鶴竜力三郎

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鶴竜 力三郎 Sumo pictogram.svg
Kakuryu 08 Sep.jpg
入場する鶴竜関
基礎情報
四股名 鶴竜 力三郎
本名 マンガルジャラビーン・アナンド
Мангалжалавын Ананд
愛称 アナンダ
生年月日 1985年8月10日(29歳)
出身 モンゴル国ウランバートル市
身長 186cm
体重 154kg
BMI 44.51
所属部屋 井筒部屋
成績
現在の番付 東横綱2枚目
最高位 第71代横綱
生涯戦歴 539勝390敗4休(76場所)
幕内戦歴 399勝287敗4休(46場所)
優勝 幕内最高優勝1回
三段目優勝1回
殊勲賞2回
技能賞7回
データ
初土俵 2001年11月場所
入幕 2006年11月場所
趣味 スポーツ観戦
備考
2014年8月2日現在

鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう、1985年8月10日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で井筒部屋所属の現役大相撲力士。本名はマンガルジャラビーン・アナンド[1]モンゴル語キリル文字表記:Мангалжалавын Анандラテン文字転写Mangaljalavyn Anand)、愛称はアナンダ。身長186cm、体重154kg、血液型はA型、趣味はスポーツ観戦。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。第71代横綱。実際に生まれ育ったのはウランバートル市内だが、取組前の呼び出しでは父親の出身地であるスフバートルを自身の出身地としている[2]

四股名の「鶴」は部屋ゆかりの四股名「鶴ヶ嶺」から、「力三郎」は尊敬する井筒部屋の大先輩・寺尾が新十両場所だけ名乗っていたゆかりの四股名「源氏山」の下の名前に由来する。締め込みの色は青。

来歴[編集]

モンゴル時代[編集]

大学教授一家の裕福な家庭に生まれ、幼少時にはテニス・バスケットボールなど、当時の庶民の子弟には高嶺の花と言えるスポーツに滋しむことができ、レスリングにも励んだ。親の影響で勉学にも励み、いわゆる優等生であったが、その裕福な家庭環境から、自宅でNHKの相撲中継も視聴することができたため、当時興っていたモンゴル国内における「相撲ブーム」に接して、同郷の旭鷲山などの活躍に憧れて力士を志し、花籠部屋の選考会に参加したが、一旦は不合格となった。しかし諦念しきれず、雑誌「グラフNHK」の広告で相撲愛好会(日本相撲振興会)の存在を知り、父が勤務する大学で日本語を教えていた同僚に頼んで自身の決意文を和訳してもらい、それを同振興会の時田一弘会長宛に入門希望の手紙として送った。これを受領した時田会長は、同志の鈴木賢一と相談の上、井筒親方(関脇逆鉾)に諮って井筒部屋に入門させ、2001年5月に来日、同年11月場所に初土俵を踏むに至った。

現役時代[編集]

井筒部屋に入門した2001年9月の時点では65kgしかなく、井筒は最初「床山にでもするか」と思ったという。だが3ヶ月で82キロまで増やし、新弟子検査に合格した鶴竜の笑顔を見て井筒は「こいつを育てなきゃ可哀想だ」と感じた。[3]入門当初から物覚えが良く、廻しの切り方は1度で覚え、日本語は来日1年で堪能になったという。また、納豆も平気で食べられるなど日本食にも初めから適応できていた。[4]同期生によると、相撲教習所時代には準備体操のランニングでいつも先頭を走るなど当初より向上心の高さが垣間見られたといい、同期の元幕内・隆の山は引退会見で「毎朝2人で先頭を走り、『寒いから早く走って中で暖まろうぜ』と片言の日本語で話していました」と当時の様子を述懐していた。[5][6] こうして着実に番付を上げて行ったが、魚が嫌いでなかなか体重が増えず、三段目の下位で苦労した時期もあった[4]。しかし、魚嫌いを克服してから徐々に体重も増え、三段目の上位でも勝ち越せるようになり、2004年7月場所に7戦全勝で三段目優勝を果たし、翌9月場所は一気に幕下14枚目まで番付を上げた。[5]この場所は1勝6敗と跳ね返されたものの、千秋楽の夜に涙を流していたところに部屋付き行司の9代式守與之吉から「明日も四股を踏むくらいだったら怒られないよ」と耳打ちされ、場所後1週間の稽古休みとなる中で翌日からの與之吉言葉通り稽古場で大汗をかくほど四股を踏んで精進を図った。[5]そして同年11月場所から6場所連続勝ち越しを続け、2005年9月場所では幕下東5枚目で5勝2敗という微妙な成績ながら11月場所には十両に昇進した。しかし十両では軽量が災いしたか成績が伸びず、1場所で幕下に陥落した。翌2006年1月場所に東幕下3枚目で5勝2敗と勝ち越し、十両に戻った3月場所は3勝6敗から6連勝して9勝6敗と関取として初の勝ち越しを果たした。その後は勝ち越しを続け、2006年9月場所では西十両筆頭で9勝を挙げて、翌11月場所には新入幕を果たした。

