陣内智則

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陣内 智則
ニックネーム 陣、陣さん、陣くん
生年月日 1974年2月22日(40歳)
出身地 日本の旗 日本 兵庫県加古川市
血液型 O型
身長 168cm
方言 播州弁
最終学歴 兵庫県立高砂南高等学校
出身 NSC大阪校11期
コンビ名 リミテッド1992年-1995年
相方 西口圭(元相方)
芸風 コント
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1993年 -
同期 ケンドーコバヤシ
たむらけんじ
中川家
藤井隆など
現在の代表番組 どっキング48など
過去の代表番組 なるトモ!
ジャイケルマクソン
クヮンガクッなど
配偶者 元妻 藤原紀香(2007-2009)
受賞歴
1998年 ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞
2000年 上方お笑い大賞最優秀新人賞
2004年 上方お笑い大賞話題賞
2005年 ビートたけしのエンターテインメント賞日本芸能大賞
2005年 輝け!2005年お笑いネタのグランプリグランプリ
2007年 卒煙表彰
2009年 S-1バトル月間チャンピオン(12月)

陣内 智則(じんない とものり、1974年2月22日 - )は、日本お笑い芸人司会者である。

兵庫県加古川市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社所属。

人物[編集]

芸風[編集]

  • 一人コント形式で舞台装置を用い、エキストラ(本人の場合もあれば、町で偶然スカウトした外国人[2]の場合もある)に演じさせたり、CGで制作した映像等の音声や映像に対してツッコミを入れるという独特なスタイルをもつ(バッティングセンター校歌など)。多くのネタは「小ボケを何分にも積み重ねることによって、やがて大きな笑いにする」というものなので、1分ネタしかできない爆笑レッドカーペットには出演したことがない。後述のS-1グランドチャンピオン大会でも「3分という時間制限の中でも十分な面白さを発揮できるネタ」がなかったために2位となっている。
  • 映像の多くは同期の原田専門家がパソコンを主に使って作成している[3]
  • ネタや番組上、ツッコミ役になることが多い。
  • 2002年頃から関西で番組に出る時は、ほぼ司会者として出演している。

ネタ、相方について[編集]

  • ネタの多くは元ピン芸人の現在放送作家で活躍するくらなりとの共同作成で行っている。また元ピン芸人で現グラフィックデザイナー原田専門家(同じくNSC11期生)が裏の相方として、ネタ画面のCGや仕掛け製作を手伝っている[4]。共に作った映像や音声を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までにないスタイルを確立した。また、ネタで流れる女性の声は元バスガイドでうめだ花月(現在廃止)のスタッフだった吉本興業の女性社員であるが、五十嵐サキが起用されることもある。
  • リミテッド」解散後、ピン芸人として活動。2001年頃からテレビ番組、ラジオ番組、営業などで、正式なコンビではないが同期のケンドーコバヤシとのセットでの出演が多く(陣コバと呼ばれる)、周囲もコンビと見紛うほどだった(実際、二人とも相手とコンビを組みたい、と考えていた時期があった。[5])。お互いに全国区で売れ始めた頃から減り始めたが、現在でも共演は多くその頃から続いているレギュラー番組もある。たむらけんじとも一時的に「たむ陣」と称するコンビを組んでいた。

経歴[編集]

NSC入学から「リミテッド」時代(1992年〜1995年)[編集]

  • 高校の同級生・西口圭と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。2人で「リミテッド」と称するコンビを結成した。このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット (Limit) 」と間違って名付けたものである。「リミテッド (Limited) 」は「制限された」「僅かな」という意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかった。「リミテッド」としての初仕事は、その当時WコージーMBSラジオでやっていた番組の素人参加のコーナーだった。高校生の時にも『ピート・ローズ』というコンビ名で出演し賞金を稼いでいた。
  • 「NSCアマチュア大賞」の秋開催のグランプリを獲得。これが、「リミテッド」で獲得した唯一の賞となる[6]
  • 陣内は同級生と一緒にNSC入学と同時に寿司屋『小鯛雀鮨鮨萬[7]』に就職しており[8]、職人達の中での厳しい仕事だったため同級生はすぐに辞めたが陣内は卒業までの一年間、早朝から皿洗いや料理の下ごしらえなどをしていた。
  • NSC卒業後、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時の「リミテッド」は評判が芳しくなく、「2丁目ブーム」の中「リミテッド」は「2丁目で一番おもんないコンビ」「見ると不幸になる」などと揶揄されていた。結果、結成3年後の1995年9月に解散。相方の西口は芸能界から引退したため、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされた。
  • リミテッドの評判が悪く、「見たら不幸になるコンビ」という評判も立ってしまっていた[3]。その後、後輩芸人の予定が合わなかったため、その代役としてテレビ番組に出演することになったが、出番は着ぐるみを着て舞台を通過するだけという屈辱的なものであった。陣内はそのことが悔しくて仕方なかったが、相方の西口が意欲の無い態度を示したため、その場で殴り合いのケンカになり、その最中に陣内は「もうコンビ解散しよう」と決意したという[9]

