BOWWOW

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BOWWOW
基本情報
別名 BOW WOW(B)
VOW WOW(V)
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ハードロック[1]
ヘヴィメタル[1]
活動期間 1975年 - 1990年
1998年 - 現在
レーベル ビクター
SMS
東芝EMI
アリスタ・レコード
事務所 ワイルドランド
アルト企画
共同作業者 NOIZ
ホワイトスネイク
WILD FLAG
公式サイト BOWWOW OFFICIAL SITE
メンバー
山本恭司(G,Vo)
斉藤光浩(G,Vo)
新美俊宏(Dr)
DAISUKE(B/サポート)
旧メンバー
佐野賢二(B/BOW WOW~VOW WOW)
人見元基(Vo/VOW WOW)
厚見玲衣(Key/VOW WOW)
ニール・マーレイ(B/VOW WOW)
マーク・D・グールド(B/VOW WOW)
堀江哲也(Vo/新生BOW WOW)
八重樫浩士(G/新生BOW WOW)
満園庄太郎(B/新生BOW WOW)
満園英二(dr/新生BOW WOW)

BOWWOW(バウワウ)は、日本のハードロックバンド。又、英語表記での犬の鳴き声。以下解説はバンドに関する事項とする。

1976年にBOW WOW(バウワウ)の名前でデビュー。山本恭司の驚異的な速弾きがギターキッズの間で評判を呼んだ。1983年にギター兼ヴォーカルの斉藤光浩が脱退するまでオリジナルメンバー4人で活動を続けた。 新たにキーボードの厚見玲衣とヴォーカルの人見元基を加えて5人編成となり、1984年にバンド名をVOW WOW(ヴァウワウ)に変えた。その後ベーシストの交代劇が二度あり1990年に解散した。1998年からBOW WOWとして再結成、現在はBOWWOWと名乗って活動している。2010年にVOW WOWとしても再結成ライブが二夜限りで披露された。

来歴[編集]

BOW WOW[編集]

BOW WOW(バウワウ)は1975年に芸能プロダクション小沢音楽事務所系列のアルト企画のプロデューサー上野義美が自身の売れるロック・バンド構想に合うメンバーを集めて作ったロック・バンドである。最初にアイドル・バンド、ドゥー・T・ドールのメンバーだった斉藤光浩新美俊宏が選ばれた。上野の構想は斎藤をリード・ヴォーカルに据えたBCR系のアイドル・ロック・バンドだったが、リード・ギタリストに実力者を1人だけ入れてバンドの支柱とするアイデアもあった。その役割を担うべく選ばれたのが島根出身で当時プロギタリストを目指して東京の音楽専門学校に通っていた山本恭司である。山本という逸材の参加で上野が期待した以上に本格派志向が強まり、未定のベーシストは山本の推薦を上野が吟味する形で選考が進められた。山本が推薦したベーシストには同じ音楽専門学校に通う渡辺建(ex.プリズム)も居たが、上野は「本格派過ぎてもいけない」と却下している。山本が故郷でセッションしたことのある佐野賢二が最終的に選ばれた。

バンドの基礎固めのため、山本が鬼教師となって長期合宿による猛練習が敢行された。そこで慣れ合うことなく培われたコンビネーションの良さは、このバンドの最大の財産である。特に山本と斎藤のツインギターの絶妙のタイム感は長い空白期間後の再結成時にも失われておらず、本人達が誰よりも驚く事となった。

デビュー準備期間中、上野のアイドル構想を雛型としながらバンドの可能性を探る試行錯誤が繰り返された。英詞曲の採用や山本のヴォーカル担当といった当初の予定になかった選択もなされた。やがて若手天才ギタリストが率いる本格派ハードロックバンドという機軸ができ、その方向性が明確になった時に上野が協力を依頼したのが、当時、若手音楽評論家として洋楽ロックファンに高い知名度があった渋谷陽一だった。

渋谷は自身がDJを務めていたNHK-FMの洋楽ロック専門番組ヤング・ジョッキーでレコードデビュー前のBOW WOWを紹介した。かけたのは英詞曲の「Heart's On Fire」で、かけ終わるまで日本のバンドと明かさなかった。全国のロックファンに初めて聴いてもらったことを理由に、山本はこの曲をライブ等で「デビュー曲とも言える曲」と紹介するのが通例となっている(デビューシングルは日本語詞の「ボリューム・オン」)。

