッチャー・バション)
- NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:6回
- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / フリッツ・フォン・ゲーリング)
- NWA南部タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / ブッチャー・バション)
- NWA世界タッグ王座(ジョージア版):1回(w / ブッチャー・バション)
- NWA世界タッグ王座(セントラルステーツ版):1回(w / バロン・フォン・ラシク)
- IWAモントリオール
- インターナショナル・ヘビー級王座:2回
- インターナショナル・タッグ王座:1回(w / エドワード・カーペンティア)
- IWA世界ヘビー級王座:1回
- IWA世界タッグ王座:1回(w / イワン・コロフ)
etc.
脚注 [編集]
- ^ “AWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月29日閲覧。
- ^ a b c “AWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月29日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2010年10月29日閲覧。
- ^ “IWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月29日閲覧。
- ^ “IWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月29日閲覧。
- ^ “Mad Dog Vachon at the WWE Hall of Fame Ceremony”. SLAM! Wrestling: March 27, 2010. 2010年11月5日閲覧。
- ^ “Mad Dog Vachon has his day on Comedy Network”. SLAM! Wrestling: May 17, 1999. 2010年10月29日閲覧。
- ^ リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P174(2004年、エンターブレイン)ISBN 4757721536
- ^ 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P71(2002年、日本スポーツ出版社)
外部リンク [編集]
- WWE Hall of Fame
- Profile - Online World of Wrestling
- モーリス・バション - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)
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