エイジア

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エイジア
ジョン・ウェットン(左)、ジェフ・ダウンズ(ノーウォーク・オイスター・フェスティヴァル、2005年)
ジョン・ウェットン(左)、ジェフ・ダウンズ(ノーウォーク・オイスター・フェスティヴァル、2005年)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド
ジャンル プログレッシヴ・ロック
ハード・ロック
活動期間 1981年 - 1985年
1989年 -
メンバー
ジョン・ウェットン
スティーヴ・ハウ
カール・パーマー
ジェフ・ダウンズ
旧メンバー
別記

エイジアAsia)はイギリスロックバンド

目次

[編集] 概要

1982年デビュー。メンバー全員が、既に世界的なキャリア/知名度を得ていたミュージシャンであったため、デビューの時点からスーパーグループとして注目された。「プログレッシヴ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルを確立し、そのスタイルにそってリリースされたファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』は数ヶ月後には全米NO.1を9週キープ[1]、全世界で1500万枚のセールスを達成。同アルバムからシングルカットされた『Heat Of the Moment』は全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位となり、商業的にも成功を納めている。アルバムデビューの時点のメンバーは、ジョン・ウェットン(vo.b/元キング・クリムゾンロキシー・ミュージックU.K.)、スティーヴ・ハウ(g.vo/元イエス)、カール・パーマー(ds/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)、ジェフ・ダウンズ(kbd/元バグルス、イエス)。その後、幾多のメンバー・チェンジを繰り返したが、2007年にはオリジナルメンバー四人での「初来日コンサート」が、そして続く2008年にも来日を果たしている。

[編集] 2つ目のエイジア

ジェフ・ダウンズは脱退したジョン・ウェットンの後任としてジョン・ペインを迎え、エイジアの名義でアルバムを発表していた。しかし、2006年にジェフ・ダウンズはオリジナル・メンバーを集結させたエイジアとして活動を再開するにあたり、ジョン・ペインらの現行のエイジアのメンバーたちは「脱退」を余儀なくされてしまった。そこでジョン・ペインらはGPSとしてのデビューアルバム『Window to the Soul』を制作し、エイジアの次のアルバム用に作られていた『Architect of Time』のための楽曲をこの中で使用した。2007年、オリジナルメンバーで活動を再開しているエイジアの4人の合意を得て、ジョン・ペインらはASIA featuring John Payneと名乗り、「初期から現在までの全ての曲」を演奏するエイジアとして活動している。ASIA featuring John Payneは2008年にソニーミュージックジャパンとアルバム3枚の契約を結び、2010年のアルバム『ARCANA』発売に向けて準備中である。2009年のツアーでは、ギタリストがMitch Perry、キーボードがErik Norlanderとなっていた。

[編集] 来歴

1970年代末から1980年代初頭、数々のプログレッシヴ・ロック・バンドの解散と、若く才能溢れるミュージシャンの台頭が契機となり、エイジア結成のプランは流動的に動き始めた[2]

1980年にイエスからトレヴァー・ホーンが脱退し、クリス・スクワイアアラン・ホワイトジミー・ペイジとのバンドを結成するためにイエスを離れてしまった。イエスに残されたスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズはイエスの継続を断念してしまう。ここでイエスは解散。その時、イエスのマネージャーだったブライアン・レーンはジョン・ウェットンを2人に引き合わせて新バンドの結成を企画する。かつて、ブライアン・レーンはリック・ウェイクマンとジョン・ウェットン、それにビル・ブラッフォードによるスーパー・トリオを企画したがうまくいかなかった経験があり、その時からジョン・ウェットンに協力的であったのだ。(当時、ジョン・ウェットンはブライアン・レーンの秘書と結婚していた)そして、ジョン・ウェットンとスティーヴ・ハウが一緒に曲作りをするようになり、デビューアルバムの約半分を書き上げた。当初はサイモン・フィリップス(ds)がドラマーを務めたが、その後カール・パーマー(ds)に交代、キーボードにキース・エマーソンの加入も企画されたが、結局はスティーヴ・ハウの紹介によりジェフ・ダウンズが加入して結成メンバーが集まるに至った。バンド名はブライアン・レーンが提案したAsiaとなった[3]。ソング・ライティングは、アルバム制作の頃までにはウェットン/ダウンズのチームが出来上がり、1982年3月8日、ロジャー・ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』とシングル『Heat Of the Moment』をリリース、上記の商業的な成功を納めた。

