オールナイトニッポン
| オールナイトニッポン | |
|---|---|
| 愛称 | オールナイト、ANN |
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送方式 | 生放送(録音あり) |
| 放送期間 | 1967年10月1日 - |
| 放送時間 | 月 - 土曜25:00 - 27:00(120分) |
| 放送局 | ニッポン放送 |
| パーソナリティ | 【月】鬼龍院翔 (ゴールデンボンバー) 【火】miwa 【水】NESMITH(EXILE) 【木】ナインティナイン (岡村隆史・矢部浩之) 【金】AKB48 【土】オードリー (若林正恭・春日俊彰) |
| テーマ曲 | 「BITTERSWEET SAMBA」 (作曲:ソル・レイク、演奏:ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス) |
| 公式サイト | 公式サイト |
| 特記事項: かつては25:00 - 27:00を「1部」、27:00 - 29:00を「2部」(現:『オールナイトニッポンR』)として放送。 各曜日の番組内容については各記事を参照。 |
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『オールナイトニッポン』(英称:All Night-NIPPON)は、日本のラジオ放送局・ニッポン放送をキー局として日本全国で放送されているラジオの深夜放送。通称「オールナイト」、「ANN」。なお、ここでは現在の放送枠である25:00 - 27:00の内容のほか、「オールナイトニッポン」をタイトル内に含む番組全体の歴史などについても記述する。詳細については枠・番組の記事をそれぞれ参照のこと。
目次 |
[編集] 概要
1967年(昭和42年)10月1日25:00(10月2日01:00)の放送開始以来、45年(2012年現在)にわたって放送を続けるラジオ放送の長寿番組である。放送開始当初から今日に至るまで全国的な人気を誇り、若者を主なターゲットとする深夜放送の代名詞的存在となっている。さらに、ニッポン放送といえば「オールナイトニッポン」といわれるほどニッポン放送を代表する看板番組である。また、この番組から数多くの人気ラジオパーソナリティが生まれ、若手芸能人の登竜門でもある。2011年2月現在、ニッポン放送で放送中の同局制作番組の中で、放送期間は『テレフォン人生相談』に次ぐ第2位である。なお、すでに放送を終了した番組を含めると、『新日鉄コンサート』・『テレフォン人生相談』に次いで第3位となる。
LF+R時代の「allnightnippon SUPER!」、「@llnightnippon.com」、「allnightnippon-r」、「オールナイトニッポンエバーグリーン」や現在の「オールナイトニッポンR」もオールナイトニッポンとしての括りに入れられている。
1994年(平成6年)4月4日に放送を開始した『ナインティナインのオールナイトニッポン』(木曜日25:00-27:00、パーソナリティはナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之))が、「オールナイトニッポン」の歴史の中では最も放送期間が長い長寿番組となっている。これに続くのが、11年9ヶ月間放送された『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(1974年4月 - 1985年10月5日放送)である。なお、同番組は毎週4時間放送されたため、放送累計時間では最長記録を保持している。
旧1部枠(25:00-27:00)を「オールナイトニッポン」、旧2部枠(27:00-29:00)を「オールナイトニッポンR」と総称している。またLF+R導入後、22:00-24:00枠が追加されたが、その後の番組(枠)の変遷内で「オールナイトニッポン」の冠の有る無しが変化している。
[編集] 現在のパーソナリティ
「オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧」も参照
[編集] オールナイトニッポンGOLD
放送時間は、月曜日から木曜日は22:00 - 23:50(全18局ネット、ただし2010年12月6日から2011年1月27日まで、22:00 - 23:45)、金曜日は22:00-23:30(フルネットは16局、IBC岩手放送のみ23:00飛び乗り)。
| 放送曜日 | 名称 | パーソナリティー | 番組開始年月日 | メールアドレス |
|---|---|---|---|---|
| 月曜日 | 坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD | 坂崎幸之助・吉田拓郎 | 2009年11月30日 - | koutaku@allnightnippon.com |
| 火曜日 | ゆずのオールナイトニッポンGOLD | ゆず(北川悠仁、岩沢厚治) | 2009年12月1日 - | yuzu@allnightnippon.com |
| 水曜日 | 広瀬香美のオールナイトニッポンGOLD | 広瀬香美 | 2011年4月6日 - | kohmi@allnightnippon.com |
| 木曜日 | 大竹しのぶのオールナイトニッポンGOLD | 大竹しのぶ | 2011年1月13日 - | shinobu@allnightnippon.com |
| 金曜日 | オールナイトニッポンGOLD app10.jp | 吉田尚記 (ニッポン放送アナウンサー) |
2011年4月15日 - | app10@allnightnippon.com(アプリユーザー) app1@allnightnippon.com(アプリ開発者) |
[編集] オールナイトニッポン
放送時間は、25:00 - 27:00(全36局ネット)。
| 放送曜日 | 名称 | パーソナリティー | 番組開始年月日 | メールアドレス |
|---|---|---|---|---|
| 月曜日 | ゴールデンボンバー鬼龍院翔のオールナイトニッポン | 鬼龍院翔 (ゴールデンボンバー) |
2011年1月5日[脚注 1] - | gb@allnightnippon.com |
| 火曜日 | miwaのオールナイトニッポン | miwa | 2010年4月17日[脚注 2] - | miwa@allnightnippon.com |
| 水曜日 | EXILE NESMITHのオールナイトニッポン | NESMITH(EXILE) | 2012年1月4日 - | exile@allnightnippon.com |
| 木曜日 | ナインティナインのオールナイトニッポン | ナインティナイン (岡村隆史、矢部浩之) |
1994年4月4日[脚注 3] | nn@allnightnippon.com |
| 金曜日 | AKB48のオールナイトニッポン | AKB48 | 2010年4月9日 - | akb@allnightnippon.com |
| 土曜日 | オードリーのオールナイトニッポン | オードリー (春日俊彰、若林正恭) |
2009年10月10日 - | kw@allnightnippon.com |
[編集] オールナイトニッポンR
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| 放送曜日 放送時間 |
名称 | パーソナリティー | 番組開始年月日 | メールアドレス |
|---|---|---|---|---|
| 月曜日 - 木曜日 27:00 - 29:00[脚注 4] |
くり万太郎のオールナイトニッポンR | くり万太郎 (ニッポン放送アナウンサー) |
2009年3月30日[脚注 5] - | kuriman@allnightnippon.com |
| 金曜日 27:00 - 29:00[脚注 6] |
(週替わり) | 週替わり | (anr@allnightnippon.com)[脚注 7] | |
| 土曜日 27:00 - 29:00[脚注 8] |
毎月第1土曜日 moumoon YUKAのオールナイトニッポンR |
YUKA(moumoon) | 2010年4月3日 - | mm@allnightnippon.com |
| 毎月第2土曜日 9nineのオールナイトニッポンR |
9nine | 2010年10月9日 - | nine@allnightnippon.com | |
| 毎月第3土曜日 スフィアのオールナイトニッポンR |
スフィア | 2011年4月16日 - | sphere@allnightnippon.com | |
| 毎月第4・5土曜日 |
週替わり | (anr@allnightnippon.com)[脚注 9] |
[編集] オールナイトニッポンサタデースペシャル
| 放送曜日 放送時間 |
名称 | パーソナリティー | 番組開始年月日 | メールアドレス |
|---|---|---|---|---|
| 土曜日 23:30 - 25:00 |
福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ | 福山雅治 アシスタント:荘口彰久 |
2000年3月25日 - | masha@allnightnippon.com |
[編集] 歴史
[編集] 番組黎明期・第1次黄金期(1967年 - 1972年)
ニッポン放送では子会社の「株式会社深夜放送」の制作で、未明の放送休止時間帯に音楽のディスクジョッキー番組『オールナイトジョッキー』(DJ・糸居五郎)を1959年10月10日から放送していたが、それを発展解消させる形で1967年10月から放送を開始した。放送時間は日曜深夜を除く25:00 - 29:00(翌日未明1:00 - 5:00)。
当時編成部長だった羽佐間重彰は、番組を立ち上げるに当たって、次のような大原則を立てたという。
