琴欧洲勝紀

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基礎情報
四股名 琴欧洲 勝紀
本名 カロヤン・ステファノフ・マハリャノフ
Калоян Стефанов Махлянов
愛称 カロヤン
生年月日 1983年2月19日(30歳)
出身 ブルガリア共和国ヴェリコ・タルノヴォ州ヴェリコ・タルノヴォ市
身長 202cm
体重 157kg
BMI 37.98
所属部屋 佐渡ヶ嶽部屋
得意技 右四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付 西大関
最高位 大関
生涯戦歴 506勝301敗44休(62場所)
幕内戦歴 435勝286敗44休(51場所)
優勝 幕内最高優勝1回
十両優勝1回
幕下優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞2回
敢闘賞3回
データ
初土俵 2002年11月場所
入幕 2004年9月場所
趣味 ゴルフ
備考
ヨーロッパ出身力士初の大関
アマチュアレスリング欧州ジュニア王者。
2013年3月17日現在

琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう かつのり、1983年2月19日 - )は、ブルガリア共和国ヴェリコ・タルノヴォ州ヴェリコ・タルノヴォ市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフブルガリア語Калоян Стефанов Махляновラテン文字転写例:Kalojan Stefanov Mahljanov)、愛称はカロヤン。身長202cm、体重157kg、握力120kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。趣味はゴルフ、好物はラーメン。最高位は東大関

目次

人物 [編集]

一般的な琴欧洲の人物評価は、肉体面においては極めて豊富な身体能力を持ち、その風貌もいわゆる「ハンサム」類型であるとされている。逆に、精神面においては、把瑠都に代表される性・性に対比して、「性」・「性」の典型であると評価されている。平時の気性は非常に穏やかで、妻が日本人であることも含め、日本に対して非常に理解ある印象を持っている。過去には朝青龍に対するアンチ発言が複数あり、「(興業である本場所上での)荒い相撲」に否定的で、客に対しては「綺麗な相撲を見せるべき」であるとの所感を持つ美観主義者である。

入門以来には、その長身と懐の深さ、抜群の格闘技センスを活かして番付を駆け上がり、初土俵から所要11場所で入幕。2005年11月場所終了後に大関に昇進した。端正な顔立ちで人気も高く、一時期は「角界のベッカム」とも呼ばれた(因みにベッカムと最初に形容したのは大相撲中継にゲスト出演した大村崑である)。しかし琴欧洲の好きなサッカー選手は母国の英雄フリスト・ストイチコフである。また、他の相撲部屋の同僚から「琴欧州ベッカム機嫌悪い」と本人はあまり好んでいない様子が『関口宏の東京フレンドパークII』にて放送されたこともある。

得意は四つ相撲で、特に左上手を取ってからの強烈な投げや寄りが得意。左四つでも右上手を取れば十分相撲が取れる。懐の深さを活かして、外四つでも引きつけて寄り切る相撲も多い。稀勢の里のような脇が甘い相手には立合いで両差しにしての速攻の相撲も取る。
総じてプレッシャーに弱いところが弱点とされている。勢いでとっている面があり、調子がいいときには横綱をも負かすが、悪いときには平幕にもあっさり負ける面がある。大関昇進時には栃東と共に当時無敵だった横綱朝青龍と互角に渡り合える力士として、優勝、綱取りを期待されていた。

手繰りに弱く、少しの手繰りであっさりと負けてしまうことが多い。特に魁皇との対戦でその傾向がよく見られた。

来歴 [編集]

入門から関脇 [編集]