新入幕となった2006年11月場所では異例とも言える前頭東8枚目に番付を上げ、その後も勝ち越して西前頭2枚目まで番付を上げた。新十両以来二桁勝利は長らく無かったが、2008年1月場所では11勝4敗の好成績を挙げ、初の技能賞を獲得した。2008年9月場所から出身地を父の出身地であるスフバートルに変更した。西前頭筆頭で迎えた3月場所は7日目まで2勝5敗だったが、中日から8連勝で10勝5敗と二桁勝利を挙げて、3大関を破るなど2度目の技能賞を受賞した。翌5月場所は新三役小結)に昇進。この場所は、3月場所と同様に2勝5敗とかなり苦戦したが中日から7連勝して最終的に9勝6敗と勝ち越し、3月場所に引き続き2場所連続で3回目の技能賞を受賞した。翌7月場所は新関脇に昇進したものの5勝10敗と負け越して1場所で平幕へ陥落した。翌9月場所では11勝4敗と好成績を挙げて4度目の技能賞を受賞した。翌11月場所は西関脇に復帰したものの、7勝8敗と負け越した。

2010年

平幕に陥落した後も2場所連続で負け越すなど調子を取り戻せないでいたが、7月場所では初日から8連勝し、中日には大関・琴欧洲を破るなどの活躍を見せた。結果11勝4敗の好成績で3場所ぶりの勝ち越し、5場所ぶりの二桁勝利を記録し、5度目の技能賞を受賞した。

2011年

5月技量審査場所では西小結の位置で、13勝2敗で優勝した白鵬(第69代横綱)に次ぐ成績の12勝3敗という自身最高の成績を挙げて6度目の技能賞を受賞した[7]。翌7月場所では3大関を破る活躍を見せて西関脇(2枚目)の位置で10勝5敗と、三役で2場所連続の二桁勝利を挙げた。次の9月場所は東関脇(2枚目)の地位で、東関脇の琴奨菊と共に初の大関獲りを目指したが、不調で7日目で早くも4敗を喫してしまう[8] 。終盤4連勝して勝ち越したが9勝6敗に終わった。

2012年

1月場所10日目には、初顔合わせの2007年9月場所から20連敗を喫していた横綱白鵬に寄り切りでついに初勝利、同場所は10勝5敗で初の殊勲賞を獲得、三役で2場所連続で二桁勝利を挙げたことで2度目の大関獲りとなった[9]。3月場所は、初日から7連勝し、中日で大関・稀勢の里に敗れ初黒星となったが、翌9日目で前場所に引き続き白鵬に快勝して勝ち越し[10]。その後14日目まで鶴竜が13勝1敗で単独トップ、12勝2敗の白鵬と優勝を争っていた。千秋楽本割で勝てば鶴竜の幕内初優勝だったが、平幕(西前頭6枚目)の豪栄道に敗れ2敗に後退。さらに13勝2敗同士の優勝決定戦では、本割で勝っていた横綱白鵬に上手投げで敗れ惜しくも優勝を逃してしまったが、殊勲賞と技能賞をダブル受賞。また14日目、琴欧洲戦の白星で直前3場所の勝ち星が大関昇進の目安となる33勝(10勝-10勝-13勝)となったため、翌5月場所の新大関が確定的になった[11]。なお「6大関」となるのは職業相撲が始まったとされる室町時代以降、大相撲界では史上初の出来事である。2012年3月28日、満場一致で鶴竜の大関昇進が決定[12]昇進伝達式での口上は「これからも稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力します」であった[13]。なお、昇進を伝える使者として1月場所後の改選で新理事に昇進した雷親方(元前頭筆頭・春日富士)と一門の勝負審判として部屋の先輩にあたる錣山親方(元関脇・寺尾)が井筒部屋に派遣され昇進を伝えた[14]

