内村光良

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内村 光良
本名 内村 光良
ニックネーム ウッチャン、テル、チェン
生年月日 1964年7月22日(50歳)
出身地 日本の旗 日本 熊本県人吉市
血液型 AB型
身長 169cm
方言 共通語熊本弁
最終学歴 横浜放送映画専門学院
出身 お笑いスター誕生
コンビ名 ウッチャンナンチャン
相方 南原清隆
芸風 コント
立ち位置 右(ネタ)、左(司会)
事務所 マセキ芸能社
活動時期 1985年 -
同期 出川哲朗中山秀征
現在の代表番組 世界の果てまでイッテQ!
スクール革命!
内村さまぁ〜ず
そうだ旅(どっか)に行こう。
笑神様は突然に…
トリックハンター
痛快TV スカッとジャパン
LIFE!〜人生に捧げるコント〜 など
過去の代表番組 内村プロデュース
爆笑レッドシアター
THE THREE THEATER
ワールド☆レコーズ など
作品 映画ピーナッツ』『ボクたちの交換日記
他の活動 映画監督
配偶者 徳永有美
親族 内村宏幸(従兄)
公式サイト マセキ芸能社によるプロフィール

内村 光良(うちむら てるよし、1964年7月22日 - )は、日本お笑い芸人俳優司会者映画監督

熊本県人吉市出身。マセキ芸能社所属。

概要[編集]

お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」のひとりで、ボケとツッコミはケースバイケース。愛称は「ウッチャン」、「テル」。出川哲朗からはジャッキー・チェンに顔が似ているということから、専門学校生時代から「チェン」と呼ばれている。相方は「ナンチャン」こと南原清隆血液型はAB型。

お笑いタレントとして活動するかたわら、俳優としても活躍。さまざまなキャラクターを番組で演じ、ドラマや映画でもその才能を発揮している。

夫人は元テレビ朝日アナウンサー徳永有美。また、従兄放送作家内村宏幸がいる。

略歴[編集]

今のあさぎり町上に生まれ、あさぎり町立免田小学校に入学後、小学4年生の時に人吉市立西瀬小学校に転校。その後、人吉市人吉市立第二中学校熊本県立人吉高等学校卒業した。そのため、メディアでは幼少期を多く過ごした人吉市を出身としている。そのあと、映画監督を志し横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学(第9期生)。ここで南原清隆出川哲朗入江雅人らと出会う。

1985年、漫才の授業をきっかけに南原とコンビを結成。この時講師をしていた内海桂子好江の勧めで、お笑いコンビ『ウッチャンナンチャン』としてマセキ芸能社に所属。デビュー後間もなく『お笑いスター誕生!!』に出演。当時の内村は南原と顔が似ていると指摘され、区別のために伊達眼鏡をかけていた。

コントを主体とした芸風でテレビを中心に活動し、とんねるずダウンタウンらと共に「お笑い第三世代」代表の一角として日本のバラエティ界をリードした。その他の経歴はウッチャンナンチャンの項を参照のこと。

1999年8月31日、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ)の企画「ドーバー海峡横断部」で、ウド鈴木キャイ〜ン)・濱口優よゐこ)・堀部圭亮らと共に遠泳リレーでドーバー海峡の横断に成功した。

2005年3月25日、テレビアナウンサー徳永有美と結婚を発表し、記者会見を行う。会見で内村は「(妻は)侍のような…」と表現し、2人の関係を「運命共同体」と語った。同年4月23日に入籍。

2006年1月28日、自身が「究極の目標」と語る初監督映画『ピーナッツ』が公開された。

2009年6月11日、長女が誕生。

2013年3月23日、二度目の監督作品『ボクたちの交換日記』が公開された。

2013年12月6日、長男が誕生。

人物[編集]

身体的特徴[編集]

色白で鼻が大きく、度々相方や他の芸人のネタにされる。肌は幼い頃から白く、小学校の頃の担任に「お前色が白いから歌舞伎役者になったらどうだ」とアドバイスをもらったことがある(『笑う犬』の大喜利コーナーで「担任に言われた忘れられない一言」として挙げた)。また、その容姿から、有吉弘行には、『エリンギ』というあだ名を付けられた。

ジャッキー・チェンに似ていることから、ジャッキーに関する以下のエピソードがある。

  • 出川哲朗には専門学校時代以来「チェン」と呼ばれ続けている。
  • 内村自身もジャッキーのファンで時折ものまねをしたりしているが、これが縁でジャッキー・チェン本人とは番組などを通じていくどか共演しており、ジャッキー本人も似ていることを認めている。
  • ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』では、「ウッチー・チェン」として、デタラメな中国語(当時流行していたたまの『さよなら人類』を「豚キャベの煮込みはホイコーローだよ~」と歌うなど)と、内村のボディアクションが特徴であるコントを披露している。
  • ジャッキー主演の映画『ツイン・ドラゴン』は、雑誌広告でジャッキーが二役で双子を演じるポスターの片方を内村の顔写真に変え、「ジャッキーは、ウッチャンを見てこの映画を思いついた」というコピーを使用していた。
  • 以前ウッチャンナンチャンが司会を務めていた『炎のチャレンジャー』の企画「ジャッキー・チェンになれたら100万円」では、番組司会者ながらも自ら挑戦者として企画に挑戦した(結果は失敗し100万円獲得ならず)。
  • また、俳優の宮川一朗太に似ていると言われた事があり、『夢で逢えたら』では共演した。

三村マサカズさまぁ〜ず)によれば「ウッチャンのあそこはでっけぇ」らしい(しかし、本人及び南原はラジオ『ウンナンタイム』にてお互いに「爪楊枝程度の……」と否定している)。

  • 後述されるようにスポーツ万能であり、運動神経が良い。人吉高校時代に映画研究部を設立し、自主制作映画でジャッキー顔負けのアクションを演じたこともあり(内容は日本三大急流球磨川に架かる水の手橋の上からのダイブや、人吉城址で酔拳アクションなど)、その経験を活かしたキレのある動き、演技には定評がある。
  • 閉所恐怖症である。『内村プロデュース』の企画で着ぐるみを着た際には、その恐怖から長時間の着用ができず、頻繁に休憩を取っての収録となった[1]

趣味・嗜好[編集]