レスリング経験者で、欧州ジュニアチャンピオンの実績も持つ。当初はオリンピックをめざすがレスリング競技において無差別級が廃止となった事もありレスリングの道を断念し、佐渡ヶ嶽親方(当時=元横綱琴櫻)のドイツ在住の知人で実業家の中本氏(部屋の元床山)を介して来日。四股名はヨーロッパ出身であることに由来し、下の名前の“勝紀”は師匠の現役時代の四股名である“ 琴櫻 傑將”の名前の読み(まさかつ)の一部と本名“鎌谷 雄”から一文字ずつ取った。師匠の佐渡ヶ嶽は停年前、横綱昇進の際には自身の現役名(琴櫻)から櫻を譲り『琴櫻州(読み方はそのまま)』への改名を考え、土俵入りの型も決めていたが、後に改名については撤回した。 新小結で迎えた2005年3月場所では4勝11敗に終わった(前場所前頭4枚目での9勝6敗による、やや幸運な昇進であったため致し方ない面もあった)。2005年7月場所で小結に復帰し12勝3敗の好成績を挙げたが、優勝争いの千秋楽で極度の緊張から自分を見失いあっけなく黒星を喫した。また、この場所は10日目の旭鷲山戦で勝ち越したが、相手の引きに手を付いたようにも見えた微妙な一番であった。

2005年9月場所には関脇昇進を果たし、それまで大鵬千代の富士が持っていた、年6場所制における新関脇での初日からの連勝記録(8連勝)を大幅に上回る12連勝の新記録を樹立した。しかし、13日目朝青龍に敗れ連勝はストップ。朝青龍に敗れ部屋に帰る際にマスコミに雪駄を踏まれそれに怒り雪駄を地面に叩き付けた。その翌日の14日目には当時前頭16枚目ながら優勝争いに加わっていた稀勢の里にあっけなく敗れ、12連勝の後2連敗。千秋楽は大関千代大海に勝ち13勝2敗の成績で朝青龍と優勝決定戦を行い、13日目の本割に続いて彼に敗れ、史上最速での初優勝は成らなかった。しかし新関脇で13勝の勝ち星は史上最多タイの記録であり、過去に1940年5月場所の五ツ嶌1950年9月場所の吉葉山が新関脇で13勝をあげている。

翌場所では初日垣添に敗れたものの、横綱朝青龍と大関千代大海を破り11勝4敗の成績を挙げ、殊勲賞と敢闘賞を受賞。場所後に大関昇進。入門からわずか19場所での大関昇進は年6場所が定着した1958年以降では幕下付出を除き史上最速であった。

大関昇進以降 [編集]

大関昇進伝達式においては、前師匠の元横綱琴櫻と現師匠の琴ノ若夫妻が同席する異例の事態となった。これは、同場所中に琴櫻が65歳停年を迎えたため、規定により佐渡ヶ嶽部屋の力士が千秋楽まで土俵に上がれるよう、琴ノ若が引退して部屋を継承したことに、協会側が配慮したもの。なお、琴ノ若はいわゆる「婿入り婚」のため、琴櫻は退職後も亡くなる直前まで部屋での稽古に顔を出していた。

新大関の2006年1月場所は、初日に露鵬に敗れたが、順調に白星を積み上げて行き、一時は優勝争いにも参加したが終盤に負けが込み、10勝5敗とまずまずの成績だった。

幕内10場所目で大関2場所目だった翌3月場所は直前の稽古で右膝を痛め、一時は出場すら危ぶまれたが、本人の意思で何とか出場にこぎつけ、9勝6敗と勝ち越した。

翌5月場所も右膝と右足首が完治せず負け越しが危ぶまれたが、先代師匠の激励を受けて千秋楽にかろうじて勝ち越し8勝7敗で取り終えた。次の7月場所も1勝2敗から5連勝し6勝2敗としたものの、そこから崩れ再び負け越しの危険が高まったが、またしても千秋楽に勝ち越して8勝7敗。

その次の9月場所は序盤3連勝の好スタートを切ったが、中盤の3連敗が響いて10勝5敗に終わっている。場所後の2006年9月27日、成績が伸び悩んでいたため、より良い画数を考え琴欧から琴欧(読みは同じ)に四股名を改名した。