- 外部のタレントではなく、アナウンサーやディレクターといったニッポン放送内部の人間を起用する
- スポンサーを付けない
- 提供スポンサーから番組内容に口出しされることを嫌ったため、番組開始後半年間はスポンサーを付けなかった。のちにスポンサーを付ける際にも、「協賛スポンサー」という形で、番組内容にはタッチしないことを条件とした[脚注 10]。
- 狭いスタジオを使う、ゲストは呼ばない
- 狭いスタジオに閉じこめ孤独感を味わわせることで、聴取者と一対一で喋っているような感覚にさせる。その雰囲気を守るため、ゲストを呼ぶことも禁止した。
- 下ネタはやらない
- オールナイトニッポン開始前は、深夜帯はお色気番組全盛だった。高崎も懇意にしていた盛田昭夫から「これではソニーのトランジスタラジオが売りにくい」と苦言を呈されていたという。
- 40周年となった2007年10月1日、「BEAT CRUSADERS ヒダカトオルのオールナイトニッポン」に特別出演した斉藤安弘は、「ニッポン放送の品位に関わることであって、それで他局に負けてはならないということで、下ネタはやらなかった。そのため、相手を置かずに一人でやった」と語った。その一方、「下ネタはやらない代わりに、自分は26時になると、トイレの話を専門にしていた」とも言った。
番組開始当初は特にこれといったメインコーナーも設けることもなく、聴取者からのお便り紹介とパーソナリティ自ら選曲した音楽をひたすら流す低予算番組としての出発だった。番組の冒頭に「君が踊り僕が歌うとき 新しい時代の夜が生まれる。青空の代わりに夢を 太陽の代わりに音楽を フレッシュな夜[脚注 11]をリードする オールナイトニッポン」というフレーズから始まり、その後協賛スポンサーの紹介があって本編に入るスタイルだった。なお、このフレーズは80年代まで笑福亭鶴光が大きくアレンジして使っていたほか、2003年 - 2009年にかけて放送された「オールナイトニッポンエバーグリーン」でも聴くことが出来た[脚注 12]。
「オールナイトニッポン」が放送開始した1960年代後半というのはちょうど東京オリンピックと大阪万博に挟まれた高度成長期真っ只中であり、いわゆる団塊の世代が大学生生活を送っていた時代であった(学生運動が激化していた時代でもある)。「オールナイトニッポン」はそのような大学生や、受験勉強に明け暮れている高校生・中学生にターゲットを絞り、それまでテレビやラジオで流れることはほとんどなかったビートルズやレッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックスなど海外のロックミュージックからザ・フォーク・クルセダーズなど日本のフォークソングまで若者世代の最先端を走る音楽をふんだんに流した。さらに「年上のお兄さん」的存在だった気取らないアナウンサーパーソナリティ達の人柄に惹かれて、各パーソナリティ宛に毎週2万枚ものリクエストやお便りが届くようになっていた。開始当初は人知れずひっそりと始まった「オールナイトニッポン」は、1年もしないうちに当時の若者層(大学生・高校生)に絶大的な支持を受けるニッポン放送の看板番組に成長し、TBS『パックインミュージック』・文化放送『セイ!ヤング』と並んで深夜放送そのものが『深夜の解放区』として一種の社会現象となるに至った。
競合番組が乱立する中「オールナイトニッポン」は何よりもリスナーとの対話を重視し、サブタイトルに「ビバヤング」を採用。前述のオープニングのスタイルもサブタイトルを強調し「“ビバヤング”オールナイトニッポン、この番組は…」となる。会報「Viva young」も発行した。今仁哲夫と天井邦夫(元・ニッポン放送副社長、現・顧問)が日本全国を縦断してリスナーと交流する「ビバくりげ」も企画された。「ビバヤング」(=若者バンザイ!)は60年代から70年代にかけての「オールナイトニッポン」の合言葉となる。
1969年には木曜日に高嶋秀武が、土曜日に亀渕昭信が参入する。亀渕はアナウンサー出身ではなかった(製作担当)が、それを逆手に奇抜かつ斬新なDJスタイルをすることで聴取者から注目が集まり、一気に「オールナイトニッポン」の看板パーソナリティとなる。同じパーソナリティ仲間の斉藤安弘とともに「カメ&アンコー」としてCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)からレコードを出し、その中でも「水虫の唄」はオリコンチャートにランクインするほどのスマッシュヒットとなった。
最初は関東ローカルであり、協賛スポンサーもニッポン放送サービス(現:ポニーキャニオン、ポニーキャニオンは90年代まで番組の協賛スポンサーだったが後に降板)一社だけだったが、夜間はラジオの電波が広範囲に届くこともあり、関東のローカル番組であったにもかかわらず日本全国からはがきが届いていた。その後、1970年6月にKBCラジオ、ラジオ大阪、7月にSTVラジオ(ラジオ部門分離前の当時・札幌テレビ放送)が、その後は東北放送、長崎放送などが番組受けを開始する様になるなど、ネット局数が順次増加していき、複数の協賛スポンサーが付くようになった。正に、この時代が「オールナイトニッポン」の第1次黄金期であるといえよう。
[編集] タレントパーソナリティ/2部制導入・迷走期から第2次黄金期へ(1972年 - 1985年)
深夜放送ブームは1970年代に入っても続いていたが、若者層の嗜好の変化(それまでの学生運動世代からシラケ世代への移行など)や時代の変化にあわせ、あえてニッポン放送は新たな放送スタイルを追求し始めることになる。
1972年6月からの1年間は亀渕昭信が『ビバカメショー』と称して、毎日25:00 - 27:00を担当した(9月までは月曜日担当の糸居五郎が継続していたため、月曜を除く毎日25:00 - 27:00。10月から月曜を含む毎日25:00 - 27:00となった)。次いで毎日27:00 - 29:00までは最初は今仁哲夫が担当した『ビバテツショー』が、1973年1月からは池田健が担当する『ビバケンショー』が放送された。この時に初めて27時で番組を分割する2部制の概念が生まれる。
そして1973年7月からはタレントや芸人・歌手が従来通り4時間にわたってパーソナリティを担当するという決定的な転機を迎えることになり、アナウンサーがメインだった従来の体制とはまったく違った番組に変質してしまう。このタレントパーソナリティ第1期の布陣は小林克也・泉谷しげる・あのねのね・カルメン・岸部シローである(木曜は斉藤安弘が一旦復活した。また、カルメンはオールナイト史上初の女性パーソナリティである)。しかし、土曜担当の岸部シローがわずか3ヶ月で降板したのをはじめ、あのねのねを除く各パーソナリティは翌1974年夏までに全て降板し、その後約3年間はパーソナリティが根付かずに短期間で入れ替わる不安定な時代が続くことになる(あのねのねも途中休止期間がある)。さらに追い討ちをかけるように、4時間のロングラン放送に耐えられない(体力的にも話力的にも)パーソナリティが増えてきたことから、1974年6月からは27:00を境にパーソナリティを入れ換える2部制が本格的に導入されることとなる。
2部制の導入でパーソナリティの数が足りなくなったことから、1970年代半ばにニッポン放送はタレントや歌手だけでなく一般オーディションの形(オールナイトニッポン主催・「全国DJコンテスト」)でも無名の新人発掘に力を注いでいる。また、番組をネットしていた地方ローカル局のアナウンサーなどにも一時期番組を持たせたこともあった。一方、タレントパーソナリティ選考に当たっては基本的に番組スタッフが前もってオーディションをした上で採用の合否を決定していったのだが、あくまでラジオ番組をやっていけるだけの話力や実力があるのなら職種や音楽知識の有無に囚われることなくパーソナリティに採用するようになったため、野坂昭如や稲川淳二など本来の「オールナイトニッポン」の流れとは明らかに外れた異色のパーソナリティも登場している。この時点で番組本来のコンセプト(ニッポン放送アナウンサーによる音楽主体の若者向け4時間番組)は失われたが、それでも「若者向け」というコンセプトと、主に歌手が番組を持ったことで「音楽番組」としての機能はかろうじて引き継がれた格好となっている。また、一旦降板していた名DJ・糸居五郎は1975年に金曜2部、さらに水曜を経て1977年10月に古巣である月曜(2部)で復活しており、音楽主体からトーク主体に変わってしまった「オールナイトニッポン」において、唯一開始当初の雰囲気とスピリッツを醸し出していた。糸居五郎の月曜2部は1981年、本人の定年退職による引退まで続いた。
迷走状態が続いていた1970年代中盤~1980年にかけて最初に頭角を現したのがあのねのねや笑福亭鶴光、タモリ、所ジョージ、つボイノリオなどの色物系・コミックソング歌手の担当番組であった。
- 特に笑福亭鶴光は全て大阪弁で番組を通すという特異性から当初は抗議のはがきが多数寄せられたが、「ミッドナイトストーリー」などのネタはがきコーナーを増設し、下ネタを含めた話術の高さもあいまって次第に人気を集めるようになり、70年代末には番組に送られてくるはがきは毎週2万枚、ラジオ聴取占有率80%~90%というオールナイトの看板パーソナリティに成長する。当時大人気のあのねのねは番組中、原田伸郎が当時せんだみつおが担当していた『セイ!ヤング』の生放送中に文化放送のスタジオに電話をかけ、清水國明も『セイ!ヤング』の生放送中のスタジオに乗り込んで電話を通して「あのねのねのオールナイトニッポン」と番組宣伝し、放送局ジャックならぬ番組ジャック(?)を敢行しファンの人気をさらに広めた。番組後半に一般のファンにスタジオを公開して「七不思議のコーナー」などいろんな企画を進行していく「あのねのね・ハッピースタジオ」も人気を博した。タモリは鶴光が同じ話題として取り上げる「なんちゃっておじさん論争」で話題となった。また、他の曜日が2部制になった後も鶴光担当の土曜日だけは4時間の放送を継続した(一時期金曜のつボイノリオも4時間放送に挑戦するが1年でギブアップしてしまう)。