  • 高校では映画同好会とラグビー同好会に所属していた。
  • 故郷・熊本をこよなく愛し、以前はたまに地元テレビへの出演や地元新聞社への寄稿を行っていた。現在も人吉市限定情報誌『どぅぎゃん』に創刊号から毎年2回(1月号と7月号)寄稿している。
  • 監督を目指してきただけあって相当の映画マニア。特に、ブルース・リーやジャッキー・チェンなど香港スターによるアクション映画、『ロッキー』シリーズ、大林宣彦監督作品(特に尾道三部作)について、随所で熱く語っているのが見られる。ただし、『ロッキー』については作品ごとに温度差があり、ラジオ『ウンナンタイム』放送時に、『5』が最高傑作と言うディレクターとやりあったことがある[2]チャン・イーモウ監督の『初恋のきた道』を「人生で三本指に入る作品」と評価している。
    • 笑う犬』シリーズでの映画評論コント「ミル姉さん」でも映画への知識と情熱が遺憾なく発揮され、当時は雑誌連載のオファーが殺到した。しかし、当時山ほどレギュラーを抱えていた内村はミル姉さんの姿で「嬉しいけどこれだけで手一杯だから勘弁して…。」と呟いていた。
    • 燃えよドラゴン』は既に数え切れないほどの回数を観ているが、未だにテレビ放映されるとオンエアで観てしまう。リーのものまねも得意で、内村のものまねレパートリーの中でもトップレベルの激似ぶりである。『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』の映画パロディでは、「テルース・リー」として、『燃えよドラゴン』のパロディで『燃えてるドラゴン』、『ドラゴン怒りの鉄拳』のパロディで『ドラゴン怒りのせっけん』など、映画の予告編風のコントを披露していた。2008年頃から『イロモネア』や『THE THREE THEATER』等で、自己紹介の時に「燃えよドラゴン」での決めのポーズを使用するようになった。
  • 好きな食べ物はチャーハンカツカレー・豆ご飯。チャーハンには特に目がなく、番組でチャーハンが出てくると目を輝かせて喜ぶ。また、自分の作る料理の中で、唯一自画自賛できるメニューでもある(特に、周富徳から教わった鮭レタスチャーハン)。チャーハンが好きな理由として、「御飯と具、そして味の一体感とバランスが絶妙」と語る。またチャーハンと豆ご飯は自分にとってお袋の味とも、『世界の果てまでイッテQ!』で語っている。ただし、何でも美味しいと言ったり、微妙な味の違いがわからないことから、周囲から味オンチだと疑われている。
  • 好きな酒は焼酎。酒屋の息子であるものの20歳代の頃はほぼ酒が飲めず飲んでもビール1杯程度だったが、30歳代から徐々に飲めるようになる。インタビューで、『内村さまぁ〜ず』はさまぁ〜ずと定期的に飲みに行きたいからはじめた企画、と冗談交じりに語ったことがある。
  • 嫌いな食べものは故郷・熊本の名物「辛子蓮根」(『内村さまぁ〜ず』第30回より)。以前ある番組の企画で大量に食べさせられたからと本人は説明している。「嫌いではない」と口では言うが実際に食べると、番組が続けられないほどにテンションが落ちた。
  • 売れっ子にもかかわらず、暮らしぶりは非常に質素で物持ちがよい。特に、大の映画好きでありながら12インチという極小サイズのテレビを長年にわたって愛用していたことは有名で、さまぁ〜ずら後輩芸人からも「あれで映画を見てもわけがわからない」「(車酔いのように)酔って吐いた」と散々ネタにされていた。NO PLANのアルバムでは曲の中に引用され、後のNO PLANライブではそのテレビは壊れ、現在はプラズマテレビを使っていると歌中で語っている。
  • 好きなアーティストはサザンオールスターズ。そのこともあってか、『ウンナンの気分は上々。』でのライブ出演(1996年年越しライブ『牛』)の企画、『ウンナンのホントコ!』での曲の依頼、桑田佳祐の『白い恋人達プロモーションビデオや『桑田佳祐の音楽寅さん』出演など、たびたび共演の機会がある。
  • 飛行機が苦手で、搭乗時には必ず機長の名前を覚え、飛行中は常に窓の外を見て安全確認を行っている。その事から「自分は第三のパイロットである」と語った。
  • 銀河英雄伝説』の大ファン。2007年7月14日放送の『SmaSTATION!!』にゲスト出演した際に、「実写で演じてみたいキャラクターは誰?」という質問に対し、他の出演者が適当に答える中で一人はっきりと「ヤン・ウェンリー」と答えた。また、『ウリナリ!!』では『銀英伝』を元ネタにした『銀河放浪伝説』というコントを作り、「ラインテルト」というキャラを演じている。共演の東野幸治は「ヒガシノイス」と言うキャラであった。
  • 2008年には現在の近況として、気に入ったシリーズものの映画・ドラマ・アニメなどを、DVDを買ったり借りたりして纏めて見ていると、随所で語っていた。挙がった作品として、『男はつらいよ』・『池中玄太80キロ』・『相棒』・『新世紀エヴァンゲリオン』などがある。いつも流行した作品にブームから十何年遅れてハマるともコメントしている。
    • エヴァンゲリオンについては、俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャルで復活した『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』では、「熱心にエヴァについて語りたい。語れる仲間を探してる。」と発言(それに対して南原は、呆れ気味に、「(いまさらエヴァに熱く語れる)そんな奴いないよ」と返した)。
    • ウチムラセブン』でのフットボールアワーとのトークでは、「ヲタク」と言う言葉に「ヲタク?エヴァだよね?語りたいなーエヴァ!」と発言し、フットボールアワーにも「いまさら語りたくないですよ」と引かれていた。『内村さまぁ〜ず』内でも「カラオケでエヴァ歌いたい」と発言し、さまぁ〜ずからは理解を得られなかったものの、「エヴァ芸人」であるアンガールズ山根だけは理解を示してくれていた。
    • 南原の引っ越しを手伝いに行った際、部屋にあった漫画『炎の転校生』にはまって読みふけり一切手伝いをしなかった。
  • 志穂美悦子の大ファンでファンレターを送ったことがある。(『テレビ探偵団』にゲスト出演した際に語られたエピソードでは、ファンレターに使用していたボールペンまで同封して贈ったとのこと。番組内で志穂美本人の書面による返答を頂戴したところ、「(大量のファンレターにより)覚えてない」そうだった。)また、『笑う犬』の時に志穂美本人から手紙と本人の手による「ミル姉さん」の油絵が届き「芸能界にいて良かった」と絶叫したことがある。
  • 『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』で、好きなジャンルを南原にきかれ、「女教師モノです」と答えていた。
  • Perfumeを気に入っており、舞台『エルダーソルジャーズ』では、Perfumeのコスプレをして振り付けを披露。その直後に行われた『世界の果てまでイッテQ』の企画でも、富士山登頂した際にレギュラーメンバーからDVDやCDなどを差し入れされて、富士山で「ポリリズム」の振り付けを披露した。
  • 歴史好きでもあり、『内村さまぁ〜ず』では日露戦争三国志について熱く語ることがある。しかり大抵は歴史に興味のないさまぁ〜ずに適当にあしらわれている。
  • 『内村さまぁ〜ず』内で、若手芸人に「どんな後輩芸人が好きですか(どのような後輩芸人を好みますか)」と質問された際「さまぁ〜ずみたいな後輩」と即答した。
  • 連続テレビ小説』のファンである。