その改名後の翌11月場所は序盤3連勝したものの、中盤での取りこぼしが響いて結局10勝5敗だった。

2007年1月場所は稀勢の里に大関昇進後にもかかわらず立合いの変化で勝利を収めたため、国技館内からブーイングが起こった。2007年5月場所は、中日に7勝1敗としておきながらそこから4連敗を喫した(そのうち2敗は平幕でその後連勝したが、千秋楽に敗れ2桁勝利ならず)。この場所も稀勢の里に変化で勝利したため国技館内で更なるブーイングが発生。

2007年9月場所では新入幕の豪栄道の活躍で、大関という立場では対戦があるはずの大関・千代大海、横綱・白鵬との取組が外されてしまった。横綱・朝青龍、大関・魁皇が休場、大関・琴光喜が同じ部屋所属のため大関なのに大関以上との対戦がなかった。さらにそのような事態にもかかわらず下位力士に敗れ8勝7敗だった。

翌11月場所にはひざの古傷を痛めて、7日目に力士人生で初めての不戦敗・途中休場となる。そのため、2007年は1度も2桁勝利を挙げることが出来なかった。改名の効果が全く出ていない状態が続き、「大関にあげない方が良かったのでは?」という声も聞かれていた。

2008年1月場所は初の大関角番となったが、9勝6敗と勝ち越し角番を脱出した。3月場所では4日目の取組の際、左上腕部を負傷したため、9日目から通算2度目の休場に追い込まれ、悔しさのあまり涙した。

大関に上がるまでは、強烈な引き付けや投げを武器に優勝争いに加わる等活躍を見せていたが、大関昇進後は怪我とそれに伴う大関陥落に対する精神的な不安から、一転して長身を持て余すようなスケールの小さい取り口となった。そのため、序盤から平幕力士相手にあっさり負ける相撲も何度か見受けられ、中日を過ぎる頃には優勝争いの中に琴欧洲の名前は殆ど残っていなかった。琴櫻は生前この不振を「技術的なことよりも、精神的なことだよね」と語っていた。

念願の幕内初優勝 [編集]

2008年5月場所、北の湖理事長から天皇賜杯を授与される琴欧洲

ところが、体重を5キロ増やして臨んだ2008年5月場所では初日から絶好調をキープし、8連勝で角番を脱出。さらに11日目、12日目と朝青龍と白鵬の両横綱に寄り切りで勝利し、優勝目前となる。しかし、13日目は苦手の安美錦に対し何も出来ず押し出しで敗れてしまったものの、援護射撃で同部屋の先輩大関である琴光喜が白鵬を寄り倒しで破り2差とし、さらにその直後朝青龍が魁皇に上手出し投げで敗れて4敗目を喫したため優勝圏外に去った。そしてその翌日は平静さを取り戻し、安馬(当時、現横綱・日馬富士)を送り倒しで破り初優勝を決める。千秋楽の千代大海との対戦も寄り切りで勝利し、最終的には14勝1敗の好成績でヨーロッパ出身力士では史上初となる自身念願の幕内最高優勝を果たした。

優勝後 [編集]

次の2008年7月場所は本来綱取り場所となるところであったが、3月場所までは勝ち越しがやっとだったこともあり、綱と言うよりは大関としての真価を問われる場所となった。しかし初日に苦手の安美錦に敗れると7日目までに3敗を喫し結局9勝6敗に終わり、綱取りは白紙に戻った。その後の9月場所、11月場所は2場所ともに8勝7敗で千秋楽で勝ち越してはいるが、優勝した時の強さが全く表れていない取り口となっている。

2009年1月場所は中日までを7勝1敗とし、一時は優勝争いに参加したが後半で失速し10勝5敗に終わった。第33回日本大相撲トーナメントでは決勝戦まで勝ち進んだものの、決勝では白鵬に敗れ、準優勝だった。翌3月場所も10勝5敗、14場所ぶりに大関で連続二桁勝利となった。5月場所は9勝6敗で大関初の3場所連続二桁勝利はならなかったが、14日目に白鵬を破り連勝を止め、存在感を示した。

