石井玄

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いしい ひかる

石井 玄
生誕 (1986-03-27) 1986年3月27日(38歳)
日本の旗 日本埼玉県春日部市
国籍 日本の旗 日本
出身校 明治大学政治経済学部政治学科
東放学園専門学校
活動期間 2011年4月 -
雇用者 サウンドマン(2011年4月 - 2018年3月)
ミックスゾーン(2018年4月 - 2020年7月)
ニッポン放送(2020年8月 - 2024年3月)
受賞 放送人グランプリ2018 準グランプリ
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石井 玄(いしい ひかる、1986年3月27日 - )は、ニッポン放送社員だったラジオディレクター、エッセイスト、イベントプロデューサー。

来歴[編集]

埼玉県春日部市出身。2004年3月、埼玉県立春日部高等学校[1]、2008年3月、明治大学政治経済学部政治学科卒業[2]

春日部高校時代に深夜ラジオにハマり、明大時代に就職活動の時期を迎え「もう1年位遊ぼうかな」と大学留年を思慮していたが、追試でウッカリ単位を取得し、想定外の事態としてそのまま明大を卒業。改めて、今後の人生を省みて「ラジオが好き」、「芸人と仕事をしたい」という思いを実現させるため、アルバイトで資金を貯め東放学園専門学校に入学[2][3]。TBSラジオの番組を制作している制作会社への入社希望を持っていたが、石井の卒業年度では新規採用の募集が無かったため、2011年3月、同専門学校を卒業後の同年4月[4]、当時25歳ではあったが、ニッポン放送の深夜番組の番組制作を担当している番組制作会社の当時:サウンドマンに入社[2][5]

同社制作第1部に所属し、同局朝、昼の番組のアシスタントディレクター(AD)として従事し、半年が経過した2011年10月、『オードリーのオールナイトニッポン』にADとして参画[6]。2016年7月に『オードリーのオールナイトニッポン』のディレクターであった、同局編成局制作部に所属していた宗岡芳樹が一身上の都合で同局を退職し、フリーのラジオディレクターとして同業他局であるTBSラジオの番組のディレクションをする事で抜けたため、石井が同番組のディレクターに就任[3]

2018年4月、同局組織変更による編成局制作部廃止に伴い、同局の正社員ではなく子会社所属のディレクターとして初の『オールナイトニッポン』のチーフディレクターに就任[6]。同年5月、放送人の会主催の「放送人グランプリ2018」で準グランプリを受賞し[7]、同番組プロデューサーである同局CP局コンテンツプランニング部 主任 プロデューサーの冨山雄一と共に登壇した[8]

その後、2020年4月23日放送分の『岡村隆史のオールナイトニッポン』の岡村単独としての番組終了経緯を含めた、積年の想いを長年所属会社であるミックスゾーンと話し合って来た結果、同年7月末付でミックスゾーンを退職する旨を自身のTwitterアカウントのツイートで発表[9]。退職後の進路については、特に言及せずに退職届を提出していたが、同年8月1日付でミックスゾーンの親会社であるニッポン放送に正社員として転職。ラジオディレクターでは無く、同局エンターテインメント開発局エンターテイメント開発部に配属され、イベント、関連書籍、開発、プロデュース業務を担当している[10][11]

人物[編集]

  • 高校は男子校だったこともあり、大学入学後女子と喋れず馴染むことができなかった。バイトもせず、引きこもり気味であった。その時期に深夜ラジオにハマった事で、精神的に救われたという。好んで聴いていたのがJUNK(TBSラジオ)だったこともあり、卒業後ラジオ番組制作を希望した際、TBSラジオの番組を志望していた[3]
  • 高校時代はサッカー部に所属していた[12]
  • 2016年に結婚した。[要出典]

制作番組[編集]

特に記載していない場合はニッポン放送の番組。

書籍[編集]

  • 石井玄『アフタートーク』KADOKAWA、2021年9月15日。ISBN 978-4-046-80590-4 

イベント[編集]

  • オールナイトニッポン55周年記念公演「あの夜を覚えてる」(2022年3月20日・27日、オンライン劇場「ZA」) - プロデュース[13]

出演[編集]