性格[編集]

  • コントや番組上の演出以外では悪口を言わない、めったに怒らないなど、極めて温和な性格である。
    • 番組内ではウド鈴木出川哲朗ふかわりょう堤下敦笑福亭鶴瓶狩野英孝といった面々には、番組中怒鳴り散らしたり冷たく当たったりする。特に鶴瓶が番組中で何度も股間を出した際には「あいつもう二度と(番組に)呼ばねぇよ」とまくし立てた。仲が良く、気心が知れているからこそできることである。『内村プロデュース』では、出川に「バラエティとはいえ冷たく当たって本当にすまない」と裏で平謝りされていたことを暴露されてしまった。また、NEWS手越祐也には対しては、共演している『世界の果てまでイッテQ』で手越が格好いい所を見せると嫉妬し、「カッコつけてんじゃね〜よ!」というのがお決まりになっている。
    • 事務所の後輩にはことのほか冷たいと、南原に指摘されている(『ウンナンタイム』での発言より)。しかしナイツのような例外もおり、一概にそうとは言えない。
    • 番組ですべった後輩に対し、収録後に怒ったりダメ出しをしないことから「優しさの鬼」といわれている。
    • ただウド鈴木に対しては、『ウリナリ!!』のポケットビスケッツの企画の際に、担当だったギターの練習を怠り、ほとんど弾けない状態でレコーディングに来た時と、『内村さまぁ〜ず』の企画で自身が所有する高級車をウドが運転する際、悪ふざけでドアを開けたまま発進しようとした時は、ごくまれに本気で叱り飛ばしている。さまぁ〜ずの大竹がウリナリのレギュラーを勝ち取った後に、男子シンクロのコーナーがあったのだが、各コンビが他番組の仕事で多忙だったため、練習が疎かになっていたメンバーもいた。ウド鈴木はまじめに取り組んでいたものの、全く出来なかったために内村が本気で激怒した場面を目撃したという。大竹曰く、「あれだけ怒った場面は見た事がなかった」と証言している。
  • 律儀な性格で、『笑う犬』が日曜8時に移行する際に内村は、日曜8時はかつては『ダウンタウンのごっつええ感じ』の枠であったため「それなら松ちゃんに許可をもらわなきゃ」とわざわざダウンタウン松本人志に連絡を取ったという。「そんなこといちいち俺に聞かなくてもいいのに」と思っていた松本は、「ウッチャンはいい子すぎる」と著書で内村を評している。また、毎年の正月には知人に電話で新年のあいさつをしているらしく、ダウンタウン松本がラジオ番組『放送室』で、自宅の留守電に内村から新年の挨拶のメッセージが残されていたエピソードを語っている。
  • ダウンタウンの松本人志と仲が良く、松本の結婚式には吉本興業の関係者以外は式場のホテルに入れなかったのだが、松本たっての希望で出席したほど。
  • また、社交的な性格の南原とは対照的に、極めて内向的な性格である。南原曰く、「後輩芸人の多くは(温厚そうなイメージのある)内村に最初に話しかけるものの、ほとんど喋らない性格であると気づくと、(社交的な性格である)自分のほうに寄ってくる」と発言している(1998年の『いろもん』特番より)。
  • プライベートでは、街中を歩いていても周囲にほとんど気付かれないという。
    • 『世界征服宣言』内の2shotトークにて「芸能人のオーラを自在に消すことができる」と発言(ここからオーラという言葉が広まったという説がある[要出典])。
    • まれに見つかることがあるが、その際に「ナンチャンだ!」と言われることについては不満の様子。
    • 最近では夫人と出歩くことが多いためか、以前よりも見つかりやすくなっている様子。
  • 優れた観察眼ゆえか、もしくは人一倍警戒心が強いのか、いわゆるドッキリには全くと言っていいほど引っかからない(いつもと違う点をすぐに察知する)。番組でドッキリ企画を行なった直後のラジオ番組『ウンナンタイム』では、「近頃家でも警戒していて落ち着けない」と語っていた。
  • 『笑う犬』を始めたきっかけは、志村けんに「コントを続けるべきである」と言われたことが大きく影響している。しかし、その後の対談で志村本人は、当時酔っていたため、その発言を覚えていないと明かした。
  • 年下の女性芸能人に対しては、名前にちゃん付けで呼ぶことが多い。
  • それらの性格の一方で自ら「人嫌い」と公言しており、特に自分が嫌う芸能人や子供が苦手である。
  • 運に弱く、あらゆる番組で行われた南原との対決企画では常に貧乏くじを引き続けた結果負けることが多い。
  • ダウンタウンの松本に色白で無口な事から「豆腐のようなヤツ」とあだ名されたこともある。

その他エピソード[編集]

  • 少年時代は「神童」と呼ばれていた。水泳では県大会8位入賞、ソフトボール部では市の大会で準優勝したほか、野球部と剣道部も掛け持ちしていたという。また美術の授業で描いた『水彩絵の具で描いた様な絵』がコンクールで入賞したこともある。大抵のことは器用にこなし小学校では児童会長、中学時代には生徒会長を務めた。また、その場で後方宙返りができ、お笑いスター誕生に挑戦した一週目で披露している。
  • 実家が酒屋であることから、学生時代にはよく配達の手伝いをしていた。そのおかげで身体と発声が自然と鍛えられたらしい。また、母の実家が焼酎の製造を行っており、そこでは自身の名を冠した焼酎が売られている。なお、内村の実家は1990年代に酒屋からコンビニに改装し、その後再び改装、現在は弁当店になっている。
  • 一方、小学生の時から橋幸夫の「潮来笠」の冒頭をひたすら練習するなどモノマネの習得には余念がなかったらしく、その時のテープが『ウンナンタイム』で本人により公開された。
  • 現在放送作家を務める、従兄の(内村)宏幸を「あんちゃん」と呼び、慕っている。専門学校進学のため上京する際には、当時大学生の彼を頼り、居候していたこともある。また、専門学校時代には南原や入江雅人らにいろいろと世話になっていたらしい。

芸風[編集]

憑依芸人[編集]

芸風としては、素のキャラクターよりも、あるキャラクターを演じきって笑いを取るタイプ(憑依芸人)で、素を前面に出す相方・南原とは対照的である。また、内村が司会を務めるバラエティ番組でも、「内村光良というキャラクター」を演じているようであり、これはお笑い以外での単独の仕事が、南原が司会・トークなどがメインなのに対し、内村は俳優としての仕事が多いことからも見てとれる。