さらに当時全盛であったフォークソングやニューミュージック系シンガーの番組に火がつき、武田鉄矢・南こうせつ・イルカ・山田パンダ・加藤和彦・自切俳人〔ジキルハイド〕(北山修)・桑田佳祐・長渕剛・松山千春・吉田拓郎などそうそうたる顔ぶれが入れ替わりながらパーソナリティを務めていった。これに加え従来からの流れであるくり万太郎やなすえりこなどのLFアナウンサーも番組を支え続けた。そして、中島みゆき(1979年- 月曜1部)やビートたけし(1981年- 木曜1部)が登場した1980年代初頭には第2期の黄金時代を迎えることになる。
また1977年以降『ハウス』、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『幻魔大戦』などの映画劇場公開にあわせて、ラジオドラマと出演者やスタッフのトークによる4時間のスペシャルが放送された。
ちなみに現在のオールナイトニッポンの柱となっている「トーク主体」・「コーナー主体」・「ネタはがき主体」の番組構成はこの時代に確立したシステムであり、ハガキ職人が幅を利かせるようになったのもこの頃である。このようにオールナイトニッポンが番組内容やDJを大きく変えたことで番組全体に見切りをつけた聴取者もかなり多かったが、逆にそれまでとは違う「パーソナリティそのものの魅力」に惹かれた新規のリスナーを大量に獲得することになり、結果として番組名と放送時間帯、テーマソングだけはそのままに、番組を「作る人」も「聴く人」も、番組の「コンセプト」でさえも時代とともに移り変わっていくという流動的なスタイルが形成されていくことになる。時代の変化に対応できなかった『パックインミュージック』『セイ!ヤング』のオリジナル放送が1980年代初めに打ち切られる中で『オールナイトニッポン』だけが時代の波にうまく乗りながら、深夜放送の代名詞として唯一生き残り続けることになる。第1期黄金期の人気パーソナリティから番組製作・編成部門に戻り、裏方として新時代の「オールナイトニッポン」を模索し続けた亀渕昭信の努力が実を結んだ格好となった。
[編集] 安定期間から深夜放送長期低落傾向へ(1986年 - 1998年)
1986年10月1日には20年目突入を記念して「ALL DOGETHER NOW(オール・ドゲザー・ナウ)」という特別番組が放送され、中島みゆき、とんねるず、小泉今日子、ビートたけし、サンプラザ中野、ABブラザーズの当時の1部パーソナリティ6組が一堂に会した(公式には1985年6月15日開催の国立霞ヶ丘陸上競技場での「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」のスピンオフ企画とされ、DOGETHERは「TOGETHER」と「土下座」の掛け言葉とされる)。
1980年代中盤以降、約10年間はライバルであるTBSラジオの深夜番組が定着せず迷走し、また文化放送もミスDJリクエストパレード以降長らく深夜放送に力を入れなかったことから、「若者向け深夜放送=オールナイトニッポン」という図式が一番確立していた時代でもある。
1985年に足掛け12年にわたった鶴光のオールナイトが終了し、その後もABブラザーズや圭修が土曜のお笑い枠を引き継いだが(ABブラザーズ時代の1986年4月より土曜も2部制に移行)、1988年からはニューミュージックの大御所・松任谷由実が土曜1部を担当し1999年までの長期にわたる活躍をすることになる。1980年代末~90年代初頭にかけてバンドブームが沸き起こり、オールナイトのパーソナリティ人選にもその影響が次第に現れてくる。1部ではサンプラザ中野・デーモン小暮閣下・大槻ケンヂ・木根尚登などが、2部では渡瀬マキ(LINDBERG)・寺田恵子(SHOW-YA)・AYA(PINK SAPPHIRE)・川村かおり・THE東南西北などが活躍し、ブームの一端を担うことになる。続く1990年代前半も電気グルーヴ、YUKI(JUDY AND MARY)、吉井和哉(THE YELLOW MONKEY)、大江千里、小沢健二とスチャダラパー、EAST END×YURIなどの有名どころから、コアなファンが多い加藤いづみや石川よしひろまで幅広い層のパーソナリティを輩出した。
お笑い系パーソナリティは1985年に火曜1部でとんねるずが登場、さらに1989年には金曜1部でウッチャンナンチャンが登場する。落語家の弟子であった伊集院光が水曜や金曜の2部で活躍し一気にラジオスターとしての頭角を見せたのもこの頃である。80年代を駆け抜けたビートたけしは途中代役を立てながら1990年まで番組を継続したが、その後はたけし軍団の浅草キッドなどもオールナイトを担当する。1993年に松村邦洋が、そして1994年には、2010年現在もパーソナリティを続けているナインティナインが登場する。
また、この時代には、70年代の迷走期とは違った意味で、別業種パーソナリティを投入した時代でもある。トップアイドルだった小泉今日子が水曜1部に登場したのは1986年。その後も、女性アイドル担当番組は裕木奈江・穴井夕子など散発的に見受けられる様になる。他に、劇団『第三舞台』を主宰していた鴻上尚史、雑誌『週刊プレイボーイ』編集者の小峯隆生、漫画家さくらももこなどを始め、極め付きは素人であった浪人生松永並子&北原ゆきが水曜2部を担当した(1992年)こともあった(前述の穴井夕子は、この2人が受験勉強のために休んだ間の6週間限定での登板であった)。後に芥川賞作家となった辻仁成も、この時代にパーソナリティを務めている。1992年の番組開始当時、イケメン俳優・歌手扱いだった福山雅治が、オールナイトで素性を見せたことも記憶に新しい。ただ、この頃になると、オーディションでパーソナリティを探し、番組が育てていくことよりも、知名度ありきでパーソナリティに採用することが増えてきた。
1991年10月には、25年目突入を記念して、中島みゆき、タモリ、ビートたけし、笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送を行った。また、1997年10月から1998年3月まで、番組放送開始30周年を記念して、過去のパーソナリティが担当する『オールナイトニッポンDX』が、19:00 - 21:00に放送された。
しかし、1990年代中頃になると、若年層を中心としたラジオ離れが顕著になり、深夜ラジオ全体の長期低落傾向が目に見えて現れて来る。以前は深夜と言えば、ラジオ放送を聴く位しかする事がなかったが、この時代になるとそれまで一家に1台だったテレビが、一部屋に1台、その後は1人1台というパーソナル化が進み、次第にテレビ視聴へと移行していった。加えてテレビの深夜番組が充実し、さらにはニュースを中心とした終夜放送が当たり前となってしまったことも痛手になった。また、ビデオデッキ、ゲーム機、パソコン、携帯電話の普及がラジオの地位を相対的に低下させてしまった。
さらに同じラジオ業界内でも80年代末以降民放FM局が急増した事や、『スーパーFMマガジン』(TOKYO FM)『FMナイトストリート』(JFN)など、民放FM局が深夜帯にAMラジオ的なネタ・トークを中心に据えた番組を制作する様になったことから聴取者全体のパイが分散し、一部の地方局でのCM収入の減少による制作費減少等、AMラジオの深夜放送に対する逆風は強くなっていった。番組に寄せられるはがきやFAXの数も激減し(1997年当時、ナインティナインのオールナイトニッポン宛てに送られてくるはがき・FAXの数はトータルで週3000枚程度であり、60 - 70年代の人気番組の7分の1程度にまで落ち込んでいた)、オールナイトニッポンだけでなく、AMラジオの若者向け深夜放送自体の将来に暗雲が立ち込めていた。その様な中で、ニッポン放送はパソコンや携帯電話、メールなど新しいツールに目をつけ、それらのIT機器とAMラジオの関係を融合させるべく「オールナイトニッポン」を含めた夜帯の大改編を行うことになる。
[編集] LF+R期前後(1998年 - 2003年)
1998年春の改編では、2部枠(27:00 - 29:00)がR(リラックスの略)がついた『オールナイトニッポンR』に改称。金曜日深夜を除き28:30終了と30分短縮された。なお、土曜日深夜はニッポン放送を除くネット局で、28:30 - 29:00の時間帯も継続して放送された。また、この時期にはインターネット放送でのスタジオ同時生中継が試験的に行われ、この試みは後に「LFX488」に生かされた。
さらに1999年春の改編では、開始時間帯を大幅に前倒ししたうえで2部制から3部制になり、夜帯を「LF+R(Love & Friends + Radio)」と称した上で、下記のように改題した。
- 月曜~金曜 22:00 - 24:00 『allnightnippon SUPER!』
- パーソナリティはロンドンブーツ1号2号、西川貴教、ゆず、ナインティナイン、ネプチューン。
- 月曜~土曜 25:00 - 27:00 『@llnightnippon.com』
- 月曜~木曜 27:00 - 28:30、金曜・土曜 27:00 - 29:00 『allnightnippon-r』
1990年代末にオールナイトのパーソナリティも経験した平野友康などの協力の下、メールやインターネット放送などに対応した公式サイト「www.allnightnippon.com」を開設するなど時代を先取りした画期的な大改編ではあったが、LF+R開始後、以下のような問題点が発生した。
- 地方の夜ワイド番組との兼ね合いの問題が間に合わず、旧1部のパーソナリティを引き継いだsuper枠がニッポン放送単局での放送にとどまった。
- 当初、地方のリスナーはインターネット放送を聴くようにとアナウンスされていたが、1999年の時点ではインターネットの常時接続システムが現在ほど普及しておらず、インターネット放送への移行を勧めるには時期尚早であった。
