ホワイトスネイク
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| ホワイトスネイク | |
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ホワイトスネイク(03年)
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ハードロック ヘヴィメタル |
| 活動期間 | 1977年 - |
| 公式サイト | Whitesnake.com (英語) |
| メンバー | |
| デヴィッド・カヴァーディル ダグ・アルドリッチ レブ・ビーチ ユーライア・ダフィ ティモシー・ドゥルーリー トミー・アルドリッジ |
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| 旧メンバー | |
| ミッキー・ムーディほか | |
ホワイトスネイク(Whitesnake)は、1977年に活動を開始したイギリスのハードロックバンド。元ディープ・パープルのデヴィッド・カヴァーディル(ヴォーカル)を不動のフロントマンとし、ミュージシャンは彼をサポートをする形をとっている。現在も活動を続けているが、カヴァーディルの嗜好の変遷や、その時のミュージシャンによってスタイルが変化し、音楽的な位置づけもやや判断が難しい部分がある。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 成り立ちと初期
ディープ・パープル解散後の1976年、デヴィッド・カヴァーディルはソロ・アーティストとして活動を開始した。このとき作曲と演奏の両面で共同制作者としてサポートしたのがギタリスト・ソングライターのミッキー・ムーディである。グループ名ともなる「Whitesnake」という共作が収められた最初のソロ・アルバム『ホワイトスネイク』"Whitesnake"(1977)、そして2作目の『ノースウィンド』"Northwind"(1978)をロジャー・グローヴァーの下で制作し、カヴァーディルを中心としたグループホワイトスネイクが形成されていく。
[編集] ホワイトスネイク 1978-1982
初期のメンバーは前出のミッキー・ムーディに元ストリート・ウオーカーズのディヴ・ドウルとブライアン・ジョンストン、バーニー・マースデン、ニール・マーレィ。さらにジョンストンがピート・ソリーにかわりグループがスタートする。1978年グループのお披露目となるEPアルバム『スネイクバイト』"Snakebite"からDavid Coverdale's Whitesnake名義のバンド活動がスタートし、同年初のフルアルバム『トラブル』"Trouble"(このアルバムからDavid Coverdale'sが取れ、シンプルにWhitesnakeとなる )からジョン・ロードが参加、後にはやはり元ディープ・パープルのドラマーイアン・ペイスも合流する。
ディープ・パープルのメンバーが三人も集まっていたため、その再結成とという意識を持つファンも少なくなかったが、ホワイトスネイクの音楽性は、独自の匂いを放っていた。それはカヴァーディル自身が傾倒するブルース、そしてハードロックである。カヴァーディルの稀代のディープ・ボイスに、職人肌のツイン・ギターとジョン・ロードのオルガンが絡むサウンドは、まさに「通好み」とも言うべきものだった。UKチャートでトップ20に上ったシングル『フール・フォー・ユア・ラヴィング』(1980年)、『ドント・ブレイク・マイ・ハート・アゲイン』(1981年)などのスマッシュ・ヒット曲も出て、英国、欧州そして日本では根強い人気を誇った。
しかしながら突如1982年になってカヴァーディルの娘の病気を理由に、グループは一時活動休止するとマネージメントが発表した。
[編集] ホワイトスネイク 1982-1994