BOW WOWは山本が指導力を強力に発揮して磨き上げたバンドではあるが、山本が中心になって結成したバンドでもなければ、山本のためにメンバーが集められたり再編成されたバンドでもない。イニシアチブが所属音楽事務所にあるのは当然との認識を持ちつつ各メンバーがベストを尽くし続けていたというのが第1期の特に初期~中期の実態である。山本は当時を振り返るときには「事務所に洗脳されていた」と笑いながら語る。

  • 1975年、山本恭司(Vo,g)斉藤光浩(Vo,g)佐野賢二(b)新美俊宏(dr)の4人でバンドを結成。
  • 1976年、アルバム『吼えろ!バウワウ』でデビュー。
  • 1977年1月、エアロスミスの初来日公演の前座に抜擢される。3月にはキッス前座にも抜擢される。
  • 1977年7月、2nd『SIGNAL FIRE』リリース。
  • 1977年12月、3rd『CHARGE』リリース。
  • 1978年3月、キッスの2度目の来日公演の前座を務める。
  • 1978年6月、ライブアルバム『SUPER LIVE』リリース。
  • 1978年12月、全曲日本語歌詞の4th『GUARANTEE』リリース。ここから歌謡ロック路線になり、デビュー当時から追いかけてきたファンが離れる現象を生む結果となってしまった。
  • 1980年2月、5th『GLORIOUS ROAD』リリース。
  • 1980年9月、アリス(当時)の矢沢透をプロデューサーに迎えた6th『TELEPHONE』リリース。
  • 1980年11月、スーパーマリオラマ(特撮人形劇)『Xボンバー』のサントラ『組曲Xボンバー』リリース。
  • 1981年4月、NWOBHMの煽りを受け、原点回帰とも取れる7th『HARD DOG』リリース。
  • 1982年4月、8th『ASIAN VOLCANO』リリース。この頃から海外でもバンドの名が知れ渡る。
  • 1982年7月、スイスの音楽フェス『モントルー・ジャズ・フェスティバル』に日本代表として出演。
  • 1982年7月~8月、新作レコーディングと『レディング・フェスティバル』出演の為にロンドンに滞在する。
  • 1982年9月、9th『WARNING FROM STARDUST』リリース。
  • 1983年春、ハノイ・ロックスと共に英国ツアーを行い、その時のツアーを収めたライブアルバム『HOLY EXPEDITION』を7月にリリース。
  • 1983年11月21日、中野サンプラザ公演を最後に斎藤が脱退、BOW WOWの歴史に一旦幕が下りる(斎藤は田中一郎の後任としてARBに加入、田中一郎は甲斐バンドへ)。

VOW WOW[編集]

残された3人は1984年初頭、元NOIZ人見元基(Vo)と、BOW WOWのシングル盤「絆FOREVER」や、ツアーにサポート・メンバーとして参加していた厚見玲衣(key)を正式メンバーとして迎える。5人編成になったことで、ローマ数字で「5」を意味する「V」、そして「VICTORY(勝利)」の「V」などの意味を込め[2]、バンド名の頭文字を「B」から「V」に変更、ここに「VOW WOW」が誕生、世界を視野に入れた活動を開始した。山本は国内最高峰のキーボーディストとヴォーカリストを得ることに成功したが、遠慮なく自己主張をするメンバーを迎えてそれまでになかったバンド運営の苦労を味わうことにもなった。「B」から「V」への変化は、山本が率いる4人のハードロックバンドから、ハードロックを奏でる5人の有能ミュージシャン集団への変貌でもあった。また、VOW WOWになってからは、BOW WOW時代の曲は一切演奏しないという徹底ぶりで、BOW WOWとVOW WOWは別のバンドという明確な位置付けが演奏側だけでなくリスナー側にもほどなく形成されていった。

