TOTO (バンド)

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TOTO
2010年のツアーメンバー
2010年のツアーメンバー
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ロック
AOR
ソフトロック
ポップス
プログレッシブロック
フュージョン
ハードロック
活動期間 1977年 - 2008年
2010年 -
レーベル ソニー・ミュージックエンタテインメント
1978年 - 1999年
TOTOレコーディングス(原盤権自主保有)
2002年 - 2008年
公式サイト Official TOTO Website
メンバー
(2010年の再結成メンバー)
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ルカサー
マイク・ポーカロ
サイモン・フィリップス
スティーヴ・ポーカロ
ジョセフ・ウィリアムズ
旧メンバー
ジェフ・ポーカロ
デヴィッド・ハンゲイト
ファーギー・フレデリクセン
ジャン・ミシェル・バイロン
ボビー・キンボール
グレッグ・フィリンゲインズ

TOTO(トト)は、アメリカロックバンド

1977年にロサンゼルススタジオミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチジェフ・ポーカロ を中心に結成。2008年3月ボズ・スキャッグスとの来日公演を最後に活動を無期限に休止すると宣言し、公式サイトで7月23日に正式に解散が発表された。ただし、ALSを患ったマイク・ポーカロの救済目的で、2010年7月ヨーロッパ各地で限定ツアーが行われた。2011年9月には日本でも限定ツアーが行われた。

目次

[編集] バンド名の由来

メンバーによって、またその時によって説明が異なっているため、正確には不明であるが、元メンバー、ボビー・キンボールの本名「ロバート・トトース(Robert Toteaux) 」をもじったもの、「全てを含む」を意味するラテン語英語風に変えたもの、日本の便器メーカーTOTOからとった[1](来日の際、TOTOの便器を欲しがったと言われる)など、複数の説、及びメンバーの説明がある。ただし便器メーカーのTOTOからとったという説明については、デビュー当時は日本での人気が先行していたため、日本のファンへのリップサービスがてらのジョークとして音楽雑誌『ミュージック・ライフ』のインタビューで語ったものである。また、キンボールの本名説に関しても、実際の本名はトトースではない。これもメンバーによるジョークであると考えられている。

なお、現在、公式ウェブサイトでは次のような説明がなされている。

バンドがデモ・テープを作っていた際に、映画『オズの魔法使い』を見たばかりであったジェフが、映画に登場するの名前「トト」をテープに書いてすぐ判別できるようにした。その後、デヴィッド・ハンゲイトが詳しく調べたところ、「トト(toto)」はラテン語で「total」 、あるいは「all-encompassing(網羅的な)」を意味することが分かった。これは数々のセッションに参加していたメンバーの経歴やどんなジャンルの音楽にも対応できるバンドの演奏能力にぴったりであるということから、デビュー・アルバムのタイトル及びバンド名として採用された。
(参考:Official TOTO WebsiteBand History)。

近年、スティーヴ・ルカサーが語るところによると「バンド名がブランドになってしまっているからもう変えられないけど、俺はこのバンド名が好きじゃないんだ。俺が命名に関わっている訳じゃないし、気がついたらそういう名前になっていたんだけど、イヤんなっちゃうよ。世界的に有名なトイレメーカー(TOTO)と同じ名前なんだぜ。ギャグとしては面白いと思うけどね」とのことである。

[編集] 音楽的特徴

一般的には、典型的なAORサウンドと評されている。また、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有していることから、産業ロックなどと表現されることがある。実際に、そういった趣が色濃い曲も数多く、それゆえヒット曲が多いのも事実である。ただし、作品全般を通して聴くと、ハードロックからプログレッシブ・ロックジャズ・フュージョンといった、様々なスタイルを内包しており、商業性を優先しているとは言いがたい幅広い音楽性を持っているという意見もある。

専任のボーカリストがいるにも関わらず、ギタリストのスティーヴ・ルカサー、キーボーディストのデヴィッド・ペイチが、リード・ボーカルをとることが多い(実際、TOTO最大のヒット曲「Africa」はペイチのボーカルである)。また、スティーヴ・ポーカロも、リード・ボーカルをとる曲が存在し、2005年加入のグレッグ・フィンリンゲインズも、キーボーディスト兼リード・ボーカルとしての加入で、「Falling in Between」では、彼のリード・ボーカル曲も多くフィーチャーされ、ステージでは、休止中のペイチのボーカル曲を代行しているなど、ビートルズキッスさながらに、演奏陣が歌うバンドとしても知られている(ただし、ビートルズやキッスには、専任ボーカルはおらず、全員が兼任ボーカルである)。