- 1999年秋以降、ローカル番組や別なネット番組を打ち切り、super枠をネットする地方局が増えLF+R終了直前までにはある程度は問題解決した(それらの局の大半は文化放送の『LIPS PARTY 21.jp』もsuper枠とcom枠の間の隙間番組として同時にネットした。多くの地方局が現在でもこのような状態が続き、22時台〜23時台にかけてのLF枠→24時台のQR枠→当番組枠という流れの地方局が多くなる)。そのため、super枠を受け入れたNRN系ラジオ局に対して、一部のJRN系ラジオ局は裏番組としてTBSラジオ『BATTLE TALK RADIO アクセス』を受け入れることとなり、同時に『アクセス』の地方ネットも同時進行することとなる。
- このような結果に至った背景には、バブル経済崩壊後の不況以降に地方局の深夜帯のCM収入が減少したこと、1990年代後半にラテ兼営局による地上デジタル放送開始を見越したことに端を発する制作費圧縮のためにネットを開始したことなど、主に経済的事情があげられるが、これらの動きが皮肉にも結果的に地方局製作のローカルワイド番組を全国的に壊滅させてしまう事態に陥ったことは否めない。
- com枠やr枠で箱番組を多数入れたことで番組全体が散漫とした雰囲気になった。
- 当初comは25時台が生放送で、26時台に録音の箱番組(30分×2)が内包される形となっていた。
- r枠では生放送や箱番組が入り乱れ、時間の尺も曜日によってばらばらであった。月曜は従来通り木村世治(ZEPPET STORE)の1時間半生放送であったが、金曜は3時台の1時間だけいしのだなつよの生放送でその後は箱番組2本。火曜は「吉本あつい」など箱番組3本。水曜は週代わり枠、木曜はディレクターズカットの90分枠、土曜はLFクールK司会の箱番組やミニ番組の積み重ねであった。
- 1999年10月以降も番組によっては2時間だったり1時間だったりと時間尺が一定しない状態が続いた。しかし箱番組は年を追うごとに減っていった。
- 番組編成の急激な変化が起こった。
- 人気があった旧1部パーソナリティを時間の浅い22時台に移したことで、スポンサーとの関係などからトークやコーナー内容に規制がかかり、パーソナリティは番組を深夜帯ほど自由に行うことが難しくなった。番組自体も深夜帯に比べ若年の聴取者層にも対応しうる内容が求められた(ナインティナインはこの問題に言及し、旧1部最終回の際に「半年後には25時台に戻ってくる」というコメントをした)。一方でcom枠はWebを活用した実験的な企画で番組制作を行い、前例のない試みを行うという意味ではこの時間帯で行う意味があったと言えるが、トーク・ネタコーナーを中軸に据えた旧態依然とした「深夜放送」というシンプルな編成は少なくなった。
- 新時代のオールナイトニッポンを作るという名目で、半年間com枠では『BITTERSWEET SAMBA(ビタースウィート・サンバ)』を流さなかった。しかし、これは番組開始当初25時のオープニングと29時前のエンディングでしかビタースイート・サンバを流さなかった事を踏まえて、22時から29時までをオールナイトニッポンとしての枠ととらえたためとも考えられる。
- 葉書の受付を廃止(FAX、メールのみ)。
- 1999年の時点では携帯電話からのメール送受信サービスも普及しておらず(Iモードサービスも1999年2月に開始されたばかりであった)、FAXもしくはパソコンからのメール利用に頼るしかなかったため、時期尚早であったことは否めない。
- 土曜日23時台や日曜への番組拡散。
- super枠等も含めて、各所に時間枠が拡大したため、地方によってはsuper枠とcom枠でネット局が変わるといった現象も起きていた(現在も土曜日に関してはその状態が続いている。詳しくは各番組ネット局一覧およびallnightnippon SUPER!にて)
結局、Webを活用した先進的な内容は、地方のリスナーや旧来の深夜放送スタイルを求める古参リスナーを中心に批判を受け、半年後の1999年10月に方針を大きく転換、ナインティナインがSUPER枠からcom枠に戻り、水曜com担当のaiko同様、箱番組なしの2時間フルスタイルをとり、月曜com担当のココリコを始めとした大半の番組が従来のトーク・コーナー重視に方針転換(ただしココリコのcomでは藤井隆の箱番組が最後まで残った)した。
その後、2000年に土曜深夜の23:30 - 25:00の90分枠に『福山雅治のallnightnippon saturday special・魂のラジオ』(『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』の後継番組、 2010年現在も放送中)を立ち上げ、1998年に降板していた福山雅治を再起用したり、モーニング娘。メンバーを多用したり、「LF+Rロワイヤル」など、番組間の連携を強めた企画を行ったが、聴取率やスポンサー回復には至らず、2003年春の改編をもって「LF+R」ブランドは終了した。現在、LF+Rに関してはニッポン放送内においてもほとんど語られることがなくなっている。
2003年4月から、22:00 - 24:00のSUPER枠は『オールナイトニッポンいいネ!』に改題されパーソナリティを一新。com枠である25:00 - 27:00は4年ぶりにタイトルが『オールナイトニッポン』に、『allnightnippon-r』も『オールナイトニッポンR』と1998年から1年間使用していたタイトルに戻った。
[編集] LF+R終了後(2003年 - )
若者層を中心としたラジオ離れやテレビの終夜放送が進むなかで、ラジオ業界はかつて1960年代 - 70年代にラジオを聴いていた団塊の世代など高年齢者を対象とした番組を多数制作するようになる。オールナイトニッポンもTBSラジオ『JUNK』との競争が激化し若者層聴取が先細りする中で、2003年秋の改編では深夜放送に参入したNHKの『ラジオ深夜便』の好調に影響を受け、若者向けであった『オールナイトニッポンR』の月曜から木曜を打ち切り、代わって中高年層を強く意識した『オールナイトニッポンエバーグリーン』を放送開始した。パーソナリティは初代担当の1人である斉藤安弘を再起用した。
2004年春の改編では『オールナイトニッポンいいネ!』が終了し、22:00 - 24:00枠から「オールナイトニッポン」の文字が5年ぶりになくなり、全体枠としては放送開始時と同じ時間帯に戻った(この時、22:00 - 24:00の枠のメールアドレスがallnightnippon.comから1242.comへ変更となり、実質上、昼の番組扱いとなっていた)。同年3月29日、公式サイト「www.allnightnippon.com」リニューアル(昼の番組の「1242.com」も同日からリニューアルスタート)。
2006年7月より『オールナイトニッポン』の一部番組でポッドキャストを開始(詳細はニッポン放送 ポッドキャスティングステーションを参照)。
2007年10月1日、40周年を記念して週6日放送の生番組では最長であることから、ギネス・ワールド・レコーズに申請した。同日から、『オールナイトニッポンエバーグリーン』は、ニッポン放送では28:30(翌日早朝4:30)で打ち切られるようになった(小倉淳の早起きGoodDay!スタートのため)。なお、製作局が自社製作の番組を飛び降りするのは稀なことである。
2008年1月29日に放送した特別番組『倖田來未のオールナイトニッポン』での倖田の発言が問題となる。番組は事前収録であり、チェック体制が機能しなかったとして、担当プロデューサーの謝罪(ナインティナインのオールナイトニッポン・2月8日放送)や制作担当社員のほぼ半数を入れ替える社内処分が行われた。
2008年2月18日から1週間、「オールナイトニッポンドリームウィーク」と題した記念企画を実施。23日午後1時から40時間の特番、「俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル」を放送、過去のパーソナリティーが2時間ずつ復活し、現在は取締役や常務として活躍するディレクターがアドバイザーとして参加した。
2009年3月をもって、『オールナイトニッポンエバーグリーン』と『オリエンタルラジオのオールナイトニッポンR』が終了。2009年3月30日からは1970年代後半にオールナイトを担当したくり万太郎を起用し『くり万太郎のオールナイトニッポンR』がスタート、2003年以前とはコンセプトが大きく違うものの月曜から木曜の『オールナイトニッポンR』が復活した。
2009年11月30日からは22時台で『オールナイトニッポンGOLD』を開始、本来のオールナイトニッポンよりはやや上の層をターゲットとしたものではあるが22時台のオールナイトニッポンが5年8か月ぶりに復活した。
2011年9月19日の放送週は、「オールナイトニッポン45周年スタートアッププログラム」と題した記念企画を実施。10月1日、オールナイトニッポンが45年目に入りそれに伴うキャンペーンが始まるがそれを前に行われるもの。25時から2時間の特番「オールナイトニッポンぶっとおしライブ LIVE FOR ONAIR」を放送。通常の“第1部”担当パーソナリティーは全員休みとなる。[脚注 13]
2012年4月より携帯端末向けマルチメディア放送として新たにスタートする「NOTTV」のサービスの目玉の一つとして「オールナイトニッポン0(zero)(月~金・27:00 - 29:00)の復活、並びにNOTTVによるサイマル放送」が決定している[脚注 14]。オールナイトニッポン0(zero)は1998年春の“オールナイトニッポン2部”が終了して以来14年ぶりの復活と共に第2部の復活版となる。なお、同枠のパーソナリティオーディションを2012年1月より実施。
[編集] 日曜日
日曜深夜にも1985年以前に『オールナイトニッポン電話リクエスト』という、糸居五郎や木藤隆雄、はたえ金次郎(波多江孝文)などが担当した電話リクエスト番組があった。また、
- 『赤坂泰彦のオールナイトニッポン電話リクエスト』(1997年10月 - 1999年3月、23:00 - 25:30)
