スティーリー・ダン
| Steely Dan スティーリー・ダン |
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2007年、スイス・ルツェルンにて
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック AOR |
| 活動期間 | 1972年~1980年、 1993年~現在 |
| レーベル | ABCレコード MCAレコード ワーナー・ブラザーズ・レコード リプリーズ・レコード |
| 影響 | ジャズ |
| 公式サイト | http://www.steelydan.com/ |
| メンバー | |
| ドナルド・フェイゲン ウォルター・ベッカー |
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| 旧メンバー | |
| ジェフ・バクスター デニー・ダイアス ジム・ホッダー デイヴィッド・パーマー |
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スティーリー・ダン(Steely Dan)はアメリカのバンド。以前バンドの形式であったが、現在はドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)とウォルター・ベッカー(Walter Becker)の二人によるユニットといってよい。
ロックやポップスを基調としながら、ジャズ的な代理コードや意表をつくコード進行で曲にひねりを加え、一流のスタジオ・ミュージシャンを駆使した高度なアンサンブルを構築、その独特の音世界は内外のミュージシャン、音楽制作者に多大な影響を与えた。テクニカルな面が強調されがちだが、1950年代のジャズやリズム・アンド・ブルースが持つフィーリングを重視しており、ドナルド・フェイゲンの個性的な歌声と奇妙で小説的な難解な歌詞との取り合わせもまた、スティーリー・ダンの個性を際立たせる非常に重要な要素となっている。
目次 |
[編集] 概歴
[編集] スティーリー・ダン結成まで
ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーはニューヨークのバード・カレッジ在学中に知り合い、共同で曲作りを始める。カレッジ卒業後(ベッカーは中退)二人は作曲家として活動するが仕事には恵まれず、ジェイ&ジ・アメリカンズのバックミュージシャンなどで糊口を凌いでいた。この頃に作られたデモテープはのちに「ベッカー&フェイゲン」名義の作品集としてレコード、CD化されている。
ようやくABCレコードのプロデューサーのゲイリー・カッツに才能を見出された二人はロサンゼルスに移住、バンドとしてレコード・デビューするために旧知のミュージシャンを呼び寄せ、スティーリー・ダンを結成した。バンド名はウィリアム・S・バロウズの小説「裸のランチ」に登場する男性器の張型「Steely Dan III from Yokohama」に由来する。
デビュー当時のメンバーは、ドナルド・フェイゲン(ボーカル、キーボード)、ウォルター・ベッカー(ベース)、デニー・ダイアス(ギター)、ジェフ・バクスター(ギター)、ジム・ホッダー(ドラム、ボーカル)、デイヴィッド・パーマー(ボーカル)。主なスタッフにゲイリー・カッツ(プロデューサー)、ロジャー・ニコルズ(エンジニア)。
[編集] デビューから活動休止まで
1972年発表のデビューアルバム「キャント・バイ・ア・スリル」からシングルカットされた「ドゥ・イット・アゲイン」は全米6位の大ヒットを記録、スティーリー・ダンは幸運なスタートを切った。
プロのミュージシャンとなればライブ活動は必要不可欠だが、本来作曲家としての活動を望んでいたベッカーとフェイゲンは肉体的にも精神的にもきついライブを嫌い、それがやがて他のメンバーとの軋轢を生む。また作品を追うごとに理想とするサウンドとバンドの演奏力の差が明らかになると、メンバーの感情を無視して外部のスタジオ・ミュージシャンを積極的に起用するようになり、バンドとしての一体感は失われていった。
1974年発表のアルバム「プレッツェル・ロジック」からシングルカットされた「リキの電話番号」は全米4位の大ヒットを記録、スティーリー・ダンの名声はますます高まる。しかしすでにこの頃はバンド形態は崩壊寸前、同年にジェフ・バクスターとジム・ホッダーがクビにされ、ライブ活動を停止した(デイヴィッド・パーマーは既にクビ)。なおこの年のライブではマイケル・マクドナルド、ジェフ・ポーカロがツアーメンバーとして参加している。
