オジー・オズボーン

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オジー・オズボーン
オジー・オズボーンと妻シャロン(2004年3月9日にハワイ・真珠湾にて撮影)
オジー・オズボーンと妻シャロン(2004年3月9日ハワイ真珠湾にて撮影)
基本情報
出生名 ジョン・マイケル・オズボーン(John Michael Osbourne)
出生 1948年12月3日(60歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド バーミンガム
ジャンル ヘヴィメタル
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
活動期間 1968年〜1992年、1995年〜現在
レーベル エピックコロムビアジェット
共同作業者 ブラック・サバスケリー・オズボーン
公式サイト http://www.ozzy.com
  

オジー・オズボーン (John Michael "Ozzy" Osbourne, 1948年12月3日-) は、ヘヴィメタルミュージシャン。独特の歌唱法に定評があり、また不気味だがユーモラスなパフォーマンスは多くのファンに熱狂的に支持されており、カリスマ的な存在になっている。本名は、ジョン・マイケル・オズボーン(John Michael Osbourne)。

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

バーミンガムの労働者階級の家に生まれる。学校には行くことはほとんどなく(ディスレクシアを抱えていたともいわれる)、酒代を得るために盗みを繰り返すような少年時代を送った。15歳で学校をドロップアウトした後、「こんな俺でも出来ることがある」ことを証明する為に「バンドメンバー求む」という旨のチラシを街に貼る。この時は「オジー・ジグ」と名乗ってメンバーを集めたという(BBCのドキュメンタリー番組のインタビューより)。それによってやってきたトニー・アイオミビル・ワードギーザー・バトラーによって結成されたバンド「アース」が後のブラック・サバスとなるのである。

[編集] ブラック・サバス

ブラック・サバス時代のオジー(右)とトニー(1973年

1969年、前述の4人(担当パート:オジー・オズボーン=ヴォーカル、トニー・アイオミ=ギター、ギーザー・バトラー=ベース、ビル・ワード=ドラムス)は自身のバンド名をブラック・サバスへと改めた。この名はギーザー・バトラーが当時公開されていた映画"BLACK SABBATH"から命名。1970年2月13日金曜日、自費レコーディングによるアルバム"BLACK SABBATH"(邦題:「黒い安息日」)でデビュー。 1977年に一度脱退するがすぐに復帰。その後、1978年12月に正式に脱退(解雇)しソロに転向する。この時期オジーは「この頃の記憶がほとんどない」といわれるほど酒や薬物に溺れ、重ねて父の死が精神的に大きなダメージを与え、日常生活にも支障をきたしかねない状態となっていた。1997年にオリジナル・メンバーによるラインナップで再結成され、オズフェストのヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤「REUNION」を発表。2004年、2005年のオズフェストのヘッドライナーをつとめる。2004年はジューダス・プリースト、2005年はアイアン・メイデンがブラック・サバスの前座をつとめる。

[編集] ソロ活動

1979年にソロ活動を開始。今は亡きギタリストランディ・ローズともこの頃活動する。ソロ活動第一作目の「ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説」は、「ブリザード・オブ・オズ」がバンド名と勘違いされた事もあるが、厳密には勘違いではなく、契約上の問題やプロモーション戦略上の観点から最終的にクレジットしなかったバンド名である。ちなみに英国盤のファースト・シングルにはこの名がバンド名として記載されている。ランディ・ローズ在籍時の2作のアルバムはいずれも完成度の高い作品となり、ヘヴィメタルの名盤として語り継がれている。しかし、ランディは1982年3月19日、飛行機事故でその短い生涯を終える。その後、ブラッド・ギルス(1981~82、その後ナイト・レンジャーで活動)、ジェイク・E・リー(1983~86、その後バッドランズ他で活動)やザック・ワイルド(1987~1995、1998~1999、2001~、ブラック・レーベル・ソサイアティ他で活動)、ジョー・ホームズ(1995~1998、2000)をギタリストに加える。1990年、突然ライヴツアーからの引退を宣言し、アルバム「NO MORE TEARS」を1991年にリリース。セールスはソロキャリアの中で最高を記録した。しかし1995年に「OZZMOSIS」を発表してライヴツアーを開始し、引退を撤回した。2001年秋には「DOWN TO EARTH」を発表。2002年には、エリザベス2世女王在位50周年記念コンサートにも出演した。2003年12月には英国の自宅庭で四輪バイクに乗っていた際に事故に遭遇、瀕死の重症を負うが、2004年夏のオズフェストで見事に復活している。かつて耽溺した酒や薬物ともきっぱり手を切り、ソロ活動を続ける傍ら、プライベートでは(かつて暴力を振るってしまったこともある)妻・シャロンに頭の上がらない穏やかな中年男性となっている。