- 『@llnightnippon.com HYPER REQUEST SUNDAY! (→Sunday Request Night)』 (荘口彰久→桃乃未琴)(1999年4月 - 2000年3月、23:00 - 25:00)
- 『SILVAのallnightnippon Sunday Special “Luv mode”』(2000年4月 - 2001年3月、23:30 - 25:00)
- 『中澤裕子のallnightnippon Sunday Special』(2001年4月 - 2001年9月、23:30 - 25:00)
- 『中澤裕子のallnightnippon Sunday SUPER!』(2001年10月 - 2003年3月、23:00 - 24:30)
- 『飯島愛の@llnightnippon Sunday.com』(2001年10月 - 2003年3月、24:30 - 25:30)
- 『安倍なつみのオールナイトニッポン サンデースペシャル』(2004年3月14日、23:00 - 24:30)
などの番組を行っていた時期があった。
オールナイトニッポンを冠した番組として、2008年4月 - 2009年3月には、『上原隆のオールナイトニッポン サポーターズ』(25:00 - 25:30)が、2009年10月11日~2010年9月12日には、『オールナイトニッポンサンデー』が放送された。
[編集] テーマ曲
- 『BITTERSWEET SAMBA(ビタースウィート・サンバ)』
- 同曲の旋律は現在まで各世代に親しまれている。
- テーマ曲として採用された経緯については諸説ある。
- 実際はA面だった曲(ティファナ・タクシー)を使用していたが、高崎一郎の番組のスタッフが間違えてB面の曲(BITTERSWEET SAMBA)をかけてしまったところ、高崎が「この曲のほうがよいのでは」と言ってこの曲に変更された。ただし「ビタースウィート・サンバ」はアルバム『Whipped Cream & Other Delights』のA面4曲目。ティファナ・タクシーは別のアルバム『Going Places!!』のA面1曲目であり、間違えるはずはないという指摘もある[脚注 15]。編集盤やシングル盤という可能性もあるが詳細は不明。
- 違う曲(レモン・ツリーまたはティファナ・タクシー)がテーマ曲候補に上げられていたが、この曲の収録されたレコードをかけようとしてたまたま同じ面に収録されていた BITTERSWEET SAMBA が誤ってかかってしまい、曲を聴いた高崎がテーマ曲として決定した[脚注 16]。
- 斉藤安弘は「もともとこの曲をテーマにする予定だったと聞いていた」と、自身の番組「オールナイトニッポンエバーグリーン」で発言している。
- 『オールナイトニッポン40周年記念!笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエスト』(2007年2月19日放送分)の中で、松本ひでおがスタッフの間違いではなく高崎一郎が初めから決めていたことだと明らかにし、同時に「スタッフ間違え説」を否定した。
- 「タモリのオールナイトニッポン」においてハーブ・アルパートが特別ゲストとして招かれたとき、その当時のテーマ曲のバージョンをトーク無しのフルで流したことがある。
- 1974年頃のオープニングには、現在流れているテーマ曲と同じメロディラインで、曲調が違うテーマ曲(ロック調ヴァージョン? 特に出だしのイントロは、エレクトリックギターで演奏され現在使用されているテーマ曲とはリズムが全く違い、他の楽器としてボンゴを使用)を使用したことがあった[脚注 17]。しかし、リスナーの間では評判が悪かったため、後にオリジナルの物に戻されている(一部ではCBCラジオのように番組放送後の提供クレジットで流されていた局も存在した)。
- 以前はネット局により午前3時(第1部終了)までの局(全ての局ではないがCBCラジオやラジオ大阪など)はそれぞれの局において、第2部のオープニング(午前3時の時報)までにかかる繋ぎの曲の途中からフェードインしエンディングとして流し、各局のアナウンサーが番組協賛スポンサー及び番組終了のアナウンスを入れていたが現在は行われておらず、次番組が始まるまでに繋ぎの曲(つまり、第1部のエンディング曲)をフェードアウトしてからコマーシャルなどが入るようになった。
- ニッポン放送の場合、第1部のエンディング曲を3時の時報前まで流し、時報に入る直前に「○○のオールナイトニッポン」というジングルを入れて時報に入り、第2部(現在のR枠)に突入する。
- また、現在は火曜日の「miwaのオールナイトニッポン」、木曜日の「ナインティナインのオールナイトニッポン」、土曜日の「オードリーのオールナイトニッポン」などでフルで聴くことができる(1小節を数回繰り返し編集している)。他の番組ではたとえオープニングトークが長くとも一部分を延々とリピートし、曲紹介またはコーナー等告知まで流し続けることが多い。
- 第2部では番組設置の歴史上、オープニングでは流さず、エンディングに後半部分から流し始め、曲の終了と共に番組も終了するというスタイルが長らく続いていた[脚注 18]が、オールナイトニッポンR開始以後はオープニングにもかけられることが多くなり(あくまで絶対ではない)、エンディングも単なるフェードアウトになる場合が多くなった。
1988年10月から1989年1月にかけて昭和天皇の体調の悪化で日本国内が自粛ムードに包まれ、その間全く異なるBGMに差し替えた。
[編集] ウィークリーソング
- 週替わりで各曜日にかかわらずヘビーローテーションで新譜が流される。これはかつて月間(月間時のヘビロテの名称は「オールナイトニッポン・スーパーディスク」)であった。
[編集] 番組ジングル
- オールナイトニッポンでは、CM前とCM明けのジングルを数々のアーティストが手がけている。「俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル」では、これらのジングルが使用された(90年代後半のものなど、使用されなかったジングルも多い)。現在の通常放送でも、ディレクターの意向により現在使用されてないジングルを放送する場合もある。
[編集] 1960年代 - 1980年代の担当アーティスト
- スリー・グレイセス ※放送開始から70年代は「♪オールナーイトニーッポーン♪」や「♪ビバーヤング! パヤパヤ ビバヤーング♪」のジングルが主流であった。このジングルは、他の担当者では使われなくなっても、笑福亭鶴光担当回では1982年まで使用され続けた。また、一旦全ての番組で使用されなくなった後、糸居五郎死去の際の追悼番組で流された。
現在くり万太郎が担当するくり万太郎のオールナイトニッポンRで流れている。過去には斉藤安弘が担当するオールナイトニッポンエバーグリーンでも流れていた。70年代、亀淵昭信が担当していた「ビバ・カメショー」にも「カメ、カメー」や、斉藤安弘が担当していた頃の「オールナイートニーッポン、アンコー」(「アンコー」の部分が「アンコーさーん」のヴァージョンもある)など担当DJ専用ジングルもあった。
- EPO
- 山下達郎
- 竹内まりや
- 角松敏生(1986年10月-1988年12月)※20周年記念バージョンのジングル。『20th Anniversary』のフレーズが入っている。
- 大貫妙子
- 大橋純子
- 中島みゆき
- 谷山浩子
- クレヨン社(1989年1月-1992年3月)
[編集] 1990年代の担当アーティスト
- To Be Continued(1992年3月-7月)
- 中西圭三(1992年8月-12月)※25周年記念バージョンのジングル。『25th Anniversary』のフレーズが入っている。
- Selfish(1993年1月-1994年6月)
- L⇔R(1994年7月-1995年9月)
- 平井堅(1995年10月-1997年7月)
- チャーミースマイル&グリーンヘッド(1997年8月-12月)※30周年記念バージョンのジングル。『thirty Years』のフレーズが入っている。
[編集] 2000年代の担当アーティスト
- サム41(2003年3月31日-2008年9月18日)※海外のアーティストがこの番組のジングルを手がけるのはこれが初。毎日使用していたのは2005年7月1日までである。毎日の使用中止後も、木曜日のナイナイのANNで1パターンのみ使用していたが、2008年9月18日をもって使用を中止した。
- Tommy february6(2003年7月7日-2007年4月12日)※毎日使用していたのは2005年7月1日までである。毎日の使用中止後も、木・金のみ使用していたが、木曜日のナイナイは2007年4月12日・金曜日は4月6日をもって使用を中止した。
- 不明(2003年10月3日 - 2009年10月3日「R」)※金・土曜日の「R」専用ジングル。担当アーティストは不明だが、男性が「オールナイトニッポンRだよ~」と歌っているもの。「ANN」は全て2009年10月9日より25時台と同じものへ統一されたため、「R」専用のジングルは消滅した。
- 奥華子(2005年7月4日-2007年4月10日)
- 倭製ジェロニモ&ラブゲリラエクスペリエンス(2006年5月19日-2007年4月11日)
- Remark Spirits(2007年4月13日-2008年9月30日)※40周年記念バージョンのジングル。『40th』もしくは『40th Anniversary』のフレーズが入っている。
- GIRL NEXT DOOR(2008年10月1日-2009年10月3日)
- さかいゆう(2009年10月5日-2011年12月31日) ※ピアノを基調にしたジングルで、「Allnight-long」「Allnight-nippon」が織り込まれているものが多かった。
- Man with a mission(2012年1月2日-)
[編集] CD・レコード
[編集] シングル