次の7月場所前には1日50番近い稽古をこなした。それが実り、7月場所では10連勝とし11日目に千代大海に敗れたものの、当時1敗だった琴光喜が全勝の白鵬を破り再び優勝争いのトップを守った。注目された13日目の白鵬との一敗同士の直接対決では完敗、優勝争いから一歩後退する。翌日の14日目には朝青龍、千秋楽には日馬富士を破り逆転優勝への望みを繋げたが、千秋楽で白鵬が朝青龍に勝利したため優勝決定戦に持ち込むことはできなかった。それでも最終的には13勝2敗の好成績を挙げ、優勝争いに大きく貢献した。

翌9月場所は初日から6連勝したものの、7日目に鶴竜に敗れると、10日目から5連敗を喫して9勝6敗に終わった。11月場所は9日目まで1敗を保持し優勝争いに加わっていたが、9月場所同様、10日目で魁皇に敗れてからは失速、10勝5敗に留まった。

2010年5月場所千秋楽の結び前の一番、大関・魁皇に右上手を許し寄り切りで敗れたが、この琴欧洲の敗戦で魁皇が大相撲史上二人目の「通算1000勝」の大記録を達成させるという、余りに皮肉な結末となった。
  翌7月場所は初日から7連勝と好スタートを切ったが、中日に好調の鶴竜に敗れると後半でまたも失速し10勝5敗に留まった。9月場所は2009年7月場所以来となる中日での勝ち越しを決め、横綱・白鵬を追う一番手として期待されたが、9日目に苦手にしている安美錦に敗れると、11日目から4連敗を喫して失速。結局7月場所同様、10勝5敗に留まった。11月場所は5日目までに3敗を喫し、その後6連勝して11日目に勝ち越しを決めたが終盤4連敗を喫し8勝7敗に終わった。

2011年1月場所は9日目まで8勝1敗とし、一時白鵬に星一つ差であったが、終盤に失速、10勝5敗に留まった。しかし大関陣の中では唯一の二桁勝利であった。5月技量審査場所は序盤から不調で、9日目に古傷を悪化させたこともあって11日目から休場した。これで幕内初優勝の2008年5月場所から続いた、連続勝ち越し記録は17場所でストップ。翌7月場所は3度目の大関角番だったが、10日目に魁皇を下し8勝2敗と勝ち越して角番を脱出した(なお魁皇はこの琴欧洲戦を最後に現役引退を表明)。しかし11日目以降は1勝のみで、結局9勝6敗に終わった。9月場所は5月技量審査場所と同様に序盤から1勝5敗と不調で、右膝と右肘を負傷したこともあり7日目から途中休場。しかし場所後の明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会には出場し、決勝で把瑠都を破って2005年以来6年ぶり2回目の優勝を果たした。11月場所は4度目の大関角番だったが、11日目に角番を脱出し9勝6敗。

2012年1月場所では2010月9月場所以来の初日からの6連勝と好スタートを切り、13日目に横綱白鵬を13場所ぶりに寄り切りで破った。(この一番で把瑠都の初優勝が決定。) 最終的には10勝5敗と2011年1月場所以来の二桁勝利を挙げた。5月場所14日目、同場所平幕優勝を果たした旭天鵬戦で右足根骨靱帯を損傷したため、千秋楽の栃煌山戦を休場し、8勝7敗(千秋楽不戦敗)に終わった。この不戦敗で4敗力士の優勝が消滅し、館内からはブーイングが起こり、理事長の協会挨拶では琴欧洲に対する異例の名指し非難と謝罪があった[1]。怪我が完治しない中強行出場した翌7月場所は12日目に勝ち越しを決め、千秋楽に稀勢の里を破り9勝6敗で終えた。

2012年9月場所で大関在位数が40場所を迎え、小錦(現タレント・大関在位39場所)を超える歴代単独5位の記録となった(外国出身力士としての大関在位数は琴欧洲が史上最多)。しかし5日目、苦手の豊ノ島戦で掬い投げで敗れた際右肩を痛め、翌6日目より途中休場(他大関陣は把瑠都と琴奨菊も4日目から途中休場、6大関の内3人が不在に)。次の同年11月場所は、自身5度目の角番となったが、11日目に横綱白鵬を下し勝ち越しを決め角番を脱出した。