新大関となった5月場所は中日まで1敗であったが、8勝7敗に終わった。7月場所は4連敗を喫したものの、14日目に豪栄道の休場により不戦勝で勝ち越しを決め、千秋楽に琴奨菊を下手投げで下し9勝6敗で終えた。9月場所は12日目まで2敗を維持していたが、13日目に白鵬、14日目に日馬富士(第70代横綱)に連敗して優勝争いから脱落。千秋楽は7連敗中だった稀勢の里に勝利して11勝4敗、大関昇進後初の二桁勝利を挙げた[15]

2013年

1月場所は終盤に4連敗し8勝7敗に終わった。2月の日本大相撲トーナメントでは決勝で豊ノ島を破り、初優勝を果たした[16]。3月場所は8勝7敗、3場所連続で一桁勝ち星に終わった。5月場所は初日から8連勝で大関昇進後で初の中日勝ち越しを決めたが[17]、9日目に琴奨菊に敗れ初黒星。その後の横綱、大関戦に全敗で10勝5敗。7月場所は10勝5敗と大関昇進後で自身初の連続二桁勝利を挙げた。9月場所は7日目まで6勝1敗としたものの、中日以降は連敗が続き、9勝6敗に終わった。11月場所は2日目から連敗し、その後は11日目まで2敗だったが、終盤4連敗で9勝6敗に終わった。

2014年

1月場所は初日に同学年の隠岐の海に敗れたが、2日目から白星を重ねて13勝1敗、千秋楽に14戦全勝の白鵬との直接対決に臨んだ。本割では白鵬を寄り倒しで破ったが、優勝決定戦では白鵬に敗れ初優勝はならなかった。それでも北の湖理事長は「決定戦までいったし、優勝に準じる」と、本割で白鵬を破って14勝1敗の優勝同点の成績を評価し、翌3月場所を綱取り場所とする見解を示唆。目安については「最低でも13勝。(最近は)2桁勝利に届いておらず、高いレベルでの優勝が必要」と話した[18]

春場所では3日目にこれまで2連敗の隠岐の海に押し出しで敗れ1敗となるが[19]、その後は連勝を重ね12日目に横綱の日馬富士を送り出しで破り、14日目に1敗で並んでいた横綱の白鵬を破り単独トップに立つと[20]、千秋楽で琴奨菊を寄り切りで破り、14勝1敗で初優勝を決めた[21]。場所後、理事長の北の湖は鶴竜の横綱昇進を横綱審議委員会へ諮問することを決め[22]、同月24日に開かれた同委員会で満場一致で推薦され[23]、同月26日に開かれた夏場所番付編成会議と臨時理事会において正式に第71代横綱への昇進が決定した。外国人力士としては史上6人目、モンゴル人としては史上4人目の横綱となった。時津風一門からの横綱昇進者は実に52年6ヶ月ぶりである。横綱伝達式では「謹んでお受けします。これから、より一層稽古に精進し、横綱の名を汚さぬよう、一生懸命努力します」と口上を述べている[24]

なお横綱土俵入りは雲龍型を選択、指導は貴乃花親方(第65代横綱・一代年寄)が行った[25]。本来は同部屋もしくは同一門の師匠が指導するのが通例であるが、時津風一門の横綱は柏戸剛引退から鶴竜の昇進までの45年間に渡って不在で、その全員が物故者であるために貴乃花親方が代わりに指導役を務めている。なお、この土俵入りの指導者系譜をさかのぼって行くと、鶴竜 -貴乃花 -2代若乃花 -初代若乃花 -12代立田川時津風理事長の命による)となり、他の一門に伝えられていた土俵入りをルーツである時津風一門に戻すという、歴史的意義を生む伝承となった。