- 今、僕たちにできる事(ポニーキャニオン)- 歌:オールナイトニッポン・パーソナリティーズ(1992年10月期当時のパーソナリティ全員が参加 対後天性免疫不全症候群運動のために制作された)
- ビタースウィート・サンバ(ポリドール) - 演奏:ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス(1994年10月26日発売。当初テーマ曲の予定だったティファナ・タクシーも収録。廃盤)
[編集] アルバム
- オールナイトニッポン(LP盤)(キャニオン・レコード : 1970年12月)- 最初のオールナイトニッポンのアルバム、当時のパーソナリティ全員参加
- 深夜放送グラフティ オールナイト・ニッポン(エピック・ソニーレコード : 1991年11月)
- オールナイトニッポン Radio Days Bitter Hits(東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン))
- オールナイトニッポン Radio Days Sweet Hits(UM3/USM Japan)
- オールナイトニッポン パーソナリティーズヒッツ~青春 ON AIR~(ポニーキャニオン)
- 以上の3作品は、2003年に発売した35周年記念のコンピレーションアルバム
- オールナイトニッポン EVERGREEN (EMIミュージック・ジャパン、ビクターエンタテインメントほか) - 2008年1月23日に6枚同時発売した40周年記念のコンピレーションアルバム
[編集] 商品
- 青春のオールナイトニッポン(タカラ)
- BCLラジオのフィギュア。つまみを模したボタンを押すとジングルや糸居五郎や笑福亭鶴光らの番組の一部音声が流れる。ビタースウィートサンバはオリジナル。2004年発売。
- 懐かしのオールナイトニッポンキャンデー(ブルボン)
- 番組内容の一部とパーソナリティの持ち歌で構成した8cmCD付きのコーヒーキャンデー(食玩)。2004年発売。
- オールナイトニッポン スーパーマリオブラザーズ(ファミリーコンピュータディスクシステム)
- 有名なゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の一部キャラクターの絵をパーソナリティの顔にしたもの。
- 1987年、番組放送開始20周年を記念して任天堂と共同製作。
- オールナイトニッポン40周年記念カップ麺が日清食品、明星食品の制作でサークルK/サンクスにて2007年10月31日発売[1]
[編集] 事件、エピソード、逸話など
- この項目では、既に前述されている記事に記載されているもの以外のものを取り上げる。
- Gacktのオールナイトニッポンを放送する際は、毎回スタジオ内の照明を消し、キャンドルスタンドをスタジオ内の随所に立てて放送していた。
- 笑福亭鶴光のオールナイトニッポンで、放送時に「ニッポン放送に爆弾を仕掛けた」という脅迫電話が掛かってきたことがあり、厳戒態勢の下で放送が行われたが、鶴光本人は至って平然を装い「爆弾魔がなんぼのもんや!」と放送を続けたが、放送終了後あまりの緊張から、トイレに駆け込み嘔吐していたという。
- その笑福亭鶴光がエロ路線に走ったのは、放送開始当初普通にトークやハガキの紹介などをしていたところ、亀渕昭信から「君の喋りにはセックスアピールが無い」と指摘され、鶴光本人が本来の意味である“性的な魅力”を「セックスをアピールする」と勘違いしてしまい、下ネタを乱発するように変えたというのが原点である。
- 押尾学の番組内ではリスナーから生電話を掛けるコーナーが存在したが、掛かってくる電話はほとんどが無言電話であった。また、押尾本人の不遜極まりない発言から不評を買い、当時のニッポン放送社長の亀淵昭信に番組の打ち切りを直訴する手紙が送られたこともあった。
- 番組から生まれるムーブメントも数多く、鴻上尚史のオールナイトニッポンからは、書籍化された「究極の選択」、「10回クイズ」などがブームとなった。
- 番組から出版された書籍は数多く存在するが、一番多く出版しているのはウッチャンナンチャンである。
- 加藤いづみのオールナイトニッポンで、最終回にリスナーから往復はがきでメッセージを募り、放送終了後に一枚ずつ直筆の手紙を返送するという企画を行ったことがある。
- aikoのオールナイトニッポンの放送中に、加藤晴彦が泥酔状態で乱入し、「aiko、死ねー!!」などと暴言を吐き、悪態を散々晒したため、その後加藤に対する苦情やバッシングが起こった。
- TOSHI(X-JAPAN)のオールナイトニッポンの最終回で、坂崎幸之助(THE ALFEE)が、裏番組の「スーパーFMマガジン・坂崎幸之助のNORU-SORU」を放送中のスタジオ(エフエム東京)から電話を掛けてきたことがある。その後TUBEの「カキテル」こと前田亘輝も自宅からの電話で加わり、大騒ぎの放送となった。
- 2004年10月26日、3日前に発生した新潟県中越地震の影響で放送予定だった特別番組『矢井田瞳のオールナイトニッポン』が延期。代わりに鈴木芳彦(当時ニッポン放送アナウンサー、現在はフジテレビに在籍)が担当した。その矢井田は2005年9月2日に改めて放送。
- 2007年、オリエンタルラジオのオールナイトニッポンRの放送中、2人がCMに入る直前に突然大喧嘩を始めるハプニングがあった(詳細は番組ページを参照)。この他にも何度か放送中に大喧嘩を起こしている。後に週刊誌で「オリラジ解散か」などの記事が紙面を賑わせることになる。
- 2009年4月20日から5月25日まで「城田優のオールナイトニッポン」において「ROOKIESスペシャル」と題して、城田優が出演する映画「ROOKIES -卒業-」のタイアップとして、城田と共演する市原隼人・小出恵介・佐藤健・五十嵐隼士といった「ニコガク野球部」のメンバーが週代わりで、6週連続で登場。ちなみに、同作品を制作するのはTBSであり他局制作の作品のこれほどまでの宣伝は異例中の異例と言えよう[脚注 19]。
- 2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で同日と翌12日の「オールナイトニッポン」「オールナイトニッポンR」、14日の「オールナイトニッポンGOLD」は放送を休止しニッポン放送アナウンサーによる災害報道特別番組へと切り替えられた。
[編集] ネット局
現在、オールナイトニッポン(1部)は全国36局[脚注 20]、オールナイトニッポンGOLDは全国18局(金曜は17局)で放送されており、数あるAMラジオ番組の中でもネット局数が多い番組の中の1つである。地方でのネット局は主にニッポン放送も加盟しているNRN系列局が多いが、3部制となった1999年のLF+R時代以降、時間帯によってネット局が変わるなど状況が複雑化しつつある。
[編集] 東海地方
愛知・岐阜・三重の3県ではJRN単独系列のCBC(中部日本放送)でネットしており、CBCラジオはニッポン放送から東京都千代田区九段のCBC東京支社まで直接回線をつなぎ、そこから自社回線を経由してネットしている。これはニッポン放送が番組開始当初、全国ネット拡大を試み、この地区はまずNRN系列の東海ラジオにネットの依頼をしたが、東海ラジオは自社制作の人気番組『ミッドナイト東海』(現:『東海ラジオミッドナイトスペシャル』及び『ミッドナイト東海21』)を放送中でネットを断られてしまった。このため、CBCラジオに依頼したところ、反対に『ミッドナイト東海』に劣勢であったこともあり、ネットを了承したという経緯があったためである。後に東海ラジオは22時枠(「allnightnippon Super!」「魂のラジオ」「オールナイトニッポンGOLD」)のネットを開始したため、東海地方ではオールナイトニッポンシリーズが2局でまたがって放送されることになった。
CBCでは平日は1部のみのネットである。(土曜日はRを28時までネット(2003年3月までは29時までネット)。2009年4月-2010年3月までは平日もRを28時までネットしていた。)AMラジオ局が複数存在する地域の多くがオールナイトニッポンを29:00までネットしているにもかかわらず、東海地区は27時までという状況となっている。
[編集] 京阪神地区
京阪神地区(関西地区であるが、NRN・JRN双方加盟の和歌山放送は除外する。)でオールナイトニッポンをネットしていたのは長らくラジオ大阪(OBC)とKBS京都であったが、2001年4月から3年にわたり独立局のAM KOBE(AMK、現在のCRK・ラジオ関西)でも「SUPER!」→「いいネ!」がネットされた。それまでは自社製作の深夜ワイド番組『神戸アコースティックストーリー』を放送していたが、AMK側の都合で打ち切り、後番組を自社制作にはせず、ニッポン放送からの番販購入の形でこの番組を同時ネット受けすることになった。また、2007年4月からは変則的に「エバーグリーン」の飛び乗りネットを開始し、10月以降は27時からのフルネットに枠拡大した。
2009年7月、京阪神地区で長年22時台に独自の深夜番組を製作していた朝日放送(ABCラジオ)は、月曜から木曜までの自社製作を打ち切り、ニッポン放送の「銀河に吠えろ!宇宙GメンTAKUYA」をネットすることになった。この枠は2009年11月に「オールナイトニッポンGOLD」に移行したため、在阪局ではOBCに次いでABCでも「オールナイトニッポン」シリーズがネットされることになった。また、2010年4月からは「魂のラジオ」についてもABCラジオでネット開始される。この結果、京阪神地区においては、オールナイトニッポンGOLDはABC(金曜除く)、1部はOBCとKBS、オールナイトニッポンRはCRK(金・土を除く)とKBS、魂のラジオはABC(2010年4月以降)とKBSと言うように、番組ごとにネット局が変わる事態となった。(ちなみに裏番組のJUNKはABCで、ミュージックナビは毎日放送(MBSラジオ)で、あなたへモーニングコールは1時間遅れでOBCで放送されている。)
[編集] 魂のラジオ