2013年1月場所は序盤に3連敗したが12日目に横綱白鵬に連勝するなど存在感を見せ、千秋楽に稀勢の里を上手投げで下し最終的には10勝5敗と一年ぶりの二桁勝利で取り終えた。3月場所は場所前から痛めていた左肘の負傷が悪化し左肘関節外側側副靱帯損傷により6日目から途中休場。翌5月場所は大関在位44場所と北天佑と並び歴代4位タイ記録と同時に、6回目の角番(武双山と並び歴代5位タイ)を迎えることになる。

略歴 [編集]

エピソード [編集]

  • 2004年9月、出身国の名を冠したヨーグルトを販売する明治乳業(現・明治)から化粧まわしを贈られた。同社は特約を結び、自社製のヨーグルトを納入している。
  • ブルガリアの実家にいた頃は毎日約2キロものヨーグルトを食べていた。
  • CM出演の際に報道陣に日本のヨーグルトはどうかと質問された時は、「ブルガリアのとは違うけど、でも美味しい」と答えていた。
  • 本名にちなんで第一三共ヘルスケアからもカロヤンのCMのオファーがあったが、こちらの方は断った。
  • 故国の両親への仕送りをしているが、両親は「あの子(琴欧洲)には自分のために使ってほしい」と言っている。今まで母には洗濯乾燥機、父には腕時計、自動車(中古のフォード車、新車のトヨタ・ランドクルーザー)を贈っている孝行息子である。
  • 来日以来、ご飯が苦手で食べられず、ラーメン党に転身。ブルガリアでは米類はヨーグルトに混ぜて食べるお菓子であり、その感覚からかご飯を主食で食べる行為が気持ち悪く感じられ、どうしても苦手。体重が増えないために優勝をとり逃すことが多かった。だがその後、決心してご飯に牛乳、チーズをかけ大量に食し体重を増やし、ついには本場所で優勝できた。
  • 優勝した2008年の5月より日本語でブログをスタート。漢字を使うのは苦手らしく、主にひらがなで文章を書いている。
  • は食べられるらしく好物でもある。正月時に食するみぞれ餅、豆餅、きな粉餅、等はいける。だが、「納豆餅だけはぜったい無理!!」とのこと。納豆は気持ち悪く苦手である。
  • 2005年11月場所、自身が解答者として出演したフジテレビなるほど!ザ・ワールド」の懸賞が懸けられた。テレビ番組の懸賞金は異例である。
欧州連合(EU)の旗
  • 2006年4月、EUより、欧州旗をベースにデザインされた化粧まわしを贈られ、夏場所より使用している。ちなみに同年の明治乳業のCMでは、以前の化粧まわしを締めている。当初は12の(白)星が描かれているため「12勝しかできない」意味で縁起が悪いと反発があったが、後に「残り3つの星は自分の力で勝ち取る」という激励の意味を付加することで受け取ることになった。
  • サッカーブルガリア代表日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)でプレー経験のあるイリアン・ストヤノフとは友人であり、ストヤノフが以前所属していたジェフユナイテッド千葉・市原の元監督であるイビチャ・オシム・前日本代表監督とも親交がある。