1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。完全にウェットン/ダウンズの作曲チーム中心となり初期の中心メンバーであるハウが作曲に参加した作品が入っていない。シングル『Don't Cry』が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米6位となる。しかし記録的ヒットを収めた『Asia』の売上の1/5ほどに留まってしまい、ツアーの観客動員数も減ってしまった。バンド内で軋轢が始まり、中心メンバーのウェットンが1983年の初来日ツアー前にアルコール中毒になっていたという理由で突如と解雇されてしまう。ウェットンの代わりとしてベースもリードボーカルも兼任できて声質も似ているグレッグ・レイク(vo.b/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)に代役を急遽依頼。

1983年12月6日から、ワールドツアーが日本より開始され、MTVの企画で、同年12月7日の日本武道館公演の模様を全世界に衛星生中継するという歴史的なイベント『ASIA in ASIA』も行われた。この公演はアメリカ向きの放送時間に合わせて(アメリカでは同年12月6日)日本では平日の昼間に行われ、この日のみ演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。この模様は国内でも、テレビ神奈川(tvk)で、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA IN ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された。(この特別番組の司会は、当時テレビ神奈川で放送していた洋楽を多く扱う番組の「ファンキートマト」での司会の植田芳暁。ゲストとして白井貴子。生中継の公演の模様が14:05頃-14:38頃迄放送された。また、ニューヨークで生中継の模様を観ている、日野皓正の国際電話でのインタビューもあった。番組終盤の 14:45頃-14:50頃にも生中継の模様が放送された。番組提供スポンサーはソニー。この特別番組の直前に放送の番組「おしゃべりトマト」でも同出演者にてエイジアの紹介がされていた。)

歌詞をじっくり覚える時間もなかったグレッグはツアー中、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌うことになった。グレッグの声域の方がウェットンより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労したが、長年同じバンドにいたカールを始め他のメンバーとも息が合い、コンサートは成功した。

後に、MTVで日本武道館から衛星生中継した番組の『ASIA in ASIA』の模様は『エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館』としてビデオ化されビデオテープ、レーザーディスクで市販された。

このままグレッグがエイジアに在籍しつづけるのかと思われたが、1984年に再びウェットンが復帰している。しかし、ウェットンとハウとの仲がうまくいかず、サードアルバムのリハーサル中に今度はハウが脱退してしまった。ハウの後任のギタリストにはジョン・ウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーが参加している。25曲録音した中から10曲を厳選し1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表する。しかしこのアルバムは最高位が全米67位、シングル『Go』は全米ロックチャート7位、全米ポップチャート46位にとどまり、これまでの巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、マネージメントのブライアン・レーンから解雇され、バンドの活動は凍結、事実上の解散状態となった。

1989年に、当時ゲフィン・レコードA&Rであったジョン・カロドナーの提案で再結成を実現するが、1989年の時点でスティーヴ・ハウはABWHに参加していたこともあり合流しなかった。A面5曲が過去のヒット曲を並べたベスト盤、B面4曲が未発表曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ』も発表する。ギターパートは、スティーヴ・ルカサーTOTO)やスコット・ゴーハム(元シン・リジィ)などのサポート・メンバーが担当、ドラムに関しても録音時期にスリーの活動を行っていたためカール・パーマーが参加していない曲がある。ギタリストはツアーにあたって、グレン・ヒューズとの活動でも知られるパット・スロールを迎えた。日本ツアーは成功を収め(この時、TBSの深夜のテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」にゲスト出演している)、旧ソビエトモスクワで収録されたライブアルバム『ライブ・モスクワ』をリリースしたものの、アメリカでのツアー日程が組めず、いわゆる懐メロバンドとしての需要しか求められていないと感じたジョン・ウェットンがソロ契約を得たこともあり、南米ツアーの後脱退する(パット・スロールも同時期に脱退)。