80年代に入ると、ホワイトスネイクは全米での成功を悲願とするようになる。しかしその葛藤の中でバンドは揺れ動き、以降は成功と引き換えに数々のトラブルに見舞われ続けることになる。 まずカヴァーディルの私生活を巡る問題。特にハード・ドラッグの乱用(コカイン中毒)による家庭内のトラブルが裁判となり活動が停止される。そしてメンバーとマネージメント側との金銭的問題などが発生する。またレコード会社のプロデュースワーク上の問題も大きな原因ともなっていた。プロデューサーであったマーティン・バーチの権力がバンドのカラーを左右し、ミッキー・ムーディーとは衝突を繰り返していた。
1982年、これまでのカヴァーディル自身の生涯の総括的な意味を持つアルバム・タイトル『セインツ・アンド・シナーズ』"Saints and Sinners"をリリース。アルバムに参加メンバーのクレジットはなく、リリース時に既にグループはメンバーを解雇している。カヴァーディルはこれを機会にメンバーをリセットし、新バンドとしてホワイトスネイク再構築を図ることとなった。ジョン・ロードとミッキー・ムーディーがバンドに復帰し、ベース・プレイヤーのコリン・ホッジキンソンが参加、元トラピーズのギタリスト・ソングライターのメル・ギャレィが新たな共同作曲者となり、多くのバンドを渡り歩いたスーパードラマーコージー・パウエルを核とした新しいメンバーが集められた。
1983年になってアメリカのゲフィン・レコードとの契約を結び、翌1984年1月、新生ホワイトスネイクによる『スライド・イット・イン』"Slide It In"はアメリカでの成功のための大きな足がかりとなった。4月アメリカのマーケットでの初のお披露目となる同アルバムではギターがミッキー・ムーディーから元シン・リジィのギタリストジョン・サイクスに、ベースもコリン・ホッジキンソンからニール・マーレイに差し替えられ、ミックスもラジオで聞きやすいものに変更しリリースされた。バンドの変身を強く印象付けたサウンドは特にアメリカでのハード・ロック・マーケットでの成功を意識したものだったが、狙いは見事に的中し、グループにとっては初のアメリカでダブル・プラチナ・ディスクを獲得することとなる。
これにより欧州やUK国内での大型フェスティヴァルの出演はもとより、ワールド・ワイドな活動を強いられる様になりディープ・パープル再結成の為にグループを去ったジョン・ロードは別にしてもアメリカ国内のツアーやブラジルで最初のビッグ・フェスティヴァル"Rock In Rio"の出演など、長期間のツアーによりメル・ギャレイが怪我を理由にグループを抜け、コージー・パウエルも1985年のツアーの後にグループを去った。なお、この頃カヴァーディルは喉(鼻腔)の手術をして声域を広げている。
1987年、3年ぶりのアルバム『Whitesnake(WS1987、日本での当時の別題:サーペンス・アルバス/白蛇の紋章)』をリリースしている。かつてのシングル・カット曲"Here I Go Again"など2曲をアレンジして再録した他、全体として起伏に富んだ派手な曲を多く散りばめるなど、これまで以上にアメリカのリスナーを意識したものになったが狙いは奏功し、アルバムは全米チャートで最高位2位を記録し、800万枚以上を売り上げ(2007年までにアメリカだけでも1000万枚を超える)大成功をおさめた。他方で雑誌「ケラング」などで、アメリカ志向のサウンドを批判されるなど、良くも悪くもブリティッシュ・ロックという旧来の軛から完全に脱した作品となった。
アルバムを共同制作したジョン・サイクスを中心としたメンバーらは作品発表時にはバンドを解雇されており、ゲフィン側は人気重視のプレイヤーをグループのメンバーとして用意する。プロモーション・ヴィデオの撮影に集められたエイドリアン・ヴァンデンバーグ(ギター)、ディオのヴィヴィアン・キャンベル(ギター)、オジー・オズボーンのトミー・アルドリッジ(ドラムス)、ルディ・サーゾ(ベース)が新生ホワイトスネイクになり、MTVでは彼らの曲がオン・エアされ、カヴァーディルの当時の恋人Tawny Kitaen(後に1989年に結婚/1991年に離婚)が出演するプロモーション・ヴィデオはリクエストの多い作品ともなった。当然新メンバーによるワールド・ツアーも人気を博した。ツアー後キャンベルが脱退。次作に向けての曲作りはカヴァーディルとヴァンデンバーグを中心に行われていく。