デビュー当時がちょうど、汎用ICLSI(ICの高度集積化されたもの)の低コスト化が本格的に加速し始めた時期であった故、サウンド・エフェクターシンセサイザーという音楽関連テクノロジーも飛躍的に発達、普及した時期となり、これとぴったり重なっていたこと、及びこういった先進技術の恩恵を潤沢に受けられるロサンゼルスのスタジオミュージシャンからキャリアをスタートさせたことから、当時「スペイシー (Spacy) 」と音楽雑誌が称していた、空間的広がりに散乱するような華やかなサウンドで、ほぼ同時期にデビューしたボストン (Boston) と並んで、この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの雛形となったサウンドを提起した。より具体的には、全体のエフェクトリバーブやゲート・リバーブ、ギターには、コーラスなどを多用し、アンプに通さず直接ミキサーインプットに入力した、クリスタル・クリーンなどと形容されるギターサウンド、ペイチのジャジーなピアノオルガンエレクトリックピアノ、そして、スティーヴ・ポーカロブラス系を含む、煌びやかなシンセサイザー・サウンドは、正に1980年代サウンドのお手本と言える。

しかしながら、初期TOTOにおいて一番その特徴としていえるのが、バンドの中心人物で、ドラマーのジェフ・ポーカロのリズムである。基本的に16ビート調の曲が多いのだが、通常の8ビートや16ビートでも独特のハネとウネりがあり、それが初期のTOTOをTOTOたらしめていると言っても過言ではない。特に顕著なのが「Rosanna」に代表されるような3連ゴースト・ノートを多用する16ビートのハーフ・タイム・シャッフルである。レッド・ツェッペリンジョン・ボーナムスティーリー・ダンプレイしたバーナード・パーディから影響を受け、ボ・ディドリーのパターンも加え、独自にアレンジしたというこれらのリズムは、未だに多くのドラマーの課題となっている(実際、ジェフ自身も、スティーリー・ダンでプレイした経験がある)。

全員が、マイケル・ジャクソンなどの大物アーティストから依頼の多いスタジオ・ミュージシャンであり、TOTOの成功にも関わらず、スタジオ・ワークを縮小せず、精力的だったこともあり、1980年代には、ジャンル問わず、彼らの関わった作品では良くも悪くもTOTOのようなサウンドが多産されていた。

[編集] バンド・メンバー

ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリーズ』制作時に集められたメンバーが母体になっている。元々はメンバー全員が少年期からの旧知の仲であったため、この作品の共演で意気投合したという他のバンドによくある流れではないが、これが決め手となっての結成であった。TOTOはメンバーチェンジを繰り返しており、時代ごとにラインナップが異なる。2006年1月、最終メンバーでは唯一の作品がリリースされた。