  • TBS系の報道番組『ブロードキャスター』および『きょう発プラス!』で、高校時代に空腹から鳩を食べたという逸話が紹介された。その話をした高校時代のレスリング・コーチは伝聞で知ったのみである。ちなみに鳩は中国やフランスなどでは普通に食用にされる。
  • 故郷ブルガリアでは、敵役となった朝青龍の知名度も急速にアップし「アサショーリュー憎し」の声が高まっていた。ブルガリアの新聞は連日、琴欧洲の結果とともに朝青龍の取組も紹介。また、実家のあるジュルニツァ村の村長ヤンコ・コレフ・ヤンコフが「アサショーリューは威張ったやつだ。顔も見たくない!」と話すと、一緒にいた何人かの村民も頷いた。
  • 2009年5月5日に、5年間交際した3歳年上の日本人女性との婚約を発表。2010年2月14日に披露宴を行った。これにより日本国籍取得の手続きで優遇措置を受けやすくなり、日本国籍取得者に限られている親方株の取得も可能に。欧州出身として初めて親方を襲名する可能性が高くなった。そして披露宴後の記者会見において、将来的に日本国籍を取得した後、年寄株を取得して部屋持ち親方となることを表明した(東アジアのモンゴル国出身で大島親方の養子になり、次期大島親方禅譲が内定している旭天鵬とともに、外国出身親方就任が衆目から確実視されている)。
  • 2009年7月28日、ブルガリアの名前や文化を日本で広めた点が評価されブルガリアで最高位の勲章「スタラ・プラニナ章」(Стара планина、日本の国民栄誉賞に相当)を首都ソフィアの大統領府で授与された。
  • 元大関・魁皇(現・浅香山親方)とは幕内で28回対戦し、琴欧洲の16勝12敗。2010年5月場所千秋楽、魁皇が勝利して元横綱・千代の富士(現・九重親方)以来史上2人目の通算1,000勝を達成したが、その対戦相手が琴欧洲だった。それから1年後、2011年7月場所10日目に琴欧洲は魁皇に勝利して勝ち越し、大関角番を脱出したが、取組後「今場所(の魁皇は)は良くない感じ。当たりがいつもより弱い」と複雑な心境を吐露していた。魁皇はこの琴欧洲との相撲を最後に現役引退を表明。琴欧洲は「びっくりした。ここで引退するとは感じなかった」と驚きながらも「(魁皇関からは)礼儀、考え方、真面目さなど多くのことを学んだ」と先輩大関への尊敬と感謝の言葉を述べていた。
  • 平成24年春場所では豊響との際どい相撲で負けたことがあった。その相撲は琴欧洲が落ちるよりも早く、明らかに豊響の方が先に落ちていた。しかし物言いもつかず琴欧洲が敗れてしまったという取り組みがあった。また平成25年初場所での豪栄道との一番でも落ちるのが豪栄道の方が早かったのにも関わらず負けを喫した。
  • 自身が紹介した地元ブルガリアの後輩・碧山には何かと世話をしており,碧山が来日した際には日本語を覚えれるようにと幼児用の教養絵本を数冊プレゼントした。碧山は日本語を覚えた現在でもその絵本を大切にしている。