レコーディングを前にヴァンデンバーグが腕を負傷し、急遽スティーヴ・ヴァイが代役となりヴァンデンバーグのギター・パートを担当した。『スリップ・オブ・ザ・タング』"SLIP OF THE TONGUE"(1989年)へのこの前衛的な天才プレーヤーの参加はホワイトスネイクのワールド・ツアーの期待値を上げたが、ヴァイ自身のソロ活動のプロモーションの様であった。しかし前作をしのぐ売り上げにこそならなかったものの300万枚のアルバムを売り上げた。その後グループは1991年に活動を中断し、1994年に『グレイテスト・ヒッツ』をリリース、プロモーションの為にこの年ライヴ活動を行った後にホワイトスネイクは長期間の活動休止状態に入る。
[編集] 停滞期~再結成、現在
1997年、エイドリアン・ヴァンデンバーグとの共同制作によるカヴァーディルのソロ色の強いアルバム『レストレス・ハート』"RESTLESS HEART"や、7月そのプロモーション活動の一環で訪れた日本でのヴァンデンバーグとカヴァーディルのデュオによるアンプラグド形式のショウを収めたスタジオ・ライヴ・アルバム、『スターカーズ・イン・ジャパン』"STARKERS IN TOKYO"などをリリースした。しかしこれらはカヴァーディル自身はソロ活動を重点に置きたかったが、所属レコード会社EMIの思惑は『ホワイトスネイク』での活動を望むものだった。したがってパーマネントなメンバーによる精力的な活動からはほど遠いものであり、ヴァンデンバーグはこれ以降一時期音楽ビジネスを離れることとなる。また、カヴァーディルはソロ活動や1993年のジミー・ペイジとのプロジェクトカヴァーデイル・ペイジなどにも参加しており、ホワイトスネイクという巨大な恐竜の存在から距離を置いていた。 低調と言っていい時期ではあるが、音楽性の上では再び初期のような渋いブルース系ハードロックに接近していたため、当時からのファンをひそかに喜ばせた。しかし比較的新しいファン層には、アメリカでの成功時のような攻撃的で垢ぬけた曲調に比べて泥臭く地味に見えていたようだ。 以前からあったファン層の二分化は、この時期より一層明確になったとも言える。
2003年9月、25周年記念ツアーの為にホワイトスネイクはまったく新しいメンバーで再結成された。以降はライヴ活動を中心とするようになる。2006年5月には来日ツアーも行われ、新たなパートナーであるギタリストダグ・アルドリッチとの共作による新曲も披露された。ライヴでのパフォーマンスや新曲の出来を見る限り、再びアメリカでの成功時のように攻撃的な音楽性に再転換したように見える。
そして2008年4月には、待望のニューアルバム『GOOD TO BE BAD』がリリースされ、10月来日公演を行った。
[編集] トリビア
- カヴァーディルは近年になってから、バンド名「ホワイトスネイク」の由来について、自身のペ○スに由来していると明かした。しかしこれは以前から推測されていたことで、『BURRN!』誌の前田岳彦も「ホワイトスネイクは白人のチ○コって意味」と堂々と答えたことがあった。
- 最大のヒット曲「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」はカヴァーデイルとマースデンの共作であるが、リメイク版のシングルヒット時には何故かマースデンの著作権の存在が曖昧になっており、マースデンには著作権料が支払われなかったとされる(当時の『BURRN!』誌に掲載されたカヴァーデイルのインタビューによる)
[編集] 歴代メンバー
- ヴォーカル
- デヴィッド・カヴァーディル(ディープ・パープル)
- ギター
- ミッキー・ムーディ(ジューシー・ルーシー〜スナフ〜ザ・ヤング・アンド・ムーディー・バンド、ザ・カンパニー・オブ・ザ・スネイクス)
- バーニー・マースデン(UFO〜コージー・パウエル・ハンマー〜ペイス・アシュトン・ロード、ザ・カンパニー・オブ・ザ・スネイクス)
- メル・ギャレー(トラピーズ)
- ジョン・サイクス(タイガース・オブ・パンタン〜シン・リジィ)
- エイドリアン・ヴァンデンバーグ(ヴァンデンバーグ)
- ヴィヴィアン・キャンベル(ディオ、デフ・レパード)
- スティーヴ・ヴァイ(フランク・ザッパ〜アルカトラス~デイヴィッド・リー・ロス)
- ウォーレン・デ・マルティーニ(ラット)
