ドン・エイリー

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ドン・エイリー
ドン・エイリー(2005年)
ドン・エイリー(2005年)
基本情報
出生名 Donald Airey
出生 1948年6月21日(65歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドサンダーランド
ジャンル ハードロック
ヘヴィ・メタル
担当楽器 キーボード
活動期間 1974年-現在
共同作業者 ディープ・パープル
レインボー
オジー・オズボーン
ブラック・サバス
エレクトリック・ライト・オーケストラ
ゲイリー・ムーア
ジューダス・プリースト

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ドン・エイリーDon Airey 1948年6月21日 - )は、イギリスタインアンドウィア州サンダーランド出身の音楽家作曲編曲の他、キーボードを担当。数多くのバンドやプロジェクトに参加している。熱心なサンダーランドAFCのサポーター。エアエイ、エイレイなど呼び方がある。身長180cm。

略歴[編集]

幼い頃からクラシックピアノを学び、ノッティンガム大学を経て英国王立ノーザン音楽大学で学位を取得卒業する。1972年にプロフェッショナルな音楽活動を開始し、コージー・パウエルズ・ハマーの『Na Na Na』(1974年)でレコーディング・デビューする。

1976年から1978年にかけて、ゲイリー・ムーアらと共にジャズ・ロック・バンドコロシアムIIで活動。セッション・プレィヤーとしても活動しブラック・サバスのアルバム「Never Say Die!」(1978年)の録音に参加した後、1979年リッチー・ブラックモアのグループ、レインボーに加入。「Down to Earth」(1979年)、「Difficult To Cure」(1981年)のアルバム2枚の録音を残す。表題曲「Difficult To Cure」はベートーヴェンの「交響曲第9番」をアレンジした曲でグループのカラーに貢献した。しかし、コージー・パウエルの後任のドラマー・ボビー・ロンディネリとはウマが合わず、やがて方向性の違いから、『アイ・サレンダー』のアルバムツアー終了後に脱退した。

脱退後、オジー・オズボーンとゲイリー・ムーアのレコーディングやツアー・メンバーとしてキャリアを成し、1989年にはジェスロ・タルの結成20周年の公式メンバーに迎えられている。80年代からはほぼスタジオ・ミュージシャン、編曲者として主にハード・ロック/ヘヴィ・メタルのアーティストのレコーディングで活躍。1997年ユーロビジョン・ソング・コンテストの英国代表であるカトリーナ・アンド・ザ・ウエイブスEBU 1997出展作品Love Shine a Lightの編曲とオーケストラ指揮を担当、英国に優勝をもたらしている。

一時的に仕事が散発的になっていた時代を経て、2002年よりディープ・パープルのメンバーとして、ジョン・ロードの後任として加入し、2013年現在でも活動している。

ソロ作品と主な参加作品ディスコグラフィー[編集]

トリヴィア[編集]

1982年3月19日、ランディ・ローズが飛行機事故による墜落死したこの日、奇しくもドンはセスナに乗る順番がランディーより先だった為間一髪墜落死を免れた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]