ピン芸人としての再出発(1995年〜1999年)[編集]

  • 「リミテッド」解散以来、「Wachacha Live」への出演もままならなくなった陣内はテレビの『すんげー!Best10』やそこから生まれたユニット「そういう人達」のライブ活動で凌ぎ、1996年12月の若手ネタ番組『オールザッツ漫才』(毎日放送関西ローカル)に出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出たため(岸本R突然の不参加による)、陣内が急遽スタッフに呼ばれ一人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に一人で立ち一発ネタを一人でただしゃべるだけだったが、これがウケまくり3回戦まで進出した。
  • 解散のショックからなかなか立ち直れないでいた1997年、先輩芸人や吉本側から「ネタが作れない芸人は出るな」「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、最期通告を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならなかったが、イベントの直前に偶然乗った電車の車掌のアナウンスが変であったことに思わずツッコミを入れたところ周囲から笑いが起きたことに気づき、「予め用意された音声や映像にツッコミを入れるネタ」の原型となる、新しい手法のネタが閃いた。開演数分前にようやく新ネタが完成し、それを演じたところそのイベントで今までにないぐらい評判が良かったため吉本の陣内に対する評価も一変し、次々と仕事が舞い込むようになる[3]。そしてその数ヵ月後に行われた、1998年第19回 ABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞を受賞した。
  • 仕事がなく自宅で落ち込んでいた際、当時交際していた彼女から、「陣くんの面白さは私が一番よく知ってるから。私が面白いと思ってるのは、陣くんと三田村邦彦だけだよ」と励まされ、非常に複雑な気分だったという。
  • 1999年10月スタートの情報番組ちちんぷいぷい』(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西の中年層への知名度も徐々にアップする。番組内では、司会者である角淳一とはいつも舌戦を繰り広げていてお互いに「親子のような関係」と言うほどの仲だった。また同じ1999年10月に深夜バラエティ番組クヮンガクッ』(毎日放送、関西ローカル)のレギュラーにもなり、2000年3月に始まった同番組の人気企画「レシートすごろく」で更に関西での知名度が上がる。

baseよしもと時代(1999年〜2003年)[編集]

  • 1999年にbaseよしもとが開館し、FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩たちをまとめる役を買って出ることになった。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されることが多くなるが、その中でも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期に、毎日放送の番組で有名になったこともあって陣内は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われるようになる。ケンドーコバヤシをして「(当時同局アナウンサーであった角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどであった。
  • 1999年11月、「爆笑オンエアバトル」(NHK総合)で初挑戦にして537KB(キロバトル、100人中98人が投票)という高得点を獲得した。これは当時の番組最高記録であり[10]、また「初挑戦における最高キロバトル」として歴代でも1位タイの記録である[11]。その後16戦16勝という高記録でゴールドバトラーに昇り詰めた。これらの輝かしい記録から、2008年の番組公式ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「オンバト史上最強の一人芸人」と番組プロデューサーに評された。

base卒業後(2003年〜2005年)[編集]

