ソフトロック

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ソフトロックSoft Rock)は、1960年代後半から1970年代前半にかけて製作、スタジオレコーディングに重点を置き、美しいメロディコーラスを持つポピュラー音楽のジャンル。ただし、範囲は明確かつ具体的になっているわけではない。

世界での「ソフトロック」[編集]

ソフトロックという音楽用語の特徴は、日本の国内外で解釈が異なっている点にある。

例えば、英語版ウィキペディアのソフトロックの項目を見ると、ソフトロックは、リトル・ロック、イージー・ロック、メロー・ロックとも言う。柔らかくて、聞き心地がよく、仕事をしながらでも聴ける音楽のスタイル。などと、「イージーリスニング音楽」という取り上げ方をされている。また、ロックに「ソフト」という言葉を充てることは、ロックのファンの多くを怒らせる。と手厳しく、ジョージ・カーリンの言葉を引いている、「ソフトロックはロックではない。そしてそれは音楽ではない」 「それはただソフトなだけなのだ」

また、当初はMOR (middle of the road)〈ロックとポップスとの中庸という意〉と呼ばれているジャンルのうちのポップな一部のアーティストを指しており、その後他方はアルバムを中心に大人向けの音楽を作るAORへの流れを作った。(MORについては軽音楽インストルメンタル音楽をさす用法もある。)

なお、代表アーティストは、以下の通りで、アダルト・コンテンポラリー・ミュージック」項も参照せよ。とある。

アメリカ 等。

まさしく「ハードではないロック」で、「アダルト・コンテンポラリー・ミュージック」(日本でいうAOR)に近い分類がなされているようである。

日本での「ソフトロック」をめぐる歴史[編集]

日本では、東芝音楽工業(現在のEMIミュージック・ジャパン)から当時リリースされたハーパース・ビザールやアソシエイションのアルバム、またワーナー・パイオニアからのブレッドのアルバムに「ソフト・ロックの王者」「ソフト・ロックのチャンピオン」「ソフト・ロックのスーパーグループ」などのキャッチフレーズが付けられていた。当時の担当者の談によると、「自然発生的に流通しており、それを拝借した」という。だが日本でも世界でも、文化的ムーブメントもなく、以降もこの言葉が定着することはなかった。

1980年代なかばから、フリッパーズ・ギターピチカート・ファイヴ小西康陽などの渋谷系アーティストがこの方面のレコードを取り上げ、その影響下にある作品を発表[要出典]。また『ソフト・ロック―Soft rock A to Z』を発行した音楽誌「VANDA」がこのジャンルを積極的に取り上げ、再評価、レコードの再発売が進んだ。これによりソフトロックという名称が一般的に浸透化し、現在に至る。

日本でのソフトロックの定義は、概ね本項の冒頭で述べたとおりのものである。海外ではソフトロックという語および概念は「ロック」という部分を基礎にした認識であるが、日本におけるそれは「ポップス」という側面に比重を置いた認識である。そのため、日本でソフトロックに分類されるアーティストは、必ずしもロック的特徴を有しているわけではない。さらに、日本でのソフトロック認識には、1960年代後半から1970年代前半までという時代区分の条件がつく事が多い。

ソフトロックというジャンルは、そもそも「過去のある音楽をある観点から再評価する」という意味合いが強い概念である。ソフトロックの定義や該当アーティストが一定でない理由はそれに起因する。

なお、この「ソフトロック」ムーブメントは日本先行であり、大手レコード会社、インディーズ・レーベル(M&M、A-SIDEなど)を問わず、日本発の世界初CD化の例も多い。また、ここ数年、日本発「ソフトロック」の定義は輸出されているが、それは専ら「サンシャイン・ポップ」と呼ばれている。その名の下で海外でもコンピレーションが編まれ、アルバムやシングルの音源の復刻も行われるようになった。

以下、この日本での「ソフトロック」の定義で、項目を起こすことにする。

主なアーティスト、プロデューサー[編集]

ほか

ソフトロックのおもなレーベル[編集]

ソフトロックの歴史と発展[編集]

フィル・スペクター[編集]

プレ「ソフトロック」的なもののルーツは、一概に言いにくいが、1950年代に隆盛を極めたドゥーワップなどのコーラスポップと、1960年代前半、活躍を見せたフィル・スペクターである。アレンジャーのジャック・ニッチェレオン・ラッセルラリー・ネクテルハル・ブレインキャロル・ケイらのロスを代表する一流のミュージシャンたち、それにキャロル・キングバリー・マンなど、ニューヨークのブリル・ビルディング人脈の優れたソングライターたち。これらの才能が生み出すサウンドを、長時間をかけたスタジオの生演奏録音で、多数の楽器の音を少しずつブレンドさせる多重録音で、壮大でかつポップな音楽をつくり上げた彼のスタイルは、ウォール・オブ・サウンドと呼ばれ、ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』、クリスタルズの『ダ・ドゥ・ロンロン』、ライチャス・ブラザーズの『ふられた気持ち』などのヒット曲を生んだ。

ブライアン・ウィルソン[編集]

フィル・スペクターの影響を受けたアーティストは多く、中でもザ・ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンは、スペクター・サウンドを信奉。先に挙げたスペクター組のミュージシャンを起用し、代表作にしてロックの金字塔『ペット・サウンズ』(1966年)をつくり上げた。ビートルズの『ラバー・ソウル』に影響されたこのサウンドは、それまでのロックとしては当然だったギターソロやスリーコードを超え、多彩な打楽器の使用。クラシカルなフレーズと転調、そしてビーチ・ボーイズのオープン・ハーモニーが加わり、陽気だけではなく内性的な感情をも表現したスピリチュアルな傑作となった。またスペクター組のミュージシャンは、このほか、ジャン&ディーン、ゲイリー・アッシャー、ブルース・ジョンストンなどの西海岸発のサウンド、サーフィン/ホット・ロッドのレコーディング演奏も彼らが支え、スペクターサウンドの継承と発展がみられた。『ペット・サウンズ』に続く『スマイル』(制作中止。2004年に完成)では、当時無名だったヴァン・ダイク・パークスがブライアンと共作をしている。

