垣添徹

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垣添徹 Sumo pictogram.svg
Kakizoe 08 Sep.jpg
場所入りする垣添関
基礎情報
四股名 垣添 徹
本名 垣添 徹
愛称 トオル、カッキー
生年月日 1978年8月12日(33歳)
出身 大分県宇佐市
身長 177cm
体重 136kg
BMI 44.04
所属部屋 武蔵川部屋藤島部屋
得意技 突き、押し
成績
現在の番付 西幕下16枚目
最高位 小結
生涯戦歴 387勝420敗15休(62場所)
幕内戦歴 299勝343敗3休(43場所)
優勝 十両優勝1回
技能賞1回
データ
初土俵 2001年9月場所
入幕 2003年9月場所
趣味 音楽鑑賞、サウナ入浴
備考
2012年1月15日現在

垣添 徹(かきぞえ とおる、1978年8月12日 - )は、大分県宇佐市出身で藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)所属の現役大相撲力士。本名は垣添徹(かきぞえ とおる)、愛称はトオル、カッキー。身長177cm、体重136kg、血液型はA型、星座は獅子座、干支は午年。大分県立宇佐産業科学高等学校日本体育大学体育学部武道学科卒業。趣味は音楽鑑賞サウナ入浴。同郷の大横綱双葉山の生涯がドラマ化された際、少年時代の垣添が双葉山の少年時代を演じたことがある。軽量ではあるが、大先輩である関脇・富士櫻同様どんな相手にも突き押しで立ち向かっていく。好物は鶏の唐揚げ。得意手は突き、押し。最高位は東小結2004年3月場所)。

目次

[編集] 来歴

小学校時代にはわんぱく相撲全国大会に出場し、中学校時代には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学生横綱となり、地元ではその強さが知れ渡っていた。中学時代は相撲部でありながら陸上競技の地区大会にもかり出され活躍し、200メートルで優勝している。宇佐市立北部中学校、大分県立宇佐産業科学高等学校日本体育大学と相撲部に所属し続け、全国レベルの強さを誇る。高校時代から各部屋・各大学よりオファーがあったが、大分県相撲連盟及び高体連関係に日体大OBが多いことと、自分自身も将来は指導者になりたいとの思いから教員養成系の日本体育大学に進学した。大学4年生の時に学生横綱に輝いた。インカレ団体戦においても活躍、常勝日本大学を破り日体大を優勝に導いた。

2001年3月に角界入りし3月場所で初土俵を踏む予定でいたが、前年の世界相撲選手権大会で左膝前十字靱帯を断裂して手術に踏み切ったため初土俵が遅れ、同年9月場所で幕下15枚目格付出で番付に載ったが、その場所は全休した。腰、膝の慢性的な怪我に悩まされたこともあり昇進がおくれたが、2003年9月場所に新入幕を果たし、その後は順調に昇進した。

2004年3月場所では小結に昇進して初三役入りを果たすものの、翌場所には平幕に戻ることになり、その後は三役復帰は果たせていない。2005年11月場所の旭天鵬戦では、勝ち名乗りを受けた後、ビデオ室から相手のマゲを掴んでいるとの指摘を受け、審判団による協議の結果、反則負けとなった。2007年2月7日に、元全日本新相撲王者日本大学出身の浅井栄美との入籍を発表した。2007年7月場所では東前頭16枚目で6勝9敗と負け越したが、翌9月場所は西の16枚目にスライドしただけであった。琴光喜が大関昇進したことを踏まえると実質1枚落ちと言う事になるが、滅多に例を見ない番付編成である。

岩木山を大の苦手としており、2009年5月場所までの対戦では初顔合わせ以来16連敗していた。垣添曰く、「稽古ではいつも俺の勝ちなのになぜか本割では負ける」と不思議に思っている。小結同士であり、稽古では垣添が勝っているので1回も勝てないほど実力が離れているとは思えない中での不思議な記録ではあったが、2009年11月場所3日目で、17回目にして初めて岩木山に勝利した(横綱朝青龍にも12戦全敗と苦手にしていた)。2010年1月場所では、久々の上位だったが負け越した。また千秋楽に大関・魁皇と対戦が組まれたとき、初めてこれより三役を経験した。

