トニー・アイオミ
| トニー・アイオミ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | Anthony Frank Iommi |
| 出生 | 1948年2月19日(63歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ヘヴィメタル |
| 職業 | ギタリスト |
| 担当楽器 | ギター |
| 活動期間 | 1966年 - |
| 共同作業者 | Mythology, Velvett Fogg, ジェスロ・タル, ブラック・サバス, ヘヴン・アンド・ヘル グレン・ヒューズ |
| 公式サイト | Iommi.com |
| 著名使用楽器 | |
| ギブソン・SG | |
トニー・アイオミ(Tony Iommi、1948年2月19日 - )は、イギリスのギタリスト。ブラック・サバスのメンバーとして知られる。ウェスト・ミッドランズ、バーミンガム出身。左利きでレフティギターを使用している。
目次 |
[編集] 来歴
バーミンガムでアースというバンドを結成するが、後にブラック・サバスと改名。デビュー前には一時的にジェスロ・タルに加入し、ローリング・ストーンズ主宰のイベント「ロック・アンド・ロール・サーカス」に出演したが、レコーディングには参加せずブラック・サバスに戻る。1970年のデビュー以来、ブラック・サバスの全てのアルバムに参加している。
[編集] 概要
彼はギブソン・SGを使用し、ヘヴィな音を出す。また、パワー・コードを多用しながら抒情性も感じさせる同じフレーズの繰り返しにより、彼独特の雰囲気を持たせ音世界が特徴である。ただ、その灰汁の強さ故に聴き手を限定することもある。
「ナショナル・アクロバット」や「イントゥ・ザ・ヴォイド」「パラノイド」「スノウブラインド」など、1970年代初期の作品に、彼の特徴が強く表れている。何かに追われているような緊張感、と矛盾するような開放感を併せ持っている。レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなど他のバンドと同様に、独創性のある超重量級の音色や重苦しさの表現が秀逸である。
1970年代初期の生の演奏においては速弾きを披露したり、ブルースや1950年代のロックンロールも演奏した。彼のリフメイカーとしての能力は高く評価されてる。
[編集] 指切断事故
彼の右手の中指と薬指は、板金工時代の事故で先端部分が失われている。アイオミは工場で鉄板をプレス係りに送り出す役目であった。その工場を退職するちょうどその日はたまたまプレス工が無断欠勤しており、アイオミがプレス係と送り出す役を兼務する羽目になった。兼務は大変な上にプレス作業に慣れていなかったため機械のスピードについていけず、彼はあやまってプレス機械に手を入れてしまい、指を切断してしまったそうである。指への事故はギタリストとしてただでさえショックである上に、左利きのため右手指で押弦を行うアイオミには余計致命的であった。しかし彼は、右手の指の先端に洗剤のプラスチック容器を溶かして作ったチップをはめて、そのハンディを克服した。そのハンディを克服するきっかけとなったのは、先の板金工場の監督がアイオミを励ますためにベルギー人ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトのアルバムをアイオミに聞かせたからだそうである。ジャンゴも火災事故で左手の薬指と小指が動かなくなったものの、そのハンディを乗り越えてギタリストとして活躍していた。彼の存在に励まされたアイオミは奮起し、先の指先チップを開発して指先切断事故を見事に克服した。(2007年ヘブン&ヘルツアーライブDVD付録参照)
[編集] ソロ活動
- 1986年、グレン・ヒューズやエリック・シンガーらと共に、ソロ・プロジェクトとして『セヴンス・スター』を制作するが、レコード会社の意向で「ブラック・サバス・フィーチャリング・トニー・アイオミ」の名義で発売された。
- 1992年4月20日、フレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演。
- 1996年、再びグレン・ヒューズとレコーディング。一度はお蔵入りとなるが、ブートレグ対策のため、後年正規発売される。
- 2000年、初のソロ・アルバム『IOMMI』発表。デイヴ・グロール、ブライアン・メイ、ビリー・コーガン、オジー・オズボーンなどのゲストが参加。
- 2005年、みたびグレン・ヒューズと共作した『ヒューズド』発表。
[編集] ソロ・ディスコグラフィー
- Iommi (2000)
- The 1996 DEP Sessions (2004) グレン・ヒューズとの共作。
- Fused (2005) グレン・ヒューズとの共作。
[編集] 外部リンク
- トニー・アイオミ公式ウェブサイト(英語)
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