ナインティナイン

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ナインティナイン(NINETY-NINE)は、日本お笑いコンビである。岡村隆史(ボケ)と矢部浩之(ツッコミ)のコンビ。1990年結成。吉本興業(東京本社)所属。 略称「ナイナイ」「99」「NN」。

目次

メンバー

概要

1990年のコンビ結成直後から常に第一線で活躍し続けている人気コンビ[要出典]で、現在は芸歴的にはすでに「若手」の域を越え、立場的に「中堅」と呼ばれる[要出典]位置である。しかし、彼らの安定度[要出典]はもはや、大御所の位置を担うほどになっている[要出典]

同時期にデビューした芸人たちの中では最も早出世であった[要出典]ため、現在も冠番組を数多く抱えている[要出典]。その反面、1990年代後半頃からは他の番組へのゲスト出演が少ない(最近では以前レギュラー出演していた番組フジテレビ笑っていいとも!テレフォンショッキング2006年にゲスト登場したのが最後)。

その後レギュラー番組が途切れることもなく第一線で活躍[要出典]現在[要出典]に至っている。

略歴

大阪府立茨木西高等学校サッカー部の先輩後輩として出会う。岡村隆史(当時高1)は矢部の兄・矢部美幸(当時高2、現ファンタスタープロモーション代表取締役社長)とサッカー部の先輩後輩で面識があり、自宅へ招かれたところに矢部浩之(当時中3)がいたのが初対面となる。後に矢部が同じ高校のサッカー部に所属し、練習中に矢部から岡村に「岡村ちゃん、『夕やけニャンニャン』って見てはります? 僕あれ観てるとドキドキするんですよ」と話しかけたのが初めての会話。

1989年、矢部が大学受験に失敗したことに伴い、当時吉本興業に先にお笑い芸人として同社に所属していた矢部の兄・美幸の薦めから、矢部は当時立命館大学夜間部の学生だった岡村隆史を誘いNSCに9期生(同期はほっしゃん。宮川大輔など)として入所。コンビ結成当時は岡村がツッコミ、矢部がボケを担当していた、しかしNSCの講師に「ボケとツッコミが逆」と言われたことにより役割を交替している。その後2人は授業料未納により除籍処分となっているため、正式にNSCを卒業してはいない。

1991年、吉本の若手コンビ6組で構成されるユニット「吉本印天然素材」に加わり東京進出。1992年には第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞し、頭角を現す。程なくして、当時人気番組であった『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)の芸能人大会にコンビで出演した頃から人気・知名度が急上昇する[1]

1994年に「天素」から脱退する。理由としては、岡村曰く「ミーハーな女性ファンの多さに危機感を感じた」とのこと[2]。その後、本格的に活動拠点を東京に置く。その後、同年に『ナインティナインのオールナイトニッポン』『ぐるぐるナインティナイン』、1996年に『めちゃ²イケてるッ!』が放送開始。これらは今後10年以上続くロングランの番組となる。

1999年にはゴロ合わせで「ナイナイの年」と銘打ち、映画出演や多数のライブイベントなどを精力的にこなした。

備考

芸風

初期は舞台を中心にコント漫才を行っていた。岡村の全身を使ったダイナミックなボケと、矢部の「~じゃないスか」などの冷静な「敬語ツッコミ」が特徴的。岡村が「身長はひゃく**じゅっ**ンチです」とゴマかす「チビネタ」等も多かった。

大阪から東京に活動の場を移してからはテレビのバラエティ番組をメインに活動している。岡村が常識的なことをあえて知らないフリをしたり勘違いしたまま暴走し、それを矢部が軽く突っ込みながらも岡村を泳がす「勘違いボケ」などを得意としている。

