タリー・ブランチャード
| タリー・ブランチャード | |
|---|---|
ブランチャード(右)とアーン・アンダーソン
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| プロフィール | |
| リングネーム | タリー・ブランチャード |
| 本名 | タリー・アーサー・ブランチャード |
| ニックネーム | ザ・ミッドナイト・スタリオン |
| 身長 | 184cm |
| 体重 | 108kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1954年1月22日(59歳) |
| 出身地 | テキサス州サンアントニオ |
| スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
| トレーナー | ジョー・ブランチャード ホセ・ロザリオ |
| デビュー | 1975年 |
タリー・ブランチャード(Tully Arthur Blanchard、1954年1月22日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州サンアントニオ出身。
タッグの名手であり、ジノ・ヘルナンデスとのダイナミック・デュオ(The Dynamic Duo)、アーン・アンダーソンとのブレーン・バスターズ(The Brain Busters)などで活躍した。1980年代に一世を風靡したフォー・ホースメン(The Four Horsemen)のオリジナル・メンバーとしても知られる。
目次 |
来歴 [編集]
スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディも在籍していたウエスト・テキサス州立大学の出身で、大学時代は彼らと同じくアメリカンフットボール部に所属。当時のチームメイトにはテッド・デビアスやティト・サンタナがいた。1975年、レスラー兼プロモーターの父親ジョー・ブランチャードが運営する地元サンアントニオのSCW(Southwest Championship Wrestling)にてデビュー。当初はベビーフェイスとして売り出され、ジョーとの親子タッグでザ・ファンクスとも抗争していたが、やがて父親との対立アングルが組まれヒールに転向。ワフー・マクダニエルやボブ・スウィータンらを相手にサウスウエスト・ヘビー級王座を争う[1]。1981年よりジノ・ヘルナンデスとダイナミック・デュオを結成。若手の悪党コンビとして頭角を現し、1983年までサウスウエスト・タッグ王座を通算5回獲得した[2]。
1984年にヘルナンデスとのタッグを解消し、ノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)に転出。リッキー・スティムボートやダスティ・ローデスと世界TV王座を巡る抗争を展開する。1986年1月、リック・フレアーらとフォー・ホースメンを結成。当時のNWAを象徴するヒール・ユニットの一員として、公私にわたって悪名を轟かす。1987年9月29日には盟友アーン・アンダーソンとのコンビでロックンロール・エクスプレスからNWA世界タッグ王座を奪取[3]。その後もバリー・ウインダム&レックス・ルガー、ロード・ウォリアーズ、ミッドナイト・エクスプレスなどの強豪チームとタイトルを争った。
1988年下期より、アンダーソンと共にWWFに移籍。WWFではブレーン・バスターズのチーム名を与えられ、ボビー・ヒーナンをマネージャーにブリティッシュ・ブルドッグスやハート・ファウンデーションと抗争。1989年7月18日にはアックスとスマッシュのデモリッションからWWF世界タッグ王座を奪取[4]、NWAとWWFの2大タッグ・タイトルへの載冠を果たした。
しかし同年末、ドラッグ検査に違反してWWFを解雇される[5]。やがてアンダーソンもWWFを離脱してNWA(ジム・クロケット・プロモーションズを買収したWCW)に復帰、"オリジナル" フォー・ホースメン再結成も噂されたがドラッグ問題のためブランチャードの再契約は見送られ[5]、以降はインディー団体を転戦。崩壊寸前の末期AWAにも出場していた。この間、過去の放蕩生活を悔い改めて新生キリスト教徒となり、1990年代初頭にセミリタイアして説教師に転身した[5]。
その後も宣教活動の傍ら単発的にリングに上がり、1994年5月22日に行われたWCWのPPVイベント "Slamboree" では、SCW時代から因縁の浅からぬテリー・ファンクと対戦。1995年2月4日にはECWに登場し、シェーン・ダグラスのECW世界ヘビー級王座に挑戦した。同年10月29日には藤波辰爾が旗揚げした無我の旗揚げ興行に初来日、メインイベントで藤波と対戦している。
2000年代に入ってからもオールドタイマーによるイベントに時折参戦し、かつてのライバルたちとエキシビション・マッチを行っている。2006年には短期間ながら、WWEでロード・エージェントを任されていたこともあった。
2012年、リック・フレアー、アーン・アンダーソン、バリー・ウインダムおよびマネージャーのJ・J・ディロンと共に、フォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた[6]。
得意技 [編集]
- スリングショット・スープレックス(ロープ・リバウンド式ブレーンバスター)
- ブレーンバスター
- パイルドライバー
- フィギュア・フォー・レッグロック
- エルボー・ドロップ
獲得タイトル [編集]
- サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
- SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:4回
- SCWサウスウエスト・タッグ王座:5回(w / ジノ・ヘルナンデス)
- SCWサウスウエストTV王座:3回
- SCW世界タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス)
- NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回
- NWA USヘビー級王座:1回
- NWAナショナル・ヘビー級王座:1回
- NWA世界TV王座:3回
- NWA世界タッグ王座:2回(w / アーン・アンダーソン)
- WWF世界タッグ王座:1回(w / アーン・アンダーソン)
- WWE殿堂:2012年度(インダクターはダスティ・ローデス)
脚注 [編集]
- ^ “SCW Southwest Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
- ^ “SCW Southwest Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
- ^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月12日閲覧。
- ^ a b c “Tully Blanchard: The Most Dangerous of the Four Horsemen”. Associated Content. 2009年8月10日閲覧。
- ^ “WWE Hall of Fame”. WWE.com. 2012年3月31日閲覧。
外部リンク [編集]
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