  • 1984年6月に『V』としてのデビュー・アルバム『BEAT OF METAL MOTION』をリリース。人見の日本人離れしたソウルフルな歌唱力と「B」時代とは違うドラマティックな楽曲が注目されるようになる。当時、中村あゆみのプロデューサーであった高橋研も、当アルバムに作詞を提供している。
  • 1985年6月には2nd『CYCLONE』をリリース。
  • 1986年初頭には3rdアルバム『Ⅲ』をリリース。このアルバムはLOUDNESSさえ認めないほどに日本のバンドを強硬に差別することで有名な音楽評論家の酒井康をも唸らせたアルバムとしても有名(BURRN!誌での酒井の点数は94点と高得点)。6月にはアメリカでベスト盤『SHOCK WAVES』をリリースし7月にはライブアルバム『HARD ROCK NIGHT』をリリース。秋には拠点を日本から英国に移し、本格的に世界規模の活動展開をしていく。
  • 1987年5月には「B」時代から支えてきた佐野が脱退、音楽業界から引退してしまう。後任にはホワイトスネイクゲイリー・ムーアニール・マーレイ(b)を迎え、新作のレコーディングに入る。
  • 同年8月には『レディング・フェスティバル』に出演。出始めこそブーイングを受けたものの、最終的には拍手喝采を浴びる。9月には4th『V』をリリース。収録曲「Don't Leave Me Now」には元キング・クリムゾンエイジアジョン・ウェットンが参加して話題となり、同曲は全英シングルチャートで3週間トップ100圏内に入って、最高83位に達した[3]
  • 1988年には英国での活動が認められ、『ミュージシャン・ユニオン』に加入する。11月には5th『VIBe』をリリース。
  • 1989年2月には『VIBe』の英国版『HELTER SKELTER』をリリース、3月には同アルバムが全英アルバムチャートで75位に達した[3]。同年、VOW WOWでやれることはやり尽くしたと感じていたことと、当時ブラック・サバスのメンバーだった盟友コージー・パウエルから誘われたことで、ニール・マーレイが脱退、ブラック・サバスに加入の運びとなった。ニールの後任には元ライオンズ&ゴースツのマーク・D・グールド(b)が加入。
  • 1990年4月に(事実上ラストとなる)6thアルバム『MOUNTAIN TOP』をリリースするも、米国進出用に制作した自信作にもかかわらず米国のレコード会社との契約に結びつかず、同年末に解散を発表。この年の5月28日に行われた日本武道館でのコンサートが、事実上のラスト・コンサートになった。

新生BOW WOW[編集]

1991年に山本によって結成されたWILD FLAGを経て1995年に新生BOW WOWを結成する。メンバーは山本恭司(g)、堀江哲也(Vo)、八重樫浩士(g)、満園庄太郎(b)、満園英二(dr)。発足の経緯は、第1期BOW WOWがプロデューサーの上野義美の構想によるバンドという言い方をするなら、第2期BOW WOWはディレクターのエンリケの構想によるバンドということができる。企画先行で進行したことでは同じだが、準備期間を十分にとった第1期のデビューとは違って、新レーベル発足の目玉としてバンドのネーミングと方向性とデビューライブの日程がすでに決まっていて、それに間に合わせざるをえない感じで即戦力のあるメンバー選考が行われた。

活動休止中のWILD FLAGのリズム隊の参加も当初からあったアイデアではなく、メンバー選考が難航した結果の選択であった。新生メンバーならではの音楽的可能性を模索し、地方FM局のライブ番組などでロカビリータッチの演奏をアコースティックで披露したこともあった。その後ドラムは新美に替わって「新生」のニュアンスも薄れてしまい、1997年には活動休止となった。

再結成オリジナルBOW WOW[編集]

1997年、斎藤がPENICILLINのO-JIROのソロプロジェクトのプロデューサーを勤めており、そのプロジェクトに山本をゲスト参加させ、合間をぬってジャムセッションしたのをきっかけに1998年、山本、斎藤、新美の布陣で再結成を果たした。キンサンの愛称(サノケンジ→サノケン→サンキン→キンサンと転じたもの)で親しまれていたベースの佐野はVOW WOW脱退後は音楽業界から完全に引退しており、再結成の誘いに応じなかった。ただし、ライブやレコーディングの数曲でスペシャルゲスト枠での参加実績が何度かあり、限定的ではあるがオリジナルメンバー4人による演奏も披露されている。基本的に不在となるベースパートは、レコーディングでは山本や斎藤がこなしライブでは元BARBEE BOYSのエンリケがサポートしていたが、やがてどちらもDAISUKEが務めるようになった。

一時的再結成VOWWOW[編集]