5月場所初日、本場所で初めて雲龍型の横綱土俵入りを披露。なお本場所での雲龍型土俵入りは、2010年1月場所後に引退した朝青龍明徳(第68代横綱)以来25場所ぶり。さらに「3横綱」は、2001年1月場所(曙・貴乃花・武蔵丸。同場所の千秋楽後曙が現役引退)以来80場所ぶりとなる。この場所は 12日目の結びの一番で、行司軍配は豪栄道に上がっていたが、勝ち残りで東の土俵下に座っていた白鵬が、行司の判定に異議があるとして物言いをつけた。協議の結果、豪栄道がはたき込んだ際にまげをつかんだとして、鶴竜が反則勝ちを得た。横綱が反則で勝ったのは史上初で、幕内の取組で土俵下に控えていた力士が物言いをつけたのは18年ぶり。この場所は結局9勝6敗に終わり、鶴竜を好評(後述)する横審の内山斉委員長もこの結果には「横綱として初めての場所で緊張は分かるが、6敗は多すぎる。いただけない」と苦言を呈した。[26]翌7月場所は11勝4敗とまずまずの成績を収めたが、5日目の大砂嵐戦では立合い変化による自滅を喫して初土俵からから15場所という小錦に次ぐ史上2位の初金星スピード記録(幕下付出を除く)を許してしまった。[27]

人物・エピソード[編集]

合い口[編集]

いずれも2014年7月場所終了現在。
  • 白鵬に対しては4勝32敗(優勝決定戦を含めると34敗)と大の苦手としている。21回目の対戦で初めて勝ったが、これが鶴竜にとって対横綱戦初勝利となった。
  • 稀勢の里に対しても12勝25敗と大きく負け越している。2011年7月場所から2012年7月場所まで7連敗、2013年1月場所から11月場所まで6連敗している。
  • 日馬富士にも11勝24敗と倍の差をつけられている。一時期8連敗するなど圧倒的な差をつけられていたが、2011年11月場所から2012年5月場所まで4連勝し、少しずつ差を縮めつつある。
  • 琴奨菊には16勝16敗と拮抗している。その他、引退した朝青龍には7戦全敗、琴光喜には4勝10敗、千代大海には3勝6敗、把瑠都には12勝13敗とそれぞれ負け越している。ただし、魁皇琴欧洲に対してはそれぞれ10勝6敗、18勝12敗と勝ち越している。
  • 格下では安美錦を15勝14敗とやや苦手としている。初顔から6連敗を喫したが、2012年以降の成績は鶴竜の方が勝ち越している。栃煌山には17勝16敗と拮抗、妙義龍には6勝6敗と互角。
  • 隠岐の海には7勝4敗と勝ち越しているが、現在3連敗中である。鶴竜は2014年1月場所と3月場所で14勝1敗の好成績を残したが、いずれの黒星も隠岐の海がつけた。特に1月場所では白鵬との優勝決定戦で初優勝を逃しただけに、この黒星が大いに響いた。

人物[編集]

  • 控えめな性格で感情を表に出すことが少なく[28]穏やかで礼儀正しい。関取の多くが後援会や部屋が用意したタクシーや車で会場入りするなか、鶴竜は一人で歩いてくることもある[29]
  • 一方で負けず嫌いな一面も多々見られる。2012年5月場所千秋楽、勝てばその時点で優勝となる豪栄道戦で敗れた際には直後の支度部屋では悔しさのあまり風呂場で珍しくうめき声を上げた。心が整わないまま臨んだ白鵬との優勝決定戦でも敗れたことで平常心の大切さを思い知らされたという。[30]2014年1月場所の優勝決定戦で白鵬に敗れた際にも「これで悔しくなければ辞めた方がいい」と語気を強めて語ったことがある。[31]
  • 日本語はテレビ番組とカラオケを通じて覚えた。また、英語ロシア語も話せる[32]
  • 自分の取り組みをVTRで見ては反省点をノートに書き出し、課題を決めて稽古に取り組む[33]
  • 生真面目な性格ゆえに、大関昇進直後にまだ十両が稽古している午前9時前に稽古場に登場し、大関以上の申し合いまで1時間以上も待った。「自分のタイミングで(申し合いに)入っていけない。今まで通りにやっていきたいけど…。待つ時間が長い。準備運動をして待っている間に体が冷えて気持ちも落ち着いてしまう。(準備運動を)遅めにするとかしないといけない」と語っている[34]
  • 平成以降に昇進した横綱8人が全て2場所連続優勝を果たしたのに対し、鶴竜の場合は結果的に綱取り場所となった2014年3月場所が初優勝だった。また、昇進3場所前に該当する2013年11月場所は9勝6敗であり、2014年3月場所終了現在において年6場所制定着以降において直前3場所前が1ケタ白星であったにもかかわらず連覇無しで綱取りを果たした唯一の力士となっている。それでも2014年3月場所後の横綱審議委員会は無風で、10分余りのスピード推薦。決め手となったのは鶴竜の真面目な人柄とひた向きな姿勢であった。横審では一つも注文が出されず、各委員からは鶴竜の人間性を絶賛する声が続出した。宮田亮平委員は鶴竜を「頭が良い。言葉、礼儀作法がしっかりしている」と褒め、高村正彦委員は「日本人以上に日本人らしい力士だ」と高く評価。大島寅夫委員は「行儀も良いし、よく考えた相撲を取る。品格のある横綱になると思う」と期待していた。[35]
  • 2014年5月9日に東京都墨田区の野見宿禰神社で奉納土俵入りを披露した際に最後の塵手水を忘れる失態を犯してしまった。奉納土俵入りでの失敗は近年では稀なことであり、これには師匠の井筒も「なんだかんだいって緊張してるんだろうね。心配になっちゃう。本場所ではやめてほしいよ」と苦笑いだった。[36]