  • baseよしもとを卒業後は、うめだ花月ルミネtheよしもとなどで活動。2003年に『エンタの神様』(日本テレビ系列)に出演して以来東京での仕事も増えていく。平日は大阪で仕事をし、木曜日に『なるトモ!』の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるや否や、午後から新幹線航空機で移動し、東京で『エンタの神様』などの番組収録とルミネtheよしもとの公演をこなしていた。
  • 2003年頃からは、俳優声優など他の仕事も手掛けるようになる。ドラマでは『かるたクイーン』(NHK制作、2003年1月放送。石田ひかり山口達也錦戸亮ほか出演)に主人公に恋する新聞記者役として毎回出演していた。
  • 2004年、かねてから好きだと公言していたゲームソフト桃太郎電鉄シリーズハドソン)の第13作「桃太郎電鉄USA」のコマーシャルに出演(若槻千夏Psycho le Cémuと共演)し、これが初のCMとなる。
  • 2004年から朝日放送)の日曜正午枠「日曜笑劇場」に主演・座長としてレギュラー出演するようになる。
  • 2004年6月単独ライブ『NETAJIN』公演。この模様はDVD『NETAJIN』に収録され、お笑い関連のDVDが1万枚を売れればヒットといわれる中、4.9万枚(2006年12月時点)という大きな売り上げ枚数を記録した。
  • 2005年4月4日、5年2か月にわたりレギュラー出演していた『ちちんぷいぷい』を卒業。その後すぐ、日本テレビ系列の番組『ミンナのテレビ』・『世界!超マネー研究所』でのレギュラー出演が決定した。両番組は2005年4月から9月まで放送されたが、それ以来陣内は司会の立場で全国区や関西ローカルのテレビ番組に出演することが多くなる。
  • 当時関西ローカルで放送されていた『なるトモ!』が同年10月3日から日本テレビ、中京テレビ広島テレビ熊本県民テレビでもネットされるようになった[12]
  • 2005年12月31日開催の「輝け!ネタのグランプリ」で優勝し賞金1000万円を獲得。この賞金の半分は裏方の原田専門家や音響スタッフなどと分け合った。

藤原紀香との出会い・結婚・離婚(2005年〜2009年)[編集]

  • 2006年1月19日放送の『なるトモ!』で番組開始から約1時間遅刻。『陣内智則のひとり番長』(TBSラジオ制作)生放送終了後、東京から大阪へ向かう新幹線車内で熟睡し下車する新大阪駅を乗り過ごしたことが直接の原因[13]。この一件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。
  • 2006年4月、日本テレビ系DRAMA COMPLEX59番目のプロポーズ』の収録時に藤原紀香と出会う。自身の収録分の最終日に、陣内は紀香に手紙を渡し、約1週間後のオールクランクアップの後、紀香から陣内にメールを送ったのを契機に、友人としての付き合いが始まる。紀香によると、撮影現場ではほとんどしゃべらず、一人で壁を作って自分の世界に入り込んでいたという。
  • 2006年11月末に初めて藤原紀香との結婚の噂が報道される。その時は本人はまだ結婚するという考えは無かったがメディアに注目されたのを、きっかけにプロポーズ。同年12月10日神戸市中央区生田神社結納を交わし、2007年2月17日に同神社で結婚式が行われた。結婚式には、同期のケンドーコバヤシ・たむらけんじや『なるトモ!』で共演するなるみ、海原やすよ・ともこ、「シャンプーハット」小出水らが出席した。この結婚式の模様は、同日の16:20 - 16:55に読売テレビが放送(他には熊本県民テレビ (KKT) がネット)し、関西で18.2%という高視聴率を挙げた。交際をするにあたり、『なるトモ!』に出演している芸能リポーター駒井千佳子に相談していた。
  • 結婚式翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社のような規制(ただしコント出演中の写真撮影は禁止された)もなく、素でコントをしている所などが見られた。そして、結婚を機に東京で紀香と新居に引っ越し、『なるトモ!』の生放送および収録がある毎週月曜から木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を試行していた。
  • 2007年4月10日、加古川市役所にてともに婚姻届を提出し正式に夫婦となった。2007年5月30日結婚披露宴が日本テレビ系列でゴールデンタイムに放送され、ビデオリサーチ社が調査した平均視聴率は、関東で24.7%、関西で40.0%であった。また瞬間最高視聴率は、関東で32.7%、関西で49.2%であった。披露宴ではコブクロの「永遠にともに」の弾き語りを披露し、妻の紀香がホロリとする場面があった。
  • 2008年9月23日、約4年半司会を続けた朝の帯番組『なるトモ!』を卒業した。
  • 2009年3月20日、離婚届を提出し、同年3月23日に正式に受理される[14]。翌24日に記者会見を開き、複数の女性との自分の浮気が原因として謝罪した。

再出発(2009年〜現在)[編集]