長らく幕内中位から下位に定着していたものの、2010年は1場所も勝ち越しを果たせず、同年11月場所では十両に陥落した。2011年1月場所では西十両9枚目の位置で4勝11敗と大きく負け越してしまい幕下への陥落が濃厚となったため、2011年1月場所で引退する意向を一度は固めたものの、大学の同級生で長く付け人を務めてきた剣武の説得を受け翻意し、現役続行を決意した[1]。幕下に陥落した同年5月技量審査場所でも3勝4敗と負け越したが、大相撲八百長問題で多くの力士が引退した影響により、負け越しの成績ながらも1場所での十両復帰を果たした。しかし再十両となった同年7月場所では西十両11枚目の位置で1勝14敗と大敗を喫してしまった。

[編集] 主な成績

2011年7月場所終了現在

[編集] 通算成績

  • 通算成績:380勝410敗15休(59場所)
  • 幕内成績:299勝343敗3休
  • 幕内在位:43場所
  • 三役在位:1場所(小結1場所)

[編集] 各段優勝

  • 十両優勝:1回(2003年7月場所)

[編集] 三賞:金星

  • 三賞:1回
    • 技能賞:1回(2004年1月場所)
  • 金星:なし

[編集] 場所別成績

                                        

垣添徹[2]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2001年
(平成13年)
x x x x 幕下付出 #15
休場
0–0–7
東 幕下 #55
6–1
 
2002年
(平成14年)
西 幕下 #26
4–3
 
東 幕下 #23
6–1
 
西 幕下 #8
1–1–5
 
西 幕下 #28
4–3
 
西 幕下 #20
4–3
 
東 幕下 #14
6–1
 
2003年
(平成15年)
東 幕下 #3
5–2
 
東 十両 #11
9–6
 
東 十両 #6
10–5
 
東 十両 #2
11–4
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #8
8–7
 
2004年
(平成16年)
東 前頭 #5
11–4
東 小結
6–9
 
西 前頭 #2
6–9
 
西 前頭 #5
7–8
 
西 前頭 #6
10–5
 
東 前頭 #2
6–9
 
2005年
(平成17年)
西 前頭 #4
8–7
 
西 前頭 #2
6–9
 
西 前頭 #5
9–6
 
東 前頭 #1
7–8
 
東 前頭 #2
7–8
 
西 前頭 #2
4–11
 
2006年
(平成18年)
西 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #6
9–6
 
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #3
4–11
 
西 前頭 #8
9–6
 
西 前頭 #4
6–9
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #3
0–12–3[3]
 
東 前頭 #16
6–9
 
西 前頭 #16
9–6
 
東 前頭 #14
9–6
 
2008年
(平成20年)
東 前頭 #11
6–9
 
西 前頭 #14
8–7
 
東 前頭 #13
6–9
 
西 前頭 #15
7–8
 
西 前頭 #16
10–5
 
東 前頭 #8
5–10
 
2009年
(平成21年)
西 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #14
8–7
 
西 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
9–6
 
西 前頭 #5
8–7
 
2010年
(平成22年)
東 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #7
7–8
 
東 前頭 #8
7–8
 
西 前頭 #9
3–12
 
西 前頭 #15
3–12
 
東 十両 #7
7–8
 
2011年
(平成23年)
西 十両 #9
4–11
 
八百長問題
により中止
西 幕下 #1
3–4
 
西 十両 #11
1–14
 
東 幕下 #9
4–3
 
西 幕下 #6
1–6
 
2012年
(平成24年)
西 幕下 #16
3–4
 
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  1. ^ 大相撲】熱き友情から生まれた“奇跡”~男たちの十両物語(2)”. スポルティーバ. 2011年6月6日閲覧。
  2. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年7月24日閲覧。
  3. ^ 右膝半月板断裂により13日目から途中休場

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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