[編集] 最終期のメンバー

オリジナル・メンバー。初期には楽曲のほとんどの作曲を担当し、ジェフと共にTOTOの音楽的方向性をリードしていた事実上の中心人物。代表的なヒット曲は彼の作品が多い。父はジャズミュージシャンとして著名なマーティ・ペイチ。スティーヴ・ポーカロとのツインキーボード時代は、スティーヴの演奏するスペーシーと表現される「いかにもシンセサイザー」的な派手なサウンドに対して、オーソドックスでジャジーなピアノ、オルガンサウンドでボトムを支えた。2004年より家族の病気を理由に、ツアーやライブには参加しておらず、レコーディングのみの参加となり、ペイチのヴォーカル曲はグレッグ・フィリンゲインズがほとんどを代行した。2010年の一時再結成には参加した。
オリジナル・メンバー。『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』以降の作品から現在まで、実質的なバンドリーダーとして活動。ボーカリストとしては初期は柔らかく優しい、クリアなタイプの声質で、高音がよく伸び、特にバラードをメインに歌っていたが、上記アルバムの頃から野太いハスキーボイスに変化している。TOTO以外でもセッションミュージシャンとして広く活動している。スティーヴ・ポーカロとは高校のクラスメートで、友人のスタジオ・ミュージシャン、ギタリストのマイケル・ランドウは一学年下の後輩である。ペイチやジェフ、マイク、エドワード・ヴァン・ヘイレン、その兄アレックス・ヴァン・ヘイレンは高校の先輩である。結成以後、唯一全てのステージ、作品に参加している(レコーディングではペイチも全てに参加している)。
オリジナル・メンバー。1984年『Isolation』制作中に脱退。1999年の『MindFields』より復帰。メンバーチェンジの多いTOTOにおいて、最盛期を担った代表的なボーカリストである。TOTOのバンド名の由来として「ボビーの本名、ロバート・トトース(Robert Toteaux)から」などというジョークがメンバーによって語られ、半ば真実として信じている人も多く、TOTOを紹介する際、現在においても語られることがある。実際の本名はロバート・トロイ・キンボール(Robert Troy Kimball)であり全くの冗談である。
ジェフの弟でスティーヴの兄。セッションとしては『TOTO IV』から既に参加しているが、正式加入はリリース直後のデヴィッド・ハンゲイト脱退から。同作に収録されている楽曲のプロモーション・ビデオはハンゲイト脱退直後に撮影されているため、映像に映っているのはマイクだが実際に聴こえるプレイはハンゲイトという状態になっている。ポーカロ兄弟のうちバンドに最後まで参加していた。ルカサーによれば、TOTOの本当のオリジナル・メンバーはマイクだという。デビュー時のメンバーやスキャッグスのバックに集まったミュージシャンという直接的な結成を考えればハンゲイトがオリジナル・メンバーであるが、恐らくTOTOのメンバーがハイスクール時代に参加していたバンド「Ruaral Still Life」時代も含めての発言と考えられる。2007年筋萎縮性側索硬化症を発症したため療養しており、リーランド・スカラーが代役を務めた。復帰は回復次第とされていたが、TOTOの活動休止・解散までには間に合わず復帰は叶わなかった。TOTOの解散は彼の病状が大きな原因とも言われており、ルカサーは「ペイチが引退して、マイクまで倒れた状態で何がTOTOと呼べるものか」と活動終了の経緯を語っている。ライヴDVD『Live in Amsterdam』ではルカサーによるメンバー紹介の際に日本語字幕上では「リーダーのマイク・ポーカロ!」と紹介されているが、後にも先にもマイクがリーダーとされたのはこの時だけである。実際は「Groove Maestro」と発言したものを「Group Master」と聞き違えた誤訳の可能性が高い。また、聞き違えでなくとも「Maestro(指揮者)」という意味からリーダーと訳者が誤認している可能性もある。
2005年より加入。マイケル・ジャクソンエリック・クラプトンなどのツアーメンバーとしても活動していた。以前よりツアーでのサポートメンバーとして参加していたが、その力量を買ったペイチの誘いで正式加入。メンバー交代ではなく、追加という珍しい形である。レコーディング参加は2006年1月の『Falling in Between』からだが、次回作を作ることなく解散したため、この作品が唯一の参加アルバムとなった。コーラスなどのバッキング・ボーカルは長い間様々なアーティストのバックで経験しているが、リード・ボーカルはTOTOに加入してから初めての挑戦となる。中低音域からボビーやジョセフの音域にも迫るハイトーンまで、非常に広い音域を繰り高評価を得ている。また、それまでのTOTOのボーカリストにないタイプであるため、バンドに新しい血を導入することにも成功している。ツアー活動を休止しているペイチのヴォーカル曲や、彼の演奏パートもステージ上で代行している。TOTO初のアフリカ系アメリカ人(外国人メンバーも含めればジャン=ミシェル・バイロンに次ぐ二人目のアフリカ系)。
死去したジェフの後任として『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』のツアーよりサポートメンバーとして参加し、その後正式加入。当初バンドはジェフの死去により解散する予定であったが、サイモンの加入によって回避され、活動を続行した経緯がある。レコーディング参加は『Tambu』から。最終メンバーとしては唯一の外国人(イギリス人)メンバー(ジャンに次ぐ二人目)。ジェフ・ベックマイケル・シェンカー・グループなどのレコーディングやサポートをはじめ、ザ・フーの再結成ツアー(1989年)にも亡きキース・ムーンの代役として参加している。2010年の一時再結成にも参加。