その後、ダウンズはジョン・ペイン(vo.b/元エレクトリック・ライト・オーケストラ)という新たな盟友を得て活動を続けていたが、それ以降はバンド形態というより「ジェフ・ダウンズのソロプロジェクト」の色彩が強まって行き、ジェフとジョン・ペイン以外はゲストアーティストの参加による演奏が多くなり、ツアーに参加するメンバーも非常に流動的なものとなる(アルバム「ARENA」のレコーディングには布袋寅泰が参加している)。アルバム『AQUA』にはスティーヴ・ハウが参加しているが、その後のツアーにはゲストとしての参加に留まり、再びエイジアからは離れイエスの活動に移っていくこととなる。ペイン&ダウンズ体制としてのアルバム『Silent Nation』では、それまでアルバムジャケットのアートワークを手がけていたロジャー・ディーンを起用せず、一連のアルバムのタイトル(一部のベストアルバムなどを除く)もバンド名と同様に「A・・・A」というタイトルで通してきたそれまでの法則が崩れることになる。

しかし2000年代中ごろ、ジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズが偶然の再会から共演アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』をAVALONレコードからリリース。このころからこの二人を中心にオリジナルメンバーでのエイジア再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはジェフ・ダウンズがジョン・ペインとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナルラインナップ(ジョン・ウェットン、ジェフ・ダウンズ、スティーヴ・ハウ、カール・パーマー)でのアルバム制作・コンサートツアーを実施する方向であることも正式に発表された[4]

スティーヴ・ハウ(左)とカール・パーマー(2006年9月10日)

ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライヴアルバム『アイコン・ライブ(iCon Live~Never In A million years)』、『ルビコン(iConII)』(2006年10月)をリリースした。二人はスティーブ・クリスティ(ds)、ジョン・ミッチェル(g)を加えたアイコンバンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコンバンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、翌年3月にはオリジナル・ラインナップでは初となる来日ツアーを果たしている。なお、スティーヴ・ハウとカール・パーマーを加えたエイジアとしてのアルバムは2008年4月に「PHOENIX」としてリリースされた。ジャケットのアートワークは再びロジャー・ディーンが手がけている。2010年には同じメンバー、同じくロジャー・ディーンのアートワークでの新作『オメガ (Omega)』が発表されている。

同時期にエイジアは、ハウの参加しているイエスとのジョイント・ライヴ(エイジアが前座の扱い)を行い、ハウがどちらのバンドでも演奏するという形態でのツアーが行われている。

2010年7月にはロンドンで行われたイベント「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル」に出演。

2011年に、イエスから脱退したオリヴァー・ウェイクマンに代わって、イエスの新作『フライ・フロム・ヒア』のレコーディングにダウンズが参加。プロデューサーはトレヴァー・ホーン。今後のイエスのツアーにもダウンズが参加することが発表されている。

なお、2006年までエイジアのメンバーだったジョン・ペイン、ガスリー・ゴーヴァン(g)、ジェイ・シェレン(ds.per)の三人も、奥本亮(key/スポックス・ビアードK2、元クリエイション)を加え新ユニットGPSを結成(バンド名は三人のイニシャルのアナグラム)。同年にアルバム『Window to The Soul』でデビューしている。ペインとゴーヴァンはプロモーションのため2007年に来日しライヴを行った。