- スティーヴ・ファリス(Mr.ミスター)
- ダグ・アルドリッチ(ライオン~Bad Moon Rising~バーニング・レイン~ディオ)
- レブ・ビーチ(ウィンガー~ドッケン)
- ベース
- ニール・マーレイ(ナショナル・ヘルス、VOW WOW~ブラック・サバス、ザ・カンパニー・オブ・ザ・スネイクス)
- コリン・ホッジキンソン
- ルディ・サーゾ(クワイエット・ライオット~オジー・オズボーン~イングヴェイ・マルムスティーン~ディオ 他)
- マルコ・メンドーサ(ブルー・マーダー、シン・リジィ)
- ユーライア・ダフィ
- ドラムス
- デイヴ・ドウル(ストリートウォーカーズ)
- イアン・ペイス(ディープ・パープル)
- コージー・パウエル(レインボー~マイケル・シェンカー・グループ~ブラック・サバス~イングヴェイ・マルムスティーン・バンド~ブライアン・メイ・バンド 他)〔故人〕
- エインズレイ・ダンバー(ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ~ジャーニー 他)
- デニー・カーマッシ(モントローズ~サミー・ヘイガー〜ガンマ〜ハート)
- トミー・アルドリッヂ(パット・トラヴァース・バンド~オジー・オズボーン~イングヴェイ・マルムスティーン他)
- クリス・フレイジャー
- キーボード
- ブライアン・ジョンストン(ストリートウォーカーズ)
- ピート・ソリー(プロコル・ハルム〜スナフ)
- ジョン・ロード(ディープ・パープル)
- ドン・エイリー(レコーディングのみ参加。レインボー他,現在ディープ・パープル)
- リチャード・ベイリー(84年から85年のツアーにサポート参加。ステージの脇で演奏をしていた。)
- ポール・ミルコヴィッチ
- ティモシー・ドゥルーリー
[編集] アルバム
- 「SNAKEBITE」(DAVID COVERDALE'S WHITESNAKE名義のミニアルバム)
- 「トラブル」TROUBLE
- 「ラヴ・ハンター」LOVE HUNTER
- 「ライヴ・アット・ハマースミス」LIVE AT HAMMERSMITH
- 「フール・フォー・ユア・ラヴィング」READY AN' WILLING
- 「ライヴ…イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ」LIVE...IN THE HEART OF THE CITY
- 「カム・アンド・ゲット・イット」COME AN' GET IT
- 「セインツ・アンド・シナーズ」SAINTS & SINNERS
- 「スライド・イット・イン」SLIDE IT IN
- 「スライド・イット・イン~アメリカン・リミックス・ヴァージョン」SLIDE IT IN(AMERICAN REMIX VERSION)
- 「サーペンス・アルバス(白蛇の紋章)」WHITESNAKE(SERPENS ALBUS)
- 「スリップ・オブ・ザ・タング」SLIP OF THE TONGUE
- 「グレイテスト・ヒッツ」WHITESNAKE'S GREATEST HITS
- 「レストレス・ハート」RESTLESS HEART
- 「スターカーズ・イン・トーキョー~アコースティック・ライヴ・イン・ジャパン」STARKERS IN TOKYO
- 「グッド・トゥ・ビー・バッド」GOOD TO BE BAD
[編集] 日本公演
- 2003年 25th Anniversary Tour
- 9月18日 長野カノラホール、19日 愛知県芸術劇場、21日 東京国際フォーラムホールA、23日 Zepp Sapporo、24日 Zepp Sendai、25日 Zepp Tokyo、27日 Zepp Osaka、28日 Zepp Fukuoka
- 2006年 JAPAN TOUR 2006
- 5月9日 Zepp Fukuoka、10日 広島郵便貯金ホール、12日 名古屋市民会館、14日 パシフィコ横浜国立大ホール、15日 アクトシティ浜松、16日 グランキューブ大阪メインホール、18日 新潟テルサ、19日 Zepp Sendai、21日 東京国際フォーラムホールA
- 10月23日、24日 日本武道館