[編集] 過去に在籍していたメンバー

オリジナル・メンバー。結成から死去まで、TOTOの中心人物として活動。1992年、自宅の庭で殺虫剤を散布中にアレルギーによる心不全で死去。しかし、死因に疑わしい面が多く、コカインが検出されたため薬物中毒による死だという説もある。「ジェフこそがTOTOである」、「TOTOはジェフとペイチのバンドだ」などの声も多い。実際、現在においても現メンバーは彼をメンバーとして扱い、依然としてリスペクトされ続けている。
オリジナル・メンバー。ジェフとマイクの弟。80年代TOTOの派手で煌びやかなシンセサイザーサウンドは彼によるもので、TOTOのリズム、楽曲の方向性の中核がジェフとペイチならば、サウンド面の中核は彼の存在によるものとも言える。『Fahrenheit』を最後に脱退するが、次作『The Seventh One』でも正式メンバー並みに参加し、その派手なサウンドを聴かせてくれる。最近ではスティーヴ・ルカサーがインタビューで「俺はスティーヴには実際、正式に復帰してもらいたいと思っているんだよ」と語っている。(脱退したとはいえ、『The Seventh One』以降の作品でもほぼ毎回ゲスト参加し、正式メンバー並に活躍しているので、単にクレジット表記を変更しただけとも言える)。ボーカリストとしては、中音域中心の柔らかい歌声である。ルカサーとは高校のクラスメートである。マイケル・ジャクソンのモンスターヒット・アルバム『スリラー』収録の「ヒューマン・ネイチャー」はスティーヴの作編曲である。無論このアルバムの他の曲も含め数曲でキーボードも演奏している。2010年 - 2011年の一時再結成にも参加。
オリジナル・メンバー。商業的成功が故に多忙となり、家族と過ごす時間とセッションミュージシャンとしての活動の優先を理由に、『TOTO IV』を発表後に脱退。
1984年加入。元体操選手という経歴を持つ。TOTO加入前は、トリリオンやル・ルーに在籍。『Isolation』のみの参加で脱退したが、「Fahrenheit」にはコーラスで参加している。
映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムズの息子。キンボールと並ぶバンドの代表的ボーカリスト。正式メンバーとしては2作の参加にも関わらず、彼をTOTO史上最高のボーカリストという声も大きく、復帰を望む声もあった。元々ボーカリストのみならず作曲家として活躍していたキャリアから、TOTO在籍時には楽曲の方向性の面でも非常に貢献した。『The Seventh One』を最後に脱退したが、その後もTOTOの作品に作曲やゲスト・ボーカルとして参加していた。2008年のボズ・スキャッグスとの来日公演では最終の2日間に参加。2010年 - 2011年の一時再結成にも参加。TOTO以外でのキャリアなどは本人の項を参照のこと。
  • ジャン=ミシェル・バイロン(Jean-Michel Byron、10月13日 - ) - ボーカル
南アフリカ出身。ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』で彼を売り出そうとしたレコード会社の意向により新曲のみ参加(本来は、この作品からキンボールが復帰する予定だった)。「Past To Present Tour」直後に脱退。初の外国人メンバーで唯一のアフリカ人。なお、レコード会社の強制的な参加と短期間の在籍のためか、公式サイトの旧メンバー紹介ページでは唯一彼だけ記載がない。