歴代のギタリストはギターヒーローであり、輝かしい存在であり、オジーの悪魔的なダークな存在と相反するが、光と闇の両方が1つのバンドにあるのがオジーバンドの魅力でもある。

[編集] オズボーンズ

2002年には、オズボーン一家のビバリーヒルズの豪邸でのハチャメチャな日常生活を追った、MTVのリアリティ番組「オズボーンズ」が世界的な人気を獲得、家族揃ってお茶の間におなじみの存在へとなった。

番組内で有名になった“放蕩娘”のケリー・オズボーンは、2002年にシンガーとしてデビューを果たしている。彼女とオジーのデュエット「Changes」(ブラック・サバスのカヴァー)はアメリカやイギリスで大ヒットとなった。妻で敏腕マネージャーのシャロンや息子のジャックもこの番組で有名となった。 ケリー、ジャックの上に長女エイミーがいる。

[編集] エピソード

オジーには常識を逸脱した行為としての様々なエピソードが存在する。

[編集] 生きた鳩を食いちぎり事件

あるレセプションにて、オジーが、記者会見をした時の出来事、当時マネージャーであったシャロンがオジーに鳩を飛び立たせるように渡した所、朦朧としていたオジーは鳩の首を食いちぎってしまった。この事件がきっかけでオジーの知名度は一般層にも広まったが、後のPMRCに目の仇にされるようになってしまった。その後シャロンの家に戻った際に、ベースのルディ・サーゾの目の前でポケットに残っていたもう一匹の鳩までをも食いちぎった。

[編集] 生きたコウモリ食いちぎり事件

初期のソロ時代のライヴで、ステージの上から生肉を投げつけると言う奇妙なファンサービスを行っていたオジー。観客はそれに答える形で、最初は猫や鳩の死体のレプリカをステージに投げ返していたが、それが次第にエスカレート、ついには本物を投げつける様になってしまう(ライヴ後、会場は生肉の匂いと腐臭で目も当てられないような状況になっていたのだとか)。そしてある日、ついに悲劇は起こってしまった。オジーがステージ上に投げ込まれたコウモリをレプリカだと思い、首を噛み千切ったのである。余り知られていないことではあるが、コウモリ唾液などから感染する致死的な感染症の一つ、狂犬病ヴェクター(病原菌を有する生物)である。間違っても口に入れてはいけない。このパフォーマンスにより観客は大いに盛り上がり、オズボーンは伝説的存在となったが、本人は大至急救急病院へと搬送されてしまい、数ヶ月間、毎日のように体中に注射を刺しながらツアーを続けていたという。現在ではアニメーションによる自身のプロモーションビデオなどではこの事件をネタとして扱っている。 因みに、ソロ初来日時には、当時ミュージック・ライフの副編集長だった酒井康に撮影で使った『鳥の丸焼き』をアドリブでステ-ジに投げ込まれ、スタッフに確認後、その肉に噛み付いている。

[編集] アラモ事件

1982年に米国で行われたツアーの最中、酔っ払っていたオジーは、外出出来ないようにシャロンに服を隠されてしまった。そこでオジーはシャロンの服を勝手に借用し、その服装のままでテキサス州サンアントニオの国民的遺産、アラモ砦へ歩いて行って立ち小便をしたのである。この結果、オジーは10年間テキサス州でのライヴ活動禁止という処分を受けた。なお、オジーの小便がかかった壁に、666の字が浮かび上がってきたという噂が存在する。

同じく過激なパフォーマンスで有名なマリリン・マンソンも、オジーがアリを鼻から吸い込むところを目撃したと証言しており、「彼だけにはかなわない」と白旗を揚げている。

また、上記で書かれた詳しいエピソードについてはドキュメンタリー映像作品「Don't Blame Me The Tales Of Ozzy Osborne(邦題/ヒストリー・オブ・オズ)」(1991年)でオジー本人が告白している。

[編集] 2002年リマスターについて

2002年には「BLIZZARD OF OZZ(ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説~)」、「DIARY OF A MADMAN(ダイアリー・オブ・ア・マッドマン)」、「BARK AT THE MOON(月に吠える)」、「TRIBUTE(トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ)」、「NO REST FOR THE WICKED」、「NO MORE TEARS」、「OZZMOSIS」、「The Ozzman Cometh」の8タイトルがデジタルリマスター化された。各アルバムにはボーナストラックとしてライヴ録音やシングルB面曲などが追加収録された。