合い口 [編集]

  • 横綱白鵬には相性が悪く、対戦成績は琴欧洲の10勝31敗と大差をつけられている。しかし平成24年11月場所、平成25年1月場所で白鵬をまったく攻めさせずに完勝している。因みに白鵬からの勝ち星は日馬富士、朝青龍に次いで多い。元横綱・朝青龍も苦手にしており、通算成績は7勝16敗だったが、2009年は3勝3敗で五分となり、苦手意識は無くなりつつあった。2010年1月場所は13日目の対戦で腕捻りで敗れるも、同場所後の2010年2月4日に朝青龍は度重なるトラブルにより突如現役引退を表明したため、これが朝青龍との現役最後の対戦となった。横綱日馬富士には17勝20敗とほぼ互角である。
  • 平幕でも苦手力士が多い。特に安美錦に相性が悪く、16勝18敗と負け越している。また豊ノ島も苦手にしており、14勝13敗とほぼ互角で、2008年7月場所までは3勝5敗と負け越していた。その後は6連勝した事も有り苦手意識を克服されたかに見えたが、2011年9月場所以降は2勝6敗とかなり分が悪くなってしまった。栃煌山にも相性が悪く、対戦成績は8勝11敗と負け越しており、2011年1月場所から2012年5月場所にかけて6連敗を喫している。
  • 2011年からは隠岐の海も苦手にしており、2勝5敗と対戦成績で負け越している。
  • 若の里にも5勝9敗と負け越しており、2009年1月場所から2010年9月場所にかけて3連勝していたが、2011年9月場所では若の里の豪快な掬い投げで約3年振りに黒星を喫した。
  • 豪栄道には12勝8敗(内不戦勝1)と勝ち越しているものの、2012年5月場所から翌1月場所にかけて現在5連敗中の為、対戦成績で差を詰められている。しかし平成25年夏場所2日目に久しぶりに勝利している。
  • 旭天鵬には相性が良く、20勝5敗と大きく勝ち越している。逆に鶴竜には11勝15敗と負け越している。
  • 稀勢の里には26勝13敗と大きく勝ち越しており、平幕時代は相性が悪かったが、大関に昇進してからは一転して相性が良くなった。2011年は稀勢の里の大関取りも重なってあまり相性が良くなかったが、2012年に入ってからは再び相性が良く、2013年5月場所に敗れるまで3連勝していた。
  • 高見盛には6戦全勝で、勝率で朝青龍(10勝1敗)、白鵬(5勝1敗)の両横綱を上回っている。
  • 把瑠都阿覧栃ノ心臥牙丸などの同じヨーロッパ出身の力士にはそれぞれ16勝10敗、10勝1敗、11勝4敗、5戦全勝と対戦成績で大きく勝ち越している。
  • 後輩である碧山とは1度だけ対戦がありその時は琴欧洲が先輩としての意地を見せ勝っている。本人曰く、やり辛いらしい。やはり後輩と戦うのは複雑な心境の様だ。

主な成績 [編集]

2013年3月場所終了現在

通算成績 [編集]

  • 通算成績:506勝301敗44休(62場所)
  • 幕内成績:435勝286敗44休(51場所)
  • 大関成績:356勝245敗44休(43場所)
  • 幕内在位:51場所
  • 大関在位:43場所(現在歴代5位)
  • 三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)

各段優勝 [編集]

  • 幕内最高優勝:1回(2008年5月場所)
  • 十両優勝:1回(2004年7月場所)
  • 幕下優勝:1回(2004年3月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2003年1月場所)

三賞:金星 [編集]

  • 三賞:5回
    • 殊勲賞:2回(2005年7月場所、2005年11月場所)
    • 敢闘賞:3回(2004年11月場所、2005年9月場所、2005年11月場所)
  • 金星:なし

場所別成績 [編集]

                                                            

琴欧洲勝紀
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2002年
(平成14年)
x x x x x (前相撲)
2003年
(平成15年)
西 序ノ口 #30
優勝
7–0
西 序二段 #25
6–1
 
西 三段目 #62
6–1
 
東 三段目 #8
6–1
 
東 幕下 #33
5–2
 
西 幕下 #21
5–2
 
2004年
(平成16年)
東 幕下 #8
6–1
 
東 幕下 #2
優勝
7–0
東 十両 #10
10–5
 
東 十両 #3
優勝
13–2
東 前頭 #14
9–6
 
西 前頭 #10
11–4
2005年
(平成17年)
東 前頭 #4
9–6
 
西 小結
4–11
 
東 前頭 #5
10–5
 
東 小結
12–3
東 関脇
13–2[2]
東 関脇
11–4
2006年
(平成18年)
西 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
9–6
 
西 大関 #1
8–7
 
西 大関 #2
8–7
 
西 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
10–5
 
2007年
(平成19年)
東 大関 #1
9–6
 
東 大関 #2
8–7
 
西 大関 #1
9–6
 
東 大関 #2
9–6
 
西 大関 #1
8–7
 
東 大関 #2
2–5–8[3][4]
 
2008年
(平成20年)
西 大関 #2
9–6[5]
 
東 大関 #1
2–7–6[3][6]
 
西 大関 #2
14–1[5]
 