  • 2009年10月、約3年ぶりの単独全国ツアーライブ『NETAJIN Live Tour 2009〜墜ちたら這い上がれ〜』を公演。サブタイトルの「墜ちたら這い上がれ」は離婚による、マスコミや世間からのバッシングが治まってない時期に収録した『いい旅・夢気分』のロケ先で見つけ購入した絵に書かれていた言葉から付けられた。
  • 2009年12月29日2009年S-1バトル12月度月間チャンピオンに選ばれる。作品名は「ボーリング」(一般的には「ボウリング」と表記する)。
  • 2010年4月6日、ルミネtheよしもとで吉本新喜劇座長としてデビュー(よしもと新喜劇強化プロジェクトの期間限定座長)。
  • 2011年6月12日には、自身初の海外公演「陣内智則 ワールドライブツアー 第1弾 In韓国 NETAJINマイベスト~世界進出本気で狙ってます ~」を韓国ソウルで開催[15]。同年5月には、同公演の告知を兼ねて、同国のテレビ局・KBSの人気バラエティ番組『ギャグスター シーズン2』へゲストで出演した[16]。自分で制作に関わった映像にツッコミを入れるネタがYouTube配信の動画を通じてアジア諸国などで評判を呼んでいることを受けた訪韓で、出発前には後輩の女性芸人・ヒヨン(NSC東京14期生)を相手に、約1ヶ月にわたって韓国語を猛勉強。その結果、上記の公演・番組では、持ちネタの一部を韓国語で披露している[17]
  • 2012年4月、吉本興業創業100周年記念の舞台作品シリーズ「吉本百年物語」において、第1弾の「大将と御寮ンさん・二人の夢」に創業者・吉本吉兵衛役で国仲涼子(妻・吉本せい役)とともに主演を務めた。
  • 2013年1月27日第34回ABCお笑いグランプリの審査員を務めた。お笑いコンテストの審査員を務めるのは初となる。

出来事[編集]

エピソード[編集]

  • 出生時から血液型はA型と父親から教えられていたが、人間ドックで検査したところO型ということが判明したことを報告した[18]
  • 苗字が陣内のため、陣内孝則の親戚と間違われ、また兄の名前が「隆則」と字は違えど同姓同名であった(なお、元妻の藤原紀香の弟も陣内の兄と同音の名前で、藤原の姉と陣内の義妹もまた同音の名前であるため「結婚したらややこしくなるな」と盛り上がったという)[19]。そのため、陣内の祖母が近所の人の「陣内孝則とどういう関係」の問いに「うちの孫」と答え[20]正月に近所の人がサイン色紙やカメラを持って陣内の家に集まった事がある[要出典]。陣内孝則と共演すると、決まって「芸名変えろ!」と訴えられる「お約束」がある[21]
  • 寿司店でアルバイト経験があり、サバなどの魚の3枚おろしが特技である[22]
  • 2007年6月にタバコ問題首都圏協議会より「喫煙をやめられた有名人」の一人として、陣内が表彰されたことが報道される[23]。当時妻だった紀香は陣内の禁煙に協力したとして「卒煙アシスト賞」が贈られた[24]
  • S-1グランプリでは、映像ネタは陣内が最も得意とするネタであることもあり、12月月間チャンピオンに輝いたことがある。その後、S-1グランドチャンピオン大会にも出場し、「頂点に最も近い男」とまで言われた。ファーストラウンドではパンクブーブーなだぎ武といった、M-1・R-1のチャンピオンを押さえ、最終決戦進出を果たしたが、3分という短い時間では十分な実力は発揮できず、最終決戦では惜しくもNON STYLEに破れ、2位となった。

結婚[編集]