[編集] リズムトラック差し替え問題

初期2作品について、ランディ・ローズのギターパートがよりクリアに美しく聞こえるようにミックスし直された一方、ドラム・ベースのリズムトラックがオリジナルではボブ・ディズリー(ベース)、リー・カースレイク(ドラム)で録音されたが、2002年のリマスターではロバート・トゥルージロ(ベース)、マイク・ボーディン(ドラム)のテイクに差し替えられた。これは長年争われてきた印税支払い問題(2作目の「DIARY OF A MADMAN(ダイアリー・オブ・ア・マッドマン)」はオジー・オズボーン、ランディー・ローズ、ボブ・ディズリー、リー・カースレイクにより録音されたものだが、ボブとリーは録音後にバンドを去り、その後にバンドに入ったルディ・サーゾ、トミー・アルドリッチがクレジットされたことが問題の発端となっている。)をクリアするためにとられた対策であり、旧来のファンからは、慣れ親しんだサウンドとの印象の違いから不評を買うことになった。その他にも「BARK AT THE MOON」でも随所にオリジナルとの違い(シンセのエフェクトカット、ギターのオーバーダブ等)が見られ、こちらも旧来のファンの間では賛否両論となっている。

[編集] リマスター除外

オリジナルアルバムで唯一「THE ULTIMATE SIN」がリマスター対象外にされた(1995年のリマスターではラインナップに入っていた。)。これはオジー自身この作品をあまり気に入っていなかったことが理由である(プロデューサーとの仕事が上手くいってなかったとのこと。)。プロデューサーの影響で前作までとは明らかにサウンドが変わっているが、86年当時は大ヒットしていたため、今もこの作品を気に入っているファンは多いだけにリマスターから外れてしまったことを残念がる声も多い。
ちなみにこのリマスター除外の影響で「The Ozzman Cometh」で収録されていたアルバム「THE ULTIMATE SIN」からの「Shot In The Dark(邦題 暗闇にドッキリ!)」は88年発表の「NO REST FOR THE WICKED」からの「Miracle Man」に差し替えられた。
その他2002年リマスターから除外されたアルバムは以下のものが挙げられる。
「SPEAK OF THE DEVIL」 「JUST SAY OZZY」 「LIVE&LOUD」

[編集] オジー・オズボーン・歴代バンドメンバー

[編集] ヴォーカル

  • オジー・オズボーン

[編集] ギター

[編集] ベース

[編集] ドラム

[編集] キーボード

[編集] ディスコグラフィー

[編集] オリジナルアルバム

  • BLIZZARD OF OZZ(1980年/邦題 ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説~) 
11位 4Xプラチナム(US), 7位 シルバー(UK)
  • DIARY OF A MADMAN(1981年/邦題 ダイアリー・オブ・ア・マッドマン) 
6位 3Xプラチナム(US), 14位(UK)
  • BARK AT THE MOON(1983年/邦題 月に吠える) 
19位 3Xプラチナム(US), 24位 シルバー(UK)
  • THE ULTIMATE SIN(1986年/邦題 罪と罰) 
6位 2Xプラチナム(US), 8位 シルバー(UK)
  • NO REST FOR THE WICKED(1988年) 
13位 2Xプラチナム(US), 23位(UK)
  • NO MORE TEARS(1991年) 
7位 4Xプラチナム(US), 17位(UK)
  • OZZMOSIS(1995年) 
4位 2Xプラチナム(US), 22位(UK)
  • DOWN TO EARTH(2001年) 
4位 プラチナム(US), 19位(UK)
  • Under Cover (2005年 カバーアルバム)
  • BLACK RAIN (2007年) 
3位 ゴールド(US), 8位(UK)

[編集] ライヴアルバム

  • SPEAK OF THE DEVIL(1982年/邦題 悪魔の囁き) 
14位 プラチナム(US)
  • TRIBUTE(1987年、録音1981~1982年頃/邦題 トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ) 
6位 2Xプラチナム(US)
  • JUST SAY OZZY(1989年) 
58位 ゴールド(US)
  • LIVE&LOUD(1993年) 
22位 プラチナム(US)
  • LIVE AT BUDOKAN(2002年) 
70位 ゴールド(US)

[編集] ベスト・編集アルバム

  • The Other Side Of Ozzy Osbourne(1985年 ※日本編集盤)
  • Best Of Ozz(1989年 ※BURRN!誌の人気投票による選曲の日本限定ベスト盤)
  • The Ozzman Cometh(1997年/邦題 グレイテストヒッツ~オズマン・コメス) 
13位 2Xプラチナム(US)
  • The Essential(2003年/邦題 ジ・エッセンシャル・オジー・オズボーン) 
81位 ゴールド(US)
  • Prince Of Darkness(2005年 ※デモ・ライヴテイク・企画物を中心とした4枚組ボックスセット)

[編集] 映像作品

  • The Ultimate Ozzy(1986年/邦題 ライブ+モア)
  • Don't Blame Me(1991年/邦題 ヒストリー・オブ・オズ)
  • Live & Loud (1993年)
  • Live at Budokan (2002年/邦題 ライブ・アット武道館)

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