しかし俳優デビュー当時はシリアスな演技が非常に恥ずかしく、実際の演技は酷いものだったと内村本人は語っている。『さまぁ〜ずの逆にアレだろ』の番組内で「(コントなどのように)何か1つでも顔に書けばホッとしていた」と語っていたように、コントでキャラクターになりきることはできても、素顔での演技に慣れはじめたのは30歳を過ぎてからだったという。

ダウンタウンの松本は内村を、「憑依芸人としてのキャラクターの引き出しが非常に多く、自分の場合はそれぞれが自然に5、6パターン程に集約されていく(系統の似たキャラは無意識で同じようなものになってしまう)が、ウッチャンは全て確立出来ている」と評する。本人曰く、日常生活の中で起きた様々なトラブルで傷つき、そこから生じたストレスによって発生した人格については、精神の奥底に埋葬した様々なキャラクターから一人を呼び出し自身に憑依させることでその場を乗り切り、キャラを演じる時はそのキャラのホロ酔い状態から入ることが多いと語っている。

芸に対する姿勢[編集]

放送作家高須光聖は「コントに懸ける姿勢が真剣な芸人を思案する際に、(自分が長い間一緒に仕事をしている)ダウンタウン松本人志よりも先に浮かんだのが、唯一内村であった」と述べている。また、お笑い第三世代によるコント番組ブームが1990年代後期に終息した後も、内村は『笑う犬』(フジテレビ)、『爆笑レッドシアター』(フジテレビ)などのコント番組を手がけ、また『笑う犬』の特別番組や『内村コメディーハウス』(TBS)、『LIFE!』(NHK)など不定期にコント番組を放送するなど、「スタジオコント(スタジオにセットを組んで撮影するコント)」にこだわっている。高須光聖は、「ダウンタウンの松本人志はテレビでコントをすることを諦めた。だけど内村はいまだにコントに挑戦している。」と芸に対する姿勢を評している。

内村自身はスタジオコントについて「得意分野なので続けていきたい」「スタジオコントが一番好きなのかなと。『夢で逢えたら』とかあの空間が好きでしたね。お客さんがいなくて、スタッフの笑いを頼りにして。毎回やるたびに『俺、好きだわ』と思う」と語っている[3]

また、個人でのネタ披露も度々行っており、2006年には『スティング松岡 危機一髪!』(フジテレビ系列)内で使用する漫談のネタを試すため、所属事務所の若手芸人ライブに紛れ込んで出演した。また、2008年には自身が司会を務める『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(TBS)内のコーナー「ゴールドラッシュ」において、ピン芸人「ザ・テルヨシ」(内村とは別人という設定)として漫談を行い、見事3週勝ち抜いて本選出場権を獲得、同年秋の本戦に出場したが、ファイナルチャレンジ(残り1人)で敗退した。その後、同番組の2009年春と2010年正月のスペシャルでは、ウド鈴木(ザ・ウド)と共にコンビ「ザ・テルヨシ&ウド」として出場するが、2回ともファイナルチャレンジ(残り1人)で敗退となった。しかし、2010年末のスペシャルでは本名で三村マサカズと共にコンビ「三内芸」として出場し、見事100万円を獲得した。

アクション[編集]

持ち前の運動神経の良さで、出演したコントでは時折難度の高いアクションを演じるほか、ドラマや映画に出演した際はスタントなしでアクションシーンを演じている。

しかし、老化による体力の低下は大きいらしく、『世界の果てまでイッテQ!』において行われる「祭りシリーズ」では、宮川大輔手越祐也の足を引っ張ることが多くある。「世界で一番盛り上がるのは何祭り?SP〜丸太祭り 」では、練習では一度も丸太渡りが成功しなかったため、お祭り男からの引退を考えていた。しかし、本番では予選・準決勝と丸太渡りを成功させ、チームの優勝に貢献し引退を撤回した。

  • ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』でジャッキー・チェンの映画のパロディを行い、『プロジェクトA』の時計塔からの転落など危険なシーンをスタントなしで再現した。
  • ウンナン世界征服宣言』では「ギターを持って歌いながら(つまりは両手が塞がった状態で)、スキーゲレンデを滑り降りる」コントを披露した。
  • 映画『七人のおたく』では、スタントなしで乱闘シーンを撮影し、壁を蹴って宙返りするなどのアクションを見せた。
  • ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』の「役者バカデニーロさん」コーナーにて、露鳩出似郎(ろばとでにろう)というロバート・デ・ニーロに似たキャラになって、階段落ちの練習を行ったのち見事に成功させている。
  • ドラマ『ぼくが地球を救う』では、毎回さまざまなパターンの「階段落ち」を披露。一歩間違えれば大怪我をするエスカレーターでの階段落ちも行った。
  • ウリナリ!!』で行ったミュージカル『ナトゥ』では、舞台演劇史上最大級の大階段落ちに挑戦し、見事に成功させた。
  • コント「こける男」シリーズでは、つまづく・ぶつかる・滑る・転がる・飛ぶなど大小織り交ぜたあらゆる「こけ芸」を披露。セットを破壊しながら延々とこけ倒すのみの内容であったが、身体能力の高さを生かしたあまりに見事なこけっぷりと「痛い」リアクションに笑いとしての説得力があり、一部ではボディパフォーマンスの一種の完成型として評価する声もあった。
  • テレビ朝日制作のドラマ「恋人はスナイパー」では共演の水野美紀倉田プロモーションでアクションを本格的に学んでいる)とアクションシーンを数多く演じている。※ワイヤーアクション等もこなしている。[4]
  • 2003年『第40回新春かくし芸大会』では、「THE DRUNKEN MAN〜果てしなき家路」という演目を一人で披露。酔っ払った男が家に帰るまでにさまざまなハプニングに見舞われるというもので、ノーカットの通し撮りで体を張ったアクションを多くこなした。その際に本番中にポールに腹部を強打し肋骨にヒビが入るというアクシデントに見舞われながらも、スタッフに気づかれることなく最後まで演じきり、撮影後のスタッフを驚かせた。
  • 『内村プロデュース』の中でもその身体能力が何度も発揮されている。
    • 「内村vsふかわ5番勝負」の際には、当時35歳という年齢、かつスーツを着たままという格好にも関わらず50mを6秒8で走った(ふかわが6秒6台の好タイムを出したため、勝負には敗れる)。
    • レガッタをプロデュース」(36歳当時)の際には、背筋力200kgを計測した。
    • 劇団プロデョーヌの「真夏の世の夢」の公演(37歳当時)では、舞台上でバク宙を披露した。
  • 自身が監督を行っている映画『ピーナッツ』では、スタントマンCG合成などの技術は一切使わず、バク転や宙返りをしながらボールをキャッチするというしなやかな動きを行っている。
  • ドラマ『西遊記』の沙悟浄役では、非常に使うのが難しい古武術武具、(サイ)を使って巧みなバトルシーンを演じている。劇中宙返りもたびたび披露している。