  • ベリーベリーサタデー!』(関西テレビ制作)にて共演したのが本当の初めての出会いだが、藤原紀香は覚えておらず前記したドラマの収録時に初めて顔を合わせた際、「はじめまして」と挨拶している。奇しくも、初共演したこの日(2005年5月14日)の同番組では番組MCである藤井隆乙葉と婚約したということで、それに関連したスペシャルコーナーを放送し、陣内は藤井と同期ということでゲストに呼ばれ、紀香はレギュラーコーナーであるトークコーナーにゲストで呼ばれていた。陣内が一方的に見ただけなら、それ以前にもK-1の観戦中に紀香を目撃した事がある。
  • 披露宴でコブクロの「永遠にともに」をピアノを弾いて歌ったことを受け、2007年7月18日の『リンカーン』(TBS系)のコーナー「フレンドリーダウンタウン」では松本人志に捧げようと再度の弾き語りを試みたが、数テイクののち、結局断念した。松本曰く「なんぼほど下手やねん!」。郷ひろみはこの「永遠にともに」を知らなかったのか、作詞作曲を陣内自身がしたと勘違いしており、披露宴の翌日に「陣内君すごいね!いい曲書いたね!!」と電話がかかってきたという[要出典]
  • 二人で住んでいた家には、陣内の持ち込んだものは狸の置物(野性爆弾のロッシーに貰った)と液晶テレビの二つ。そのうち狸の置物は玄関の外にあると陣内は語っていた。なお、この家は紀香が陣内と結婚する前に住んでいた家よりも狭い[25][26]。なお、離婚し家を出る時は液晶テレビだけを持ち出して行った[27]
  • 紀香との初デート話については、バッティングセンターで、陣内は極度の緊張で全く打てず、「タイミングあわせたら打てるよ」と逆にアドバイスを受け、陣内はその時の紀香の打法を見て「ズレータや!」と思ったらしい。そして結婚後、もう一度バッティングセンターに行ったら初デートよりは打てたが、紀香はさらにパワーアップしていて、陣内は「カブレラや!」と語った。なお、紀香本人は「この時点ではまだデートという意識はなかった」と述べている[28]
  • 紀香を初めてデートに誘うように勧めたのは、ケンドーコバヤシである。陣内と食事に行った際にドラマで共演した話になり、陣内から「好きになってメールはしているが、電話したり、デートに誘ったりができない」と相談され、コバヤシは告白して振られた陣内を後でからかおうと「今すぐ電話してデートに誘え!」と言い電話を掛けさせた。そして陣内はその場で紀香との初めてデートの約束を取り付ける。ふざけて言ったことであったが逆にその勧めが大成功を収めた[29]コバヤシは「自分が日本の歴史を変えてしまった」とトークのネタにしている[要出典]
  • 2007年以降、紀香と陣内の結婚を指して使われ、披露宴以降「格差婚」という言葉が広まった。

離婚[編集]

  • 2009年3月19日、妻の藤原紀香とすでに別居中で、離婚秒読みだとスポーツ紙3紙が報じた[30]。同年3月20日、藤原紀香の親族により、離婚届提出[31]。2009年3月24日に、東京都内で記者会見を行い、離婚について語った。
  • 紀香と同居していた部屋から出た後は、麒麟田村裕の住居に居候していた[27]
  • それ以降「祝儀返せ」[32]「縁起が悪い」などといじられている。離婚したことでコブクロや「永遠にともに」の曲にマイナスイメージがついてしまったことを陣内は申し訳ないと各所でコメントしている。2014年6月18日放送の『水曜日のダウンタウン』においては、「永遠にともに」が陣内の離婚以降使われなくなり、同曲を結婚式で使ったのは5000組中1組だけという検証結果だった。この番組を視ていた陣内はtwitterで改めて謝罪したが、コブクロファンから「陣内さんのこと決して嫌いではないですよ」といったメッセージが届き、コブクロとそのファン、スタッフに感謝のツイートをした[33]
  • その後、『行列のできる法律相談所』の「私たち結構頑張ってるのになぜかCM出演ゼロなんですSP」でのトークが高じて「行列」とタイガー魔法瓶のコラボCMに出演。「彼女の気持ちは冷めたけど僕の気持ちとご飯はまだ暖かい」というセリフがあった。
  • 離婚によるイメージ悪化が理由で桃太郎電鉄シリーズのCMを降板。しかし同シリーズの製作者さくまあきらによると「イメージが回復出来れば復帰もありえる」とのこと。さくまから「CMに復帰して欲しい」ということも伝えたことがあったという[34]。なお、新しいCMキャラクターには陣内の代わりにケンドーコバヤシが出演している。
  • 離婚後暫くは、その話題になるたびに松本人志からさも初めて聞いたかのように大げさに驚かれながら「陣内、離婚したん!?」といじられていた(しかも毎回ウケている)。また他方では後藤輝基フットボールアワー)から「陣さん、何かあったんすか?」といじられている[35]
  • 離婚によるイメージの悪化は2014年現在も尚根深いようで、「ナカイの窓 芸能人100人集結!年収&恋愛&私生活 一斉調査SP」の「浮気しそうな人」のアンケート調査ランキングでは、同様に浮気が原因で離婚に追い込まれた大鶴義丹や複数の女性と交際していることを公言しているマイケル富岡をも抑えてトップ、圧倒的大差で1位だった[36]

趣味・嗜好[編集]

野球[編集]