その他[編集]

  • 若手時代に『ボンボン』『金持ち』と呼ばれることには腹が立っていたそうで、後に朝日新聞の記事で「向こうで大学の先生といっても、給料はよくない。バスケをやっていたのに、バッシュを買えなかった」と反論しており、実家のマンションも1LDKで自室は無かったという[3]
  • 横綱ともなれば移動にタクシーや自動車を使うことが当たり前である中、昇進以降も日常生活では自転車の使用を好んでおり、現在も自宅から数分かけて自転車で部屋まで通うという。[37]
  • 師匠の現役時代のしこ名「逆鉾」を襲名するという話もあったが、「鶴竜」が定着したこともあり立ち消えとなった[38]
  • 横綱審議委員会の委員長である内山斉は鶴竜を評価しており、事あるごとに「かなり長く綱を張るのではないか?」と発言している。
  • 角界屈指のサッカー通であり、自身が立てた2014 FIFAワールドカップ日本代表メンバーの予想はほぼ的中したという。[39]

主な成績[編集]

2014年7月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:539勝390敗4休(76場所)
  • 幕内成績:399勝287敗4休(46場所)
  • 横綱成績:20勝10敗(2場所)
  • 大関成績:119勝61敗(12場所)
  • 三役在位:13場所(関脇8場所、小結5場所)

各段優勝[編集]

  • 幕内最高優勝:1回(2014年3月場所)
  • 三段目優勝:1回(2004年7月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:9回
    • 殊勲賞:2回(2012年1月場所、2012年3月場所)
    • 技能賞:7回(2008年1月場所、2009年3月場所、2009年5月場所、2009年9月場所、2010年7月場所、2011年5月技量審査場所、2012年3月場所)
  • 金星:なし

場所別成績[編集]

           

鶴竜力三郎[40]


一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2001年
(平成13年)
x x x x x (前相撲)
2002年
(平成14年)
西 序ノ口 #32
5–2
 
西 序二段 #97
4–3
 
東 序二段 #74
5–2
 
西 序二段 #32
6–1
 
東 三段目 #70
5–2
 
西 三段目 #40
1–6
 
2003年
(平成15年)
西 三段目 #76
2–5
 
東 序二段 #4
4–3
 
東 三段目 #87
3–4
 
東 序二段 #5
5–2
 
西 三段目 #70
3–4
 
西 三段目 #86
6–1
 
2004年
(平成16年)
東 三段目 #25
4–3
 
西 三段目 #13
4–3
 
東 三段目 #3
3–4
 
西 三段目 #17
優勝
7–0
西 幕下 #14
1–6
 
西 幕下 #35
4–3
 
2005年
(平成17年)
西 幕下 #27
4–3
 
西 幕下 #21
5–2
 
西 幕下 #12
4–3
 
西 幕下 #7
4–3
 
東 幕下 #5
5–2
 
西 十両 #14
5–10
 
2006年
(平成18年)
東 幕下 #3
5–2
 
西 十両 #11
9–6
 
西 十両 #8
9–6
 
東 十両 #4
9–6
 
西 十両 #1
9–6
 
西 前頭 #8
8–7
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #8
6–9
 
西 前頭 #11
9–6
 
西 前頭 #5
6–9
 
東 前頭 #8
9–6
 
西 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
4–11
 
2008年
(平成20年)
東 前頭 #8
11–4
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #3
5–10
 
西 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #5
7–8
 
東 前頭 #6
5–6–4[41]
 