但し、40歳を超えてから体の衰えが急激にきており、バック転はできるものの宙返りは危険を伴うので近年は行っていない。また、イッテQや内さまではちょっとした運動で息切れを起こしたり、腰を痛めたり、ちょっとした段差でもこける事が多くなった。更には激しい運動をする際には怪我をする事も多く、土田と共にストレッチしていると、腹を捻ってしまい途中で中断するハプニングや、バナナマンとフラフープで輪くぐりをした時には、半強制的にやらされ続けた結果左手を負傷し、半年以上痛みが残る結果となった。ちなみに内さまで体を張る時は必ず「リアル沙悟浄」や「ドジ男」と馬鹿にされている。

音楽[編集]

  • 夢で逢えたら』の出演者でバンド演奏を行うバッハスタジオIIのコーナーでドラムスを担当した。上達が早くゲストのバンドメンバーに誉められることも多かった。これ以降、番組内でバンド演奏をやるような場合はドラムスを担当することが多い。
  • 番組の企画でCDをリリースすることが多い。このため、全く音楽を勉強していなかったにもかかわらず、無理をしてピアノなど練習して少し弾けるようになった。内村が参加した楽曲は不思議と大ヒットを飛ばすことが多く、「あげちん男」と呼ばれている。

その他[編集]

  • 劇団SHA・LA・LAの公演や内村プロデュースなどにおいて、舞台演劇の脚本や演出を手がける。

代表的なコントキャラクター[編集]

『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』のキャラクター[編集]

満腹ふとる
正しくまん丸な体型で、常に何か食べている。歩く時にドスコイということが多いが、動くことが難儀なので発している様子。「ブヒ…ブヒ…」と豚のような鳴き声を発し、癒し系キャラクターのような見た目に反して慇懃無礼で、小馬鹿にするような言動で相手の逆上を何度も招く。資産家の家庭に生まれた拝金主義者で、何でも金で解決しようとしクラスの担任までも買収しようとしていた。元ネタは、『誰かがやらねば』の「トラブルコップ」で内村が演じた「まんぷく刑事」「食いしん坊刑事」「食べ過ぎ刑事」。全員同じ風貌で、ハンバーガーが好物(撃たれたあと、「これじゃあもう食べれない~」と叫ぶのが恒例)。
見た目に反して、自身をデブだとバカにした者には辛辣に厳しく、「デブっていうなー」と外見からは想像もつかぬ凄まじいスピードのカンフーアクションで相手を撃退する。苗字が違うが木村太郎の息子という設定。
九州男児
登場時はシコ座りの姿勢を維持したまま、すり足移動で「どっすんどっすん。どっすんどっすん」と言いながら、歩行する。そのノリで物や女性をそ知らぬ顔で持ち去ることで知られる。唐草模様の風呂敷に包まれた荷物を背負い、熊本弁を喋る青年。元は、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』の「トラブルコップ」で内村が演じた「桜島土漢」「阿蘇山燃太郎」「博多どんたく」といった九州の地名を元にした刑事たち(ちなみに、共演者の原田知世長崎県出身であるため、彼らが殉職するとお国言葉で哀悼を示していた)。
後に番組中の、『知ってるつもり?!』をモチーフにしたミニ番組で、死んだものとして人生を特集されていた。司会は関口宏風の内村が演じた。また、内村プロデュースの「笑わせ王決定戦」において、即席の九州男児が復活した。
マモー
やるならやらねばのコーナー「ナン魔くん」に登場した敵。ナン魔とメフィスト名古屋章)がいろいろな格好に扮して旅をしているのだが、その敵として、元ペンキ塗りの少女である、手下の「ミモー」(ちはる)と共に登場。元ネタは、アニメルパン三世の劇場映画第一作『ルパン三世 ルパンVS複製人間』に登場するマモーである。実は、ナン魔くんの父親(『スター・ウォーズ』シリーズのパロディ)。
「ちがーう!」のツッコミは、尻を後ろに出し、一の字を書くように右から左に両手を動かす。「世界を恐怖のズンドコに…ちがーう!!恐怖のどん底に陥れるのだ」(他に、「お裁き」を「おにぎり」、「こてんぱん」を「フライパン」、「エイリアン」が「ボヘミアン」など)といったやり取りは、ナン魔くんから「妖怪漫才」と称された。
またこのコントの途中でミモーとの掛け合いが定番となっており、まだお笑いとしては素人だったちはるが、無茶にボケると「ちがーう!」という叫び声と共にゆっくりとつっこむスタイルを確立。これが大人気となった。また、「マモーミモー 野望のテーマ」を発売し大ヒットを記録させた。
ドンナトキモ槇原
槇原敬之を模したキャラクター。当時番組内では、「パロディドラマ」が大人気であり、そのパロディ精神を代表するキャラクターといえる。槇原の歯並び・鼻の穴・口の大きさ・たれ目(たれ眉)を過剰なメイクで忠実(?)に再現している。
このキャラクターは当時の槇原の大ヒット曲となった「どんなときも。」が気になっていた内村が、とある場所で槇原の顔を見て、「凄い面白い顔だ」と絶賛した。このコント自体は、南原とちはる神田利則がちゃんとした寸劇をした後に、ちはるが「どんなときも…」と呟いた瞬間、キーボードと共にマキハラが登場する。その際は「どんなときも。」が掛かり、そのまま適当な演奏をする。おだてられるとものすごく嬉しがる。
命 影郎
「トラブルコップ」に登場したキャラクター。かなり身体が弱く、殉職よりも病死のほうが自然だったが結局、犯人に狙撃されて死ぬ。咳込んだあと、手を見て「ヒィー」と叫ぶのがお約束。
また、妹には命わずかという25年間、男性と付き合ったことのない女性刑事が登場する。しかし彼女は兄の死因は仲間であるブルさん(南原)にあると考え、責め立てては犯人に狙撃されて死ぬ。そして2人の弟に、命無蔵(ないぞう)という刑事も登場する。ちなみに彼の場合は兄や姉の死を無駄にしないために自分がしっかりしようとする努力家だったが、最も体が弱く、既に寿命の蝋燭の火が消えかかっており、咳き込んだ勢いでその火を消す形で自らの命を絶ってしまった。
また、このキャラクターは、「トラブルコップ」以外のコントにも登場している。
そして番組がDVD化になった時は命影郎のお守りが付いている。(初回限定のみ)

『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』のキャラクター[編集]