  • 2003年にプロ野球阪神タイガース応援番組『週刊トラトラタイガース』(読売テレビ、関西ローカル)の司会に抜擢された。陣内自身も阪神ファンだと公言しており、私生活で赤星憲広浅井良や阪神タイガースの若手選手との交流がある。元関西テレビアナウンサー・梅田淳の話によれば、陣内の結婚話が噂になった当日、梅田が赤星憲広に知らせたところ、赤星は「私、相当前から知ってましたよ」との返事が返ってきた。また、関本賢太郎とは後輩芸人らとともに、卓球バーで卓球をする仲である。
  • 少年の頃からの阪神タイガースファンで、その様子は2007年5月30日に放送された自身の結婚式披露宴中継にてスライド写真が流れた際に、阪神タイガースの野球帽を被る少年時代の姿が映し出されていた。
  • 芸人が所属している草野球チームのキャプテンで、試合は主に深夜大阪ドームを貸し切って[37]行っている。参加メンバーはシャンプーハットモンスターエンジン大林、スマイルなど。

その他の趣味[編集]

交友関係[編集]

受賞歴[編集]

主なネタ[編集]

  • 飛行機
  • オウム
  • 羊が一匹
  • おもひで(交換日記、15年後の僕へ、卒業アルバム)
  • 水晶玉
  • ゲームセンター (フラッグ・フラッグ・レボリューション、パワフル頭脳ゲーム、クレーンゲーム)
  • 物売り屋さん
  • 彼女の部屋(どこまでもいっしょ)
  • 悩み相談室
  • 視力検査
  • 卒業式
  • 防犯カメラ
  • オーちゃん~ペット禁止マンションの巻~
  • 校歌
  • アリバイ
  • 忘れ物センター
  • ビルでプロポーズ
  • 機動戦士ジンダム
  • 不動産屋
  • 自動車教習所
  • テスト中
  • 留学生トム
  • カラオケ
  • ニュース
  • 銀行のATM
  • 絵日記(夏休みの絵日記)
  • ゾンビゲーム
  • 山登り
  • 英会話
  • 運動会
  • しゃべるセミ
  • しゃべる名画(ナイト・ミュージアム)
  • ペットショップ
  • テトリス
  • バッティングセンター
  • クッキングナビ
  • 犬の育成ゲーム
  • 鼻歌検索
  • ランキング番組
  • テレビショッピング
  • エレベーター
  • ニュース番組
  • プラネタリウム
  • ドラマの台本
  • 脳を鍛えるゲーム
  • 智則の生い立ち
  • ボウリング
  • クイズタイムショッキング
  • ビデオレター
  • 無線機(盗聴)
  • カーナビ
  • ビルの屋上で・・・
  • 赤ちゃん誘拐
  • ラジオ体操
  • 郵便局員
  • ゾンビゲーム
  • 愛犬ジョンの初恋
  • ちびまる子ちゃんと陣内智則

なお、

主な出演[編集]

レギュラー[編集]

テレビ[編集]

準レギュラー

毎年ある特別番組

過去[編集]

ラジオ[編集]

テレビ[編集]

レギュラー出演

単発・ゲスト出演

ドラマ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

テレビ以外

ウェブ[編集]

  • とりあえず生中(仮)(2009年4月 - 9月、ニコニコ生放送)水曜日パーソナリティ
  • とりあえず生中(二杯目)(2009年10月 - 2010年3月 ニコニコ生放送)水曜日パーソナリティ
  • 夏だ!祭りだ!コメントだ!ニコニコ動画12時間ぶっ通し生放送!!!(2009年7月30日、ニコニコ生放送)
  • とりあえず生中(三杯目)~チャレンジの水曜日~(2010年4月7日 - 2010年10月29日、ニコニコ生放送

DVD[編集]

CD[編集]

声の出演[編集]

舞台[編集]

ライブ[編集]