新聞[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 石井玄 (不明). オールナイトニッポン50th MY HOMETOWNスマホムービーコンテスト 石井玄ディレクターのサンプル動画 (YouTube配信). オールナイトニッポン. 2017-10-08時点のオリジナルよりアーカイブ2021-11-25閲覧 {{cite AV media}}: |date=の日付が不正です。 (説明) 2017年10月より以前に公開
  2. ^ a b c テレビとラジオ、人気番組の作り手が語るそれぞれのメディアの魅力とは。テレビ東京プロデューサー・板川侑右さん×MIXZONEラジオディレクター・石井玄さん対談”. CREATIVE VILLAGE(クリーク・アンド・リバー社) (2018年8月31日). 2021年11月25日閲覧。
  3. ^ a b c ラジオファンを熱くさせた『ANN』統括Dのツイートの真意 発端は“ラジオ業界”への怒り”. oricon ME (2020年4月5日). 2021年11月25日閲覧。
  4. ^ 石井 玄(ひかる) [@HikaruIshii] (2018年8月2日). "母校の東放学園専門学校で「ラジオディレクター講座」を行わせて頂くことになりました。 専門学校に興味のある方は是非お越しください。 8/11(土・祝)です。無料です。". X(旧Twitter)より2021年11月25日閲覧
  5. ^ 石井 玄(ひかる) [@HikaruIshii] (2018年4月2日). "所属していた「株式会社サウンドマン」が3月末で合併に伴い消滅しまして、4月から新会社「株式会社MIXZONE」という会社になりました。 以前よりも広く様々な仕事を請け負う予定だそうです。 お仕事ください。カラーはエメラルドグリーンのようです。よろしくお願いします!". X(旧Twitter)より2021年11月25日閲覧
  6. ^ a b “『ANN』チーフ・石井玄、岡村隆史との秘話「リスナーに戻った感覚」”. マイナビニュース. (2018年5月4日). https://news.mynavi.jp/article/20180504-625581/ 2021年11月25日閲覧。 
  7. ^ ANN50周年『放送人グランプリ』準GP受賞 担当Pが感謝のスピーチ「次は100周年でグランプリを」”. ORICON NEWS. oricon ME (2018年5月24日). 2021年11月25日閲覧。
  8. ^ “オールナイトニッポン50周年”が「放送人グランプリ」準グランプリを受賞”. ニッポン放送 NEWS ONLINE. ニッポン放送 (2018年5月23日). 2021年11月25日閲覧。
  9. ^ 石井 玄(ひかる) [@Hikaruishii] (2020年7月1日). "所属している制作会社を辞めます。 2年3ヶ月前から退社する話し合いを重ねてまして、今月をもって退社することとなりました。 今後のことは未定です。 諸々確定しましたら、またご報告させていただければと思います。". X(旧Twitter)より2021年11月25日閲覧
  10. ^ 石井 玄(ひかる) [@HikaruIshii] (2020年8月14日). "ニッポン放送に入社して、エンターテインメント開発部に配属となりました。イベントやグッズ、本の制作・プロデュースをします。 僕はラジオが好きです。 大好きなラジオが続いてくために自分が出来ることをやろうと思っています。 ラジオが好きなあなたに、面白いものを届けられたら本当に幸せです。". X(旧Twitter)より2021年11月25日閲覧
  11. ^ 石井玄氏、『オードリーANN』を回顧「春日さんは最後まで分からなかった」”. マイナビニュース. マイナビ (2020年9月27日). 2021年11月25日閲覧。
  12. ^ 石井 玄(ひかる) [@Hikaruishii] (2020年9月8日). "やべっちF.C.最終回を録画で見ました! 番組が始まった2002年、高校生でサッカー部だったので、生活の大半をサッカーに捧げていて、何よりも楽しみにしていた番組でした。 大人になってからはサッカーとの数少ない接点でした。 矢部さん、出演者の皆様、スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。". X(旧Twitter)より2021年11月25日閲覧 |date=の値と|number=から計算された日付が2日以上異なります(解説
  13. ^ ニッポン放送×ノーミーツの配信公演「あの夜を覚えてる」主演に千葉雄大&高橋ひかる(コメントあり)”. ステージナタリー. ナターシャ (2021年11月24日). 2021年11月25日閲覧。

外部リンク[編集]