ホワイティ
いわゆる、おかまである。金髪でほおは赤く、細いチョビ髭を生やしている。エルヴィス・プレスリー風の白いウェスタンファッションの服を着、服・肌・サングラス全て名前の通りホワイト・白である。常に花束を持っている。12月25日生まれでアメリカ合衆国シカゴ州出身の日本人、昔はアイスホッケー選手であった(という設定)。本名は田中実(たなかみのる)であり、この名前で呼ばれると怒る。
ランキングキャラクターライブ」で一人漫談を行っている。漫談の最中に「…まるで肌と肌とのぶつかり合い!!ンンッンー...ンンッンー…」と興奮し声を上げながら腰を振るアクションをするが、すぐにスポットライトフェードアウトされてしまい慌てて謝るのがお約束だった。漫談の終了時に締めで「see you…(じゃあね)」と囁き、雰囲気を残して去る。
基本的には「ランキングキャラクターライブ」のキャラクターであったが、初登場は1996年放送の「芸能人アイスホッケー部」であり、ホワイティの出たコーナーはすぐ終わるという異名をつけられた。
キャラ投票で必ず1位になり、後にキャラクター界最強のオカマの称号を得る。
ポケビブラビスペシャルバンドとして出場した年末の『紅白歌合戦』には演奏の最後で登場(テルが途中で消え、奈落からホワイティが飛び上がってくる)。その様子を見た中居正広は「やるなぁ、ホワイティ。」と称した。応援合戦にも登場し、いいところを持っていった南原とウドに突っ込みを入れた。
「ランキングキャラクターライブ」でのあまりの好評さから、単独ライブも1997年12月(日本武道館、前座をポケビ・ブラビが担当)、2002年3月(東京国際フォーラム、ウリナリ!!最終回・ウリナリ祭り内)の計2回行われた。しかし、どちらもコーナー前に、内村はポケビのテルも担当していることから、事実上2役となり、相当つかれながらやっていたが、うまく乗り越えた(どちらでもホワイティ(内村)は「なんだかなぜか疲れてるのよねぇ」とネタにしていたほどの余裕だった)。
反町隆史が好み(1997年12月当時)。大リーガー、マーク・マグワイアに好意を持っていたこともある。
2010年1月に放送された『笑う犬2010寿』(フジテレビ)に他局ながら出演した。他局で出演していたことに気づくと、叫び声を上げながら終了した。
TERU(内村テル)
ポケットビスケッツのメンバー。語尾に「ダニ」とつけるのが特徴。70歳代という設定。元は、McKeeのメンバー選出のために使われていた居酒屋の店長で、選考に漏れた千秋を誘い、「第二のマモー・ミモー作ってやるダニ!」という一言を残し去っていったのがきっかけでポケビが誕生した。
メンバー内で衝突すると、すぐに「解散だー!」と怒鳴る。グループとして活動していないときは、喫茶店「ポケビ」のマスターとして、曲にちなんだ飲み物を提供している(Red Angelタバスコ入り、GREEN MAN青汁といった具合)。『POWER』をライブで歌うときは、白髪のカツラが落ちるほど激しく動くのがお約束である。
辞めんなマン
ランキングキャラクターライブ」に登場。オレンジ色の全身タイツにヘルメット、マントとスカートを身に付けた風貌。モテないブラザーズ企画のピアノ練習で挫折しかけていた勝俣を内村が「辞めんな!」と励ました場面を元に、当時内村がウリナリ!!レギュラーを追放され補欠となっていた中で誕生したキャラクターである。初登場時は「補欠内村とよく似た人物が登場していますが本人は否定。また同一人物である証拠がつかめませんでした。よって放送することにいたしました。」とのテロップが流れた。
基本的にはラジカセを流しながら(変な乗り物に乗って出てくることもある)登場し、何かをやめようとしている人物に「辞めんな!!」と言う。ラジカセを与えたり、ラジカセの音楽に合わせて踊ったり、「海見に行こう。」などと言って励まそうとする。内村本人も思い入れのあったキャラクターのようで、「ランキングキャラクターライブ」でホワイティと対戦となった際は絶句していた。千秋に電気アンマをしたことがある。登場テーマ曲はザ・ジャガーズのデビュー曲「君に会いたい
アンソニー
「ランキングキャラクターライブ」内コント「王子さまお姫さま」に登場。お姫さまであるイライザを演じる千秋との息のあったやりとりが人気を博した。
ホワイティと一人二役を演じたこともある(壁を一枚隔てて右を向くとホワイティ、左を向くとアンソニー)。
ブラボー内村
南米出身。主にビビアン・スーとペアを組んで「芸能人社交ダンス部」に参加していた。他にもケディジニー・リーらともペアを組んだ。「南米にはこういうがあります!」といって、部員を励ますのが持ちネタ。ダンス部では、ブラボー内村から派生するようにスーパーブラボー内村・バロン内村・ベンチャー内村なども登場した。
バロン内村
「ランキングキャラクターライブ」に登場。名前の通り男爵っぽい格好をしている。コント内容はホワイトボードを使った言葉遊びである。「なのね」という口調が特徴で、病弱。ブラボー内村の代わりに数回、「芸能人社交ダンス部」にも参加している。「あのね、埼玉あたりで受けたんだけどね」など手品を披露し、某手品師のキャラクターを真似ていると思われる。『ウリナリ!!』では最終編で千秋演じる婚約者と感動の再会後、イギリスへ帰っていった。

『笑う犬』のキャラクター[編集]