1960年代後半、『ペット・サウンズ』の評価もありながら、アメリカ西海岸は、フォークロックを超え、フラワーロックサイケデリックの時代を迎えていた。ソフトロックには分類されにくいが、初期のバーズクロスビー、スティルス&ナッシュバッファロー・スプリングフィールド、またはピーター・ポール&マリーでは、美しいコーラスを基調としたサウンドが重視されている。さらに、スペクター組のミュージシャンは、ママス&パパスなどのダンヒル系フォーク・ロックを、1970年代に入るとカーペンターズのサウンドも支えた。また、ビートルズの『サージェント・ペパー・ロンリーハーツ・クラブバンド』のサイケデリックやコンセプトアルバムブームの影響下も強いが、英国でもゾンビーズの『オデッセイ&オラクル』、ホリーズの『バタフライ』などのソフトロックの名作も生まれている。

ゲイリー・アッシャーとカート・ベッチャー[編集]

サーフィン/ホット・ロッド時代、『ロンリー・シー』『イン・マイ・ルーム』『409』などをブライアン・ウィルソンと共作したゲイリー・アッシャーは、バーズの一連のアルバムを手がけつつ、カート・ベッチャーと共に一部ではソフトロックの最高峰と呼ばれたミレニアムやサジタリアスのアルバムを制作する。ブライアン・ウィルソンと並ぶコーラス・アレンジの天才とも言えるカート・ベッチャーは、コラージュの才にも長け、ドリーミーな幻想サウンドを構築した。

バーバンク・サウンド[編集]

アメリカ・ポピュラー・ミュージック史を再構築して現代調に開示する作風を持つヴァン・ダイク・パークスの『ソング・サイクル』、『ディスカバー・アメリカ』、またはちょっと露悪的なシンガー・ソング・ライターランディ・ニューマン、そして古いロックやR&Bを再構築し、ハワイアンやキューバ音楽などワールド・ミュージック紹介の功績も高いライ・クーダーなどを1960年代後半以降、プロデュースしたのが、レニー・ワロンカーである。彼の一連のサウンドは、バーバンク・サウンドと呼ばれる。中でも、この人脈が集結してつくり上げたのが、ハーパース・ビザールである。ノスタルジックで幻想的なサウンドは、ほかのソフトロック同様、同時代的なヒットは得なかったが、3作目の『シークレット・ライフ』(1968年)は、小西康陽をして「最高のロック・アルバム」[要出典]) と言わしめた傑作となった。

バート・バカラック[編集]

1928年、アメリカ・カンサス生まれで、40年代にはピアノ奏者としてバンド活動し、アメリカ音楽の生き字引的存在がバート・バカラックである。1957年から作詞家のハル・デヴィッドとタッグを組み、ディオンヌ・ワーウィック『アルフィ』、カーペンターズ『遙かなる影』、B.J.トーマス『雨にぬれても』など、ブラスストリングスアレンジが特徴的な、洗練されたポップ作品を数々生み出して行った。ジャズやクラシックを基調としているため、分類も微妙だが、ソフトロックへの影響を語る上で欠かせない重要アーティストの一人である。

ソフトロックの現音楽界への影響[編集]

これら、アメリカ西海岸発のサウンド「ソフトロック」の持つ、美しいコーラスやメロディ、そして制作上の執拗なスタジオワークなどは、日本では大滝詠一山下達郎などに受け継がれた。1990年代初頭には、フリッパーズ・ギターピチカート・ファイヴ小西康陽などの渋谷系アーティストに大きな影響を与えた。また、海外でもジム・オルークオリヴァー・トレマー・コントロールハイ・ラマズなどに受け継がれ、「音響派」「インドア・ポップ」といわれる、ムーブメントとなった。

これら近年の影響と再評価の流れを見ると、取り上げたアーティストも作品も、ようやく正当な評価をされはじめたと言って良い。

日本におけるソフトロック[編集]

ソフトロックは、前述のとおりその範囲が明確ではなく、あいまいなままであるが、日本においても状況が同様である。前出の『ソフト・ロック―Soft rock A to Z』の「日本版」であるVANDAの『Soft Rock in JAPAN』に掲載されたアーティストを見てみると、ニューミュージックシティ・ポップス渋谷系(+一部の歌謡曲)を、選択者の恣意的な好みに従って「つまみぐい」したような形になっている。なお、この本に掲載されていないアーティストについては、ページ数の関係で単に掲載が省略されているのか、編者が聴いたことがない(知らない)から外れているのか、また、ソフトロックに含まれないということを示しているのか、わからないという大きな問題点がある。

レコード会社を問わず、ソフトロックという観点で往年の音楽を回顧する動きは活発に行われている。土龍団が選曲・監修を行った編集盤シリーズ「ソフトロック・ドライヴィン」や、喫茶店で気軽に聞くというコンセプトで収録された「喫茶ロック」シリーズは、和製ソフトロックのサンプルとして聴取可能である。

その他の国のソフトロック[編集]

ブラジルフランスの往年の音楽もソフトロックという名の下で再評価が行われている。日本では両国のソフトロック系のアルバムが度々再発されている。