[編集] 主なサポートメンバー

サポートでの参加者はあまりにも多いため、ここでは特に参加していたことが有名な者や、後期の者に特化する。

  • レニー・カストロ(Lenny Castro) - パーカッション
初期から後期まで、アルバムからツアーまで多くの現場でTOTOを支えてきた。TOTO以外でも非常に有名なパーカッショニストの一人。
  • ジョー・ポーカロ(Joe Porcaro) - パーカッション
ジャズ・ドラマーでポーカロ兄弟の父。『TOTO IV〜聖なる剣〜』を初めとして幾つかの作品に参加し、息子たちとの共演を行っている。
1981年から1982年までのツアーに参加。
イーグルスのベーシスト。コーラス担当として1981年から1982年までのツアーに参加。
  • ジェニー・ダグラス(Jenny Douglas、本名:Jenny Douglas-McRae) - ボーカル
90年代にバックコーラスやリードボーカルで参加。当時TOTOは専任ボーカリストが存在しなかったため、ルカサーやペイチでは歌えない楽曲のシンガーを務め上げた。また、レコーディングでも『TAMBU』にて数曲リードボーカルを担っている。
  • ジョン・ジェームズ(John James) - ボーカル
ジェニーと同様、ツアーなどでのバックコーラス、リードシンガーとして専任シンガーのいない90年代TOTOのサポートとして参加。
1995年後半にサイモンの代役として参加。
  • トニー・スピナー(Tony Spinner) - ギター、ボーカル
1999年以降、ツアーにて、ほぼレギュラーでサポートでギターを演奏していた。また、曲によってはリード・ボーカルをとることも。
  • ジョン・ジョッセル(John Jessel) - キーボード、コーラス
2003年までサポートキーボードとして、ペイチのサポートを行っていた。ステージ袖でプレイしていたようで、彼の参加した映像作品でもメンバー紹介時に顔を出す以外はほとんど姿が見えなかった。フィリンゲインズが後任として正式メンバーとなる。
  • ジェフ・バブコ(Jeff Babko) - キーボード、ボーカル
以前よりサイモンのプロジェクトに参加していた関係で2000年頃サポートとして招かれる。若手でありながらTOTOのメンバーから高評価を得ていた。他にロベン・フォードなどのギタリストともプレイしている。
リーランド・スクラー、リー・スクラーとも。セッションミュージシャンとして、数々のアルバムやセッションに参加。2007年より病気療養に入ったマイクの代役を務めている。
  • ジョン・ファリス(Jon Farriss) - ドラムス
INXSのドラマー。「Live Promos」参加時、サイモンが病気で入院したため、急遽サポートとして参加。
上記のジョン・ファリスの代役後にもサイモンの病状が思わしくなかったため、ファリスの後任サポートとして「Live Promos」にて代役を担った。
フォープレイのベーシスト。2010年のマイク・ポーカロ支援ツアーにマイクの代役として参加。

[編集] メンバーの変遷

ボーカル ギター キーボード ドラムス ベース
1977-1982
TOTO〜宇宙の騎士〜/Hydra/
Turn Back/TOTO IV〜聖なる剣〜
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
ジェフ・ポーカロ デヴィッド・ハンゲイト
1982-1983
TOTO IV〜聖なる剣〜完成直後から
Isolation制作途中まで
マイク・ポーカロ
1983-1986
Isolation
ファーギー・フレデリクセン
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
1986-1988
FAHRENHEIT
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
1988-1990
The Seventh One〜第七の剣〜
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
デヴィッド・ペイチ
1990
Past to Present 1977 - 1990グレイテスト・ヒッツ
ジャン・ミシェル・バイロン
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
1990-1992
Kingdom of Desire
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
1992-1999
Absolutery Live/Tambu
サイモン・フィリップス
1999-2005
Mind Fields/Through The Looking Glass
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
2005-2008
Falling in Between
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
グレッグ・フィリンゲインズ
デヴィッド・ペイチ
グレッグ・フィリンゲインズ
マイク・ポーカロ
リーランド・スカラー(代役)
2008-2010 解散中
2010-
マイク・ポーカロ支援一時再結成
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
サイモン・フィリップス マイク・ポーカロ
ネイザン・イースト(代役)

[編集] ディスコグラフィー

[編集] オリジナル・アルバム

[編集] ベスト・アルバム

[編集] ライヴアルバム、未発表曲集等

[編集] DVD

  • 2003年-25th Anniversary: Live in Amsterdam(ライヴ・イン・アムステルダム~25TH ANNIVERSARY
  • 2005年-GREATEST HITS LIVE AND MORE(グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア)
  • 2008年-FALLING IN BETWEEN LIVE(フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライブ)
1980年初来日時のステージの模様を収めた音源:ライブ・アルバム『Live in Tokyo (In Search For Hydra)』とタイトルの決定もされ、ジャケット・デザインも各音楽関連雑誌上に先行露出され、発売日を決定しこれに先立つかたちでNHK-FMでオンエアされもしたのにも関わらず、発売直前に「サウンドがノイジーでコンディションが良くない」との理由で土壇場で発売中止になった幻のアルバムが存在する。実際にオンエアされたものは特に問題の在るコンディションではなかったが真相は不明である。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 松任谷由実がこの説をオールナイトニッポンで紹介していた

[編集] 外部リンク

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