以降はスタジオ・レコーディングのみの活動に専念、トム・スコット、ラリー・カールトン、チャック・レイニー、バーナード・パーディー、スティーヴ・ガッドら主にジャズ・フュージョン系の売れっ子ミュージシャンを多数起用し、クロスオーバー的な洗練された音作りを指向するようになる。
1977年発表のアルバム「彩(エイジャ)」は全米3位、200万枚を売り上げる大ヒットを記録した彼らの代表作である。東西の一流スタジオ・ミュージシャンを贅沢に起用して洗練さを極め、グラミー賞最優秀録音賞を獲得するなど、評論家からも絶大な支持を受け、スティーリー・ダンの名声を決定的なものにした。なおデニー・ダイアスが本作を最後に正式にメンバーから外れ、スティーリー・ダンは名実共にベッカーとフェイゲンの二人だけのグループとなった。
1980年発表のアルバム「ガウチョ」を最後にスティーリー・ダンすなわちベッカーとフェイゲンのコンビは活動を停止する。「ガウチョ」も前作「彩(エイジャ)」に匹敵する大ヒットを記録、高い評価を獲得したが、前作の評価があまりにも高かったゆえに制作時のプレッシャーは並々ならぬものがあったようだ。フェイゲンやプロデューサーゲイリー・カッツの完璧主義は前作を超え、演奏に寸分の狂いも許さず、一方ベッカーは麻薬に溺れレコーディングどころではなくなっていた。前作に比べ、膨大な時間(2年半)と費用(日本円で1億円以上)がかさんだり、曲がミスで消されるなどのトラブルが頻発したが、完成度の高さは頂点を極めている。スティーリー・ダンとしては2000年以降の作品を除き、これが最後のオリジナルアルバムとなった。
[編集] ソロ活動から再結成まで
1982年にドナルド・フェイゲンはソロ・アルバム「ナイトフライ」を発表。スティーリー・ダン時代のサウンドにさらに磨きをかけ、以前に劣らぬヒットと高い評価を獲得した。3M製32トラックのデジタル・マルチトラックレコーダーを使用した音響面のクオリティの高さも絶賛され、一時期はレコーディングエンジニアのサウンド・チェックの定番となっていたほど「音のいいアルバム」といわれていた。
一方のウォルター・ベッカーは麻薬中毒から脱するためにハワイに移住。1985年にチャイナ・クライシスのプロデューサーとして音楽界に復帰した。その後はフェイゲン、ベッカーともどもさほど目立った活動をすることはなかったが、1993年にフェイゲンのソロ・アルバム「KAMAKIRIAD」をベッカーがプロデュースしたことをきっかけに二人での活動を再開する。そして同年に「スティーリー・ダン・フィーチャリング・ウォルター・ベッカー&ドナルド・フェイゲン」名義でライブツアーを開始、翌年には初来日も果たした。このツアーの模様は公式のライブ盤として発売されている。1996年にも再び世界ツアーを行ない、同年に発表したベッカーのソロ・アルバム「11の心象」をフェイゲンがプロデュースしている。
2000年、スティーリー・ダン名義としては「ガウチョ」以来20年ぶりとなるスタジオ・レコーディング・アルバム「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」を発表。全米6位の大ヒットを記録し、同年のグラミー賞では最優秀アルバムをはじめ4部門を獲得、「業界受けするアーティスト」といわれるスティーリー・ダンの名声が未だ衰えていないことを見せつけた。
2003年には「彩(エイジャ)」がグラミー賞殿堂入りを果たしている。
[編集] メンバーの脱退
当初、フェイゲンは自分がヴォーカルをとることをとても嫌がっていた。自分の声の音域が狭く理想的な声質でないこと、大学までヴォーカルなんてやったこともなかったこと、あがり症でライブなどではMCもこなさければいけない事が不安という理由があった。その為、ヴォーカリストをいつも探していた(だがゲイリー・カッツなど周囲の人間は、フェイゲンのボーカルを気に入り強く勧めていた)。デイヴィッド・パーマーをヴォーカリストとして迎え入れ数曲歌ったが、やはりフェイゲンが歌ったほうがいい、ということになりフェイゲンがボーカルとして固定する。
3rdアルバムの頃からは、演奏者にもより高いレベルの演奏を要求するようになったため、腕のいいスタジオミュージシャンを呼んで演奏をさせることが多くなり、オリジナルメンバーの出番が少なくなっていった。それはフェイゲン、ベッカー自身にも当てはまり、彼らも演奏に参加しなくなる曲も増えていた。ツアーもやめることで、二人以外の人間の仕事は余計なくなっていった。ただし、二人はすぐに他のメンバーをクビにしたというわけではなく、アルバムでほとんど演奏していないメンバーも、その後の活動の準備が整った段階で自ら脱退を決めてもらうようにしていた。
[編集] 作品
[編集] オリジナルアルバム
- 1972年 Can't Buy A Thrill 「キャント・バイ・ア・スリル」(US #17)
- 1973年 Countdown To Ecstasy 「エクスタシー」(US #35)