コンビ名の由来

「2人が吉本総合芸能学院(NSC)の第9期生であったことから9を2つ重ねて命名した」と公には答えているが、実際には「コンビ名の由来に特に面白いエピソードもないし、詳しく答えるのが面倒なのでそういうことにしている」らしい。コンビ名の由来に関しては、岡村のブレイクダンスの得意技の名前という説、お笑いを99歳までやりたいからという説、2人の母校・大阪府立茨木西高等学校が大阪府立の99番目の高校だからとする説などの諸説がファンの間にはあったが、2007年10月25日放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』内で、ブレイクダンスの技である1990(ナインティーンナインティ)が本当の由来であることを岡村、矢部両人が認めた。詳しい由来については、ブレイクダンスの1990という技が「ナインティナイン」という名前であると勘違いし、「ナインティナイン」とコンビ名をつけたとのこと。 また同放送内で、コンビ名の由来に様々な諸説があることを知り、それを面白がった岡村は、9は数字上(0から9)では一番大きな値であることから、9を2つ並べることでコンビ2人ともビッグになるという意味もあるなどと、それらしいとも半ば強引ともとれるような後付けで、自らコンビ名の由来の新たな説を披露していた。ブレイクダンスの技から名前をとった理由としては、「響きがよかったから」「その技がかっこよかったから」などと明かしている。またNSCでの初めてのネタ見せの時には既にコンビ名をつけていたため、周りから変な目で見られたらしい。

お笑いを目指すきっかけ

大学生だった当時は体育教師を目指していた岡村だったが、それは「安定した職についてほしい」という父の勧めによるものであった。矢部の誘いをきっかけに「俺は親父の敷いたレールの上を歩いていただけやった」(岡村談)と思い直し、お笑いへの方向転換を決意したという。
この時岡村の父は「隆史をヤクザの世界に誘いおって、矢部を絶対に許さへん!」と大激怒し、その後矢部が岡村の家に遊びに行っても口を全く聞いてくれなかった。お笑い芸人として成功した現在も岡村の父は矢部を完全には許してはおらず、険悪な関係のままのようであるが、岡村は「今では親父も少しは認めてきている」とラジオの中で発言している。

マネージャー

ナインティナイン担当の歴代マネージャーはあだ名を付けられるのが恒例になっている。命名は何故かよゐこ有野晋哉。特にキャラクターが特徴的な人物は『ナインティナインのオールナイトニッポン』で面白いエピソードとして語られてしまうため、リスナーにもネタにされることが多い。
岡村には「自分が芸能人である以上、一般のサラリーマンであるマネージャーとは一線を引いて付き合う」というポリシーがあり、呼び捨てにしたくないという気持ちからあだ名を必ずつけることにしているようである。一方の矢部は普通に苗字を呼び捨てで呼んでいる。
歴代マネージャーのあだ名には、河内マン(河内)・坪倉大臣(ツボクレンジャー、坪倉)・磯塚センターフライ(磯塚)・イトックス(伊藤)・なかなかじま(中島)・お茶子さん(中村)・サトスター(佐藤)・アジアンビューティー(土橋)などがある。

その他

受賞歴

漫才

映画

メディア

現在のレギュラー番組

テレビ

ラジオ

1994年4月から担当。「allnightnippon SUPER!」(1999年4月~9月)、「@llnightnippon.com」(1999年10月~2003年3月)時代を含め、14年以上続く長寿番組(2008年04月現在、「オールナイトニッポン」の歴代パーソナリティ最長記録を更新中)。

過去のレギュラー番組

ドラマ
バラエティ
単発・スペシャル
ラジオ

作品

ライブ

毎年9月9日を「ナインティナインの日」と位置付け、2人の地元である大阪で毎年同日に『ナイナイライブ』を行なっており、衛星放送のWOWOWでほぼ生中継されている(諸事情により編集後放送のためリアルタイムではない)。2004年は当日が木曜日であったためラジオ大阪より『オールナイトニッポン』を放送した。

  • ナインティナインライブ Vol.1 「鉄人の逆襲」(1997年 IMPホール)
  • ナインティナインライブ Vol.2 「GREEN」(1998年 近鉄劇場)
  • ナインティナインライブ Vol.3 「シンドバッドな男たち」(1999年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.4 「尺八」(2000年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.5 「カステラ」(2001年 大阪府府立青少年会館)
  • ナインティナインライブ Vol.6 「GTI」(2002年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.7 「西」(2003年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.8 「チョピン」(2004年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.9 「ZAMAS」(2005年 大阪メルパルクホール)

映画

ゲーム

CM

CD

  • 吉本印天然素材のCD巻~頂点対決『歯をくいしばれ!!~』
  • 『愛した人はバツイチ』 ナインティナイン with 清水ミチコ1994年
  • 『想い出がいっぱい』 岡村隆史(映画『無問題』主題歌、H2Oの広東語カヴァー)
  • 『無問題2 - オリジナル・サウンドトラック』

外部リンク

参考文献・出典

  1. ^KING講談社 2008年5月
  2. ^ 天素ビデオなどの岡村本人談
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