2009年
(平成21年)
西 前頭 #8
9–6
 
西 前頭 #1
10–5
東 小結
9–6
東 関脇
5–10
 
西 前頭 #3
11–4
西 関脇
7–8
 
2010年
(平成22年)
西 小結
7–8
 
東 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #3
6–9
 
西 前頭 #6
11–4
西 小結
9–6
 
西 関脇
7–8
 
2011年
(平成23年)
西 小結
8–7
 
八百長問題
により中止
東 小結
12–3
西 関脇 #2
10–5
 
東 関脇 #2
9–6
 
西 関脇
10–5
 
2012年
(平成24年)
東 関脇
10–5
東 関脇
13–2[42]
西 大関 #3
8–7
 
西 大関 #3
9–6
 
西 大関 #3
11–4
 
東 大関 #1
9–6
 
2013年
(平成25年)
西 大関 #1
8–7
 
東 大関 #2
8–7
 
西 大関 #1
10–5
 
東 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
9–6
 
東 大関 #2
9–6
 
2014年
(平成26年)
西 大関 #1
14–1[42]
 
東 大関 #1
14–1
 
東 横綱 #2
9–6
 
東 横綱 #2
11–4
 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
朝青龍 0 7 朝赤龍 5 5 安壮富士 0 1 安美錦 15 14
阿覧 12 1 4 0 岩木山 5(1) 2 潮丸 0 1
皇司 1 0 隠岐の海 7 4 魁皇 10 6 魁聖 5 0
海鵬 1 0 臥牙丸 6 0 垣添 5 3 春日王 1 4
春日錦 1 1 片山 1 0 稀勢の里 12 25 北太樹 4 0
旭天鵬 15 3 豪栄道 18(1) 9 黒海 6 2 琴欧洲 18 12
琴奨菊 16 16 琴光喜 4 10(1) 里山 1 0 霜鳳 1 1
十文字 1 0 翔天狼 1 0 高見盛 2 5 髙安 5 2
豪風 17 0 玉春日 3 1 玉乃島 2 3 玉鷲 5 1
千代大海 3 6 千代大龍 5 0 千代白鵬 0 2 出島 4 2
時津海 2 1 時天空 9 4 德瀬川 0 1 土佐ノ海 4 0
土佐豊 3 1 栃煌山 17 16 栃ノ心 12 1 栃乃洋 5 2
栃乃花 2 1 栃乃若 3 0 豊桜 0 1 豊ノ島 14 8
豊響 5 2 白馬 1 0 白鵬 4 32 白露山 1 1
把瑠都 12 13 日馬富士 11 24 武州山 2 0 普天王 4 1
豊真将 12(1) 8 北勝力 4 0 将司 3 0 雅山 6 2
妙義龍 6 6 猛虎浪 1 0 嘉風 4 1 露鵬 1 1
若麒麟 1 0 若荒雄 2 1 若の里 6 4 若ノ鵬 0 2