2009年12月25日にSHIBUYA-AXで「ATUMIC ROOSTER Presents "アックスの奇蹟~Veritas ! One-night Wonder"」と題したセッションライブが行われ19年振りにメンバー自身によりVOWWOWの曲を本格的に演奏する内容だったが、ライブ当日までそのことは公表されなかった(メンバーが山本、人見、新美、厚見、堀川であることは公表されていた)。厚見が企画していたハードロックセッションシリーズの集大成として位置づけられ、当日に「ハードロックを演奏するための最高のメンバーを呼び寄せたらVOWWOWの顔ぶれになったので演奏曲もVOWWOWのレパートリーにした」との説明があった。

ただし、終演間際に「同年5月に他界した忌野清志郎が生前におさえていた会場(予定日)を使わせて貰った」と、厚見の複雑な思いが語られるとともに「解散ライブをせずに解散したことが気になっていたのでこれを解散ライブと思って欲しい」とも語られ、ファンがこのときのセッションを実質的なVOWWOW再結成ライブと受け止めることになんの躊躇もいらないことも示された。

翌年の2010年12月25、26日にSHIBUYA-AXで「“ヴァウの総て All about VOW ”」と題した再結成ライブが行われた。VOWWOW名義でチケットが一般に売り出された。1日目が「第一幕~渡英前」、2日目が「第二幕~渡英後」というコンセプトで行われ、それぞれ該当期の曲を中心にした演奏プログラムだった。

山本、人見、新美、厚見のオリジナルメンバーに、サポートベーシストとしてグレッグ・リー(2010年)が参加した。

会場では、前年の「ATUMIC ROOSTER Presents "アックスの奇蹟~Veritas ! One-night Wonder"」を完全ノーカット収録したDVDが販売された。

ディスコグラフィ[編集]

BOW WOW[編集]

初期4作は1990〜1991年にCD化されたが廃盤。後期3作は2000年にCD化された。中期4作は2011年1月12日にCD化。 2006年10月4日にデジタルリマスターCDとして初期6作がビクターより再発されている。

  • 吼えろ!BOWWOW(1976)
  • SIGNAL FIRE(1977)
  • CHARGE(1977)
  • SUPER LIVE(1978)
  • GUARANTEE(1978)
  • THE BOW WOW(1979)
  • GLORIOUS ROAD(1980)
  • TELEPHONE(1980)
  • 組曲Xボンバー(1980)
  • HARD DOG(1981)
  • ASIAN VOLCANO(1982)
  • WARNING FROM STARDUST(1982)
  • HOLY EXPEDITION(1983)
  • LOCUS 1976-1983(1983)(廃盤)

(新生BOWWOW)

  • #1(1995)(廃盤)
  • #2:LED BY THE SUN(1996)(廃盤)

(再結成BOWWOW)

  • BACK(1998)(廃盤)
  • ANCIENT DREAMS(1999)
  • LIVE EXPLOSION 1999(1999)
  • BEYOND(2000)
  • ANOTHER PLACE(2001)
  • WHAT'S GOING ON(2002)
  • SUPER LIVE 2004(2005)
  • ERA(2005)
  • DECENNIUM(2008)

VOW WOW[編集]

当初の媒体はアナログレコード。後期はCDと併売されていた。 その後音蔵シリーズで全作CD再発されていたがこれもまもなく廃盤に。 以後10年ほど廃盤状態が続いたが、2006年9月6日に新たにデジタル・リマスター音源使用で再発された。

  • Beat of Metal Motion (1984)
  • Cyclone (1985)
  • III (1986)
  • Hard Rock Night (1986)
  • V (1987)
  • Revive (1987)(廃盤)
  • VIBe (1988)
  • Mountain Top (1990)
  • Legacy (1990)(廃盤)
  • Best Now (1992)(廃盤)
  • Twin Best (1996)
  • Rock Me Forever(監修:山本恭司)(2006)
  • the VOX -Box set- (2007)

太斜体の部分は2006年9月に東芝EMIから再発された作品。

VOW WOW時代のビデオ[編集]

全て2006年6月14日にDVDで再発

  • VISIONS(1985)
  • LIVE(1986)
  • LIVE IN THE U.K.(1989)
  • JAPAN LIVE 1990 AT BUDOKAN(1990)

脚注[編集]

  1. ^ a b キューブミュージック
  2. ^ バンド名の日本語訳も「BOW WOW」→犬の鳴き声を表す単語。「VOW WOW」→誓いの叫び(感嘆符)となる。
  3. ^ a b ChartArchive - Vow Wow

外部リンク[編集]