公演日 ライブ名 出演者 公演場所
主催
1998年7月 - 8月まで月二回 夏の陣 ワッハ上方
1998年9月 - 10月まで月二回 秋の陣 ライセンスランディーズなど ワッハ上方
1998年11月 - 12月まで月二回 冬の陣 千原ジュニアなど ワッハ上方
1999年3月9日 じんじんじん 心斎橋筋2丁目劇場
1999年6月25日 じんじんじん サバンナ野性爆弾次長課長シャンプーハット・ライセンス・ランディーズ ワッハ上方
1999年9月30日 ジンジンジン ワッハ上方
1999年11月13日 NETAJIN α 木村祐一 baseよしもと
2000年1月15日 ジンジンジン
2000年2月 ぢんぢんぢん
2000年3月11日 陣内智則のJIN JIN JIN ブラックマヨネーズ・ビッキーズ・次長課長・野性爆弾・石田靖 baseよしもと
2000年6月7日 陣内智則VSハリガネロック ハリガネロック baseよしもと
2000年6月20日 ハリガネロックVS陣内智則 ハリガネロック baseよしもと
2000年7月20日 NETAJIN OSAKA 中川家 baseよしもと
2000年10月19日 JinJin Night ブラックマヨネーズ・チュートリアル鉄拳 baseよしもと
2000年12月21日 JinJin DX ブラックマヨネーズ・次長課長・野性爆弾・フットボールアワー・レギュラー baseよしもと
2001年2月25日 JinJin World 〜ネタがいっぱい〜 渡辺鐘 baseよしもと
2001年3月25日 春陣 baseよしもと
2001年4月27日 JinJin4 ブラックマヨネーズ・チュートリアル・嘉門達夫 baseよしもと
2001年5月23日 JinJin5 baseよしもと
2001年6月21日 JinJin6 ブラックマヨネーズ・チュートリアル・ユリオカ超特Q田上よしえ baseよしもと
2001年9月25日 JinJin9 ブラックマヨネーズ・チュートリアル・ビッキーズ baseよしもと
2001年7月17日 ハリガネロックと陣内智則 ハリガネロック baseよしもと
2001年7月18日 陣内智則とハリガネロック ハリガネロック baseよしもと
2001年10月25日 秋陣 baseよしもと
2001年11月27日 JINGI ブラックマヨネーズ・チュートリアル・ビッキーズ・フットボールアワー baseよしもと
2002年 JinJin Live ブラックマヨネーズ・チュートリアル baseよしもと
2002年 JinJin Live02 ブラックマヨネーズ・チュートリアル baseよしもと
2002年1月25日 JinJin World baseよしもと
2002年2月27日 ジンナイズム ブラックマヨネーズ・チュートリアル・なすび baseよしもと
2002年3月31日 JinJin MAX ブラックマヨネーズ・ビッキーズ・コージー冨田 なんばグランド花月
2002年7月12日 JinJin Night アンジャッシュ baseよしもと
2002年9月14日 JinJin Night シャカ baseよしもと
2002年11月30日 JinJin Night ハリガネロック baseよしもと
2003年1月18日 JinJin Night ブラックマヨネーズ baseよしもと
2003年3月13日 JinJin Night ブラックマヨネーズ・チュートリアル・マギー審司 baseよしもと
2003年6月5日 JinJin World ブラックマヨネーズ・チュートリアル・木村祐一 ルミネtheよしもと
2003年6月25日 JinJin SPECIAL ブラックマヨネーズ・チュートリアル・ビッキーズ baseよしもと
2004年6月11日 NETAJIN 単独 ルミネtheよしもと
2005年2月- 2007年12月まで月一回 うめだプレミア 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります ブラックマヨネーズ吉田敬 うめだ花月
2006年11月11日 NETAJIN2 単独 ルミネtheよしもと
2009年10月17日10月24日10月31日11月8日 NETAJIN Live Tour 2009〜墜ちたら這い上がれ〜 単独 テレピアホール京橋花月・ルミネtheよしもと・イムズホール
2010年4月6日 - 8日 吉本新喜劇 陣内智則座長公演「カワイイ僕らの大騒動!」 大山英雄COWCOW・野性爆弾・山本吉貴本田みずほ星野里佳サカイスト ルミネtheよしもと
2010年5月23日 陣内智則presents JIN-X(ジンクス) 2700しずる南国姉妹銀シャリ

アンジャッシュ

ルミネtheよしもと
その他
千原ジュニアpresents 芸人定食 固定メンバー。千原ジュニア・ケンドーコバヤシ・サバンナ・野性爆弾らと ルミネtheよしもと

脚注[編集]