東 大関 #1
9–6
 
西 大関 #1
8–7
 
西 大関 #2
8–7
 
2009年
(平成21年)
東 大関 #2
10–5
 
東 大関 #1
10–5
 
東 大関 #1
9–6
 
西 大関 #1
13–2
 
東 大関 #1
9–6
 
東 大関 #1
10–5
 
2010年
(平成22年)
東 大関 #1
9–6
 
西 大関 #1
10–5
 
西 大関 #1
9–6
 
東 大関 #1
10–5
 
西 大関 #1
10–5
 
東 大関 #1
8–7
 
2011年
(平成23年)
東 大関 #2
10–5
 
八百長問題
により中止
東 大関 #1
3–8–4[3][7]
 
西 大関 #2
9–6[5]
 
西 大関 #2
1–6–8[3][8]
 
東 大関 #2
9–6[5]
 
2012年
(平成24年)
東 大関 #2
10–5
 
西 大関 #2
8–7
 
東 大関 #3
8–7[9][10]
 
東 大関 #3
9–6
 
東 大関 #3
2–4–9[3][11]
 
西 大関 #2
9–6[5]
 
2013年
(平成25年)
東 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
1–5–9[3][12]
 
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

主な力士との幕内対戦成績 [編集]

2013年3月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
豊ノ島 14 13 千代大海 16 7 追風海 2 1
旭鷲山 4 2 栃東 6 5 隆乃若 1 1
安美錦 16 18(1) 魁皇 16 12 栃ノ心 11 4(1)
玉春日 2 0 黒海 9 4 阿覧 10 1
露鵬 5 6 栃乃洋 4 2 土佐豊 1 1
普天王 9(1) 2 出島 9 5 玉鷲 2 0
豪風 15 5 朝赤龍 8 6 北太樹 3 1
高見盛 6 0 玉乃島 8 2 白馬 2 2
土佐ノ海 2 1 白露山 1 1 徳瀬川 1 1
北勝力 13 0 把瑠都 16(1) 10 隠岐の海 2 5
時天空 12 8 豊真将 11 7 妙義龍 4 2(1)
稀勢の里 26 13(1) 栃煌山 8 11(1) 若荒雄 2 1
白鵬 10 31 鶴竜 11 15 栃乃若 2 0
日馬富士 17 20 隆の鶴 2 0 臥牙丸 5 0
岩木山 8 1 海鵬 2 1 松鳳山 2 2
垣添 7 4 十文字 3 0 魁聖 1 1(1)
若の里 5 9 豪栄道 12 8(1)
旭天鵬 20 5 若ノ鵬 2 1(1)
雅山 22 5 豊響 3 1
朝青龍 7 16(1) 嘉風 5 2

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太字は2013年3月場所終了現在、現役力士)

改名歴 [編集]

  • 琴欧州 勝紀(ことおうしゅう かつのり)2002年11月場所 - 2006年9月場所
  • 琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう -)2006年11月場所 -
右膝と足首の怪我の影響で不本意な相撲が続いていたので、字画を考えて付けた。

CM・TV [編集]

CM出演 [編集]

TV・ラジオ出演 [編集]

関連項目 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 琴欧洲が休場=白鵬らの逆転優勝消える-大相撲夏場所千秋楽 時事通信 2012年5月20日
  2. ^ 朝青龍と優勝決定戦
  3. ^ a b c d e f 途中休場
  4. ^ 右膝関節捻挫及び内側側副靱帯損傷、全治1カ月
  5. ^ a b c d e 角番(全5回)
  6. ^ 左上腕二頭筋挫傷、全治1カ月
  7. ^ 右膝内側側副帯損傷・右膝蓋大腿関節症、全治3週間
  8. ^ 右肘内側側副靱帯損傷・右膝蓋大腿関節症、全治2週間
  9. ^ 千秋楽不戦敗・休場
  10. ^ 右足根骨靱帯損傷、全治3週間
  11. ^ 右肩甲下筋挫傷、全治2週間
  12. ^ 左肘関節外側側副靱帯損傷、全治10日間

外部リンク [編集]

執筆の途中です この「琴欧洲勝紀」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めていますPJ相撲)。