もともとは「ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!」が放送されていた土曜日23:30~25:00枠「福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ」については、さらにネット局が複雑化している。北海道に関しては以前は25時-29時枠と同様STVラジオがネットしていたが2002年3月に打ち切ったため、1年半のブランクを置いて2003年10月より競合局のHBC(北海道放送)でネットしている。福岡県でも同様に25時~29時枠は全てKBC(九州朝日放送)で流れているにもかかわらず、「魂のラジオ」枠だけはRKB毎日放送がネットしているといった腸捻転現象がおきている。特にRKBラジオはNRNには加盟していないため、CBCラジオ同様特殊なケースとなっている。また、東海地区では「ジャンベルジャン」枠を引き継いだ東海ラジオが「魂のラジオ」放送開始からネットを行っている。2010年4月からは上記の通りABCラジオでもネットを開始した。
[編集] その他
2004年秋季編成から茨城放送、更に2005年秋季編成からはKBS京都でも「魂のラジオ」のネットが行われることになったため、キー局のニッポン放送以外では上記2局がオールナイトニッポンをフルネットするようになったが、上記22時枠(GOLD)の復活にともない、文化放送のレコメン!22時台をネットしているKBS京都は対象から外れたため、オールナイトニッポンシリーズのフルネットは茨城放送のみとなっている。
その一方で、2004年春に西日本放送、南海放送、高知放送が平日28時台のネットを打ち切り、TBSラジオ配給の『あなたへモーニングコール』のネットを開始。さらに2005年春季改編から、土曜27:00からの『オールナイトニッポンR』のみをフルネットしていた放送局の大半が、土曜28:00(日曜早朝4:00)から『あなたへモーニングコール』のネット受け(これにより同番組は全曜日対応になる)を開始した関係で、土曜深夜の29:00までのフルネットはSTVラジオ、茨城放送、栃木放送、京都放送(KBS京都)、KBC(九州朝日放送)の5局のみ(キー局・ニッポン放送は28:30終了)となった。この5局は、月曜から金曜の『オールナイトニッポンR』もネット受けしている。
なお、NRN・JRN回線を使用する際にそれを表示している局の番組表からも分かるとおり、NRN回線は使用していない(単に「LF」と表示されている)。
[編集] ネット局での番組割愛時の対応
12月25日AM1:00(新聞上は12月24日の放送欄)からのオールナイトニッポンはオールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソンとして放送される(ラジオ・チャリティー・ミュージックソンの一環)。以前はニッポン放送は独自の放送(ラジオ・チャリティー・ミュージックソン)のため放送されず、裏送りのみされたが、2007年度のミュージックソンではヤンピース!枠とともに全国ネットで放送された。ただし、STVラジオなどの独自でラジオ・チャリティー・ミュージックソンの企画番組を放送する局もネットは割愛される。
STVラジオは、「ロート製薬プレゼンツ『ガンバレ!高校生アスリート』」という年に数回放送される企画番組を火曜日深夜に放送するが、その関係で2005年までその番組の放送日時のみオールナイトニッポンのネット受けを割愛したこともあった(2006年3月放送の高校生アスリートは、22:00~25:00までの放送で、オールナイトニッポンは休止せず、代わりに東貴博 ニッポン全国 ラジベガスを休止)。
ワールド・ベースボール・クラシックやFIFAワールドカップなど日本時間の深夜に日本あるいは海外で行なわれる野球・サッカー中継をニッポン放送が中継・ネットする当日にオールナイトニッポンの放送とかぶる場合は、オールナイトニッポンを放送せず、裏送りのみを行なう。その際、肖像権の関係でradikoでの放送はできないため、フィラー音楽とその間にニッポン放送のアナウンサーによる「肖像権の都合によりradikoでの放送は行ないません。地上波でお聴きください」という説明が放送される。また、NRN系の多くの局も試合の中継を優先するため、オールナイトニッポンは放送されない(場合によっては飛び乗り)。そのため、場合によってはネット受けがラジオ大阪およびCBCラジオ二局のみの時もある(中京広域圏では東海ラジオ、関西広域圏はABCラジオでサッカー中継をネットすることが多いため)。
[編集] 各番組ネット局一覧
※放送番組
-
- オールナイトニッポンGOLD(月-木 22:00-23:50、19局、金 22:00-23:40、18局)
- オールナイトニッポン(月-土 25:00-27:00、36局)
- オールナイトニッポンR(月-土 27:00-29:00、※ニッポン放送は金-土 28:30まで、月-木11局、金10局、土22局)
- 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル魂のラジオ(土23:30~25:00、32局)
- ※・・・かつて同時間帯の枠をネットしていたが、打ち切った局[1]。
| 放送局名 | 放送番組 | 備考 | ネット開始年月 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| STVラジオ | 1 | 2 | 3 | ※ | [2] | 1970年7月 |
| HBCラジオ(北海道放送) | - | - | - | 4 | - | 2003年10月 |
| 青森放送 | 1 | 2 | ※ | 4 | [3] | 1973年4月 |
| IBC岩手放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 1は金曜日は23時から 3は土曜のみ、4時まで |
1972年4月 |
| 東北放送 | - | 2 | - | 4 | - | 1970年10月 |
| 秋田放送 | - | 2 | - | 4 | - | 1979年10月 |
| 山形放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1977年4月 |
| ラジオ福島 | ※ | 2 | - | 4 | [4] | 1982年4月 |
| 茨城放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 4は2004年10月開始[5] | 2001年4月 |
| 栃木放送 | - | 2 | 3 | - | - | 1995年7月 |
| 山梨放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1990年4月[6] |
| 静岡放送 | ※ | 2 | - | 4 | - | 1970年6月 |
| CBCラジオ(中部日本放送) | - | 2 | 3 | - | 3は土曜のみ、4時まで[7] | 1972年10月 |
| 東海ラジオ | 1 | - | - | 4 | - | 1999年10月[8] |
| 新潟放送 | - | 2 | - | 4 | - | 1976年4月 |
| 信越放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1970年10月[9] |
| 北日本放送 | ※ | 2 | - | 4 | - | 1977年4月 |
| 北陸放送 | 1 | 2 | ※ | 4 | [10] | 1982年3月 |
| 福井放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1981年4月 |
| KBS京都(KBS滋賀) | ※ | 2 | 3 | 4 | 4は2005年10月開始 | 1978年4月 |
| ABCラジオ(朝日放送) | 1 | - | - | 4 | 1は月~木のみ[11] | 2009年11月 |
| ラジオ大阪 | - | 2 | - | - | - | 1970年6月 |
| 和歌山放送 | 1 | 2 | 3 | ※ | 3は土曜のみ、4時まで[12][13] | 1981年4月 |
| ラジオ関西 | ※ | - | 3 | - | 月~木のみ | 2001年4月[14] |
| 山陰放送 | ※ | 2 | - | 4 | [15] | 1985年4月 |
| 山陽放送 | - | 2 | - | 4 | - | 1997年10月 |
| 中国放送 | ※ | 2 | ※ | 4 | [16] | 1970年10月 |
| 山口放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1988年4月 |
| 南海放送 | ※ | 2 | 3 | 4 | 3は4時まで | 1979年4月 |
| 西日本放送 | ※ | 2 | 3 | 4 | 3は4時まで[17] | 1971年4月 |
| 四国放送 | - | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1977年4月 |
| 高知放送 | ※ | 2 | 3 | 4 | 3は4時まで[18] | 1971年4月 |
| KBCラジオ(九州朝日放送) | 1 | 2 | 3 | - | [19] | 1970年6月 |
| RKBラジオ(RKB毎日放送) | - | - | - | 4 | - | 2000年3月 |
| 長崎放送(NBCラジオ佐賀) | 1 | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1970年10月 |
| 熊本放送 | ※ | 2 | 3 | 4 | 3は4時まで[20] | 1971年3月 |
| 大分放送 | 1 | 2 | - | 4 | - | 1979年4月 |
