ラスト・コンサート・イン・ジャパン

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ラスト・コンサート・イン・ジャパン
ディープ・パープルライブ・アルバム
リリース
録音 1975年12月15日
日本の旗東京、日本武道館
ジャンル ハードロック
時間
レーベル 日本の旗ワーナー・パイオニア→ワーナーミュージック・ジャパン
スウェーデンの旗パープルレコード
オーストラリアの旗EMI
プロデュース ディープ・パープル
マーティン・バーチ
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 15位(日本[1]
  • ディープ・パープル アルバム 年表
    メイド・イン・ヨーロッパ
    (1976年)
    ラスト・コンサート・イン・ジャパン
    (1977年)
    パーフェクト・ストレンジャーズ(1984年)
    テンプレートを表示

    ラスト・コンサート・イン・ジャパン』 (原題:Last Concert in Japan) はイギリスロックバンドディープ・パープルライブ・アルバム。1975年12月の東京公演の一部を収録。当時のメンバーで、解散した数か月後の1976年12月に死去したトミー・ボーリンを追悼する意も含めて、1977年3月に日本、ドイツ、オーストラリアなどで発表された[2][3]

    解説[編集]

    経緯[編集]

    ディープ・パープルの通算3度目の日本公演は、ギタリストリッチー・ブラックモア1975年4月7日のパリ公演を最後に脱退したために中止になった。後任にボーリンが決定して[注釈 1]、第4期ディープ・パープルが誕生。同年10月に新作アルバム『カム・テイスト・ザ・バンド』が発表。11月からワールドツアーが開始され、その一環として、日本公演が12月8日から15日まで、名古屋、大阪、福岡、東京で行なわれた。

    第2期ディープ・パープルによる1972年の初の日本公演の模様を収録したアルバム『ライヴ・イン・ジャパン』が非常に好評だったこともあって、主催者側は今回もバンド側から、ライヴ・レコーディングと16mmフィルムによる撮影の了承を得ていた。東京公演は15日だけだったので、会場の日本武道館は通常閉鎖している北側スタンドをすべて開放。14,000人余りの大観衆が押し寄せた。

    しかしボーリンのドラッグ中毒[注釈 2]が悪化した上、彼はジャカルタから日本に向かう飛行機の中で左腕を痛めて左手が思うように使えず、スライド(ボトルネック)奏法を多用した演奏しかできなかった。その結果、演奏はまともと呼ばれるには程遠い出来に終わって、聴衆を失望させてしまった。またデイヴィッド・カヴァデールの声の調子も悪かった。ブラックモアがいない『カム・テイスト・ザ・バンド』が賛否両論を呼んだこともあって、第4期ディープ・パープルの評価は公演終了後には決定的に悪いものとなった。

    1976年7月、ディープ・パープルは解散を発表[4][注釈 3]。同年12月4日、ボーリンはドラッグの大量摂取により他界した[5]。翌1977年3月、パープル・レコード英語版ワーナー・ブラザーズ・レコードは追悼の意味も込めて、本作を日本、ドイツ、オーストラリアなどで発売した。

    グレン・ヒューズは後のインタビューで「リリースすべき作品ではなかった」と語っており、ジョン・ロードも「金の為にやったことだ」と述べている。

    内容[編集]

    本作はコンサートの一部が収録されたダイジェスト版である。曲順は実際の順番[6]とは異なっており、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「幸運な兵士」「ウーマン・フロム・トーキョー」は一続きに編集された。

    ボーリンのギターが意図的に低くミキシングされた結果、相対的にロードのキーボードが大きく聴こえる作品に仕上がっている。イアン・ペイスのドラミングは終始活発であり、本作の要となっている。

    ロードは本作の最後を飾るアンコール曲「ハイウェイ・スター」で、キーボード・ソロをほとんど弾いていない。彼は左腕を痛めていて来日中に病院に行っており、演奏に支障を来たしていたのであろう。

    収録曲[編集]

    1. 紫の炎 - "Burn" - 6:59
    2. ラヴ・チャイルド - "Love Child" - 4:41
    3. ユー・キープ・オン・ムーヴィン - "You Keep on Moving" - 6:12
    4. ワイルド・ドッグ - "Wild Dogs" - 6:01
    5. レイディ・ラック - "Lady Luck" - 3:53
    6. スモーク・オン・ザ・ウォーター - "Smoke on the Water"
    7. 幸運な兵士 - "Soldier of Fortune"
    8. ウーマン・フロム・トーキョー - "Woman From Tokyo" - 12:41(6.7.8.の合計)
    9. ハイウェイ・スター - "Highway Star" - 6:46

    制作[編集]

    メンバー[編集]

    特記事項[編集]

    映像[編集]

    レコーディングと併行して撮影されたフィルムはフィルムコンサートなどで上映され、テレビでも一部放送された。1985年には音楽ビデオソフト『ライジス・オーヴァー・ジャパン』(原題:Rises Over Japan)として発売された。

    This Time Around: Live in Tokyo[編集]

    本作が発売されなかったアメリカ合衆国とイギリスでは、2001年に東京公演の全曲を収録したアルバム『This Time Around: Live in Tokyo』が発売された[注釈 4]。日本でも2003年に、紙ジャケット仕様でバップレコードから発売されている。

    脚注[編集]

    出典[編集]

    1. ^ 『オリコンチャート・ブックLP編(昭和45年‐平成1年)』(オリジナルコンフィデンス/1990年/ISBN 4-87131-025-6)p.205
    2. ^ Popoff (2016), p. 219.
    3. ^ Discogs”. 2023年12月17日閲覧。
    4. ^ Popoff (2016), pp. 194–195.
    5. ^ Popoff (2016), p. 211.
    6. ^ thehighwaystar.com”. 2023年11月26日閲覧。

    注釈[編集]

    1. ^ 初のアメリカ人メンバーにあたる。
    2. ^ 他のメンバーは、ボーリンを迎え入れた時には彼が薬物依存症に陥っていたことを知らなかったという。
    3. ^ 1976年3月15日、ワールド・ツアー最終日にあたるリヴァプール公演が終わった後、ジョン・ロードイアン・ペイスは楽屋で解散を決意して、デイヴィッド・カヴァデールに告げた。
    4. ^ 「ハイウェイ・スター」の一曲前に収録されている「嵐の使者」でも、ロードはキーボード・ソロを殆んど弾いていない。

    参考文献[編集]

    • Popoff, Martin (2016), The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979), Wymer Publishing, ISBN 978-1-908724-42-7