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  1. ^ 番組開始当時は『冬のソナタ』ブームであり、主演のペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれていたことに由来する。
  2. ^ 「視力検査」のネタでアラビア語を指す先生など。
  3. ^ a b c 『日経マネー』(日経BP社)2011年5月号 86ページ
  4. ^ http://www.ntv.co.jp/engine/20050828/main.html 『お笑い芸人・陣内智則の「縁人」、映像作家・原田専門家』 縁人Engine 2005年8月25日放送 日本テレビ
  5. ^ にこいち 〜スーパースター友情列伝〜』(ABCテレビ制作、2004年12月23日放送)にて発言。
  6. ^ 同期の中川家は、春開催時のグランプリである。
  7. ^ 「小鯛雀鮨鮨萬」公式ウェブサイト http://web.me.com/bebek_sapi/Site/Welcomepage.html
  8. ^ アルバイトで入社するつもりだったが、手続きを間違え社員になった。
  9. ^ 2012年7月15日放送『ざっくりハイボール』”. TVでた蔵 (2012年7月15日). 2014年7月23日閲覧。
  10. ^ 後にますだおかだが満点で記録を更新。
  11. ^ 後にパンクブーブーも記録。その上、この回の収録には陣内自身も参加していた。
  12. ^ 日本テレビは2006年3月でネット打切り。その後2007年4月から西日本放送がネットに加わる。
  13. ^ 収録終了後から始発の新幹線に乗るまでの間、陣内に仮眠する場が与えられていなかった。
  14. ^ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20090323073.html もう別々の人生…紀香、陣内夫妻が離婚届提出] 2009年3月23日 スポーツニッポン閲覧
  15. ^ 韓笑!陣内智則、韓国で海外初ライブ大ウケ(『デイリースポーツ』2011年6月13日付記事)。日本でもMBSテレビが、2011年7月17日深夜(18日未明)に、その模様を関西ローカルの特別番組「ハングルで笑わせろ!~密着! 陣内智則ライブin韓国~」を放送した。
  16. ^ 陣内智則が韓国でネタ披露、KBS「ギャグスター」出演(『聯合ニュース』2011年5月5日付記事)
  17. ^ 陣内智則、世界ツアー!韓国ライブ皮切り(『サンケイスポーツ』2011年5月11日付記事)や、前述「ハングルで笑わせろ!~密着! 陣内智則ライブin韓国~」より。
  18. ^ 陣内智則 実は「O型」だった…人間ドック受診で発覚”. スポーツニッポン大阪 (2008年6月7日). 2014年7月23日閲覧。
  19. ^ 藤原紀香・著『紀香魂-ハッピー・スピリット-』(幻冬舎)18ページ
  20. ^ 2013年5月30日放送『内村とザワつく夜』”. TVでた蔵 (2013年5月30日). 2014年7月23日閲覧。
  21. ^ “【エンタがビタミン♪】陣内智則が俳優・陣内孝則との“名前問題”に言及。「共演する前後にメールが来る」”. Techinsight. (2014年7月2日). http://japan.techinsight.jp/2014/07/jinnaitomonori-takanorinamaemondai-lion20140701.html 2014年7月23日閲覧。 
  22. ^ 週刊朝日 2008年7月7日号『マリコのゲストコレクション』(56-60ページ)より。
  23. ^ 他には風見しんごなども表彰された。
  24. ^ 世界禁煙デー…/My NEWS JAPAN
  25. ^ 『紀香魂-ハッピー・スピリット-』163-164ページ
  26. ^ 島田紳助が披露宴で「悲しいお知らせ」として語った。
  27. ^ a b 陣内智則、テレビだけもらって1人暮らし始める”. ORICON STYLE (2009年4月15日). 2014年7月23日閲覧。
  28. ^ 『紀香魂-ハッピー・スピリット-』44-45ページ
  29. ^ 『紀香魂-ハッピー・スピリット-』37-38ページ
  30. ^ 紀香&陣内わずか2年で“格差婚”別居状態 2009年3月19日 スポーツニッポン閲覧
  31. ^ もう別々の人生…紀香、陣内夫妻が離婚届提出 2009年3月23日 スポニチ閲覧
  32. ^ 「格差離婚」だったのか 陣内に「ご祝儀返して」”. JCASTテレビウォッチ (2013年5月30日). 2014年7月23日閲覧。
  33. ^ 陣内智則 コブクロにメッセージ”. 日刊スポーツ (2014年6月19日). 2014年7月23日閲覧。
  34. ^ さくまあきらホームページ:仕事人裏日記 2010年4月20日(火)より。
  35. ^ 週刊金曜日 2013年12月13日号『佃野デボラ 世界一下世話なラブレター』(44ページ)
  36. ^ 2014年3月19日放送『ナカイの窓』”. TVでた蔵 (2014年3月19日). 2014年7月23日閲覧。
  37. ^ http://www.kyoceradome-osaka.jp/use_guide/case/baseball/charge.html 京セラドーム大阪ホームページ「ドーム利用案内」活用事例:草野球

外部リンク[編集]