- 1974年 Pretzel Logic 「プレッツェル・ロジック」旧邦題の副題は「さわやか革命」(US #8)
- 1975年 Katy Lied 「うそつきケイティ」(US #13)
- 1976年 The Royal Scam 「幻想の摩天楼」(US #15)
- 1977年 Aja 「彩(エイジャ)」(US #3)
- 1980年 Gaucho 「ガウチョ」(US #9)
- 2000年 Two Against Nature 「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」(US #6)
- 2003年 Everything Must Go 「エヴリシング・マスト・ゴー」(US #9)
[編集] 主なベストアルバム、ライブアルバム
- 1978年 Greatest Hits 「グレイテスト・ヒッツ」(ベスト盤) (US #30)
- 1982年 Gold 「ゴールド」(ベスト盤) (US #115)
- 1985年 A Decade Of Steely Dan 「ザ・ベスト・オブ・スティーリーダン」(ベスト盤)
- 1993年 Citizen 1972-1980 「スティーリー・ダンBOX」(コンプリート盤)
- 1995年 Alive In America 「アライブ・イン・アメリカ」(ライブ盤) (US #40)
- 2006年 The Definitive Collection (ベスト盤) (US #92)
[編集] シングル
1972年
- Dallas / Sail The Waterway
1973年
- Do It Again (US #6) / Fire In The Hole
- Reelin' In The Years (US #11) / Only A Fool Would Say That
- Show Biz Kids (US #61) / Razor Boy
- My Old School (US #63) / Pearl Of The Quater
1974年
- Rikki Don't Lose That Number (US #4) / Any Major Dude Will Tell You
- Pretzel Logic (US #57) / Through With Buzz
1975年
- Black Friday (US #37) / Throw Back The Little Ones
- Bad Sneakers (US #--) / Chain Lightning
1976年
- Kid Charlemagne (US #82) / Green Earrings
- The Fez (US #59) / Sign In Stranger
1977年
- Peg (US #11) / I Got The News
1978年
- Deacon Blues (US #19) / Home At Last
- FM (No Static At All) (US #22) / (reprise)
- Josie (US #26) / Black Cow
1980年
- Hey Nineteen (US #10) / Bodhisative [Live]
1981年
- Time Out Of Mind (US #22) / Bodhisative [Live]
2000年
- Cousin Depree / [Album Version]
[編集] スティーリー・ダンとしてデビューする前の作品
- Walter Becker & Donald Fagen名義のデモ曲集(タイトル、収録曲とも様々な盤がある)
- You Gotta Walk It Like You Talk It (自主制作映画のサントラ盤)
[編集] 映像作品
- 「彩(エイジャ)」 (アルバム「彩(エイジャ)」の制作ドキュメンタリー)
- 「シークレット・ライブ・イン・NY」 (「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」発売直前に行なわれたプロモーションライブの映像)
※ドナルド・フェイゲンおよびウォルター・ベッカーのソロ・アルバムについてはそれぞれの項目を参照。
[編集] 日本公演
- 10月8日,9日 日本武道館、11日 福岡サンパレス、12日 名古屋センチェリーホール、13日 大阪城ホール
- 8月18日,19日,20日,22日,23日,24日 Billboard Live TOKYO
- 8月26日,27日,28日,30日,31日,9月1日 Billboard Live OSAKA
- 9月3日,4日,5日 Billboard Live FUKUOKA