[編集] メンバー

[編集] オリジナルメンバー

[編集] 途中加入のメンバー、ゲスト

[編集] メンバーの変遷

ボーカル・ベース ギター キーボード ドラムス
1981 - 1982 ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ サイモン・フィリップス
1982 - 1983 ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1983 - 1984 グレッグ・レイク スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1984 ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1984 - 1985 ジョン・ウェットン マンディ・メイヤー ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1985 - 1989 解散中
1989 ジョン・ウェットン パット・スロール ジェフ・ダウンズ
ジョン・ヤング
カール・パーマー
1989 - 1992 ジョン・ペイン ジェフ・ダウンズ
1992 - 1994 ジョン・ペイン アル・ピトレリ ジェフ・ダウンズ
1994 - 1996 ジョン・ペイン アジス・イブラヒム
エリオット・ランドール
ジェフ・ダウンズ
1996 - 2004 ジョン・ペイン ジェフ・ダウンズ
2004 - 2005 ジョン・ペイン ガスリー・ゴーヴァン ジェフ・ダウンズ クリス・スレイド
2005 - 2006 ジョン・ペイン ガスリー・ゴーヴァン ジェフ・ダウンズ ジェイ・シェレン
2006 - ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー

[編集] ディスコグラフィー

[編集] オリジナル・スタジオアルバム

エイジアのスタジオアルバムのタイトルは、長らく『A…A』という形式であったが、2004年発表の『サイレント・ネイション』によってその法則は崩れた。またジャケットのアートワークを手がけてきたロジャー・ディーンもこのアルバムに関与していない。DVDの映像付きの「デラックス・エディション」も発売されていたことがある。
オリジナルメンバーとしての25年ぶりのスタジオ・アルバム。アートワークには再びロジャー・ディーンを起用。
約2年ぶりのオリジナルアルバム。アートワークはロジャーディーン。2010年5月にはオメガ・ツアーとして来日公演を行った。 

[編集] ベスト盤

[編集] ライヴ盤

[編集] オリジナルサウンドトラック盤

  • 1987年 シルベスタ スタローン主演 オーバーザトップ収録 「ジプシーソウル」Gypsy Soul

[編集] DVD

[編集] VHS/LD

  • ライブ・イン・武道館/エイジア・イン・エイジア ASIA IN ASIA
1983年12月7日の日本武道館でのコンサートが、アメリカのMTVによって衛星生中継された時のライブ映像(時差の関係でアメリカでは同年12月6日放送)。VHSビデオ・テープ及びレーザーディスクで発売された。一時的に離脱したジョン・ウェットンに代ってグレッグ・レイクがベースとボーカルを担当している。

[編集] 日本公演

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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  1. ^ 1982年5月15日と22日付けで1位。その後3週間はポール・マッカートニーのタッグ・オブ・ウォーが1位となったが、6月19日付けで返り咲き、7月31日付けまで7週間1位を続けた(w:en:Number-one albums of 1982 (U.S.)を参照)。
  2. ^ リック・ウェイクマンのアルバム「罪なる舞踏」の2003年リマスター盤CDに収録されたライナーノーツによると、1980年頃にゲフィン・レコードから「リック・ウェイクマン(Key.)、ジョン・ウェットン(B./Vo.)、カール・パーマー(D.)、トレヴァー・ラビン(G./Vo.)でバンドを結成して欲しいという打診があった。実現には至らなかったが、同ライナーノーツではこの構想が後にエイジアに繋がったとされている。
  3. ^ その他、結成メンバーの他に候補として挙ったアーティストは、ロイ・ウッド(vo.Bass)、アラン・ホワイト(ds)、トレヴァー・ラビン(g.vo)、ロバート・ベリー(g.vo)など。
  4. ^ 一方、ジョン・ペイン体制下で制作が予定されていたニューアルバムARCHITECT OF TIMEについてはリリースが延期となってしまった。
  5. ^ ドン・アーデンの息子でシャロン・オズボーンの兄弟
  6. ^ 出展:ROCK STREAM =JOHN PAYNE - GUTHRIE GOVAN (GPS) SPECIAL INTERVIEW!!= (日本語)
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