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2014年7月場所終了現在、現役力士

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ インドの僧侶・アナンダに本名が由来している。
    鶴竜が体験 イスラム教そーなんだ nikkansports.com 2013年8月24日9時37分 紙面から
  2. ^ モンゴル国では、フビライ帝の時代以前から、自身の名前に「○○ドルジ(朶而只)」等と「○○という父親の息子」という表現を使うことが見られるなど出自には父親の系統が重視され、父の出身地を重視する慣行から、おしなべて多くのモンゴル出身力士は父親の出身地を自分自身の本籍地として表現する傾向がある。
  3. ^ a b 2012年3月25日(日)朝日新聞朝刊紙面より
  4. ^ a b 鶴竜、熱意実った 入門志願し手紙…苦労乗り越え大関へ 大相撲 産経新聞 3月27日(火)7時55分配信
  5. ^ a b c 素直にこつこつ-鶴竜の努力、実を結ぶ MSN産経ニュース 2014.3.24 08:04
  6. ^ コラム「猫だまし」 同期生との思い出 MSN産経ニュース 2014.7.25 18:09
  7. ^ 鶴竜12勝で技能賞 次場所は大関獲りへの足場固め スポニチ 2011年5月23日 06:00
  8. ^ 鶴竜、大関昇進絶望的「1番でも自分の相撲を…」 スポニチ 2011年9月18日 06:00
  9. ^ 来場所大関獲りへ!殊勲賞の鶴竜「無心で…」 スポニチ 2012年1月23日 06:00
  10. ^ 鶴竜 2場所連続白鵬に土!昇進へ望みつなぐ スポニチ 2012年3月20日 06:00
  11. ^ 鶴竜13勝目まず大関“クリア”千秋楽勝って初Vだ スポニチ 2012年3月25日 06:00
  12. ^ 大相撲:鶴竜の大関昇進を正式決定 初の6大関 相撲協会 毎日新聞 2012年03月28日 09時27分配信
  13. ^ 鶴竜、異色口上「お客さま喜ばせる相撲を」デイリースポーツオンライン 2012年3月29日配信
  14. ^ 伝達式使者に鶴竜の兄弟子 師匠の実弟、元関脇寺尾が決定 スポニチ 2012年3月25日 21:25
  15. ^ 猛省の稀勢、満足の鶴竜 スポニチ 2012年9月23日 20:49配信
  16. ^ 大関鶴竜が初優勝、白鵬連覇ならず 大相撲トーナメント スポニチ 2013年2月10日 18:36配信
  17. ^ 鶴竜大関昇進後初ストレート給金/夏場所 日刊スポーツ 2013年5月19日 20時26分配信
  18. ^ 鶴竜、春場所で綱とりへ=大相撲 時事通信 2014年1月26日 19:24配信
  19. ^ 鶴竜綱獲りピンチ 「後手後手」で隠岐の海に3連敗スポーツニッポン2014年3月12日配信
  20. ^ 鶴竜 白鵬撃破!勝って初V&綱昇進 突攻W王手スポーツニッポン2014年3月23日配信
  21. ^ 鶴竜 2横綱下して堂々の初V「コツコツやってきたことが結果に」スポーツニッポン2014年3月23日配信
  22. ^ 北の湖理事長、横審に鶴竜の昇進諮問へ スポーツニッポン2014年3月23日配信
  23. ^ 鶴竜、第71代横綱に 横審が全会一致で推薦スポーツニッポン2014年3月24日配信
  24. ^ 第71代横綱鶴竜が誕生「一生懸命努力します」と口上スポーツニッポン2014年3月26日配信
  25. ^ 鶴竜土俵入り、貴乃花親方が指導「のみ込み早かった」朝日新聞2014年3月27日配信
  26. ^ (短信)横綱審議委員会 稀勢綱とり、厳しい見方 日本経済新聞 2014/5/27付
  27. ^ 鶴竜、金星配給に「情けない」 MSN産経ニュース 2014.7.17 21:58
  28. ^ 大相撲:控えめの鶴竜 195キロの碧山を豪快に転がす|2014年01月20日 21時12分|毎日新聞
  29. ^ 鶴竜モンゴル4人目の大関に元宝塚娘役との縁談が急浮上|2012.03.29 12:01|週刊文春WEB
  30. ^ 鶴竜笑った 100人目賜杯で決めた 両親の前で「三度目の正直」 Sponichi Annex 2014年3月24日 05:30
  31. ^ 鶴竜、初V 「綱確実」 大一番も冷静に MSN産経ニュース 2014.3.23 21:35
  32. ^ 日本語で手紙 大相撲入り/鶴竜メモ 日刊スポーツ2014年3月24日
  33. ^ 鶴竜に見る男の生き方|経営者倶楽部
  34. ^ まじめ大関・鶴竜「内容めちゃくちゃ」|2012年04月30日 12時00分|東スポWeb
  35. ^ 10分余りのスピード推薦 鶴竜の真面目な人柄が決め手 横審 大相撲 iza 産經デジタル 2014.3.24 21:12
  36. ^ 【夏場所】新横綱・鶴竜「アッ」奉納土俵入り所作“ど忘れ” 2014年5月10日6時0分 スポーツ報知
  37. ^ 鶴竜庶民派 チャリンコ通勤続ける nikkansports.com 2014年4月6日9時45分 紙面から
  38. ^ 「モンゴルのインテリ鶴竜4連勝/秋場所」日刊スポーツ2009年9月17日紙面から
  39. ^ サッカー通の鶴竜、W杯代表は予想通り DAIRY SPORTS ONLINE 2014年5月13日
  40. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年9月24日閲覧。
  41. ^ 右膝内側側副靱帯損傷により11日目から途中休場
  42. ^ a b 白鵬と優勝決定戦

外部リンク[編集]