ミル姉さん
「乳」の墨筆画をバックにムーディーなBGMと共に煙草をくわえながらアンニュイ桃井かおり風のしゃべり方をする、巨乳の雌牛という設定。音楽のDJの後、映画解説を行う(映画好きの内村の意向が反映されたものと思われる)。コントの最終回で共演した桃井からも「似てるわ〜」と賞賛された(くわえている煙草も桃井が愛用しているものと同じにするという徹底ぶりだった)。またキャラ設定に学生時代に見た映画に主演していた桃井のイメージを使用したことを番組中に桃井の前で自白。
『笑う犬』終了後は演じられることはなかったが、2008年には、『初詣!爆笑ヒットパレード』・『爆笑レッドカーペット3時間スペシャル』・『笑う犬2008秋』で、立て続けに出演した。現在の着ぐるみは二代目で、以前のものは既に処分されている。『初詣!爆笑ヒットパレード』で着用した新しい着ぐるみは、乳が以前より大きく作られ、足を組もうとすると乳が当たり、組む事が出来なくなってしまった。またタレント深田恭子自身が熱心なミル姉ファンだと番組で自ら告白している。
大嵐浩太郎
大物時代劇俳優をマネて茶化したキャラクター。時代劇を中心に活動する大御所で、格としては最上級で大物風を吹かせており、常にマネジャー兼夫人と大所帯のスタッフを引き連れている。
芸風を広げるためとしてミュージカルやドラマなどに出演しようとするが、この方がいいんじゃないかと発するその一言通りに演出や脚本が一変され、(時代劇の殺陣風の)自己中心に自分だけの世界へと染め上げてしまう。その理不尽さに振り回される他の出演者との対比が、コントの特徴である。
あまりの自己中心の振る舞いに共演してくれる役者がいなくなり、主役や脇役だけでなく町娘や死体まで自分という『独り忠臣蔵』や『独り水戸黄門』を演じることに。
歌を歌うが音痴で、途中から口パクになることも多々。「まいていこう」(TV業界用語で「収録を素早くしよう」)と書かれた扇子を常に持ち歩いているが、その妨害となっているのは自分自身というオチ。
モデルの俳優と同じく、一人娘が外国人と結婚してしまったという設定。モデルにしている大御所俳優から怒られるのでは?とコント中にも、笑いながらこぼしていた。
小須田部長
黄色い耳当てをつけている中年サラリーマン。北海道豪雪地帯ニューヨークスラム、犯罪多発地帯や東南アジアの未開部族社会など様々な僻地に転任させられ、地球的規模で飛ばされまわっている。その度ごとに現地の習慣風俗を受け入れ、会社への哀しき忠誠心で苦難を乗り越えて行く。転任するごとに役職名が変化し最後に地球の危機を救うために命を捧げた。フジテレビ某プロデューサーがモデル。
てる
コント「てるとたいぞう」の主人公。元は刑事だが、同僚の刑事たいぞう(原田泰造)と捜査を共にする内にホモであることを自覚し、犯人捜査の途中の事故によるたいぞうの殉職(死亡)以降、たいぞうの弟である後任の刑事たいしろうとも殉職で死別[5]。刑事を辞め、その後もたいぞうそっくりのキャラクターに出会い続け、波乱流転の人生を歩むという不運なキャラクター。
たいぞう、たいぞうの弟たいしろう、たいぞうの叔父たいのしん、地方の漁師たいきち(全て原田泰造)など、たいぞうそっくりの人物に必ず出くわす。境遇も刑事を辞めた後、地方に隠遁生活し、和服姿のゲイバーのママ(名倉潤)との同棲生活では、無精ヒゲを生やし人生に疲れ切っている。ママ(名倉)の殺傷事件の責任の肩代わりをし、電車で逃亡後、地方の漁港の漁師に落ち着く。息をつく暇もなく、てるの人生を巡ってしつこく纏わり付くたいぞうのキャラクターが特徴。
葉山先輩
「一度きりの夏、21の夏。」を大事にしている28歳。長髪に髭を生やし、煙草を吸う姿はどう見ても恋愛巧者だが、実は童貞。後日談のコント「葉山先輩は今」では、48歳でも全く変わらない姿で登場した。
マサシゲ
誰にでもベラベラ話しかけるいわゆる今時の若者。出っ歯。最近すごく好きだった彼女にふられたらしい。市役所や病院でそうとうけむたがれている。
ハンサム侍
『笑う犬』のコントで配役を決めるアンケートをとった際、「奈良の竪琴」の水島以来2度目の◎をつけたキャラクターだったらしい。タイトルにはいつも「これは内村光良が気持ちよくなるための物語である。」と表記されていた。
水野講師
コント「ドッグ電器」で新入社員を鬼のように鍛える講師。後に支店長に就任する。生徒にあだ名をつけ、特に南原に対しては、「でこぼこ」「ゴルフボール」「クレーター野郎」「からあげクン」「バレンシアオレンジ」など言いたい放題であった。これはアドリブであったようで、南原はかなり動揺していた。石田(原田泰造)に贔屓をするホモ。元ネタは『フルメタル・ジャケット』と『戦場のメリークリスマス』。
玉木しげる
コント「10円」に登場。玉川上水で入水自殺未遂後、新宿でホストを経験、貢いでいた女性に子供をはらませ、逃げるように北海道へ移住した。現在TTI通信という金融会社に勤務。行く先々で兄弟や親、太宰治に間違えられるが、本人もまんざらではない態度をとる。驚くと「まじで」や「まさか」などを言おうとするも、口は動くが声は出なくなる。このコントの中では、なぜか内村はセリフを間違えることが多かった。
ミスターアンニュイ
渡部篤郎の特徴的な演技をパロディー化したキャラクター。いろいろなシチュエーションで登場するもボソボソと聞き取りにくい声でしゃべるため、共演の名倉潤から「なに言うてんのかわからへん!!」と毎回つっこまれる。

『夢で逢えたら』のキャラクター[編集]

ムラさん
本名、村三吉。初老の男で、慇懃な態度だがずるがしこく金に汚い。自称労務者。ピストルなど武器を持てば、武器で脅しその小さな仲間内で必ず主導権を得ようとする権力欲の塊。たいてい最後にはひどい目に合わされる。ちなみに先祖の村二吉役で内村宏幸が登場している。

『THE THREE THEATER』『爆笑レッドシアター』のキャラクター[編集]