| 宮崎放送 | 1 | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで[21] | 1977年4月 |
| 南日本放送 | ※ | 2 | 3 | 4 | 3は土曜のみ、4時まで | 1979年10月 |
| ラジオ沖縄 | - | 2 | - | ※ | [22] | 1977年4月 |
- ^ 1・4については『オールナイトニッポン』の冠がついた番組に限る。
- ^ 4は2002年3月終了
- ^ 2001年3月まではR(古くはオールナイト2部)も朝5時まで放送していた。
- ^ 1は2011年9月終了
- ^ ネット局で唯一ネット対象番組を全番組ネット。
- ^ ただし、1970年代後半から1983年3月31日までネットしていた事がある。その後1990年にネット再開した。
- ^ 3の平日ネットは2009年4月開始、2010年3月終了
- ^ 4は2000年3月の放送開始から。また、ネット開始の時の放送枠は22時枠
- ^ 1については一時期月曜のみ未ネットだった時期がある。1974年6月の2部制導入までは放送終了まで放送。以降は平日のみ第1部終了で飛び降り
- ^ 3(土曜のみ)は2005年9月終了
- ^ 4は2010年4月開始
- ^ 4は2009年3月終了
- ^ 1は2010年4月再開
- ^ 3は旧エバーグリーンを2007年4月から。2001年4月~2004年3月に22時枠をネット
- ^ 1は2010年3月終了
- ^ かつては2部を放送していたが、1976年12月6日に走れ!歌謡曲のネット局になったため放送打ち切りとなった
- ^ 1は2010年9月終了
- ^ 1は2010年9月終了
- ^ 1は2010年10月再開
- ^ 3の平日ネットは2010年4月開始
- ^ 2009年10月開始
- ^ 4は2009年3月終了
[編集] 関連項目
- ニッポン放送
- ニッポン放送番組一覧
- オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧
- allnightnippon SUPER!(1999年-2003年)
- @llnightnippon.com(1999年-2003年)
- allnightnippon-r(1999年-2003年)
- オールナイトニッポンエバーグリーン(2003年-2009年)
- オールナイトニッポンR(1998年-1999年、2003年-)
- オールナイトニッポンR スペシャルナイト(1998年、2003年-)
- オールナイトニッポンいいネ!(2003年-2004年)
- オールナイトニッポンレコード(全国ネットは2002年-2004年)
- オールナイトニッポンTV
- オールナイトニッポン高校水泳部
- オールナイトニッポンアゲイン(2006年-2007年)
- オールナイトニッポンリスナーズBEST(2002年-2004年)
- オールナイトニッポン 週替わりスペシャル (1994年 - 1998年、2003年 - 2004年)
- オールナイトニッポン FRIDAY SPECIAL (2003年)
- オールナイトニッポン 有楽町音楽室 (2007年-2008年)
- オールナイトニッポン サポーターズ (2007年 - 2009年)
- オールナイトニッポン クリエイターズナイト(2008年)
- オールナイトニッポンサンデー(2009年-2010年)
- オールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソン
(毎年・日曜深夜(月曜未明)以外の12月24日(12月25日未明)に放送) - オールナイトニッポンモバイル - 携帯電話専用ウェブサイトとレコチョクで配信されているダウンロード販売ラジオ番組
- セイ!ヤング・オールナイトニッポン Are you ready? Oh! - 1960年代末期から1980年代初期まで当番組の裏番組として放送の『セイ!ヤング』(文化放送)とタッグを組んだ番組。放送は、土曜日の20時30分-21時30分で、21時まで文化放送で放送して、時報の後21時からニッポン放送で放送するというリレー放送である。
[編集] 歴代裏番組(主なもの)
- ラジオ深夜便(NHKラジオ第1放送・NHK-FM放送)
- スーパーギャング(TBSラジオ)
- JUNK(TBSラジオ)
- リッスン? 〜Live 4 Life〜(文化放送)
- 扉-TO VILLA-(エフエム東京)
など
[編集] 備考
- ニッポン放送とBSフジ(フジテレビのBSデジタルテレビ局)共同制作の番組『お笑いネクストブレーカー』の番組内でお笑い芸人が出されたテーマに、オールナイトニッポンをベースにトークをするコーナー「オールナイトニッポンへの道」があった。
- 中部日本放送(CBCラジオ)では、2009年2月1日から2月28日まで、送信局である長島ラジオ送信所の施設改修工事に伴い、午前0時から午前4時までの間放送が休止されたため、1ヶ月間オールナイトニッポンの放送が休止となった(協賛部分のみ休止直前の番組でCMとして流した)。
- ホームページ・メールアドレスは基本的にニッポン放送の深夜放送の番組(オールナイトニッポンの冠が入っていない番組も含む)で使用される「allnightnippon.com」のドメインが使われているが、一部の派生番組(オールナイトニッポン・サンデーなど)では通常番組のドメイン「1242.com」が使われる番組もある。
[編集] 参考文献
- 夜明けの紙風船(ペップ出版八曜社、1975年刊行、廃刊)
- 夜明けの紙風船 パート2(ペップ出版八曜社、1977年刊行、廃刊)
- オールナイトニッポン大百科(主婦の友社)
- オールナイトニッポン30周年を記念して1997年に刊行。
- 村野まさよし『深夜放送がボクらの先生だった』(実業之日本社、2008年刊行)
[編集] 脚注
- ^ 2011年は水曜日に放送。月曜日での放送は2012年1月2日から。
- ^ 2010年度は毎週第3土曜日のオールナイトニッポンRを担当、火曜1部での放送は2011年4月5日から。
- ^ 1994年6月までは月曜27:00 - 29:00、1999年4月から9月までは木曜22:00 - 24:00。
- ^ 全11局ネット、フルネット7局、28:00までネットは4局。南海放送・西日本放送・高知放送・熊本放送は28:00で飛び降り。
- ^ 6月までは毎週金曜、10月までは最終週を除く金曜も放送。
- ^ 全10局ネット、フルネット6局、28:00までは4局。
- ^ Rの特番用アドレスであり、上田晋也と古坂大魔王など一部で稀に使用される。
- ^ 全22局ネット、フルネット5局、28:00までは16局、ニッポン放送のみ28:30まで。
- ^ Rの特番用アドレスであり、上田晋也と古坂大魔王など一部で稀に使用される。
- ^ パーソナリティがスポンサー名を読み上げる際、「○○(スポンサー名)の協賛で、全国○○(ネット局数)局ネットでお送りします(しました)」と付け加えるのはこの原則に由来する。ほかの原則は現在では完全に崩れているなかで、「協賛スポンサー」の原則のみ現在も守られている。
- ^ 糸居五郎は「新しい時代の夜」と言っていた。このように、パーソナリティによっては部分的にアレンジして使うこともあった。
- ^ 現在では、全日空国際線の機内で流れている、SKY AUDIOの「オールナイトニッポンClassics」の中で、斉藤安弘が使用している。(2010年8月1日現在)
- ^ ただし、前半3組は進行役として出演
- ^ スマホ向け放送「NOTTV」は月額420円で4月1日に開始 - AV Watch・2011年11月29日
- ^ (2005年) "EPISODE1 真相はいまだ不明?『ビタースウィート・サンバ』の謎", p. 6ページ. 『オールナイトニッポン Radio Days Sweet Hits』のアルバム・ノーツ ユニバーサルミュージック.
- ^ 「ビタースウィート・サンバ」と「レモン・ツリー」は同一アルバム内、A面の4曲目と5曲目
- ^ 1974年頃の「あのねのねのオールナイトニッポン」のオープニング 参照(冒頭午前1時の時報から3分39秒よりテーマ曲。イントロから原田伸郎によるスポンサー及びネット局紹介まで約40秒)。途中、現在使用されているテーマ曲も一部聴くことが出来る。このテーマ曲はのち1978年にアメリカ映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(ジョン・トラボルタ主演)が日本で上映され、ディスコが大ブームになった頃の「タモリのオールナイトニッポン」スペシャルで、おすぎをゲストに招いて、ディスコファン中心のリスナー公開で放送されたときのオープニングに使用された。
- ^ しかし、この時期でも土曜2部の「川村かおりのオールナイトニッポン」や「電気グルーヴのオールナイトニッポン」では1部と同じくオープニングに「ビタースウィート・サンバ」を流して番組を始めており、例外も存在している。
- ^ ただし、テレビ部門がTBS系列局である放送局にもネットしている。
- ^ 東日本大震災の発生以降数週間ほど「36局」と言わない期間があった。
[編集] 外部リンク
公式サイト
- www.allnightnippon.com(オールナイトニッポン・ニッポン放送夜の番組ページ)
- オールナイトニッポン40周年記念サイト
- オールナイトニッポンの歴史(パーソナリティ年表)
非公式サイト
| 曜日 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月曜 | 鬼龍院翔 | |||||||||||
| 火曜 | miwa | |||||||||||
| 水曜 | NESMITH | |||||||||||
| 木曜 | ナインティナイン | |||||||||||
| 金曜 | AKB48 | |||||||||||
| 土曜 | オードリー | |||||||||||