ジミー・バリアント
| ジミー・バリアント | |
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Jimmy Valiant in 2008
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| プロフィール | |
| リングネーム | "ハンサム" ジミー・バリアント "ブギウギ" ジミー・バリアント "キング" ジェームズ・バリアント ビッグ・ジム・ベイレン チャーリー・ブラウン |
| 本名 | ジェームズ・ハロルド・ファニング |
| ニックネーム | ブギウギマン 金髪の流血魔 |
| 身長 | 191cm |
| 体重 | 120kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1942年8月6日(70歳) |
| 出身地 | テネシー州フランクリン |
| デビュー | 1964年 |
| 引退 | 2005年 |
ジミー・バリアント(Jimmy Valiant、1942年8月6日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州フランクリン出身。本名はジェームズ・ハロルド・ファニング(James Harold Fanning)。
現役選手時代はヒールの"ハンサム" ジミー・バリアント("Handsome" Jimmy Valiant)、ベビーフェイスの"ブギウギ" ジミー・バリアント("Boogie Woogie" Jimmy Valiant)として活躍した。
目次 |
来歴 [編集]
1964年にビッグ・ジム・ベイレン(Big Jim Vallen)のリングネームでデビュー。1970年代よりニューヨークのWWWF(現・WWE)に登場し、ジョン・L・サリバンことジョニー・バリアントと金髪のヒール・タッグチーム「バリアント・ブラザーズ(The Valiant Brothers)」を結成。1974年1月、インディアナポリスのWWAでブルーノ・サンマルチノ&ディック・ザ・ブルーザーからWWA世界タッグ王座を奪取[1]。WWWFではキャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーに、同年5月8日にディーン・ホー&トニー・ガレアを破りWWWF世界タッグ王者となった[2]。以降もジョニーとのコンビで全米各地を転戦し、WWAではボビー・ヒーナンをマネージャーに世界タッグ王座を1977年と1978年にも獲得している[1]。
詳細は「バリアント・ブラザーズ」を参照
シングルでも数々の実績を残しており、テネシー州メンフィスに本拠を置くCWAでは1977年から1981年にかけて、AWA南部ヘビー級王座を巡ってジェリー・ローラーと流血の抗争を繰り広げた[3]。CWAでは一時的にフェイスターンも行い、ローラーやビル・ダンディーと組んでタッグ戦線でも活躍した。この当時、彼は『ハンサム・ジミーのバラッド(The Ballad of Handsome Jimmy)』という歌まで録音し、自分の入場曲に使用していた。ローラーの自著によると、CWAは是が非でもメンフィスにジミーをとどめておきたくて、メンフィスに彼の自宅を購入することまで提案したという。
1980年代に入るとバリアント兄弟を解散してシングルプレイヤーに専念。1980年代初頭の一時期は、NWAのミッドアトランティック地区にて英国出身のロード・アルフレッド・ヘイズをマネージャーに迎え、キング・ジェームズ・バリアント(King James Valiant)を名乗り王族ギミックのヒールを演じたこともある[4]。
1982年よりブギウギマン(Boogie Woogie Man)をニックネームにコミカルなショーマン派ベビーフェイスへのギミック・チェンジを行い、南部エリア一帯で人気者となる。ミッドアトランティック地区ではイワン・コロフ、スーパースター・ビリー・グラハムなどWWWF時代のヒール仲間と抗争を展開し、テネシーではジェリー・ローラーやロッキー・ジョンソンなどかつての仇敵とタッグと組んで活躍した。一時期、チャーリー・ブラウン(Charlie Brown)なる覆面レスラーに変身したこともある。
WCWへの移行期にNWAを離れ、1990年にメンフィスのUSWAでローラーとの抗争を再現。USWAユニファイド世界ヘビー級王座を2回に渡って獲得している[5]。1993年にはカロライナ地区のインディー団体NWAにも参戦した。WWFとは1979年を最後に関係を絶っていたが、1996年にジョニーとのバリアント・ブラザーズとしてWWE殿堂に迎えられている(プレゼンターはブリティッシュ・ブルドッグとオーエン・ハート)。以降もインディー団体への単発出場を続け、2005年に引退した。
近年はバージニア州ショーズビルに居住し、プロレスリング・スクールの "Boogie's Wrestling Camp" を主宰、後進の指導・育成にあたっている[6]。また、"The Boogie Woogie Referee" と称し、各地のインディー団体にスペシャル・ゲスト・レフェリーとして登場することもある[7]。
日本には1972年6月に日本プロレスに初来日。1976年にはバリアント・ブラザーズで全日本プロレスに来日し、6月2日にジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦。6月17日にはグレート小鹿&大熊元司のアジア・タッグ王座にも挑戦している。1985年1月にはローラーとのコンビで全日本に9年ぶりの来日を果たしたが、長州力らジャパンプロレス勢の参戦で日本人同士のハイスパート・レスリングが主流化していた当時の全日マットでは、彼のショーマン・スタイルが受け入れられることはなく[8][9]、これが最後の来日となった。
獲得タイトル [編集]
- WWA世界ヘビー級王座(インディアナポリス版):1回
- WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):3回(w / ジョニー・バリアント)
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / ジョニー・バリアント)
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / ジョニー・バリアント)
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ジョニー・バリアント)
- NWA TV王座(ミッドアトランティック版):2回
- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座 :1回
- NWA南部ヘビー級王座(メンフィス版):1回
- AWA南部ヘビー級王座:5回
- AWA南部タッグ王座:1回(w / ロッキー・ジョンソン)
- CWAタッグ王座:3回(w / ビル・ダンディー×2、ドン・カーソン)
- USWA統一世界ヘビー級王座:2回
- USWA南部ヘビー級王座:1回
- WWWF世界タッグ王座:1回(w / ジョニー・バリアント)
- WWF Hall of Fame:1996年度(ジョニーとのバリアント・ブラザーズで殿堂入り)
脚注 [編集]
- ^ a b “WWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “NWA Southern Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “The Jimmy Valiant Interviews”. Mid-Atlantic Gateway. 2010年11月14日閲覧。
- ^ “USWA Unified World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “From 'Handsome' to 'Boogie' and back”. SLAM! Wrestling: May 26, 2004. 2010年2月3日閲覧。
- ^ “Wrestler Profiles: Jimmy Valiant”. Online World of Wrestling. 2010年2月3日閲覧。
- ^ 『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P136-137(2001年、エンターブレイン) ISBN 4-7577-0639-1
- ^ 『スーパー・タッグ Now!(プロレスアルバム55)』P51(1985年、ベースボール・マガジン社)
関連項目 [編集]
- バリアント・ブラザーズ
- ジョニー・バリアント
- ガイ・ミッチェル
- ジェリー・ローラー
- ジミー・ハート
- ダスティ・ローデス
- バグジー・マグロー(彼とのタッグは業界誌レスリング・オブザーバーの「1987年度ワースト・タッグチーム」に選出された)
外部リンク [編集]
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