  • コントのキャラクター
ナカムラ
THE THREE THEATERのユニットコント「ビジュアル系バンド@レストラン」に出てくるキャラクター)。シュウヘイ(我が家・坪倉)、アキラ(ジャルジャル・福徳)、ユージ(ジャルジャル・後藤)、タク(しずる・村上)とともにバンドを組んでいるが一人だけ浮いている。浮いている理由として、年がみんなよりも20歳ほど上である。それにみんなの名前は下の名前なのに一人だけ苗字のナカムラであること。そして担当楽器がサイドギターであることが挙げられる。髪型が特徴的でスザンヌに「あのカツラどこにあったんですか?」と聞かれると、「楽屋に入ったら置いてあった。」と答えた。
ハワイ詩人
コント「路上詩人@ハワイ」に登場。路上詩人として演じているロッチ・中岡の父親役として登場。最後の部分だけ息がぴったり、笑ってしまうほど怒られたなどが理由で、中岡の弟役のロッチ・コカドに中岡とともにツッコまれる。
ミルフィーユ
ユニットコント『劇団ジョセフィーヌ』のはんにゃ・金田が演じるジョセフィーヌのライバルとして登場した。ジョセフィーヌが関西弁でしゃべるのに対し、ミルフィーユは博多弁でしゃべる。『イケメン部』か『劇団ジョセフィーヌ』のどちらかに出て下さいとスタッフからオファーがあり、『イケメン部』は事務所の後輩の狩野英孝がいるためか「ケガをするから嫌だ!」と断ったので、『劇団ジョセフィーヌ』に参加することになったと本人はコメントしている。衣装も何パターンか考えていてすごく迷ったとのこと(その様子をフルーツポンチ・亘が目撃していた)。内村のスイーツのイメージは「ショートケーキ」で止まっており、「ミルフィーユ」がイメージ出来なかったため、ショートケーキから連想されるイチゴの飾りを付けていた。
小柳
ネコ耳の被り物を着けた、謎のおじさん。ユニットコント「悪魔と天使と小柳」シリーズ[6]に登場する。「悪魔と天使と小柳@グラウンド」[7]で初登場。
天使と悪魔で十分なのに、なぜ彼が入っているのかと言うと「ニーズに合わせて選択肢が多いほうが良い」という理由で入れた。一番年上なので、三人組のリーダーである。
内村本人いわく「福徳のツッコミを受けることができて嬉しかった。」「ああいう(台本にはないアドリブが出来る)のが大好き。」とコメントしている。
タイムトラベラー サネアツ
戦国時代から現代にタイムトラベルして来た武士。秀吉の首を狙っている。戦国時代の人間であるため、現代のことについては勿論知らない(コントの舞台であるファーストフード店や「空気を読む」と言う言葉を知らない)。最後に柳原演じる客の女子に恋をする。本人いわく着替えに20分かかるため大変だったとコメントしている。
  • コーナーのキャラクター
出前の人
『THE THREE THEATER』のキャラクター。弁当やそばを出前するが自己中心的な理由で出演者が頼んだものと違うものを持ってくる。そのため色々注意されてしまうが、最後には出演者に説教をする。例えば、しずる・池田には「困ったときに顔で落とすのはやめなさい」やフルーツポンチ・亘には「祟るぞ」と言った。
テレ朝の人間
『THE THREE THEATER』のキャラクター。出演者の控え室に入っては出演者のことを持ち上げているが、実はテレビ朝日のスパイである。例えば、我が家に対しては「面白い。『言わせねーよ。』って今日やるの?期待してるから。」、しずるに対しては「フジテレビから出すなって周りが言ってたよ。」、柳原可奈子には「人間観察の女王」、狩野英孝には「マセキの一番星!もう出川抜いてるよ。」、ロッチに対しては最初は知らんぷりしたが、後に「こないだはゴメン。忘れてた。」と最初は謝り、「最近、急成長してるよね。みんながやってるよ。『UFOどこ』って。」と褒め言葉を言う。そして出演者が全員そろった時は「上に行くんだってね。もう元祖爆笑王が言いまくってたよ。」とみんなに言った。最後に、元祖爆笑王が唯一の親友であることを明かした。
マネージャー
『THE THREE THEATER』のキャラクター。大変頼りないためいつも出演者に迷惑ばかりかけているマネージャー。例えば、はんにゃ・金田に明日のスケジュールが「入浴」と言ったが、実は「ニューヨーク」だったと謝る、フルーツポンチ・村上にドラマの主演のオファーが来るも、「お笑いに集中させたい。」ということが理由で断る、ジャルジャルにバラエティ番組のメインとして出演してほしいとオファーが来るも、まだ先の話なので「また今度電話をかけます。」と折角の東京進出のチャンスなのに断る、などがある。
フリーライター
『THE THREE THEATER』のキャラクター。出演者の取材をするも、出演者のネタを見たことがない、出演者のグループ名は知っているが個人名は知らないなど色々な意味で困らせている。我が家の場合は「三人の名前の最初の文字をとって名づけたのですか?」と質問したり、はんにゃ・フルーツポンチの取材では金田と村上の写真撮影はするもそれぞれの相方である川島・亘の写真は撮影しない、狩野英孝に対しては一切取材をしないなどの対応を取っている。
キリハラミナコ(実際どう漢字を書くのかはわからない)
『THE THREE THEATER』のキャラクター。ドラマのプロデューサーで、柳原可奈子はんにゃ金田哲がお気に入り。しかし、柳原のネタは見たことがあまりない。
店主
最後の「赤劇場」のコーナーで登場。レギュラー芸人の悩みを聞いてくれる。しかしたまに、悩みを打ち明ける側に説教をすることがある。
杉下ウッ京
相棒』に登場する杉下右京のパロディキャラ。被害者柳原の証言を元に、亀山役の坪倉とともに、4人の容疑者の中から犯人を当てる。犯人はモノボケをして一番面白くなかった者が連行される。内村は杉下右京の特徴的な言動や行動を細かく真似ているが、坪倉は特に真似るような事は行っておらず、亀山が着ているのと似たジャケットを着ているのみ。2009年12月16日放送から、坪倉に代わり福徳が神戸役として、ともに解決している。福徳も坪倉と同じように特に真似るようなことはしておらず、神戸が着ているのと似た衣装を着ているのみである。

音楽活動[編集]

番組の企画でCDをいくつか発売している。

映画製作[編集]

若い頃から映画マニアであり映画監督を目指していたが、自ら脚本を書き下ろした『ピーナッツ』でついに映画監督デビューとなった。

出演番組[編集]

以下はすべて内村単独出演のもの。コンビとしての出演番組はウッチャンナンチャンの記事を参照。

バラエティ[編集]

スペシャル番組[編集]

過去の主な出演番組(バラエティ)[編集]

コンビでの出演はウッチャンナンチャンの項目を参照。特記の無いものはレギュラー(メイン)出演。

テレビドラマ[編集]

出演映画[編集]

吹き替え[編集]

舞台[編集]

小説[編集]

PV[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2004年10月20日放送 『内村プロデュース 秋のお笑い収穫祭』
  2. ^ ただ、この『ウンナンタイム』のディレクターと内村とは元々相性が良くなく、そんな中での『ロッキー5』礼賛だったのが真相。また、他の映画の相性についても好みが全く合わないことも番組内で随時明らかにされ、番組終盤にはディレクターを『ロッキー5世代』と侮蔑的に呼んでいた。
  3. ^ 秘話満載の「LIFE!」会見、内村が語るスタジオコント愛』お笑いナタリー、2012年8月17日更新
  4. ^ テレビ朝日『恋人はスナイパー』2001年10月11日放送、2002年12月24日放送及び『恋人はスナイパー 劇場版』2004年4月17日公開
  5. ^ しかし2008年に放送された「笑う犬」スペシャルにて再会する。実は中国マフィアの捜査の為の偽装だった。
  6. ^ ジャルジャル・福徳が演じる何かに困っている人が、悪魔:はんにゃ・金田による悪意的行動、天使:フルーツポンチ・村上による善意的な行動、内村扮する小柳による意味の分からない行動の中から、選択を迫られるところから始まるコント。
  7. ^ 学生(ジャルジャル・福徳)が財布を拾うが、この後どうすれば良いか迷っている。そこに、悪魔(はんにゃ・金田)が「盗ってしまえ」とネコババすることを促すが、天使(フルーツポンチ・村上)が「届けなきゃだめ」と交番に届けることを促す。その後、内村扮する小柳が現れ「その財布を私に預けなさい」と言う。そこからだんだん悪魔・天使・小柳の三人により話が最初とは無関係な方向に行ってしまう。
  8. ^ 紀伊國屋サザンシアターにおいて2011年3月16日 - 3月21日に公演予定であったが、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響で公演中止となったため、振替公演として行われた。

外部リンク[編集]